「なに……これ?」
鈴がカーナビの画面をのぞき込んで、呆然と呟いた。
赤い矢印の進行方向に、無数の黄色いバツ印が表示されている。
カーナビの画面に触れ、ピンチして表示を拡大すると、それは主要なインターや出入り口の上に重なっていた。
黄色いバツ印の脇には『通行止め』の臨時メッセージが点滅している。
「やっぱ、袋の鼠じゃん!」
鈴は、慌てて背後を振り返る。
リアウィンドウの向こうには、さっきまで追ってきていたはずの白バイの姿は見当たらず、道路灯の白銀色の光が一定間隔で後方へと過ぎ去っていくばかり。
「追ってきてはいないみたいだけど……」
「たぶん、高速の監視カメラと、衛星で捕捉されてるはずだ。高速に追い込んでしまえば、わざわざ白バイで追跡する必要も無いってことだな」
十四郎のその物言いに、鈴が声を荒げた。
「なんで、落ち着いてんのよ、お兄ちゃん! これって、すごくマズいんじゃないの?」
「そうだな。恐らく県境辺りの山間部、山の上に狙撃ポイントを置けるところで、前後から車両で挟み込んで、この車を停車させる。そして、慌てて降りたところで狙撃でズドンってシナリオだろうな」
途端に、鈴があわあわと宙を掻いた。
「そ、そ、そ、そんなことサラッと言わないでよ!」
それはそうだ。ズドンとやられるのは他でもない、彼女の頭部なのだ。
少なくとも彼女にとっては他人事ではない。
「心配すんな。考えはある」
「考え? 信じるよ! お兄ちゃん信じるからね!」
「ああ、任せとけ」
もちろん苦し紛れの出まかせなどではない。
さっき口にした警察側のシナリオについては、高速に入る直前から想定できている。
警察がキルゾーンとして設定しているであろう場所も、だいたい想像がついているのだ。
高速道路は出入り口を塞いでしまえば、細長い筒のような物。
逃げ場はないと、誰もがそう考えることだろう。
だが、そこに付け入る隙がある。
十四郎も駆除員の端くれ。
常日頃から、家族が手引きして発症者が逃亡した場合、どこへ逃げ込まれたら厄介かという想定は済ませてある。
その最悪のパターンを実践するだけの話だ。
(……まさか、自分が実践することになるとは思ってもみなかったけどな)
苦笑する十四郎に、鈴がおかしなものでも見たかのような顔をして首を傾げた。
「折角だ。もっと時間を稼ぐとするか」
そう言って、十四郎は軽くブレーキを踏むと、徐々に速度を落としていく。
狙撃を行うなら、夜より昼間の方がいいに決まっている。
つまり夜が明けてすぐぐらいに、狙撃に最適なポイントを通過する。
そんな速度で走ってやれば、自ずと狙撃ポイントは固定される。
相手が襲い掛かってくる場所を、こっちで調整できるのだから、やらない理由はない。
やがて、メーターの示す速度は時速三十キロ。
先ほどまでに比べると、徐行とすら思える速度にまで落ちた。
「ど、どうしたの、お兄ちゃん? スピード落ちちゃったけど……まさか故障?」
「違う違う。折角だからゆっくり走って、かわいい妹とのドライブを出来るだけ長く楽しもうと思ってさ」
「そりゃまぁ、アタシかわいいし。気持ちは分かるけど……大丈夫なの?」
「大丈夫だけど、かわいいのとこは否定しないのな」
「否定するところなんて、どこにもないし」
「時々、無茶苦茶ずうずうしいよな、鈴って」
「どういう意味よ!」
鈴が目を怒らせるも、十四郎はそれを無視し、親指を立てて背後を指さす。
「ちょっと腹が減った。後ろに食糧と水を積んであるから取ってきてくれないか?」
レプリ達の背後、そこに幾つかの段ボール箱と大きな登山用のリュックが四つ、それに一回り小さなリュックが一つ積まれている。
小さなリュックは、鈴に指示してアパートから持ち出させた細々とした道具類や貴重品。
段ボール箱と大きなリュックは、合流前にショッピングモールで購入して来た食糧と水である。
これから、どれぐらい逃げ回らなくてはならないか分からないのだ。食糧や水はいくらあっても困る物ではない。
かなりの大荷物ではあるが、仮に車を捨てるタイミングが来たとしても、輸送要員としてのレプリはとても頼もしい。
しかも、レプリはこの先増える一方なのだ。
有効に活用しない手はない。
だが、鈴はその場から動こうとしない。
「鈴?」
十四郎が首を傾げたその瞬間――
「どういう意味だって言ってんでしょ!」
鈴が力任せに頬を抓ってきた。
痛い、地味に痛い。
「爪! 爪食い込んでる! 痛たたた! かわいい! 鈴は超かわいいです!」
どうやら狭山と違って、一方的に話題を変えてしまうという手は、鈴には通用しないらしかった。
◇ ◇ ◇
「対象、急激に速度を落としました。時速三十キロ前後にて北上中」
衛星で監視していたオペレーターの報告が入り、モニターが高速の監視カメラに切り替わる。
カメラの下を通過していくヘッドライト。
今、高速を走っている車は一台だけ。それは十四郎たちの乗ったヴァンに違いなかった。
県知事と県警本部長が机から身を乗り出すようにしてモニターを眺める。
「確かに速度は落ちているようだが……」
「なんだ? 車両の故障か?」
「分かりません」
「とにかく監視を続けてくれ」
「了解しました」
「どう思うかね、井沢女史」
県知事は、この場にいる唯一の少女分裂病対応のスペシャリストたる駆除課の職員へと問いかける。
「分かりかねます……が、高速に入ったものの各出口が封鎖されていることに気付いて、当てもなく時間を先延ばししている……その程度の事ではないかと」
「ふむ」
県知事はサブのモニターに映し出されている高速の路線図に目を向ける。
主要なジャンクションとインターチェンジを通行止めにした上で全ての出口を封鎖。一般車両の一般道への誘導も完了している。
「確かにそうかもしれんな」
だが、速度が変わったとなると、こちらの対応も多少変更が必要だ。
「狙撃を行うポイントは?」
県知事のその問いかけに井沢貴子が路線図をレーザーポインターで指しながら答える。
「このあたりが最適ではないかと」
彼女が指し示したのは、隣県に入ってすぐの山間部。
「トンネルの多いエリアは不向きでしょう。レプリの力で橋脚を破壊されるようなところも避けるべきだと愚考します。ならばトンネルの多い県境のエリアを越えてすぐ、左右の高台に狙撃ポイントを設けられるこの場所が最適かと」
「到着予定時刻は?」
本部長がマイクを通して、衛星で十四郎たちの車両をモニターしている職員へと問いかける。
「このままの速度で北上するならば、朝方の五時前後と推測されます」
「五時か……この時期ならもう陽は昇っている。好都合だな」
「では、井沢女史、狙撃要員の手配を頼む。出来れば複数名頼みたい」
「畏まりました。それでは県庁から周九也、近隣の市役所から周七海、周五十三、周二三弥の四名を手配いたします」
「結構、では私は少し休ませてもらおう。君たちも可能であれば休んでくれたまえ」
知事が対策本部から退出すると、他の者たちもわずかに肩の力を抜く。
続いて井沢女史がノートパソコンを手に退出すると、捜査本部長がその場にいる者たちを振り返って声を上げた。
「休める者は仮眠室を使え、監視は交代で行う」
このまま行けば、翌朝五時の狙撃のタイミングまでは特に動きはないはず。
この場にいる誰もがそう考えていたし、そう期待していた。
だが、その期待は裏切られる。
その五時を前に、例の黒いヴァンが高速の側壁に猛スピードで激突して、原形を留めぬほどに大破、炎上したのだ。
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