相変わらず、おかしなエンジン音である。
まるで不整脈を起こした心臓のように安定しない振動。死後硬直を開始した死体さながらに、時折、ビクンビクンと車体が痙攣していた。
ハンドルを握るのは、白いワイシャツにグレーのスラックス、実に没個性的なクールビズスタイルの市役所職員である。
年の頃は、二十歳前後。
一応、七三に分け目は入っているものの、さして手入れのされていない髪。素材そのものは悪くないのだが、しゃれっ気の一つもない、実に残念な若者であった。
『仁井寺市役所』とドアに大書されたオンボロ軽自動車を走らせながら、その市役所職員――周十四郎は、『敬愛すべき善良な市民の皆さま』について、思いを巡らせる。
「……全滅すればいいのに」
思考一分、彼の口から零れ落ちたのは、いつも通りの酷い結論であった。
この車を走らせる度に、ひとしきりの思考プロセスを経て、必ずその結論に至る。
もちろん人前で口にすることはないが、正直な胸の内ではある。
彼の経験上、納税額の低い市民の皆さまほど、公務員に過剰なサービスを要求する傾向がある。
彼らは、『この税金泥棒!』『貧乏人から搾取するな!』『金持ちから二倍三倍の税金をとればいいんだ!』などと、恫喝しながら詰め寄って来たりもする。
こういう人たちは、皆一律同じだけの税金を納めているかのように錯覚していたりするのだが、さにあらず。世の中には累進課税という制度があるのだ。
最高税率四十パーセントの人間から三倍の税金を取ったら、税率百二十パーセント。
いかな酷い独裁国家すら真っ青の搾取っぷりである。
その辺の理屈は、いくら説明しても聞く耳を持って貰えない。納得する事が目的ではないからだ。
そもそも窓口の人間に、そんな主張をすることに意味がないことは、赤ん坊にだってわかることなのだが、それはそれで別に構わないらしい。
ただ日々の不満のぶつけどころを探しているだけ。どうせただの気晴らしなのだ。
まあ、窓口でクダを巻くぐらいは可愛いモノで、無駄遣いだなんだと、愚にもつかない言いがかりを付けてくるのもこのタイプ。
政治家先生の無駄遣いに腹を立てながら、とりあえずクレームをつけられる場所にモノ申してくれるものだから、現場の予算は緊縮に次ぐ緊縮である。
おかげで、今運転しているこの軽自動車だって、十数年前に篤志家が、善意で寄付してくれたという四台の内の一台。
クッションは擦り切れて、座り心地は最悪。
既にメーカーにはパーツもないというのに、買い換えるという話が出た途端、どこからか聞きつけてきた市民運動家の皆様がいらっしゃって大騒ぎ。
盛大にクレームをつけてくれたおかげで、ガソリン垂れ流しにして走っているようなこの車が、いまだに現役という訳である。
善良な市民の皆さまには、ランニングコストという概念を出来るだけ早く、頭にインストールしていただきたいものだ。
もちろん、予算緊縮は車だけに限った話ではない。
可哀そうにウチの課長なんて、壊れた椅子をガムテープで補強して座っている。いつ背もたれがへし折れてもおかしくない有様である。
真面目だけが取り柄の、ある意味模範的な公務員が、勤続二十五年を経て手に入れた椅子がそれなのだ。
笑える。
ただでさえ中間管理職というのが切ない役職なのは御存じの通り。
上司からは怒鳴られ、部下には突き上げられ、部下は言う事なんか聞かないのに、現場のミスは全て課長の監督責任。減給を喰らってばかりで、ヒラの時の方がまだマシだったなんて話も聞く。
課長の椅子は、実に危険な椅子なのだ。
抽象的にも、具象的にも。
――というようなプロセスを経て、
可哀そうな課長と、激しい振動に晒される自身の臀部を慮るあまり、敬愛すべき善良な市民の皆さまに対して、「全滅すればいいのに」などという、実に物騒な発言に至るわけである。
『また、そんなこと言ってるんスか。先輩が発症者を見逃せば、本当に全滅しかねないんですから、下手なことは言わない方が良いっスよ。わざと見逃したとか、言いがかりをつけられたくないでしょ?』
ヘッドセットのイヤホンから部署の後輩、狭山の呆れ声が聞こえてきた。
「見逃す訳ないだろ、四種嘗めんな」
そう吐き捨てて、彼は手の甲で額の汗を拭う。
季節は真夏。陽が落ちても昼間の天日に温められたアスファルトが放つ熱は厳しい。
このオンボロには、クーラーなど最初からついていないのだ。
彼が口にした四種とは、各市役所に一名配属される第四種特殊技能公務員のこと。
いわゆる大規模災害防止を目的として、分裂少女駆除法に規定された職員で、一般には少女駆除員と呼びならされている。
専門の技術を要するおかげで、定年までの現場勤務。役職が付くことはなく、年齢による昇給のみ、その代わり危険手当はそれなりについてくる。
少女駆除員の持つ専門技術とはすなわち、少女を殺す技術である。高度な殺傷スキルと、見た目に左右されない冷徹な精神が要求される職種であり、一般からの応募は受け付けられない。
全国の孤児の中から適性のある者が育成施設に集められて、本人への意志確認の上で、第四種特殊技能公務員として育成されるのだ。
もっとも意思確認とは形ばかり。相手は小学生以下の子供である。実際には、否も応もないのだが。
子供たちが送りこまれる育成施設の名は、周養育院。
そこに入所した十四人目の子供であるから、彼の名は周十四郎なのだ。
十四郎が養育院に入ったのは六歳の時なので、他の兄弟たちに比べれば、比較的遅めではある。
それでも本来の名前はうろ覚え。施設に入る前の記憶は朧げなものだ。もはや両親の顔もわからない。
そして現在。
近畿圏の中堅都市である仁井寺市の少女駆除課は、彼と課長、後輩でオペレーターの狭山の三人で構成されている。
この部署に配属されるために育成された十四郎や、新卒からのローテーションとして三年の期限付きで配属されている狭山と違って、課長に関して言えば、まあ普通に左遷である。
「で、狭山、今日の駆除対象の情報をよこせ」
十四郎がそう口にすると、イヤホンの中で微かなノイズが走って、狭山の声が聞こえてきた。
『はい。現場は白羽女学院大学付属高校の寮っス。地元では有名なお嬢さま学校っスね。通報者は、その寮の管理人の三澄敏子さん、五十二歳。駆除対象は生徒で一年生の井ノ元律子、十五歳。真面目で大人しい生徒みたいっス』
「何日目だ?」
『目撃情報から発症二日目と推測されてるっス。ただ、確定じゃないんで。そのつもりで。尚、親元を離れて暮らしているため、保護者に通報義務無し。通報者の三澄さんには、褒賞の振込先を確認してください』
「了解、通信切るぞ」
『はい、お気をつけて!』
目的地に近づくに連れて、周囲の風景は寂しくなる一方である。
白羽女学院大学付属高校は数年前までは街中にあったのだが、創立百五十年を機に、郊外の新校舎へと移転したらしい。
辺鄙な場所ゆえに、街中からの通学手段はスクールバスのみ。
その影響もあって、寮生が生徒の大半を占めるのだそうだ。
入学案内には田舎であることを逆手にとって、勉学に最適な好立地などと謳っているあたり、物は言いようだと感心するしかない。
街灯も疎らな山道をひた走り、約一時間。
現地に辿り着くと、門の前に一人の年配の女性が不安げな面持ちで佇んでいた。
おそらくあれが通報者だろう。
幸い、他に人の姿は見えない。
たまにいるのだ。どこで聞きつけるのかは知らないがマスコミやら、野次馬やらが。
彼女は車体横の仁井寺市役所の文字に気付くと、ホッとしたような顔をして、駐車場の方を指し示した。
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