(……やるしかないな)
十四郎は、意を決する。
レプリ自身は身動き一つしていないのだから、タイミングもなにもあったものではないのだが、そこは気持ちの問題である。
スッと吸い込んだ空気を口の中に溜めて、息を止める。
そして、頭の中でカウントダウン。
三、二、一!
樹脂製の床を蹴って室内に飛び込むと、十四郎はそのまま手近なデスクの上に飛び乗った。
七つのデスクで構成されたいわゆる『島』。嘗ては役職者が座っていたと思われる、一番奥のデスクの向こう側にオリジナルがいる。
ガタガタガタッと、デスクが音を立てると「ふひゃっ!」と、奥から女の子の声が響いた。
十四郎は、その声の方へと埃まみれのデスクの上を駆け抜けて、机の上から下へと銃を向ける。
だが、そこには誰もいなかった。
携帯ゲーム機が淡い光を放ちながら、床の上に転がっているだけ。はめられた? いや、そうではない。見れば、机の下から僅かにスカートの裾が覗いている。
(ちっ! 潜り込みやがったか!)
不意打ちを食らわせれば、大抵身じろぎ一つ出来ずに硬直するものだ。だがこいつは、この少女は、そうでは無かったらしい。
しかし、これで十四郎の負けが確定した。
これはコンマ数秒の勝負なのだ。
この一呼吸の間にオリジナルの頭をふっとばせなければ、確実にレプリに捕捉される。そんな勝負なのだ。
十四郎は、死を覚悟した。
だが――いつまで経っても、レプリが襲い掛かってくる様子はない。
振り向けば、入り口付近に佇んでいた二体のレプリは、依然として佇んだまま。身じろぎ一つしていなかった。
(なんだ? どういうことだ?)
十四郎は、思考を巡らせる。
オリジナルに他の人間が近づいたにもかかわらず、レプリがそれを排除しようとしない。
そんな状況について、可能性のある事象を挙げようとした。
だが、それはすぐに行き詰まった。
思いつく理由は一つだけ。
どれだけ考えても、それ以外には有り得ない。
そんなバカなとは思うが、それが答えである。
(お……落ち着け、まさか、そんなことが……ある、のか?)
十四郎は思わずゴクリと喉を鳴らした。
急激に体温が上がったような、そんな気がした。
暑い。じんわりと額に汗が滲む。
彼はデスクから降りると、その下に潜り込んでいる少女へと声を掛けた。
「おい、出て来いよ」
「イヤだよ! ばーか!」
しゃがみこんでデスクの下を覗き込むと、ソイツは思いっきり十四郎を睨みつけていた。
当然だが、レプリと同じ顔。
金髪に、整えられた細い眉。少しつり目気味の気の強そうな少女だ。
ギャルというよりは、ひと昔前のヤンキーのような雰囲気を持つ、着崩した制服姿の少女だった。
普通なら恐怖に顔を引き攣らせているであろうそんな場面。今まで葬ってきた少女たちも、みんなそうだった。
だというのに、彼女は十四郎の目を真っ直ぐに見据えたまま、挑戦的に顎をしゃくっている。
「お前、名前は?」
「なんでアンタにそんなこと言わなきゃなんないのさ」
「……出身は?」
「知らないってば! 施設育ちだからね、アタシ!」
施設育ち――決定的だ。と、十四郎はそう思った。
「……キミは少女分裂病を発症している。そして、俺は少女駆除課の職員だ」
「見りゃ分かるわよ!」
「俺の仕事は君を殺すことだ」
「見りゃ分かるって言ってんでしょ! とっととやればいいじゃん。それとも何? 怖がらせて楽しもうっての? お生憎さま、アンタなんて、ちーっとも怖くなんてないから!」
本当に気の強い女の子だ。
だが、それ以上に十四郎は、自身のコミュニケーション能力の低さに呆れる。
大事なことなのに、気の利いた言葉が出てこない。声が上擦りそうになるのを抑えるだけで精一杯なのだ。
そもそも普段、女性と関わり合いになることなど、通報者か駆除対象者ぐらいしかないのだ。
この仕事についている時点で、結婚なんて諦めているし、女性と交際したことすらない。
もちろん市役所に女性職員はいるが、十四郎からは一切近づかない。
少し前まで担当のオペレーターだった女性職員との相性の悪さが、トラウマになっているのかもしれない。
だからと言って男が好きな訳ではない。後任の狭山とは仲良くやってはいるが、ヤツのやたら女性的な見てくれのせいで、インモラルな関係だというあらぬ噂が蔓延していることには、軽く凹んでいる。
「もう一度言う。俺の仕事は君を殺すことだ」
「だ・か・ら! それがなんだってのよ!」
「なのに、レプリは……キミの分身は、オレを攻撃しようとしない」
そこで彼女は首を傾げる。
この歳の少女であれば、少女分裂病について学んでいない訳がない。
これがどういうことかぐらいは分かるはずだ。
そのはず……なのだが――
「なんで?」
彼女は、あっさり考えることを放棄した。
うん、もしかしたら、ちょっとアホなのかもしれない。
「か、可能性は一つしかない。し、信じられないことだけど、俺とキミが……その、家族だということだ」
彼女は一瞬ぽかんとした顔になった後、片頬を引き攣らせて、汚物を見るような顔をした。
「うわっ……キモ。どんなナンパの仕方よそれ……。いるのよねぇ、こういうモテないの拗らせて、女の子との距離感わかんなくなっちゃってるヤツ」
実に残念なことに、ここまで言っても十四郎の日本語は伝わらない。もしかしたら、この子は外国人なのかもしれない。
「流石に、発症者をナンパする物好きはいないと思うぞ」
「うっさい、死ね!」
本当に口の悪い娘だ。どう言えば伝わるのかと考えた末に、十四郎は自分について話すことにした。
「お、俺も施設育ちなんだ。六歳の時に両親を亡くして引き取られた。あと……うっすらだけど妹がいたことを覚えている」
彼女の目が、大きく見開かれるのが見えた。
そして、彼女は十四郎に向けた指を震わせる。
「つ、つまり、アンタが……ア、ア、アタシのお兄ちゃんだって、そ、そういうこと?」
「レプリが襲わないのは、発症者の家族だけだ」
彼女の息を呑む音とともに、なんとも重苦しい沈黙が、二人の間に舞い降りる。
「そんなこと……言われても、困る」
そんな呟きとともに、しばしの沈黙。
しばらくして彼女は、くしゃりと顔を歪め、泣き笑いのような顔になった。
「ざ、残念だなぁ。折角会えたのに、アタシ……もうこんなんだし……」
残念、ああ、本当に残念だ。
出会わなければ良かったのかもしれない。
もし赤の他人同士であったなら、彼女は痛みを感じる間もなくその生を終え、十四郎はいつもと同じ生活に戻っていったはずなのだ。
だが、そうはならなかった。
そうは出来なかった。
十四郎は手にした銃を見つめ、そしてため息を吐く。
彼は銃をホルスターにしまうと、スマホを取り出して画面をタップした。
「狭山、処理完了だ」
『はい、お疲れ様っス。先輩、じゃあすぐに清掃班を手配するっスよ』
「いや、必要ない。ちょっと特殊な状況でな。明日説明するが、死体を回収できない状況になった」
『はい? なんですかそれ?』
「切るぞ」
『ちょ、ちょっと待ってくださいよ、せんぱ……』
強制的に通話を終了し、即座にスマホの電源を落とす。
「お兄……ちゃん?」
「スタンピートが始まるまでには、まだ時間がある。それまでにどうにかする方法を……」
「む、無理だよ! 方法なんて無いって! それに、そんなことしたら、お兄ちゃんが……」
戸惑う彼女に、十四郎は静かに微笑みかける。
「おいで、とりあえずここを離れて俺のアパートに行こう。汚いところだが、ここよりは多少はマシだと思うから」
「でも、アタシ……」
「なあ……。両親が死んで、色んなことを諦めながら生きてきたんだよ、俺は。だからさ、こんどこそ抗ってやろうって……そう思ってる。心配すんな。俺が絶対に治してみせる。なにがあっても、絶対に守ってやる」
もちろん、そんな言葉に根拠なんてなにもない。
分裂病の治療法を見つければ、冗談抜きでノーベル賞ものだ。
だが、十四郎は抗うと決めた。
これが運命なら運命に抗う。
神の采配ならば神に抗うと、そう決めたのだ。
十四郎が手を伸ばすと、彼女はさんざん戸惑ったあと、そっとその手を取った。
そして、彼女はまた泣き笑いのような表情を浮かべる。
少しだけ笑顔の比率が高くなったような、そんな気がした。
ちらりと二体のレプリの方へ目を向けると、彼女たちは嬉しそうに微笑んでいる。
十四郎は、レプリにも表情があることを、今日、初めて知った。
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