「ひっ!」
木下巡査が片膝をついて嵌らないマガジンと格闘していると、頭上で先輩巡査が喉に声を詰めた。
続いて、ブチブチブチッ! と繊維を裂くような音が響き渡り、彼は思わず顔を上げる。
「ぎゃああああああああああっ!」
その瞬間、恐ろしい悲鳴とともに彼の顔面へと、赤い雨が降り注いできた。
彼の目に映ったのは悪夢のような光景。
全裸の少女が、ぼんやりと虚ろな表情のままに引きちぎった腕を振り回し、片腕を失った先輩巡査が、呻き声を漏らしながら地面へと崩れ落ちる。振り回された腕が握っていたサブマシンガンが地面にぶつかって、ガラン、ガランと派手な金属音を立てた。
「ああっ、うあ、ああ……ぁ」
思考が頭の中で上滑りを起こしている。何をしてよいか分からぬままに、彼はただ意味のない声を漏らしていた。
そんな彼の目の前で、少女は掴んでいた右腕を無造作に放り出し、蹲ったまま呻いている先輩巡査の頭に手を掛ける。
「え、や、やめっ……」
先輩巡査は恐怖に顔を歪ませて、藻掻くように必死にアスファルトを蹴った。だが、少女は微動だにせず、まるで水道でも捻ねるかのように彼女が軽く手を動かすと、ゴリゴリゴリッ! と鈍い音が響き渡って、先輩巡査の首が捩じれる。
可動域など関係ないとばかりに真後ろを向いた先輩の口から、たらーっとどす黒い血が滴り落ちて、見開いたままの目から生命が抜け落ちた。
気が付けば、周囲は屠殺場だった。戦場ですらなかった。一方的な虐殺だった。
木下巡査の目に映るのは、見渡す限りの赤、赤、赤。
少女たちが流した血の赤に、機動隊員たちの血の赤が上書きされ、吐き気を催すような生臭い匂いが立ち込める。
血の赤、血の匂い、肉の裂ける音、悲鳴、足音。
内臓のピンク、骨の白、命乞い、死の匂い、死の匂い、死の匂い。
少女たちの足音が低音で、隊員たちの悲鳴が高音の二重奏。呻き声のオブリガートが旋律に彩りを添える。
木下巡査の視界の中で、次々と同僚たちが引き裂かれていく。
まるでスルメでも裂くかの様に、縦に、横に。
マグロでも解体するかのようにバラバラに。
少女が身動きするたびに、彼の視界を赤い色が覆っていった。
(あ、あはっ、あははっ、う、うそだ、こんな、こんなこと、あるわけ……)
骨をへし折る音が響き渡り、肉を裂く湿った音が木霊する。
引き裂かれた腹部から内臓が零れ落ち、破損した大動脈から勢いよく噴き出した血が、アスファルトをどす黒く染めた。
そして、ついには捩じ切られた先輩巡査の頭が足下に転がって、その虚ろな目が木下巡査を見上げた。
限界だった。
「うわぁあああああああああああああああああああああっ!!」
喉が潰れるかと思うほどの声を上げて、木下巡査はレプリ達に背を向けて駆け出す。
恐怖に押しつぶされそうになりつつ、よろめきながら必死に人員輸送車両の中へと飛び込んで、慌ただしくドアをロックした。
「た、助け、助けて……し、死にたくない。死にたくない」
震えが止まらない。
彼は赤ん坊が這いずるかのように床を這って、座席の間へと身を隠すと、小さく縮こまってただ身を震わせた。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁ……!」
その間にも同僚たちの断末魔の声と、引き裂かれ、無茶苦茶に蹂躙される肉塊、その水気を含んだ音が間断なく響き続けている。
「無理、無理だ、こここ、こんなの! 許して、もう許してくれ……」
彼は両手で耳を塞ぎ、小さくなって身を震わせる。
そうすることしか出来ない。出来なかったのだ。
やがて――
永遠とも思えるような長い長い時間が過ぎ去って、気が付けば誰の悲鳴も聞こえなくなっていた。
木下巡査は、恐る恐る耳から手を放す。
「た……助かったのか?」
そっと頭を上げて、窓から外を眺めると――
「ひっ!?」
レプリが、彼の隠れている人員輸送車両を取り囲んでいた。
相変わらず、ぼんやりと虚ろな表情のまま。
彼が慌ててシートの間に身を縮めたその瞬間、車両がガタガタと音を立てて振動した。
「な、なっ……!?」
恐怖に身体が硬直し、手近な椅子を掴むのが精一杯。顔から血の気がひいていく音が聞こえるような、そんな気がした。
「な、な、な、なんだ! ななな、なんだよ、これっ!」
ゆっくりと前輪の方が持ち上がり始め、車体が斜めに傾いていく。
座席に置き去りにされたままの隊員たちの私物や備品が、ゴロゴロと後方へと滑り落ちていった。
彼は必死にシートにしがみつき、出っ張りに足を掛けて身を突っ張る。
気が付けば、車両は運転席を上にしてほぼ垂直に屹立していた。
何が起こっているのかは、なんとなく想像が付く。信じたくはないが、レプリ達がこの車両を持ち上げているのだ。
「ば、ばけもの……め」
彼が、弱々しくそう呟いたのとほぼ同時に、突然、ふっと重力が消えたような気がした。
次の瞬間、まるでダンプにでも跳ねられたかのような衝撃が彼へと襲い掛かってくる。
レプリたちが車両を建物へと投げつけたのだ。
凄まじい振動。内臓を裏返されたかのような衝撃、吐瀉物を口から撒き散らしながら、彼は掴んでいた椅子から引き剥がされ、ゴムボールのように壁面から壁面へと叩きつけられた。
「う……うぅ……」
全身打撲。もはや自分の身体がどうなっているのかも想像が付かない。
遠ざかりつつある意識の中で、木下巡査は見た。
自分のいるこの車両に、今まさに炎が回り始めようとしているのを。
◇ ◇ ◇
地上で一方的な虐殺が行われている頃、十四郎と鈴は荷物を運搬させている四体のレプリだけを連れて、虐殺現場の真下にいた。
地下鉄の駅。そのホームである。
レプリ達が進んでいる大通りの地下には、道なりに地下鉄が走っている。
それもあの西都工科大学付近、日本海の傍まで繋がっている路線だ。
避難命令に従って、地下鉄が運行を停止しているのを幸いに、線路内を進んで日本海を目指そうというのである。
そのため十四郎は独り、山道を走破して先に街へと下り、鈴がレプリから離れられる距離、大通りから十五メートル以内の地下鉄の入り口を確認しておいた。
レプリに紛れて街へと降りてきた鈴は、他のレプリに地上を進むことを命じながら、自分は十四郎の手引きによって荷物を運搬させている四体とともに地下へと降りたのである。
大都市圏ではないためか、地下鉄が走っている深度はさほど深くはなく、地上と地下との距離は幸いにも、鈴とレプリが離れられる十五メートル以内。
レプリたちに地上を進ませながら、自分たちは悠々と地下を進むことが出来る。
世間的にはオリジナルとレプリが一緒にいるのは常識。ゆえに、誰もが地上のレプリの中にオリジナルの鈴がいると思い込んでいるはずだ。
地下鉄の駅構内は電気も落ちて真っ暗だった。
鈴は地下鉄のホームで懐中電灯の灯りを頼りに、レプリに持たせている荷物から下着とワイシャツを取り出して身に着ける。
「うぅ……めっちゃ恥ずかしかったよぉ」
「仕方ないだろ」
ワイシャツのボタンを留めながら鈴が呻いて、十四郎が苦笑した。
レプリの群れの中に紛れ込むために、今の今まで鈴も全裸だったのだ。
いくら人通りのない田舎とはいえ、屋外を全裸で行進するのは、年頃の女の子にはそれはもう辛いものがある。
一しきりの着替えを終え、
「じゃあ……行くか」
「うん」
二人は小さく頷きあうと、ホームから線路へと降りて、北へ向かって歩き始める。
このまま順調にいけば、明日……遅くとも明後日には日本海側へ到達できるはずだ。
レプリ達を詳細に観察したとして、十四郎が居ないことに気付く者はいても、その中にオリジナルがいないと断言できるものはいない。
もしかしたら、あっさり日本海にまで辿り着けるのではないかと、二人は淡い期待を抱いていた。
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