「で……警察は、十四郎のヤツを確保できたの?」
「いえ、近隣のショッピングモールで目撃されたのが最後、警察が駆けつけた時には、既にそこを離れた後だったようです」
「ほんっと……無能だよな、アイツら」
九也が助手席で肩を竦めると、ハンドルを握っていた彼の専属オペレーター井沢貴子が、感情のない声でこう告げる。
「そろそろ現地に到着します。狙撃ポイントは、八階の五号室です。部屋の主には事前に承諾を取り付けてはいますが、快くという雰囲気ではありません。くれぐれも問題を起こさないようにお願いします。もみ消しには、それなりに手間と費用が掛かりますので」
「んー……善処はする。それはそうとさ、これ終わったら食事でもどう?」
「お断りします。報告書の作成がありますので」
「そんなの、明日でいいじゃないか……」
九也が身を乗り出すようにして迫るも、彼女の態度はそっけない。
「到着しました」
「……ったく、つれないなぁ」
九也が口を尖らせるも、井沢貴子は我関せずといった態度。目的のマンションの前で車を停めると、さっさと行けとばかりに顎をしゃくった。
彼女は、九也がいくら誘おうともちっとも相手にしてくれない。
彼にしてみれば、それなりにモテてきた自覚があるだけに、自分に靡かない女の存在は癪に障るとしか言いようがなかった。
その結果、いつかはモノにしてやりたいと、ことあるごとにアプローチを繰り返しているのだ。
九也は車を降りると、窓から身を乗り入れるようにして彼女に囁きかける。
「じゃあ、行ってくるからさ、食事の件……考えといてよ」
「もうお断りしましたが?」
「今夜の分はね。明日でも明後日でもさ。ずーっと報告書書いてる訳じゃないでしょ?」
だが、彼女は小さく肩を竦めると、さっさと行けとばかりに再び顎をしゃくる。
(ほんっとガード固いよなぁ……)
実のところ、彼女は、正直言って九也の好みのタイプではない。
九也はああいうクールなタイプではなく、ギャルっぽいというのか……ちょっと頭が弱いくらいの女の子の方が好みなのだ。
だが、手に入らないとなれば、欲しくなるのが人情というものだ。
最初に食事に誘った時は、これから相棒になる訳だから、それなりに仲良くしなきゃぐらいの心持ちだったのだが、ここまで徹底的に塩対応されると、逆にどうにかしてモノにしたいと思ってしまう。彼女の口から甘い囁きを聞きたくなる。
しぶしぶ車を離れると、九也はマンションの入り口へと足を運ぶ。
「中途半端にボロいマンションだこと」
今どきオートロックですらない。それなりに年季の入ったワンルームマンションだ。
だが、歴史的価値を見出せるほどの古さはなく、ノスタルジーを呼び起こすというほどでもない。
エレベーターに乗って八階に辿り着くと、目の前の扉に八〇五号室のプレート。呼び鈴を鳴らすと、扉越しに女の声が聞こえた。
「お役所の人?」
「はい、そうです。お役所の人ですよー」
扉が開くやいなや、九也はそのままドアの内側へと強引に身を差し入れる。
電話口では一度承諾したものの、現地でやっぱり嫌だと言い出す手合いがいるのだ。
「ちょ、ちょっと!」
部屋の主は夜の街で働いてそうな、派手な金髪の女子大生。
場末のキャバクラみたいな、濃い化粧の匂いが部屋の中に充満していた。
「はいはい、ご協力感謝しますよ」
有無を言わさず土足で上がり込んでくる九也に、その部屋の主である女子大生は、盛大に眉を顰める。
「ちょ、ちょっと、アンタ! 靴ぐらい脱ぎなさいよ!」
「あー悪いんですけど、装備品が変わるとね。狙撃しにくいんですよねー。汚れたものとかあれば、申請して貰えれば、クリーニング代出ますんで」
嘘である。ただ面倒くさいだけだ。申請したって役所が受理するはずがないのだが、後の事は知ったこっちゃない。
女子大生が更に何かを言おうとするのを遮って、九也はヒラヒラと手を振る。
「あ、早く避難してくださいね。人の頭吹っ飛ばすシーンとか見たくないでしょ? それともスプラッタはお好きですかね?」
一度承諾してしまえば、駆除員の業務執行を妨げる行為は重罪となる。
女子大生は不満げに頬を歪めると、不承不承ながら廊下へと出ていった。
九也は窓際に横付けされているベッドの上で胡坐を掻くと、ライフルケースを広げて銃を組み立て始める。
M24SWS。レミントン・アームズ社製のボルトアクション狙撃銃。世界中の軍や警察組織で採用されているベストセラーライフルである。
だが、九也個人としては、正直このライフルは気に入っていない。
性能は十分、信頼性で言えば一番確実な代物だ。
だが、ちっとも遊びがない。いかにも工業製品というこの佇まいにはそそられない。
個人的には周養育院時代に使っていたフランス製のFR―F2がお気に入りではあるのだが、流石にそんな我が儘は聞き入れられない。
今は、せめてロシア製のドラグノフを使わせて欲しいと、上に申請しているのだが、正直言って望み薄である。
そもそも、精度が落ちる前提の銃に許可が下りる道理などある訳が無い。
ライフルの組み立てが終わると、九夜はグリップを確かめる。
問題はない。
そして、擦りガラスの窓を開くと、その桟に二脚銃架を乗せて、光学スコープを覗き込んだ。
ターゲットのいる部屋は、建物で遮られて見えないが、アパートから表通りへ抜けるまでの私道までは、遮蔽物もなく真っ直ぐに抜けている。
距離はおおよそ二百メートル。湿度は高めだが、風はほとんどない。
条件的にも九也の腕なら、まず外すことなど有り得ない。
「それにしても、まさか発症者を匿うとは……ね」
発症者とレプリがいたのは、十四郎の部屋だという。
周養育院出身者の中でも一番面白味のない男が、まさかこんな斜め上の事態を引き起こすとは想像もしていなかった。
おそらく駆除数と清掃班派遣数の不整合があった日、あの日駆除されるはずだった発症者だろう。
詳しく調べてはいないが、記録によると『ヒガキリン』という名の女子高生。
ヒガ・キリンなのかヒガキ・リンなのかは知らないが、駆除記録には発症二日目と記録されていた。
もっとも、実際には駆除されていない訳だから、報告書はでっちあげ、名前だって偽名の可能性もある。
駆除報告の時点から、更に二日が経過して発症四日目だと想定すれば、四体のレプリがいたという警察の報告と見事に合致する。
だがまあ……何日経とうがレプリがどれだけ増えようが、オリジナルをヘッドショットしてしまえば、結果は同じことだ。
問題はそこじゃない。
十四郎が、発症者を匿うことが出来ていたという事実だ。
レプリと同じ部屋にいて襲われなかったということが、一つの事実を示している。
「偶然にも家族に出会っちまった……そういうことなんだろうな」
そう考えれば、先日、十四郎があれだけ突っかかってきた理由にも説明が付く。あの時、妹を庇いだてした兄に、自分の姿を投影していたのだ。あのバカは。
駆除員を育成する周養育院に集められるのは、本来、身寄りのない天涯孤独の子供たちだけだ。
理由はいくつもあるが、その一つは、まさに今起こっている、こういうことが無いようにだ。
だが、十四郎に関しては、抜け落ちた情報があったということだろう。
オリジナルの年齢から考えれば、恐らく妹ということになるのだろうが……。
駆除しようと出向いたら、レプリが襲い掛かってこない。
お前は俺の妹だ! ってまあ、そんな流れだろう。
だいたい想像がつく。
そこで切り捨てられないから、アイツはダメなのだ。
今まで家族なんか居なかったのだから、殺してしまっても何も変わりはないというのに。
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