少年と十四郎は、見開いた目を思わず見合わせる。
「綾香ッ!」
慌ただしくドアを開いて、部屋に飛び込む少年。
次の瞬間、彼は「ひっ!」と喉の奥に声を詰めた。
「うううう……痛いよぉ、あ、あうううう、手、手がっ……」
少年の肩越しに見えたのは、破れたガラス窓、白い壁紙に飛び散った血。立ち尽くす七体のレプリ。
そして片腕を失って、血の海で呻く少女の姿。
「い、痛いよ、お、お兄ちゃん……た、助け……」
「な、なんで……」
少年が呆然とそう呟いた途端、パン! パン! と再び破裂音が鳴り響いた。
同時に、少年と十四郎の目の前で、少女の身体が壁に叩きつけられるように吹っ飛ぶ。
(狙撃か!)
ちぎれるもう片腕、抉れる胸元。
凄まじい悲鳴を上げる少女と、飛び散る血。弾丸の衝撃に跳ねる身体。
そして、最後に彼女の頭が破裂して、悲鳴が途切れた。
ビシャリと血と脳漿が壁面に赤の扇形を描き、顎から上を吹っ飛ばされた少女の身体が崩れ落ちる。
つい数秒前まで十三歳の少女だったはずの肉の塊が、鈍い音を立てて床を打った。
「え、え? あ、うぁ、あ、あ、あや……か?」
少年がへなへなとその場に膝から崩れ落ち、そして――
「あやかぁあああああああ! そんな、なんで、あ、うぁあああああっ!」
半狂乱になって、声を上げた。
そんな彼の目の前で、レプリが燃え尽きた炭のように、変色しながら崩れ落ちていく。
十四郎は、少年の脇をすり抜けて部屋に飛び込むと、破れた窓へと駆け寄った。
少女を殺したのは、どう見ても遠距離からの狙撃。
両手を撃ち抜き、心臓を外して胸を抉り、そして最後に頭を撃ち抜いてとどめ。
全部で四発。弾数を使ってはいるが、下手くそな訳ではない。
むしろ逆。
どう見ても獲物を弄って楽しむために、そうしたとしか思えない。
だが、この家の前に狙撃できるようなポイントは無かったはずなのだ。
それが出来るぐらいなら、十四郎が先にやっている。
だが十四郎が窓に取りつくと、数百メートル先、そこでホバリングしているヘリが見えた。
目を凝らしてみてみれば、そこには機体から身を乗り出して、ライフル片手に笑い転げている男の姿がある。
片目が隠れるほどに長く伸びた前髪。針金のように細い体。嫌味なニヤニヤ笑い。
それは十四郎のよく知る男だった。
「……九也ッ!」
十四郎は、奥歯をぎりりと噛み締める。
ヘリは次第にこちらへと近づいて来て、前の道路の上空、そこで再びホバリングを開始する。
激しく吹き込んでくる風に、ぶちまけられた肉片とともに壁にへばりついた少女の髪が激しくそよぎ、炭化して崩れ落ちたレプリの残骸が風に舞い上がった。
「あの野郎!」
たらされたロープを伝って地上に降り立つ男を睨みつけると、十四郎は怒り任せに階段を駆け下りて、呆然と座り込んだままの夫婦の間を駆け抜け、降りてきたその男の方へと詰め寄る。
「九也! おまえ! 何してやがる!」
十四郎が胸倉に掴みかかると、男は一瞬驚いたような顔をした。
だが、すぐに彼の手を払いのけ、その男――周九也はニヤニヤと嘲るような笑いを口元に張り付けた。
仕立ての良さそうなベストに、紫のシャツ、ゼニヤのネクタイ。
どこぞのファッションモデルのような出で立ち。
見るからにスカした男である。
「何してるかだって? 出来の悪い弟がモタモタしてるから、手伝ってやったんじゃないか。流石にスタンピート直前の個体を放置する訳にはいかないからな」
「必要ない! 俺だけで何の問題も無かった!」
「そんなこと言われてもな。こっちだって仕事だ。六体越えた個体は市町村だけじゃなくて、県庁も協力して対応する。そういう取り決めになっている。手柄をとったのとられたのって、別にそれで俸給が上がる訳じゃないんだから」
「そういう問題じゃない! なんで一発で頭を撃ち抜いてやらなかった! なぜ、苦しめた!」
「らしくもないつっかかり方をするじゃないか、十四郎。久しぶりの狙撃で、手元が狂っただけだ」
彼は面倒くさげに肩を竦める。
「んなこと、あるわけないだろうが!」
歳は一つ違いだが、同じ周養育院出身の九番目。
周九也。
周養育院出身者の中でも、取り分け狙撃の腕にかけては右に出る者はなく、その類まれなる技術を見込まれて、当時新設された県庁の特殊技能班のエースに抜擢された男である。
但し、性格は最悪。
とんでもないサド野郎だ。
さっきのもそう。あえて別の場所を撃ち抜いて、少女が苦しむ姿を楽しんでいたに違いないのだ。
九也を睨みつける十四郎の背後で、駆除された少女の両親と兄が警察官に両脇を抱えられて連行されていく。
父親の方は呆然とした表情、母親の方は泣き崩れたまま。
そして兄は、九也が手にしているライフルに目を留めると、「おまえかっ! おまえが綾香をっ! 殺す! 殺してやる!」、そう半狂乱になって暴れ、警官たちに力ずくで護送車へと押し込まれた。
そんな少年の姿に、九也は呆れたとでもいうように肩を竦める。
「まったく、醜いもんだ。素直に自決してりゃ良かったのに、死ぬ勇気も無いせいで頭を吹っ飛ばされて、死体はゴミと一緒に焼却処分。家族はそろって懲役刑だよ。ほんと、女の子なんて産むもんじゃないよな」
「黙れよ……それが家族ってもんだろうが」
十四郎が押し殺すような声を漏らすと、九也は一瞬きょとんとした顔をした後、腹を抱えて笑いだした。
「あははははは! なに言っちゃってんの? おいおい、勘弁してくれよ。なんの冗談だよ。もしかして家族なんかに憧れ持っちゃってんのかよ、おまえ。あーやだやだ。そんなんじゃ絶対やってけねぇぞ? 家族なんかクソだよ。クソオブクソ! この間なんて、通報して来た母親がいたぞ。実の母親でも通報したら報奨金貰えるんですよねってさ」
そして九也は、鼻先まで顔を突きつけて、冷め切った眼で十四郎を見据えた。
「アホなこと考えんな。迷惑だ。俺たちは殺す立場、アイツらは殺される立場。それだけだ。母親が子供を庇ったせいで、ブエノスアイレスは空爆で焼け野原だぞ。何人死んだか知ってるか?」
そして、九也はこう吐き捨てる。
「そんなことより十四郎、おまえんとこの管轄で駆除数と清掃チームの派遣回数で不整合が起きてるって報告上がってきてたぞ。駆除数の水増しすんなら、もうちょっと上手くやれよ、下手くそ」
その一言に背筋が凍り付く。
仕方が無かったとはいえ短絡的だったかもしれない。
たぶん、もしこの九也が同じことをするなら、どこかから攫ってきた女の子の頭を吹っ飛ばして身代わりにするぐらいのことをしたはずだ。
そして、どうあっても妹を救いたいのであれば、十四郎もそれぐらいの覚悟はすべきだったのだ。
「じゃあな、あんまり手間かけさせてくれんなよ、出来損ない」
背を向けて、迎えの車に乗り込んでいく九也の背中を目で追いながら、十四郎はその場に立ち尽くした。
◇ ◇ ◇
「お帰りなさい! アナタ、ご飯にする。お風呂にする。それともア・タ・シ?」
アパートの扉を開けるなり、エプロン姿の鈴がそんな事を言ってきた。
思わず硬直する十四郎に、急に恥ずかしくなってしまったのか、鈴が上擦った声を上げる。
「じょ、冗談だから! て、定番のギャグだから! お約束ってやつだから!」
首元がヨレヨレのスウェットに、色気もへったくれもない黒のエプロン姿。それ以前に鈴は妹であって、恋人ではない。
最初からおかしな誤解のしようもないのだが、十四郎は呆れ混じりにこう思う。
(そんなに恥ずかしがるなら、しなきゃいいのに……)
だが、家に帰って誰かが待ってくれているということに、十四郎はなんとも言い難い気持ちを覚える。
温かいような、気恥ずかしいような、そんな気持ち。
例えるならば、暖色のマーブル模様のようなそんな心持ちである。
だが、それも一瞬のこと、今日、目にした妹を守れなかった兄の姿が脳裏を過って、温かな思いは冷ややかな現実に押し退けられた。
(俺は、絶対に守って見せる。守り切って見せる)
彼はふうと小さく吐息を漏らすと、微笑みながらこう口にした。
「ただいま、鈴」
「おかえり、お兄ちゃん」
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