SISTER1,000,000

シスターミリオン~百万人妹大逃亡!
円城寺正市
円城寺正市

●14 赤錆た階段を上る足音

公開日時: 2020年9月28日(月) 17:00
更新日時: 2021年4月29日(木) 12:54
文字数:3,082

 仁井寺市に戻って高速を降りる頃には、夕暮れ時。

 

 茜空に白い月が浮かんでいた。


 その風景は息を呑む程に美しい。


 だからと言って、この閉塞感をどうにか出来るという訳でも無い。


 帰りの車内には、ずっと重苦しい沈黙が居座っていた。


 信号待ち。車窓越しに、電子音の『とおりゃんせ』が響いてくる。


 フロントガラスの向こう、横断歩道を行き交う人並みを眺めながら、狭山がおずおずと口を開いた。


「先輩、すみませんでした」


「謝ることじゃないだろ」


 訪ねた相手が悪かった。ただそれだけだ。


 治療の可能性は最初から否定され、話は少女分裂症の発生した理由と意義に終始した。最終的には少女分裂病で人類が滅ぶとまで言い放ち、それが楽しみだとも。


 それは、異端の烙印も押されるだろう。あんな発言をしてしまったら。


 最後には、磯山准教授は、一度駆除の現場を見学させて欲しいとまで言い出したのだ。


 まったく……バカにされたものだ。


 話の内容に興味がないという訳では無いが、今の十四郎にとっては全く無駄な話。


 だからといって、十四郎には狭山を責めるつもりはない。むしろ、なんだかんだと言いながらも、自分のためにこうして骨を折ってくれたことが、とても嬉しかった。


「どうする、直帰するなら家まで送るが?」


「はぁ……そうしたいのは山々っスけどね。今日の午後の仕事、丸まる手つかずって訳にも行きませんから。庁舎に戻りますよ。たぶん着く頃には、課長は帰っちゃってるでしょうけど」


「そもそも課長は、あんまり関係ないんじゃないのか? お前の仕事に」


「そうなんスけど、印鑑だけはついてもらわないといけない書類が、いくつかあるんで」


「印鑑なら課長のデスクの一番上の引き出しに入ってる」


「はい?」


「必要なら勝手にせってさ」


「……ほんと仕事する気無いっスね、あのおっさん」


 狭山がそう言ってため息を吐くのと同時に、ドリンクホルダーに立ててあった十四郎のスマホがけたたましい音を立てた。


 画面には課長の名前が表示されている。


 噂をすれば影が差すとは、まさにこういうことをいうのだ。


 だが、十四郎は違和感を覚えて、思わず首を捻る。


(課長のスマホから? 部署の据え付け電話じゃなくて?)


 画面をタップして、ハンズフリー状態で接続すると、途端に課長の声が車内に響き渡った。


「あ、あ、周くん! キ、キミ、一体何やらかしたんです!」


 慌てきって上擦った声。だが、いきなりそんなことを言われても、何がなにやら分からない。


「落ち着いてください、課長。どうしたんです?」


「これが落ち着いていられますか! 警察ですよ、警察! 令状も持ってます。周くんに未成年者略取の容疑が掛かってるって、警察が庁舎に押しかけてきてるんですよ!」


「はあ!? ちょ、ちょっと! なんですそれ!」


「聞きたいのはこっちですよ! とりあえず、今はまだ窓口の子が応対してくれてますけど、すぐに上まで上がってきます。とりあえずは僕が対応しますから、すぐに戻ってきてください!」


 課長がヒステリックにそう告げると、いきなり通話が途切れた。


 狭山の方へちらりと目を向けると、思いっきり顔を引き攣らせている。


「ヤバい。ヤバいっスよ、先輩。妹さん連れ込むの、誰かに見られてたんじゃないっスか?」


「落ち着け、それはない。見られてたとしたら、レプリも一緒だ。未成年者略取どころの騒ぎじゃなくなってる。おそらく警察には、まだ鈴の発症はバレていないはずだ」


「なに悠長なこと言ってるんスか! 今バレてなくても時間の問題っスよ。庁舎に警察が来たってことは、たぶん、今頃先輩ん家にも踏み込んでいるはずですってば!」


 途端に、背中にゾワゾワッと悪寒が走る。


 鈴のことが心配なのは言うまでもないが、拉致されてる被害者を救うつもりで警察が踏み込めば、そこにいるのは発症者とレプリなのだ。


 接近するものがあれば、レプリは当然戦闘態勢に入る。


 いかに警官と言えども、生身の人間。レプリに敵うはずなどない。


 あとの流れは想像するまでもない。


 警察に死人が出て、少女駆除課に出動要請が入る。


 だが、本来出動するはずの十四郎が、その発症者をかくっている当事者なのだ。


 ということは要請を受けて出動するのは、県庁の特殊班。


「九也か……」


 十四郎は、思わず下唇に歯を立てる。


 あのいけ好かない男の銃口が妹を捉えると思うと、言いようのない焦燥感が十四郎の胸を焦がす。


 次の瞬間、背後でけたたましくクラクションが鳴り響いた。


 いつのまにか信号は青に変わっている。


 慌ててアクセルを踏みながら、十四郎は思考を巡らせた。


 九也なら、どんな手段をとるだろうか?


 まず真正面から踏み込みはしない筈だ。


 あの男は狙撃の腕に絶対の自信を持っている。


 当然、狙撃を選ぶだろう。


 だが、十四郎の部屋を直接狙えるポイントはない。


 向かいの家には十四郎の部屋の正面に窓が無く、さらにその向こうの家からは、向かいの家が障壁となって、十四郎の部屋は見えない。


 狙撃ポイントがないから、十四郎はあの部屋を選んだようなものだ。


 別段、十四郎自身に、狙撃される恐れがある訳ではなかったが、狙撃可能な場所で寝起きするのは、単純に落ち着かないというだけの話である。


 十四郎は慌ただしくスマホをつかみ取ると、アドレスを繰って鈴の番号をタップする。


 だが、何度コールしても呼び出し音が鳴り続けるばかりで、鈴が出る気配はない。


「くそっ!」


 十四郎が思わずそう吐き捨てると、狭山が真剣な顔をしてこう言った。


「先輩、もう少し行った辺りにロータリーがあるっス。そこで下ろしてください。あとは僕、電車で庁舎に戻るっス。妹さんのとこ行くんでしょ?」


「……スマン」


「勘違いしないでくださいってば、僕、巻き込まれたくないだけなんで。まあ庁舎に戻ったら知らぬ存ぜぬで通すつもりですから心配しないでください」


「……スマン」


「だから、謝んないでくださいってば、でも諦めるときにはスパッと諦めてくださいよ。今から行って妹さんを駆除すれば、まだ罪は軽く済みます。駆除員は人手不足っスからね。上手く言い訳すれば、今なら山ほどの始末書ぐらいで済むかもしれないっスよ」



 ◇ ◇ ◇



 陽は落ちて、締め切ったカーテンの向こう側に街灯の灯りがぼんやりと浮かび上がっている。


 住宅街のど真ん中ゆえに、このアパートの周りは静かなモノで、微かにとなりの家の生活音が聞こえてくる程度。


 シャワーを浴び終わって、鈴は濡れた髪をタオルで乾かしながら、ベッドの上で胡坐あぐらを掻いていた。


「そろそろ、お兄ちゃん帰ってくるころだよね」


 レプリの一体に、そう話かけても返事はない。


 今、話かけたのは、今朝新たに増えた一体だ。


 十四郎のクローゼットを漁って、他の三体同様に白のワイシャツを着せてある。


 それで一応、アレなところは隠れるけれど、やっぱり誰がどう見ても彼シャツ状態なわけで。鈴としては照れるしかない。


「……でも、お兄ちゃん全然、平気そうなんだよね」


 まあ、普通に妹に欲情することなんてないのかもしれないが、十数年も会っていない女の子である。


 頭では妹だと分かっていても、普通こんな格好を見れば、照れるぐらいのことはあってもおかしくないと思うのだけれども……。


 流石に襲い掛かられたりしたら困るけれど、自分には全く魅力がないんじゃないかと、ちょっと不安にもなる。


「あれ?」


 なにげなく部屋の隅に目を向けると、充電中のスマホがチカチカと点灯している。誰かから着信があったらしい。


(お兄ちゃん以外だったら、無視!)


 そんなことを考えながら、スマホの方へ歩み寄ろうとした途端、外からカンカンカンと赤錆た鉄の階段を上がってくる、何人分もの足音が聞こえてきた。

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