倍率八倍にセットされたスコープの視界。その向こう側で、激しく血が飛び散った。
黒い弾丸が少女の眉間に吸い込まれ、肌を割ってその内側から赤色が膨らむ。
その瞬間にはいつも、九也の背筋をゾクゾクゾクッと電流が走り抜ける。
だが、この日の昂りは、いつも以上だった。
これまで何十回と繰り返してきたヘッドショット。
見ず知らずの少女の頭を撃ち抜くという行為に変わりはないはずなのに、今回ばかりは失禁しそうなほどの快感が彼に襲い掛かったのだ。
「ははっ! あはっ、あははははははっ! ざまあみろ! 十四郎!」
九也の口から抑えきれない笑いが溢れ出る。
大切なものを台無しにしてやった!
アイツが全てを捨ててまで守ろうとしたモノを、踏みにじってやったのだ!
そう思うと昂りは天井知らず。
あの可愛げのない弟の泣き喚く顔が脳裏に浮かんで、口元が緩むのを抑えられない。
思えば、いけ好かない弟だった。
初めて出会ったのは七歳の時。
アイツが周養育院へ移されてきた、その日だ。
反抗的な訳では無かったが、友好的な訳でも無かった。
アイツはただ、何も興味がないというような態度を崩さなかったのだ。
周養育院に集められたガキどもは、天涯孤独の孤児ばかりだ。
全員が全員、それなりに深い心の傷を負っている。当たり前だ。
だというのに、アイツは自分だけが世界で一番苦しんだかのような顔をしていたのだ。
まるで蔑むような目で、周りの全てを、俺たちを見ていた。
嫌いだった。兄弟は皆、アイツのことを嫌っていた。
ただ一人、空気の読めないバカの五樹だけは、飽きることなくヤツに絡んでいたようだが。
だが、先日のアレには、率直に言って驚かされた。
あの十四郎が、俺に突っかかってきたのだ。
感情をむき出しにして。
何が起こったのかと思ったが、蓋を開けてみれば何のことはない。
アイツは自分の姿を、あの時少女を庇った兄に重ねていただけだ。
だが、これでもうアイツは、俺に興味のない顔など出来はしない。
アイツの妹を駆除したのは、この俺なのだ。
そう思えば、喉の奥から笑いがこみあげてくる。
(俺を殺しに来いよ、十四郎。返り討ちにしてやるから)
憎いだろう! 悔しいだろう! もはや俺のことを片時も忘れられない筈だ!
十四郎の頭を撃ち抜くところを想像して、九也は小さく身を震わせる。
今夜は、久しぶりに女を抱きたい。商売女でも構わない。この興奮をどこかにぶつけたくて仕方がない。
だが、スコープから目を離そうとしたその瞬間、九也はわが目を疑った。
はじけ飛んだはずの少女の頭部が、まるでアナログビデオの逆再生のように、元の形を形づくり始めたのだ。
「バ、バカな! ま、まさか!?」
ありえない。そう思った。
(レプリ。あれはレプリなのか?)
だが、さっきのあの怯えるように左右を見回す挙動。あんな動きをするレプリなど見たことも聞いたこともない。
九也が驚愕の声を上げるのとほぼ同時に、その周囲のレプリが足下の石を拾い上げ、手を振りかぶるのが見えた。
途端に背筋が凍り付く。
九也は銃をベッドの上に投げ捨てると、ヘッドスライディングするかのように床の上へとダイブした。
次の瞬間、すさまじい風斬り音が響き渡る。
まるで砲撃。
下から飛んできた石が、九也の頭のあった位置を通り抜けて、電灯を粉々に砕いて天井に斜めの穴を穿つ。
さらに二発、三発と爆発にも似た轟音が響き渡る。ガラス窓が弾け飛び、飛び込んできた石が壁面を抉った。
「う、うあっ!」
家具は粉々に砕け散り、コンクリート片と蛍光灯の破片が、頭を抱えて蹲る九也の上へとパラパラと振り落ちてくる。
(な、なんだ、こいつ!)
レプリの投石が砲撃並みの威力をもっていることは、もはや一般常識だ。
問題はそこでは無い。
至近距離からオリジナルに攻撃を加えたのであれば、反射的に反撃してくるのは当然だが、スタンピートを起こして狂暴化しているレプリならともかく、潜伏期のレプリが即座に投石で反撃してくるなんて話は聞いたこともない。
ましてや、此方の位置を正確に把握しているのだ。
なにかがおかしい。アレは普通のレプリじゃない。
九也は粉末化したコンクリートで白く塗れた頭を振って、再びベッドの上に上がるとライフルを手に取る。コッキングレバーを操作して次弾を薬室に送り込みながら、再び光学スコープを覗き込んだ。
中央のレプリの頭は再生を完了し、先ほどと同じようにキョロキョロと怯えたような素振りを見せている。
単純な行動を繰り返させることが出来るということなのだろうか?
レプリに、そんなことをさせられるなんて話は聞いたこともない。
だが、九也は研究者ではない。駆除員だ。
多少おかしなことがあったとしても、オリジナルを殺せば全てが終わることに変わりはない。
中央の一体はレプリ。
ならば、残り四体のうちのどれかが、オリジナルの筈だ。
(どれだ?)
普通の女子高生なら、すぐ傍で頭が吹っ飛ぶのを目にして、平然としていられるはずがない。
恐らくヘッドショットで中央のレプリを撃ち抜いた時、反応した個体があったはずだ。
恐らく九也はそれを目にしているはずなのだが、思い出そうにもあの時、彼は完全に冷静さを欠いてしまっていた。
「くそっ! くそっ! くそおぉお! どれだっ!」
彼は苛立ち交じりに、周囲の四体へと次々に照準を合わせる。
だが、どれも同じ顔、どれも同じ動き。小生意気な金髪に、つり目がちな気の強そうな少女の顔。
早くせねば逃げられる。気はあせるばかりだ。
後ろの二体を交互にスコープで観察し、前の二体へ移ろうとしたその瞬間、左後ろにいたレプリの顔の辺りで、何かが街灯の光を反射した。
「見つけたァ! 見つけたぞッ!」
光を反射したのは、恐らくピアス。
ここからでは色も形も分からないが、耳朶で確かにきらりと光るものが見えた。
レプリが分裂したとしても、身に着けた装飾品も一緒に増える訳では無い。
オリジナルは左後ろの、あの一体だ。
九也はライフルを構え直し、左後ろの一体に照準を合わせる。
そして、引き金に掛けた指に力を入れようとしたその瞬間、光学スコープの視界が、唐突に黒いものに阻まれた。
「ちっ! な、なんだ!」
スコープから目を離し、肉眼で二百メートル先に目を凝らす。少女たちとライフルの間、その射線上に、いつのまにか黒い大型のヴァンが停車していた。
ここからでは車体に阻まれて、はっきりしたことは分からない。
だが、どうやらレプリたちが、そのヴァンへと乗り込んでいるように見える。
「ちぃいいいいっ!」
九也は盛大に舌打ちした。
レプリが大人しく車に乗り込むなんて話は、聞いたことがない。
九也の常識でいえば、レプリはオリジナルの周りをついてまわり、攻撃されれば反撃する。
それ以外の行動は一切しないはずなのだ。レプリが座る姿さえ見たことも無い。
だが、ヴァンが走り去った後には、レプリたちの姿はどこにも見当たらなかった。
◇ ◇ ◇
「鈴! 乗れっ!」
十四郎は運転席から飛び降りると、後部のスライドドアを勢いよく開け放って、鈴とレプリを車内へと追い立てた。
「みんな、車に乗って! 大人しくしてて!」
下着の上に、白いシャツだけを身に着けた鈴が、他の四体に指示を出す。
当然だが、レプリたちの表情に変化はない。
だが、彼女たちは慌てる様子も無く、言われるがままに車内へと乗り込み始めた。
「もっと奥に詰めて!」
最後に鈴が乗り込むのを見届けると、十四郎は運転席に乗り込んで、キックスタート気味にアクセルを踏み込み、急発進。
「つかまってろよ!」
「きゃっ!」
後部座席は全て倒して、スムーズに乗り降りできるようにフラットな状態にしてある。
そのせいでオリジナルの鈴が、急発進の勢いのままに後ろの方へと転がった。
車一台がやっと通れるぐらいの狭い道に大型のヴァン。車幅は道一杯。車体で左右の塀をガリガリと擦りながら細い道を走り抜け、十四郎たちを乗せたヴァンは、一気に表通りへと飛び出した。
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