十四郎が、文学少女を処理した翌日のことである。
「都のほとりには、在々所々、堂舍廟塔一つとして全からず。或いは崩れ、或いは倒れぬ。塵灰立ちのぼりて、盛なる煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷にことならず。家の中に居れば忽にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ割く。羽なければ空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも乗らむ。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとぞ覚え侍りしか……」
教室の中に、お爺ちゃん先生のモゴモゴと籠もったような声が響いている。
「ここまでを現代語に訳しますとぉ、こうなります。都の周りではあちこちでお堂や塔が崩れ落ちて、無事なものは一つだってありません。あるものは崩れ、あるものは倒れました。コホン、塵や灰が舞い上がってまるで煙が立ち上っているみたいです。大地が鳴り響き、家々が崩壊していく音は、雷鳴が轟くような凄まじさでぇあります。家の中にいれば押しつぶされそうになるし、外へ逃げれば地面が割れ、逃げ道をふさがれます。羽がないので空を飛ぶこともぉできません。龍であれば、雲に乗って逃げることも出来るのに。恐ろしいものの中でも、もっとも恐ろしいのは地震なのだと、つくぅづく、そう思いました」
白羽女学院大学付属高等学校一年四組の教室。
その後ろから三番目、窓際の席で、古谷美奈は肘をついたまま、唇を尖らせる。
(これで授業してるつもりなんだもんなぁ……)
古典のお爺ちゃん先生は、独りで勝手に教科書を読み上げて、解説して、板書して、目の前に生徒たちなどいないかのように、淡々と授業を進めていく。
これでは、ネットで古典の解説動画を見るのと、さして変わりはない。
「これは方丈記における元暦の大地震についての記述ですがぁ、コホン。他にも災害についての記述は多いんですね。たとえば、安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉などなど……。方丈記には災害のルポルタージュとしての側面もぉあるのです」
この学校はいわゆる名門お嬢様学校なだけに、こんな授業でもほとんどの生徒は淡々とノートを取っている。
全く持って、クソ真面目な連中の巣窟である。
だが、もちろん不良とは言わないまでも、一部にはそうでないものもいる。
美奈自身もそうなのだが、そのほとんどはいわゆる非お嬢さま。小学校からのエスカレーター組ではなく、高校入試を経て入学してきた外部入学生たちである。
後ろの方から聞こえてくる、ヒソヒソ声の主がまさにそれ。
「ねえ、ねぇ、聞いた? 隣のクラスの井ノ元さん、駆除されちゃったんだって」
「えーマジで? 自決じゃなくて? うわっ、ダサっ」
その話の内容に、美奈は思わず耳を欹てた。
興味はある。だって身の回りで、初めての少女分裂病発症者なのだ。
感想としては、『本当にあるんだな』というのが正直なところ。
ニュースやネットではよく目にするのだが、それでも彼女自身は、少女分裂病などどこか遠い世界の出来事のように感じていた。
それもそのはず、昨年の発症者は、全国で八百人強だという。
人口一億二千万分の八百だ。宝くじに当たるより確率は低い。
いや、発症するのは十三歳から十五歳の女子だけだから、実際はもっと確率は高いのか……。
「現代における最大の災害といえば、少女分裂病な訳ですが、鴨長明ならどのように表現したかというのは興味がありますなぁ」
少女たちの話声が聞こえた訳ではあるまいが、『少女分裂病』と、まさにクリティカルな単語が教師の口から飛び出して、美奈の背後で私語に興じていた子たちも、慌てて身を正す。
少女分裂病については、女の子ならば小学生のうちから繰り返し指導される。
『他人事ではありませんからね』と、先生たちに何度も何度も念を押されるのだ。それはそうだろう。中学校に上がってしばらくすれば、自分たちが発症する可能性のある当事者となるのだから。
美奈は、政府から支給された自決用カプセルをどこに入れたっけと思考を巡らせる。
大丈夫。カバンの中、ピルケースに入っているはずだ。正直、今の今までその存在を忘れていたのだけれど。
それも仕方がないことだと思う。
あと三か月で美奈は十六歳。発症の可能性のある年齢を過ぎるのだから。
(それにしても……少女分裂病ねぇ……)
美奈は、これまでに習ってきた少女分裂病についての知識を思い起こす。
たしか、『少女分裂病』の最初の発症者は、オセアニアの小さな島の少女だったはずだ。
気が付けば、いつのまにか島一杯を同じ顔の少女が埋め尽くしていたのだと、そう記録されている。
そう習った。
増えた少女は非常に狂暴で、島の住人達は彼女たちに襲われて死に絶えた。
だが、自分たち以外に誰もいなくなった島で、少女は尚も増え続け、大量の自分しかいなくなった島で、最後にはオリジナルの少女が自から死を選んだのだという。
それ以降、世界各国で少女が増えるという現象が多発しはじめる。
発生した当初の混乱は、凄まじいものがあったと聞いている。
オリジナルの少女が死ねば、増えた少女たちが消滅することは早々に分かっていたらしいが、幼気な少女を殺すことには誰しも抵抗がある。当たり前だ。
人権団体は抗議の声を上げ、発症者の保護を試みるものも現れた。
だが、それも保護を試みた者たちが、増殖した少女たちの次々に引き裂かれるまでの話だった。
もはや常識となった少女分裂病の特徴は八つ。
一、少女分裂病は感染しない。
二、オリジナルが死ねば、レプリも死滅する。
三、レプリは狂暴であり、その身体能力は人類の範疇を超えている。
四、レプリはオリジナルの家族には、敵対行動を起こさない。
五、最初の一週間(潜伏期)は一日に一人増えるだけでレプリは分裂しない。
六、増殖期に入るとレプリも分裂を開始する。増殖速度は加速して三時間で一人。つまりオリジナルを含め八名が三時間後には十六名。わずか五十一時間後には百万名を突破する。
七、増える数の上限は確認されていない。
八、発症するのは十三歳から十五歳までの少女に限られている。
少女分裂病の研究は進むも、未だに予防法も治療法も発見されていない。
駆除された後の少女の死体を解剖しようが、DNA解析しようが、普通の少女との違いが、なにも見つからなかったからだ。
ウィルス説、免疫異常説、ありとあらゆる仮説が否定されて、結局出来るだけ早くオリジナルの少女を殺すという対処法だけが残った。
そしてそれに合わせて、各国はそれぞれに社会制度を整えていったのである。
いわゆる独裁国家では、この年代の女子はひとところに集められて三年間を過ごし、発症したら即時処理される。
民主主義国家の多くでも、この年代の少女たちを隔離する政策が取られているのだが、いわゆる度の過ぎた民主主義であり、若干、衆愚政治に片足を突っ込みつつある、ここ日本においては未だに人権論者の反発が大きく、政府がそこまでの強権を発するには到っていない。
発症した者に対して自決を促すことと、各市区町村に少女駆除課を設置すること、それが精一杯であった。
(いやな時代に産まれちゃったなぁ……)
美奈は再び唇を尖らせて、すぐ隣の席へと視線を走らせる。
こういう嫌な気分になった日には帰りにカラオケにでも行って大声を出したいところなのだが、付き合ってくれるはずの彼女の親友は、もう数日も登校してきていない。
お蔭で、今日も「駆除されたんじゃねーの」などと揶揄うように口にしたクラスメイトを睨みつけてしまった。
(鈴……一体どうしちゃったのよ)
空いた席の机の中から、置きっぱなしの教科書が顔を覗かせている。
名前欄に書かれている下手くそな文字は――檜垣鈴。
(実家の方に電話入れてみようかな……)
ついこの間購入するまで、鈴はスマホを持っていなかった。
手帳のどこかに、彼女の実家の電話番号が残されているはずだ。
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