その時、ボタンゼルドは全てを見ていた。
ティオを失い、トリグラフのコックピットの中で涙を流して叫ぶクラリカを。
その巨大な大砲から青白いエネルギーの渦を撃ち放つトリグラフを。
トリグラフめがけ、破滅の光を放つアイオーンを。
その両者の間に飛び込もうとするラースタチカを。
自ら死地に飛び込んだラースタチカの行動に、能面のようなエルフたちの表情が凍り付き、目を見開いてラースタチカの救援へと飛び込む様が。
一度は失われた命に自らの光を分け与え、動ける者を総動員して再びアイオーンへと挑もうとするルミナスの光の巨人たちを。
今なら勝てるとばかりにその船首を返し、突撃しようとするオークたちも。
傷ついた仲間を艦内へと運び込み、救助する太陽系統合軍の叫び声も。
治療用のヒーリングポッドに繋がれ、傷ついたミナトに呼びかけるユーリーがいた。その隣には蒼い肌を持つ見慣れぬ少女も同じようにポッドの中に入り、治療を受けていた。
全てが見えていた。
かつて、戦場全ての敵意を把握することが出来たボタンゼルドにも、ここまであらゆる情報が見えたことはなかった。
それはまるで、自分がなんらかの機械的なコンピューターのようなものになり、この場の状況全てを同時に処理しているかのような感覚だった。
「これは……? 俺は、一体どうなった……? ティオは……!?」
拡散する意識を必死にたぐり寄せ、ボタンゼルドという個の意識へと引き戻す。
するとボタンゼルドは、自分自身があの小さなボタンの姿ではなく、かつての地球統合軍のパイロットスーツを来た、人間の姿になっていることに気づく。
今も目の前に広がる戦場を見下ろしながら、青年の姿へと戻ったボタンゼルドは、その身をうっすらと輝かせたティオをしっかりとその腕の中に抱き留めていた。
「良かった……無事だったんだな……」
傷一つないティオの横顔に、心の底からの安堵を浮かべるボタンゼルド。
しかし不思議なことに、目の前のティオの姿はどこかおぼろで、それが確かにティオだと分かるにも関わらず、ボタンゼルドにはティオのはっきりとした顔や輪郭を掴むことができなかった。
「ボタン……さん……」
「ティオ!? 気がついたのか……!?
ボタンゼルドの腕の中で、ティオはうわごとのようにその名を呼んだ。
「みんなを……たすけ…………みんなが…………っ」
「ティオ……」
もしかしたら、今この場から見ているボタンゼルドの視界がティオにも共有されているのかもしれなかった。
ティオは未だ目覚めたわけではなく、ただその身を震わせて、必死に仲間たちの元に駆けつけようとその手を伸ばしていたのだ。
そしてそんなティオの姿を見るボタンゼルドの心に、ティオが今まで過ごしてきたラースタチカでの日々の記憶が流れ込んでくる。
それは、以前ボタンゼルドが見たかすかな記憶ではなく、はっきりとした熱とぬくもりを持ったティオの記憶だった。
ティオがラースタチカによって救われ、過ごした期間は一年にも満たない。
しかし、それは間違いなくティオがティオとして生きた時間だった。
思えば、初めてボタンゼルドがティオと出会ったときからそうだった。
過去の記憶を持たないティオにとっては、ラースタチカは故郷そのもの。
ラースタチカで同じ日々を過ごした仲間たちは皆、ティオにとっては掛け替えのない家族そのものだったのだ。
「ボタン……さん……はやく……みんなの……ところに……っ」
「そうだな……その通りだ……!」
ティオの記憶と想いに触れたボタンゼルドは、意識のないティオの言葉に力強く頷くと。伸ばされたティオの手をしっかりと握りしめた。
こんなにも小さな命が。
自らの出自すらわからない不安な境遇を押して、誰かのためを想っている。
大切な仲間たちの無事を祈り、今もそれを諦めていない。ならば――――!
「ならば俺は――――君のその願いに応えてみせるッ!」
――――――
――――
――
『くっ!? こいつ、しぶとい――――っ!』
『消えろ消えろ消えろおおおおおお! 全部! 全部消えてなくなれえええええ!』
最終局面を迎えた戦場。
トリグラフとアイオーン、双方の放った極大の破壊エネルギーがぶつかり合う。
しかしラエルノアが危惧した通り、いかに傷ついているとはいえアイオーンの力は絶大。
真空崩壊砲すら容易く逆行させたアイオーンの力は、トリグラフのエネルギーを見る見るうちに飲み込んでいく。
「ラースタチカ、突貫しますっ! 時空間湾曲フィールド、フルロード!」
「よし、これくらいでいいだろう。ここからは自動航行システムに移行。総員退艦、ラースタチカを放棄する――――急ぎなよ」
そしてそんな危機に陥ったトリグラフを救うべく、そのエネルギーの渦へと突き進むラースタチカ。
ラースタチカのブリッジでラエルノアはクルーに退艦命令を発すると、自身は淡々と目の前のパネルを操作して最後の指示をラースタチカに入力しようとする。
「フフ……私もまだまだだね。人の持つ感情は、策を練る際には絶対に切り離してはいけない重要な力――――ついそれを考慮せず、机上だけで物事を考えてしまう」
自嘲気味に笑うラエルノア。
本来のラエルノアの策は、当然このような形ではなかった。
クラリカが激昂せずにそのまま動かなければ、恐らくラースタチカの真空崩壊砲で決着がついていただろう。
ラエルノアは、クラリカにも事前にティオとボタンゼルドの力や作戦について説明していた。否、したつもりだった。
バーバヤーガは撃破されるかもしれないが、ボタンゼルドが脱出させるから大丈夫だと。聡明なクラリカなら、それで十分だと思ったのだ。
しかし実際は違った。
あまりにも凄まじいアイオーンの破壊エネルギー。
それに飲まれ、一体誰があの場から脱出できるというのか?
少なくともクラリカにはそう見えた。
恐らく、平時のクラリカであれば最初にグノーシスと戦った際の、ボタンゼルドが真空崩壊砲の射線上からすら脱出したことを思い出せただろう。
しかし生死をかけた戦いの中で、常に100%の力を出し切れる者などそうはいない。それがたとえ、全人類史上最高クラスの逸材であってもだ。
しかもそれだけではない。
ティオとボタンゼルド。ラエルノアが脱出できると踏んでいた二人は、いつまでたってもこの場に現れなかった。
もしかしたら、あの二人にも何らかのトラブルが起きていたのか。
だとしたら二人には悪いことをしたと――――ラエルノアは、ちくりとその胸の奥を痛めた。
「もちろん――――自分自身の読み違えの責任は取るつもりさ。クラリカをここで死なせはしない。たとえ、ラースタチカを失ってもね」
眼前に迫る膨大な破壊エネルギーの渦。
ラエルノアは決意を宿した青い瞳をその渦へと向け、しかし未だにその脳内では無数の思索を巡らして次の一手をはじき出そうと足掻いていた。
だが、しかし――――。
しかし、その時である。
突貫するラースタチカの船首が二つの閃光に飲まれるよりも早く、トリグラフとアイオーンから放たれていた二つのエネルギーがその向きを変え、強大な力に吸い寄せられてある一点へと向きを変える。
「っ!? これは、まさか――――」
『なにっ!? 何が起こったの!? まだボクに逆らう奴がいるっていうの!?』
『これ――――っ!? この力の流れ、ティオの――――っ!?』
膨大なエネルギーが流れ込む先。その一点に、神々しい輝きを宿した異形の人型が凄まじい速度で再構築されていく。
一度は確かに死に絶えた機械仕掛けの魔女。
その復活を告げる不気味な鼓動が、混迷する戦場に響いた――――。
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