「美奈っ、早くしないと遅刻しちゃうわよ!」
「大丈夫だってば」
無駄に焦らせようとする母親を適当にあしらって、トーストを齧りながらテレビを付けると、画面の右上に報道特別番組という文字。
朝の早くから、深刻そうな顔をした人たちが、深刻そうな声のトーンで話をしている。
朝っぱらから重い話とか勘弁……と、チャンネルを変えようとしたその瞬間、桧垣鈴という聞きなれた名前が聞こえてきて、美奈は思わず画面を二度見した。
「発症者は桧垣鈴、十五歳、協力者と思われる男性と逃亡中です。非常に危険ですので、もし発見しても決して近づかないでください。それと、潜伏していると目されている地域、また移動する可能性があるとされる以下の地域にお住まいの方は、速やかに避難してください」
司会者らしき男性が、ものすごいカメラ目線でそう告げる。
美奈は耳を疑った。
(鈴が分裂病を発症した? そんなバカな……)
最後に彼女と会ったのは二週間前。
学校帰りにファーストフードでダべりながら、彼女はもうすぐ誕生日だから、少女分裂病発症の可能性がある年齢を過ぎると、そう言っていたのだ。
それどころか、誕生日まであと三か月もある美奈のことを、冗談めかして『あはは、ごしゅーしょーさまぁ』などと揶揄ってきたりもしていたのだ。
(あと数日で逃げ切れるってとこで発症したとか、運が悪すぎるでしょ、アンタ。しかも協力者と絶賛逃亡中って……)
そこまで考えて、美奈は違和感に気付く。
(協力者と一緒に逃げてる?)
レプリと一緒にいて襲われないのは家族だけ。それは常識だ。小学校の保健体育、中学校の保健体育と、何度も何度も耳にタコが出来るほどに聞かされてきた。
つまりその協力者というのは、家族に他ならない。
(鈴のとこって……確か父親、母親、妹だよね、家族構成)
テレビでは男性と言っていたし、素直に考えれば協力者というのは父親一択だろう。
少女分裂病に限って言えば、男性と逃げてると言っても、いわゆる逃亡ロマンスはありえない。少女分裂症をテーマにしたドラマや映画もあるにはあるが、ラブロマンスにしにくいおかげで題材にしにくいのか、その数はかなり少ないのだ。
美奈はトーストを口の中に無理やり捻じ込むと、慌ただしく身支度を調える。
「いってきまーす!」
そして、本来家を出る時間より、三十分も早く家を飛び出した。
とはいっても、向かう先は学校ではない。
学校なんて行ってる場合じゃないのだ。
何が出来る訳でも無い。
何かあてがあるわけでも無い。
でも、じっとなんてしていられなかった。
自転車を立ちこぎしながら、全力でペダルを踏む。美奈は駅まで全力疾走。
汗まみれになりながら、自転車を駐輪場に放り込んで、そのまま駅の階段を駆け上がる。
本来なら駅前のロータリーから出るスクールバスに乗るのだけれど、今日は学校をサボる。そう決めた。
いかにお嬢さま学校だとしても、流石に一日休んだぐらいで、わざわざ家に連絡を入れたりはしない筈だ。
実際、美奈はそこそこ優等生。教師の覚えもめでたい。
たぶん、おそらく、パーハップス、メイビー、大丈夫なはずだ。
「はぁ、はぁ……えーと、どこだっけ、鈴んちの最寄り駅?」
自動券売機の前に辿り着き、乱れた息を整えながら料金表を見上げる。
鈴はあまり家に人を呼ぶのを好まなかったから、美奈も一度だけしか遊びに行ったことはない。
最寄り駅もうろ覚え。
記憶を頼りに料金表を眺めて切符を買う。
ここから急行で二駅、普通に乗り換えて更に一駅。
鈴の家はそこにある……はず。たぶん。
急行電車に乗り込み、乱れた息を整えながら車窓から街並みを眺めていると、他校の制服を着た子たちが鈴の事を話題にするのが聞こえて来た。
言っちゃなんだけど、見るからに頭の悪そうな子たちだ。
「今逃げてる子ってさ、白羽附属の子なんだって」
「めっさ近いじゃん、やばっ」
「あ、でももうこの辺には居ないって言ってたよ、テレビで」
「でもさ、なんで逃げるかなーしかしー。サクッと死ねばいいのにさ。あーしだったらぁー、分裂病って分かったら即死ぬわ、ポックリ」
「ポックリ?」
「うん、ポックリ、あはは」
(死ねよ、お前は死ね)
聞こえてくる話の内容にイライラしながら、美奈は胸の内で毒づく。
つり革をぎゅっと握りしめて、窓の外、遠くに浮かんでいる雲を親の仇のように睨みつけた。
普通電車に乗り換えて更に一駅。
最寄り駅について電車を降り、美奈は確かにこんな駅だったと頷きながら改札を通る。
このあたりは古くからの住宅街で大きなお屋敷が多いのだと、鈴はそう言っていた。
駅前のロータリーへ降りて、左右を見回す。
「……どっちだっけ?」
残念ながら覚えていない。
美奈は、バス停の脇に立てられている市街地図を眺めて、記憶を手繰り寄せる。
(確か途中、右手に食料品専門のスーパーがあって、自動車教習所……あ、これだ。ということは……大体この辺かな)
正直、地図を読むのは自信がないけれど、方角さえ分かればたぶん大体で辿りつけるはずだ。
美奈は、おぼろげな記憶を頼りに歩き始める。
ロータリーを越えて右手に進むと……何となく見覚えのある美容院。そのまま真っ直ぐ進むと、スーパーがあって……。
なんどか同じ道を行ったり来たりしながら、通りを行く人を捕まえては尋ね、どうにか明確に記憶にある通りへと辿り着いた。
「確か、そこの角を曲がってすぐのお屋敷だったはず……」
鈴の家はすっごく大きなお屋敷なのだ。彼女はそれほどお嬢さんという雰囲気でも無かったから、かなりびっくりした覚えがある。
以前、訪れた時には閑静な住宅街だったとそう記憶していた。
だが――角を曲がると、そこには黒山の人だかり。
カメラやガンマイクを抱えたマスコミらしき人たちと、その外周を取り巻くように野次馬が群れをなしている。
「桧垣さーん! 桧垣さーん!」
彼らが取り囲んでいるのは、どう見ても鈴の家の門だった。
「うっわ……すごっ……」
これでは、とてもではないが近寄れそうにない。
だが、冷静に考えてみれば、美奈が目にした報道番組でも思いっきり実名が出ていたのだ。
こうなって当然だろう。
さて、とりあえずここまで来たのは良いけれど、何が出来るという訳でもない。なにか力になれることがあればと、そう思ったのだが、ただの高校生に出来ることなど何もない。結果としてはただの野次馬の一人でしかないのだ。
「……どうしよう」
美奈がそう呟くのとほぼ同時に、野次馬の群れの方でざわめきが起こった。
みれば門の鉄柵の内側で、おばさんが喚き散らしている。
間違いない。
美奈も顔を合わせたことのある、鈴の母親だ。
彼女が喚き散らしている内容に耳を傾けて、美奈は愕然とした。
「帰ってください! ほっといてください! あの子はウチの子じゃありません! もう養子縁組みは解消していますから! ウチとは全く関わり合いは無いんです。ウチは関係ありません!」
(……な、なんだよ、それ!)
どうやら鈴は養女だったらしい。
私も今、初めて知った。
まあ、普通そんなに言いふらすことじゃないだろうし。
でも、そんなことは関係ない。
親子だったじゃん、おばさん。「ウチの鈴と仲良くしてやってね」って……そう言ってたじゃん。
少し前に電話した時には「みんな心配してる」って、そう言ってたじゃん。
都合が悪くなったらウチの子じゃないって……そんなのどう考えてもおかしいよ。
でも、おばさんがあの様子じゃ、協力者の男性ってのもきっと鈴の父親ではないのだろう。
いや……もう父親ですらないのか。
じゃあ、協力者っていったい誰?
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