「がははははっ! 十四郎のヤツめ、味なことをしよるわ」
二メートル近い巨体に角刈り。
はち切れそうな胸筋を揺らして、周七海は大笑する。
キルゾーンで狙撃要員として待機していたというのに、予定時刻になっても、獲物は一向に来ない。
その代わりに獲物の乗ったヴァンが、事故を起こして炎上したという報せが齎された。
出された指示は待機。
だが、まどろっこしいことを好まない彼は、そんな指示は知らぬと、自ら事故現場へと足を運んだのである。
高速道路の側壁に激突して炎上したヴァンは、既に鎮火済み。
行き交う消防士と警察官たちを尻目に、七海は運転席に転がっている広がったままのジャッキを目にして、十四郎が無人の車を走らせたことを悟った。
モスグリーンのカーゴパンツに黒のタンクトップ。
凡そ公務員の仕事着とは思えぬ出で立ちの七海は、ポケットからヘッドセットを取り出して装着すると、大声でがなり立てた。
「おい、九也んとこの!」
「はい、なんでしょう。七海氏」
応じたのは、九也の専属オペレーター井沢貴子。
恐らく彼女は、答えながら通話音量を絞っているはずだ。
「ヴァンが炎上している地点、その直前で車両を止めた、もしくは著しく速度の変化があった地点があるはずだ。調べろ」
「はい……少々おまちください」
カタカタとキーボードを打つ音が聞こえてしばらくすると、井沢貴子が再び口を開いた。
「確かに三キロほど手前のトンネル。その直前でかなり速度を落としています。が、トンネルを出る時点では、八十キロ近くまで速度を上げていたとの報告があります」
「ふむ……なるほどな」
そこで間違いないだろう。アクセルをジャッキで固定して無人のままに走らせ、それを目くらましにして高速道路から脱出したと見て間違いない。
衛星で監視していることを把握していれば当然、離脱する場所はトンネル以外にはありえない。七海が十四郎の立場であったとしても、きっとそうしたことだろう。
そして、トンネル内の避難口から下へ降りたのであれば、そこからどこへ脱出したかはもはや疑いようもない。
「おい、九也んとこの! 人員を寄こせ! 十四郎は山へ逃げ込んでおる」
「山……ですか? しかし七海氏、レプリの潜む山に人を入れるのは流石に……」
「勘違いするな。山狩りをしようという訳ではない。俺はこのあたりの地理には明るいのだ。潜伏しているであろう場所はいくつかに絞り込める。順番に確認していくよりも、一斉に遠くから確認させる方が早い。今からその場所を知らせるから、発見したら速やかに俺に知らせろ」
◇ ◇ ◇
すぐに行動を起こした七海とは対照的に、九也は冷房の効いた車の助手席。
目を閉じて、カーステレオから流れてくるフォーレの『シシリエンヌ 作品78』。その、ゆるやかなピアノの旋律を耳で楽しみながら、シートを倒して寛いでいた。
「アホ過ぎて笑える」
高台の上、昇りつつある朝日を車窓越しに浴びながら、九也はハンズフリーの通信ごしに井沢貴子に吐き捨てる
夜中から待機させておいて、見失いましたなどと言われたら、もはや呆れるしかない。
眼下の高速道路を、今も数台の捜査車両がサイレンを鳴らしながら逆走していくのが見えた。
「七海氏は、対象は山中に潜んでいると……」
「まあ、そうだろうな」
「どうしますか? 七海氏は山に入るようですが?」
「あいつはゴリラだからな。自然に帰してやればいい。俺は隣県の方で待つとするよ。どうせ、そっちに出てくんだろ。ホテルに部屋を用意してくれ。仮眠とるからさ」
「そうなんですか?」
「七海には好きにさせればいいさ。俺は御免だね。山に分け入るとか冗談じゃない。スーツが汚れる」
◇ ◇ ◇
七海と九也、二人がそれぞれに移動を開始した頃、十四郎と鈴は山奥の寂れたキャンプ場に辿り着いていた。
「へぇ……こんなとこあったんだ」
「もう地図にも乗ってないけどな」
感心する鈴に、十四郎はそっけなく応じる。
ここは忘れられたキャンプ場。
近隣にグランピングも出来るアスレティック付きのお洒落なキャンプ場が整備されたおかげで、利用者の減少とともに閉鎖された県営の施設である。
地図上からは名前が消え、もう数年も全く整備されず、誰からも忘れ去られた悲しき躯。ぼうぼうに草の伸びた中に、打ち捨てられた複数の高床式のコテージが、限界集落の成れの果てのように寂しげに佇んでいた。
調理場のかまどは崩れ、木製のテーブルは腐って倒れ、その表面はコケむしている。
ここへと至る道も既に雑草に埋もれ、秘境探検さながらに、道なき道を草を薙ぎ倒しながら進まねば辿りつけぬ始末。
まさに身を隠すにはうってつけの、秘密の場所といったところ。
二人は手近なところから順番に、窓からコテージの中を覗き込み、比較的状態がマシなところを選んでレプリに担がせていた荷物を全て運び込んだ。
「……流石に眠いな」
「うん。お疲れさま、お兄ちゃん」
「鈴もな。お疲れさん」
全くの徹夜だった訳だから当然だが、二人して疲れ切った顔をしている。今や二人が枕を高くして眠れる場所など、どこにもありはしない。それでも眠らない訳にはいかないのだ。
「でも……眠る前に、やることはやっておかなきゃな。鈴、ちょっと手伝ってもらえるか」
「うん、いいけど……なに?」
「もし追っ手が来たとしても、とりあえず最初の一撃だけは確実に避けられるようにちょっとした仕掛けをな」
「仕掛け?」
仕掛けとは言っても、極めて単純なものだ。
子供騙しと言っても良い。
だが、駆除員なら確実に引っかかる。
ひとしきりの段取りを終えて、十四郎と鈴は寝床に決めたコテージへと戻り、荷物の中からブルーシートを取り出して床に敷く。
床は硬いが、流石にマットレスを持ち歩くような余裕はない。
「とりあえず……寝る」
「うん、アタシも……もう無理、ふわぁぁ」
十四郎がリュックを枕にして寝転がると、鈴が大あくびをしながら、彼の腕を枕に寝転がる。
「お休み、お兄ちゃん」
「ああ……お休み」
十四郎が目を閉じると、すぐに鈴の寝息が聞こえてきた。
疲れ切っていたのだろう。
やはり、この状況は十五の女の子には過酷過ぎる。
そっと目を開けると、鈴は十四郎の身体にしがみつくように眠っている。
いくら兄妹とはいえ、世間的にはダメな絵面だろうな……と十四郎はぼんやりした頭で考えた。
隣に寝ているのは、下着こそ身に着けているものの、彼シャツ状態の未成年だ。
他人同士であれば、もう犯罪。
たとえ兄妹だとしても、この年齢ではあり得ない距離だろう。
だが、誓って人に憚るような気持ちはない。
やっぱり家族なんだなと思う。
人肌の温もりというのだろうか。
尖ってささくれだった神経……その尖った部分が、鈴が触れている場所から、ゆっくりと丸まっていくようなそんな気がした。
十四郎は鈴の頭を軽く撫でると、口元を小さく緩める。
思い起こしてみれば昔、周養育院の図書室で手にした本。十四郎はそこに書かれていた一文を、せせら笑ったことがある。
『家族という仕組みは、たまたま生み出されるものではない。意志によってつくりだされ、守られるべきものである』
結婚について書かれた小説の一節だったと思うが、今の十四郎の心情そのものだと言っていい。
たった一人の妹を守り、家族として生きることを選んだのだ。
十四郎はそれを選び取った自分が誇らしいような、そんな気がしている。
だから、今なら素直に認められる。
あの時せせら笑ったのは――
たぶん嫉妬だったのだと……そう思う。
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