「……名前を教えてくれないか?」
「鈴、桧垣鈴……」
「俺は、周十四郎だ」
そして、再び沈黙。
オンボロ軽自動車の不規則な振動が、やけに大きく感じられた。
「変だよね。兄妹なのにさ、自己紹介して……違う苗字で」
「ああ、そうだな」
十四郎は小さく頷くと、バックミラー越しに後部座席に目を向ける。
そこには、助手席の妹と同じ顔が二つ並んでいた。
今、彼は妹とレプリ二体を車に乗せ、自宅へと向かっている。
意外だったのは、レプリはオリジナルの指示にある程度は従ってくれるということ。
これは、駆除員の誰も知らなかった事実である。
オリジナルに近寄れば、レプリは自動的に攻撃してくる。そういう反射的な行動しかとらないものだと、そう思われてきたのだ。
だが、今も鈴が後部座席でじっとしてろといえば、レプリたちはその通りにしている。
但し、彼女が言うには、じっとしてろといっても、ある程度距離が離れると勝手についてくるらしかった。
「ある程度って、どれぐらいだ?」
「うーん、たぶん十五メートルぐらいなら大丈夫かな」
「……十五メートル」
それぐらいの距離を離れられるのなら、出来ることはかなり多い。
人間を遥かに凌駕する制御不能の化け物。
世間のレプリに対する認識は、そんな感じだろう。
それは十四郎も同じこと。
だが、こうやって大人しくしているのを見ると、自分がレプリという存在について何も知らなかったのだと、今さらながらに思い知らされる。
「ねえ……お兄ちゃん」
「ん? なんだ?」
「あ、あんまり、あの子たちのこと見ないでよ、その、は、恥ずかしいからさ」
仕事柄、レプリが全裸であることは当たり前のこと過ぎて何とも思っていなかったのだが、オリジナルである鈴にしてみれば、自分の裸を見られているのと、さして違いはない。
「そ、そんなつもりは無かったんだが、その……すまん」
すると、鈴はクスクスと笑い出す。
「素直なお兄ちゃんは、かわいいね」
「成人した男に、かわいいは誉め言葉じゃないからな」
いくら妹とは言っても、年頃の女の子には違いない。
ただでさえ人と話す機会の少ない彼にしてみれば、一体どんな顔をして接すればいいのか、さっぱり分からない。
「それはそうと、どうしてあんなところに居たんだ?」
苦し紛れに話題を変えただけなのだが、途端に彼女の表情が曇った。
だが実際、こんな年ごろの女の子が、あんな真っ暗な廃倉庫に住み着いているなんて、どう考えても普通ではない。
「……言いたくないなら別にいいけど」
「うぅうん、そんなにややこしい話でもなくて、普通に家出だよ」
「普通にって……」
「アタシさ、施設で育って十歳の時に、今の両親のところに引き取られたんだよね。アタシと同じ歳で死んだ娘の代わりに。結構大事に育ててもらったと思うんだけど……妹が、本当の娘が生まれてさ。妹が大きくなるにしたがって、どんどん邪魔者扱いされるようになって……ね。最後は売り言葉に買い言葉で……」
「そうか」
「お兄ちゃんの方は? なんでこんな危ない仕事してるの?」
「なんでと言われると、正直困る。気がついたらそうなってたとしかいいようがないな。施設に預けられて、適性があるからと別の施設に移されて、そこで少女駆除課の職員になるべく、ひたすら訓練を受けて……」
「なに……それ?」
「周養育院に入った十四番目の子だから、周十四郎。笑えるだろ?」
「笑えないよ……そんなの。小っちゃな子に人の殺し方教え込んで、やりたくも無い殺人を強制されてきたってことでしょ! おかしいよ。そんなの!」
「おかしいかどうかはわからないけど……おかげで鈴に会えたから、悪いことばかりじゃない。たぶん」
鈴は少し困ったような顔になって、そのまま小さな声で「うん」と頷いた。
そして、二人の間にまた沈黙が舞い降りる。
言葉で埋めるには、二人がそれぞれ別々に生きてきた時間が長すぎるのだ。
お互いの事を知らな過ぎて、何をどう言い繕ったところで放たれた言葉は、只の音になって身体の表面を滑り落ちるばかり。お互いの深いところには決して届かない。
十四郎には、そう思えた。
やがて、アパートに辿り着いて駐車場に車を停めると、十四郎は先に降りて、念入りに周囲を警戒する。
彼の住処は、築二十四年のボロアパートの二階。
一応、五年前にリフォーム済みで、風呂もトイレもついてはいるが、外観は手つかずの1DK。
住宅街の裏、車が一台やっと通れる程度の細い道を入った奥にあって、住人のほとんどは老人で、それ以外は十四郎とホステスが一人だけ。
時刻は、もう深夜に差し掛かろうとしている。
周囲には人通りもなく、アパートには灯りの点いている部屋も無かった。
十四郎が手招きすると、鈴がレプリたちの手を曳きながら後をついてくる。
彼女が「静かにね」、そう言い含めると、レプリたちはちゃんと足音を殺す。
これには正直驚かされた。
レプリに、そんな繊細な動きが出来るとは思っていなかったからだ。
どうにか部屋へと辿り着いて、後ろ手に鍵を掛けると、十四郎は「ふう」と大きく息を吐きだす。
手探りでスイッチを探し出し、電灯を点けた途端、鈴が感心したような声を漏らした。
「へー……意外と片付いてるんだ」
「物が無いだけだって」
実際、テレビは床に直置き。
あとは押し入れとベッドがあるだけの六畳間。
趣味というほどではないが、自炊はするので、四畳のキッチンにはひとしきりの調理道具が揃っている。
「適当に座ってくれ」
「うん」
「飯は?」
「あはは……朝から何も食べてないんだよね、実は」
「朝から?」
一瞬、驚きはしたが、考えてみれば当然だ。
お金があったとしても、レプリを連れて買い出しになど行ける筈もない。
「手早く作っちまうから、ちょっと待っててくれ」
十四郎は着替えもせずにキッチンに入ると、冷蔵庫の中を確認する。
卵は昨日特価のを買ったばかり、ハムとカットネギ、冷凍庫には冷ご飯がある。
炒飯ならすぐに出来そうだ。
(女の子ってどれぐらい食べるもんなんだろ?)
分からないが、朝から何も食べていないというのだから、少々多くても問題は無いだろう。
とりあえず冷凍しておいた冷ご飯は三合、それを全て使って、てんこ盛りの炒飯を作る。
座卓を出して、その上に大皿に載った炒飯をドンと乗せると、鈴が顔を引き攣らせた。
「多っ!」
「そうか?」
「そうだよ! JKの食べる量なんて、小動物みたいなもんなんだから」
だが、十四郎は首を傾げる。
「小動物? そんな量で、そんなに脂肪分が多そうな体型にはならんだろう?」
前任の女性オペレーターとは絶望的にウマが合わなかった。
そう繰り返してきたが、実はこれが原因。
十四郎には、デリカシーというものが完全に欠如していた。
ゆえに今の発言も、十四郎にしてみればまったく悪気がない。
だが、鈴にしてみれば、そんなことは関係なかった。
「は、初の……兄妹喧嘩やっとく?」
こめかみに青筋を浮かべながら、引き攣った笑いを浮かべる鈴。
十四郎はきょとんとした顔をすると、顎で皿を指し示した。
「いいから、とっとと食え。あと、ここ結構壁が薄いから静かにしてくれよ」
「むぅう……」
唇を尖らせながら、鈴はスプーンを手に取る。
だが、むくれていたのも食べ始めるまでの話。
いざ手を付け始めると、鈴は一心不乱に炒飯を頬張り始めた。
「ウマっ! お兄ちゃん、料理上手いじゃん」
「俺の料理が上手い訳じゃない。お前の腹が減ってるだけだ。腹が減ってれば何食っても旨いもんだ」
「折角褒めてるのに……。素直じゃないお兄ちゃんはかわいくないよ」
「だから、かわいいは誉め言葉じゃないって」
ひとしきり食べ終わると、十四郎は満足げにお腹をさする鈴に、シャワーを浴びて来いと促す。
「着替えはあるのか?」
「一応、下着はね。あ、あと明日でいいからさ、洗濯機つかわせてよ」
「ああ、そんなもの、自由に使ってくれ。バスタオルはこれ。とりあえず今日のところは、俺のスウェットを使えばいい。ちゃんと洗ってあるから」
「あはは、覗かないでよぉ?」
鈴が揶揄うようにそう口にすると、十四郎は、呆れたとばかりに肩を竦める。
「お前の裸を見たいなら、わざわざ覗かなくても、ほら」
十四郎の指さす先には、全裸のレプリがいた。
そして、深夜のアパートにパシン! と頬をひっぱたく音が響き渡る。
繰り返す。
周十四郎――彼にはデリカシーというものが、完全に欠如していた。
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