「なんじゃそりゃ」
始業間際に送られてきた画像を目にして、美奈は思わず苦笑する。
元気だという意味なんだろうけど……。
どうやら心配するだけ無駄だったらしい。
写真に写っているのは鈴のサムアップした左手に、フローリングの床。
どこかの家のようだけれど、知り合いのところにでも転がり込んでいるんだろうか?
まあ、ちょっと安心した。どうやら無事なようだ。
「あんまり意味なさそうだけど……一応知らせておこうかな」
昨日、彼女の実家に電話した時に、鈴から連絡があれば知らせて欲しいと、彼女の父親からそう言われていたのだ。
美奈は、メールを転送にして文章を付け足す。
『今朝鈴ちゃんから、こんなメールが来ました。とりあえずは無事みたいです』と。
そして、サムアップした左手の画像ごと、彼女の父親へと転送した。
◇ ◇ ◇
「あー……なんか雰囲気悪くない? 喧嘩でもした?」
課長のそんな問いかけに、十四郎は報告書にペンを走らせながら、顔を上げることもなく返事をする。
「別に」
「あ、うん、なら良いんだけどね」
「あはは、課長、僕と先輩が喧嘩なんかするわけないじゃないですか、知ってます? 他部署の女子職員から、僕らバカップルって呼ばれてるんスよ」
途端に十四郎の筆が止まった。
「なん……だと?」
「もうすぐ、ゴールインって噂みたいっス」
「思いっきり世間の常識からコースアウトしてんじゃねーか!」
確かに狭山は可愛い。黙ってさえいれば可愛い女の子にしか見えない。だが男だ。ついているのだ。十四郎には女っけなどないが、いくらなんでもその噂は不本意に過ぎる。
「まあまあ、好きなように言わせとけばいいじゃないっスか」
「聞き流せる話と、聞き流せない話があるだろうが!」
十四郎が思わず声を荒げるのとほぼ同時に、狭山のデスクで据え置き電話がけたたましい音を立てた。
狭山は表示された電話番号を見て、イヤそうに眉を顰める。
「……県庁からっスね」
県庁からの電話、その内容は大体三種類。
市民が間違えて県庁に通報したか。提出した報告書に対しての査問か。レアなところで言えば、他の地域で発生した駆除案件への応援要請である。
いずれにせよ電話の向こうの女性担当が高圧的らしく、県庁から電話があった日の狭山の昼食は、我慢した自分へのご褒美のつもりなのか、いつもより百円高いAランチになる。
狭山は一つ溜息を吐くと、受話器を取り上げて、真面目腐った声を出した。
「はい、こちら仁井寺市役所少女駆除課、狭山です。はい、おつかれさまです。はい、はい、え? は、はい。分かりました! すぐに向かわせます!」
話の途中から狭山の声に緊張の色が滲み出るのが分かった。どうやらただ事ではなさそうだ。
狭山は、通話を終えると、課長と十四郎を見回しながら、やけに低いトーンでこう告げた。
「市内に発症者……それも七日目、スタンピートカウントダウンの発症者です」
◇ ◇ ◇
『現場は江住町の住宅街。通報者はシムラカナエ、四十二歳。隣家の奥さんです。発症者と目されるのはフタムラアヤカ、十三歳。江住東中学の二年生で、家族構成は両親に兄、確かに学校は先週から休んでいるみたいっス』
車で現地へと向かいながら、イヤホン越しに狭山の報告を聞く。
「厄介なパターンだな」
どう考えても、家族が匿っているとしか思えない。
「強制執行の申請は?」
『済ませました。家族の射殺も許可でてます』
「するか、バカ」
『そうは言っても、先輩。今日中に済ませないと明日にはスタンピートしちゃうんですから、最悪の場合は躊躇しないでくださいよ』
住宅街の片隅、その家の周りには、どこから聞きつけたのか野次馬とマスコミが屯していた。
「ちっ……」
十四郎は思わず舌打ちする。
強制執行するところをマスコミに撮られれば、翌朝には人権団体が大挙して市庁舎に押しかけてくる。
毎度のことながら、マスコミの連中は、騒ぎになることを望んでいるのだ。
駆除するところを撮られればセンセーショナルに書きたて、駆除に失敗してスタンピートでも引き起こそうものなら失態だと、これまたセンセーショナルに書きたてる。
「狭山、マスコミの排除申請は?」
「済んでます。もうそろそろ警察も到着する頃です」
今回のケースの場合、匿っていた家族もまず間違いなく有罪となる。それゆえ駆除完了と同時に、警察が家族を確保することになっているのだ。
普通の神経なら娘が殺されるとなれば当然庇う。それが親というものだ。
だが、それを許しては、そこら中でスタンピートを頻発させることになってしまう。
故に、発症者を庇った家族の量刑は、かなり重く設定されている。
三日目ぐらいまでならともかく、スタンピートを引き起こすところまで行ってしまえば、最低でも懲役十年を覚悟せねばならない。
十四郎は少し離れた路肩に車を停め、警察の到着を待つ。
既に遠くの方からパトカーのサイレンの音が聞こえている。
時刻は午後一時。
マスコミのものだろう。上空には二機のヘリが旋回していた。
結局、警察がマスコミや野次馬を遠くまで下がらせ終わるまで一時間あまりを要し、午後二時過ぎ。
十四郎は門前に車を横付けすると、ホルスターに腕を通した。
状況が状況だけに、悠長に書類を取っている状況ではない。
車を降りてインターホンを鳴らすも返事はなく、玄関には鍵は掛かっていた。
よく映画なんかで、鍵を銃で撃ち抜く描写があるが、最近のスチールドアにそれをやれば、跳弾で自分が死ぬ。
だからという訳ではないが、現在ではメーカーごとにマスターキーを登録する制度があり、駆除課の職員にはその複製が配布されているのだ。
十四郎は、鍵穴の周りに記載されているメーカー名を確認すると、ポケットから鍵束を取り出し、該当するものを差し込んだ。
あっさりと鍵が開いて、ドアを引き開けると、玄関の上がり框の向こうに、絶望的な顔をした夫婦の姿があった。
「少女駆除課の者です。じっとしていてください。強制執行の手続きも済んでいますので」
「ま、待ってくれ! む、娘を殺さないでくれ! 自決するように、せ、説得する、説得するから!」
「……失礼します」
縋りついてくる父親を力ずくで引き剥がし、泣き崩れる母親を横目に、十四郎は土足で玄関を上がる。
そのまま正面の階段を駆け上がると、昇りきったところに少年が立っていた。
年の頃は十代後半。ジャージ姿の短髪の少年である。
彼は十四郎を睨みつけて、声を荒げた。
「出てけ! 綾香はやらせない! 絶対にやらせない!」
「公務執行妨害です、どいてください。手荒なことはしたくありません」
「どくかよ! 綾香を殺されるぐらいなら、徹底的にやってやる!」
十四郎は、彼の眼前に銃を突きつける。
少年は一瞬、目に怯えの色を浮かべるも、歯を食いしばるようにして、更に十四郎を睨みつけた。
今までなら、有無を言わさず銃の柄でぶん殴って昏倒させ、それで終わり。すぐにそうしてきた。そのはずだった。
だが、それすらも戸惑ったのは、彼の想いが分かりすぎたから。
同じ立場なのだ。あまりにも……自分と。
だが、ここで見過ごして、スタンピートを起こされてしまう訳にはいかない。
仕事として見逃せないというのはもちろんのこと。
だが、それ以上に今はマズい。
一度、スタンピートが発生すれば、その分市内の警戒は一気に厳しくなる。
これから鈴をどうにかして救おうというのに、今度は十四郎自身が身動き出来なくなりかねないのだ。
「出ていけ!」
微かに身を震わせながら、睨みつけてくる少年。
恐らく彼には、どんな説得も意味をなさないだろう。
それが兄というものだ。
十四郎にはそれが分かる。立場は同じなのだ。
(昏倒させるしか……)
そう決めて、行動に移そうとしたその瞬間――
「いやぁああああああああっ!」
派手な銃声とともに、何かが破裂する音、そして女の子の絶叫が響き渡った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!