SISTER1,000,000

シスターミリオン~百万人妹大逃亡!
円城寺正市
円城寺正市

●28 スタンピート・アフター・キス

公開日時: 2020年10月19日(月) 17:06
更新日時: 2022年1月26日(水) 07:07
文字数:3,141

 廃コテージを出発してから、十四郎たちは山中を日本海側へと移動し続けていた。


 人の手の入った道を行くのはリスクが高い。


 結果として道なき道を行く訳であるから、もちろん一日の移動距離など大したことはなかった。


 だが、苦労の甲斐もあって追っ手と接触したのは一度きり。


 遠目に二三弥ふみやの姿を発見し、隠れて上手くやり過ごすことが出来た。


 そして今、コテージを出て二日目の夜を迎えている。


 付き従うレプリの数は七人。


 次の分裂で、スタンピートが始まるはずだ。


 固形食品の味気ない夕食を摂った後、二人は洞窟とも言えない土のくぼみに身を寄せ合って、眠りにつこうとしている。


 見上げれば夏の星座。


 空に枝を伸ばす木々の隙間を埋めるように、星が明滅していた。


 狙撃対策として、二人の周囲を七体のレプリが取り囲んでいる。


 妹とはいえ裸の女性にぐるりと取り囲まれている訳だが、十四郎としては、正直もう色々と麻痺してしまっている。


 鈴にも、もはや恥ずかしがるような様子はなかった。


 くぼみに敷いたブルーシートに背を預け、背後から鈴を抱きかかえるような態勢で十四郎は目を閉じる。


 そんな彼の胸に寄りかかりながら、鈴は静かに囁いた。


「お兄ちゃん……スタンピート始まっちゃうんだよね」


「ああ」


「これが最後のチャンスだよ。今、アタシを殺さないともう本当に後戻りできなくなっちゃうよ?」


「……もうとっくに後戻りなんかできないし、する気も無い」


「そっか」


 鈴はわずかに目を細め、そのまま黙り込む。


 十四郎にしてみれば、何を今さらとしか言いようがない。


 分水嶺はとっくに超えてしまっている。


 スタンピートを起こそうが、世界を破滅させようが、あとは灰になるまで一緒にいるだけだ。


「オマエさえ一緒に居てくれればいい。それでいいんだ」


「あはは……なんかプロポーズみたい」


「違う。兄妹だからな」


「そっか」


 鈴は思う。


 十数年もの空白の時間を経て、やっと出会えたのだ。


 兄と妹として、これからその空白を埋めていくのだ。


「ねえお兄ちゃん。普通の兄妹がするようなことで、まだやってないことってあるかなぁ……なにがあっても、後悔しないようにさ」


「……普通ってのがわからん」


 鈴は唇に人差し指を当てて、少し考える。


「じゃ、ちゅーしよう」


 鈴のその突拍子もない提案に、十四郎は硬直した。


「……それは普通じゃない」


「なんでそんなこと言えんの? 普通が分かんないって言ったばっかりじゃん」


「それぐらいは分かる」


「えー……でも友達は、ファーストキスの相手は弟だって言ってたもん」


「何歳の時に」


「……五歳」


 十四郎は肩を竦める。


「あのなぁ……ちっちゃな子供がちゅっとするのは微笑ましいかもしれんが、俺と鈴がキスしても、何にも微笑ましくないと思うぞ」


「ぶぅ……だってさ。いつ殺されるか分かんないんだから、死ぬ前に一遍ぐらいちゅーしてみたいじゃん。他に誰もいないから、しかたなく相手に指名してあげてんだから喜びなよ。お兄ちゃん」


「ムチャクチャだ」


 呆れて上向いた十四郎の唇に、鈴がいきなり唇を重ねてくる。


 ついばむようなフレンチ・キス。


 あっという間に消えた柔らかな感触に、十四郎の頬にも朱が走った。

 



「な、な、な……」


 動揺する十四郎の鼻先に指を突きつけて、鈴はにんまりと笑う。


「はい、ファーストキスの相手はお兄ちゃん」


「か、家族はノーカウントだ」


「うん、いいよ。そういうことで。先々、他にキスできるような相手が出来たら、ノーカウントってことにする」


「なんだそりゃ」


 クスクスと笑いだす鈴に誘われるように、十四郎も口元を緩める。


 そして二人は、額を合わせて笑い合った。


 十四郎は考える。


 おかしな話だと思う。


 未来なんて見えないのに。


 希望なんてどこにもないのに。


 今が、このどうしようもない今が、幸せに思えて仕方がない。


 身体は疲れている。


 だが寝付けそうにない。


 それは鈴も同じらしい。


 二人は他愛のないことをしゃべりながら、更け行く夜を越えていく。


 そしてある時、顔を上げればレプリ達の数が倍になっていた。


 時計を見れば、深夜二時二十七分。


 あまりにも中途半端な時刻だった。


 分裂病を起こしているのは神さまなんだか、地球なんだか分からないが、どっちにしろ人間ごときが作った時間の概念など、どうでも良いのだろう。


 まるで息をするかのように……なんの特別なセレモニーもなく、スタンピートが始まった。


 ここから約三時間ごとに、レプリたちは倍々に増えていくことになる。


 今でオリジナルの鈴を入れて十六名。


 見事な大家族である。


 食費が掛からないことは救いではあるが……。


「始まったな」


「うん……なんかもっとすごいことだと思ってたんだけど」


「たぶん、これから実感することになるんだろう」


 このまま朝方五時半までには三十二体。八時半頃には六十四体。明日の昼前には百二十体を越え、明日が終わる頃には二千体を越えている。


 今の段階で、その状況を想像するのは難しい。


 ただ、そこまでの規模になれば、衛星からでも簡単に捕捉されてしまうことだろう。


 もはや逃げ隠れすることもできない。


 あとは民族大移動のように、日本海を目指して動き出すしかない。


 ◇ ◇ ◇


「増えたなぁ……」


 朝八時半、目を覚ました鈴は寝ぼけ眼を擦りながら他人事みたいにそう呟く。


 二人が座り込んでいる土のくぼみを取り囲むように六十四体のレプリ。


 とっくに衛星に捕捉されていることだろう。


 十四郎は固形食糧と水で手早く朝食を済ませると、ポケットからスマホを取り出し、電源を入れた。


 位置を特定されるのを避けるために、電源を切りっぱなしにしていたのだが、こうなってしまえばもはやそれも必要はない。


 十四郎はアドレス帳を繰って、狭山の名前をタップした。


 呼び出し音が鳴って、すぐに興奮気味の聞き覚えのある声が響いてくる。


「せ、先輩! 無事なんスか!」


「おう、まあな。そっちはどうだ?」


「課長ともども県庁で軟禁状態っス。先輩から連絡があったら知らせろって……」


「そうか……迷惑かけてすまない」


「そんなことは良いんスけど……あ、そうだ。先輩んちに妹ちゃんがいるってバレた理由が分かりましたよ。ジオタグっス」


「ジオタグ?」


「スマホで撮った写真に含まれてる位置情報っスよ。妹ちゃんが友達に写真を送って、その写真を妹ちゃんの家族……もう養子縁組みは解消されてるらしいですから、家族でも無いんでしょうけど、とにかくその人たちに送って、その人たちが通報したってことみたいっス」


「……なるほどな」


 不用意な行動ではあるが、それで鈴を責めるのは酷というものだろう。十四郎はフッと鼻から吐息を漏らすと、狭山に連絡を取った本来の目的を口にする。


「これから山を下りる。そのまま真っ直ぐ日本海を目指すから、途中の街に避難命令を出すように、お偉いさんに言ってやってくれ」


「先輩、もしかして……」


「ああ、スタンピートが始まった」


 電話の向こうから、息を呑む音が聞こえた。


「……そうなる前に覚悟を決めてくれって言ったじゃないスか」


「決めたさ。殺さないって」


「っ……で、でも、どうするんスか、これから」


「日本海を出て、大陸に渡るつもりだ」


「無理っスよ! そんなの絶対無理ですって!」


「それでもだよ」


「なんで、そんな!」


「兄貴だからな」


 正直に言って、それ以上の理由は無い。


 必要だとも思わない。


「じゃあな、狭山、避難命令の件頼んだぞ」


「ちょ、ちょっとまってくだ……」


 十四郎が通話を切ると、山中にシンと静けさが舞い降りる。


 狭山ならきっとうまくやってくれるだろう。


「行こうか」


 そう言って、十四郎が鈴に微笑みかけると、彼女は小さく首を傾げた。


「お友達?」


「友達なんていないが……たぶん、それに一番近いヤツだ」


 すると鈴が呆れるような顔をした。


「それ、たぶん友達だよ。お兄ちゃんが素直じゃないだけ」


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