少し時間を遡る。
黒いヴァンが大破、炎上する少し前のことである。
東の山、その稜線が赤黒く燃え始める夜明け前。
『希望』のイメージを被せて眺めれば、きっと美しいはずの日の出の風景も、希望のない朝ゆえに、空の赤さに血のイメージが重なって、車窓からそれを眺める鈴は『汚れた赤』と、そんな風にしか表現できずにいる。
自分たちの他には無人の高速道路。緑の只中を走る、眠気を誘う直線。
レントゲンに映った古いボルトを思わせるその道路を、ノロノロと彼女たちを乗せた黒いヴァンが走っている。
十四郎には寝ていろと言われたものの、鈴は寝付けぬまま、重い体のままに朝を迎えた。
夜の間、彼女はくだらない妄想を繰り返していた。
夜に死に、朝に新たに生まれる。
そして少女分裂病は、夜の向こうに置き去りになる。
そんなライフサイクルだったとしたら、どんなに良いだろうか、と。
そして彼女は、背後でモノ言わず佇む分身たちに目をやって、小さくため息を吐いた。
「ここから先は、しばらく、ずっとトンネルが続く」
十四郎が誰に言うともなしにそう呟き、トンネルに入る直前には、更に速度を落とした。
メーターを覗き込むと時速十キロ。
完全に徐行である。
「鈴……もうすぐ目的地だ。降りる準備をしといてくれ」
「目的地?」
「ああ、この高速道路から脱出する。二つ目のトンネルに入ったら車を停めるから、降りたらレプリ達に、後ろの荷物を下ろさせてくれ、全部」
「う、うん、わかった」
県境には山が連なっている。
一つ目のトンネルを抜けると、たった五十メートルほどで、二つ目のトンネル。
後部座席に目を向けると、レプリが更に一体増えていた。
どうやら、二つ目のトンネルはすごく長いらしい。
入ってすぐの辺りでは、出口は全然見えなかった。
十四郎はトンネルの途中で車を停めると、顎で後方を指し示しながら、鈴に指示を出す。
「よし、鈴。レプリ達に荷物を下ろさせてくれ、全部だ」
「う、うん」
鈴は助手席から降りると、後部座席のスライドドアを開け、レプリ達に向かって声を上げた。
「みんな、手近な荷物を持って降りて!」
降りてきたレプリの手には、食糧と水の詰まったリュックに、アパートから持ち出したリュック。
だが、座席の脇にあった発煙筒と羽根帚を手にしている者、窓の開閉レバーを引っこ抜いて手にしている者までいる。
結局、下ろせた荷物は半分程度。
やはり、ちょっと複雑な作業になると、こうなってしまう。
溜め息を一つ吐いて、鈴は車の後部座席に乗り込むと、重い荷物を必死に引き摺って、車外へと投げ落とす。
ひとしきりの荷物を下ろし終えてドアを閉じると、彼女は顎に滴った汗を拭いながら、運転席の十四郎へと声を掛けた。
「お兄ちゃん、下ろしたよっ!」
「よし、ちょっと離れてろ」
ハンドルはガムテープでがっちり固定。
運転席のドアを開け放ち、十四郎はニュートラルの状態で、アクセルの上に乗せたタイヤ交換用のジャッキ。そのクランクを回す。
パンタグラフ式に広がったジャッキがアクセルを押さえつけ、エンジンがけたたましい唸りを上げた。
そして、彼はギアをドライブに入れるのと同時に、猛スタートを切る車から飛び降りる。
凄まじい勢いで走り出す無人のヴァン。ゴロゴロとアスファルトの上を転げる兄の姿に、鈴は大きく目を見開いた。
「お、お兄ちゃん!? だ、大丈夫!?」
声を上擦らせながら、駆け寄ってくる鈴。
そんな彼女に十四郎は、起き上がって服についた砂を叩きながら微笑みかける。
「大丈夫だ」
十四郎は遠ざかっていく無人のヴァンを目で追って小さく頷いた。
「ここは監視カメラの死角だし、トンネルの中は衛星からも捕捉できない。道は真っ直ぐだから、あのヴァンもしばらくは時間を稼いでくれるはずだ」
「うん、それでこれからどうするの?」
「非常口から高速を降りて、ここからは山中に潜伏する。レプリ達に荷物を背負わせてくれ。急いでここから移動しよう」
十四郎は、以前からこの場所に注目していた。
ここに逃げ込まれたら厄介だと考えて、詳細に調査しておいたのだ。
一体何が厄介なのかというと、ここの非常口を降りた先は、山中の農道。そのまま山の中へと隠れてしまうことが出来る。
山中に入られてしまえば、山狩りぐらいしか追跡する手段はないのだが、大規模な人員で山狩りを行おうにも、レプリが潜伏するところに一般人を送り込む訳にはいかない。
つまり山中に逃げ込んでしまえば、ただの山がとんでもない危険地帯に早変わりするのだ。
鈴が、レプリ達に荷物をひとしきり背負わせ終わるのを待って、十四郎はトンネルを奥へと歩き始める。
それにしても、白シャツか制服姿の四体はともかく、新たに発生した一体は当然全裸。
全裸の少女が巨大なリュックを背負って、平然と立っている姿はシュールとしか言いようが無い。
数分も歩くと、非常停車帯の脇に非常用の電話、更にその脇に鉄製の扉があった。
十四郎は、そこに歩み寄るとレバーを捻って扉を開く。
そして、その扉の向こうを覗き込んで、鈴は目を丸くした。
「なんでこんなとこに滑り台?」
扉の向こうには、下へと続く階段と銀色に光る滑り台があった。
「子供や老人、体の不自由な人間もいるからな。高速の非常口の多くには、こうやって滑り台が設置されてるんだ」
「楽しそう! 滑っていい?」
鈴が期待に満ちた顔で問いかけるも、十四郎はすげなく首を振る。
「ダメだ」
「ぶー……」
途端に恨めしげな顔をする鈴に、十四郎は肩を竦めた。
「まったく……泣いたり怒ったり、根性が座ってるんだか、座ってないんだか……」
◇ ◇ ◇
五体のレプリを引き連れた十四郎と鈴、二人は夜明け直前の薄暗い山道へと降り立った。
彼らは、緩やかな勾配に横木を埋め込んだ、人の手の入った階段状の道を上っていく。
「お兄ちゃん、食糧買って来るんだったら、服も一緒に買ってきてくれればよかったのに」
「女の子の服なんて、俺に買える訳がないだろう。不審者も良いところだ。それに、レプリと見分けがつかないほうが安全なんだから、ホントは服は着ないほうがいいんだって」
「……うっさい、ドスケベ」
レプリに扮してアパートを脱出したせいで、今の鈴は下着の上に白のワイシャツのみ。
そんな格好で山道を歩いているとか、一歩間違えれば痴女である。
一応、制服を着せたレプリから靴は奪い取ったが、制服自体は血塗れで、とてもじゃないが着られたものではない。
そのまま農道から山道、そこから道なき道を分け入って、二人と五体は山の奥深くへと入っていく。
更に一時間ほど歩き、二人は見つけた川辺で少し休憩することにした。
「念のため、レプリに周りを囲ってもらおう。狙撃されないとは限らないからな」
十四郎の言う通りに鈴は、二人の座ったその周りを、レプリに指示して囲むように立たせる。
だが……。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「出来たら、目を瞑ってて欲しいんだけど」
鈴が言わんとしていることは分かる。
座っていると、丁度十四郎の目の高さ、顔の至近距離にレプリのお尻がくるのだ。
流石に、自分そっくりのお尻をマジマジとみられるのは抵抗があるだろう。
「だが、断る!」
「なんでよ!」
「いざという時に咄嗟に動けなくなるからな」
「うるさい! このスケベ! 咄嗟に動けなくていいから!」
「こら、やめろ! 鈴!」
無理やり十四郎の目を手で覆う鈴。
子供じみたじゃれ合いである。
だが、そんな他愛もないことが、十四郎にはとても新鮮に思えた。
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