SISTER1,000,000

シスターミリオン~百万人妹大逃亡!
円城寺正市
円城寺正市

●07 邂逅

公開日時: 2020年9月27日(日) 21:00
更新日時: 2020年9月29日(火) 21:03
文字数:3,371

(……やるしかないな)


 十四郎は、意を決する。


 レプリ自身は身動き一つしていないのだから、タイミングもなにもあったものではないのだが、そこは気持ちの問題である。


 スッと吸い込んだ空気を口の中に溜めて、息を止める。


 そして、頭の中でカウントダウン。


 三、二、一!


 樹脂製の床を蹴って室内に飛び込むと、十四郎はそのまま手近なデスクの上に飛び乗った。


 七つのデスクで構成されたいわゆる『島』。かつては役職者が座っていたと思われる、一番奥のデスクの向こう側にオリジナルがいる。


 ガタガタガタッと、デスクが音を立てると「ふひゃっ!」と、奥から女の子の声が響いた。


 十四郎は、その声の方へと埃まみれのデスクの上を駆け抜けて、机の上から下へと銃を向ける。


 だが、そこには誰もいなかった。


 携帯ゲーム機が淡い光を放ちながら、床の上に転がっているだけ。はめられた? いや、そうではない。見れば、机の下から僅かにスカートの裾が覗いている。


(ちっ! 潜り込みやがったか!)


 不意打ちを食らわせれば、大抵身じろぎ一つ出来ずに硬直するものだ。だがこいつは、この少女は、そうでは無かったらしい。


 しかし、これで十四郎の負けが確定した。


 これはコンマ数秒の勝負なのだ。


 この一呼吸の間にオリジナルの頭をふっとばせなければ、確実にレプリに捕捉される。そんな勝負なのだ。


 十四郎は、死を覚悟した。


 だが――いつまで経っても、レプリが襲い掛かってくる様子はない。


 振り向けば、入り口付近に佇んでいた二体のレプリは、依然として佇んだまま。身じろぎ一つしていなかった。


(なんだ? どういうことだ?)


 十四郎は、思考を巡らせる。


 オリジナルに他の人間が近づいたにもかかわらず、レプリがそれを排除しようとしない。


 そんな状況について、可能性のある事象を挙げようとした。


 だが、それはすぐに行き詰まった。


 思いつく理由は一つだけ。


 どれだけ考えても、それ以外には有り得ない。


 そんなバカなとは思うが、それが答えである。


(お……落ち着け、まさか、そんなことが……ある、のか?)


 十四郎は思わずゴクリと喉を鳴らした。


 急激に体温が上がったような、そんな気がした。


 暑い。じんわりと額に汗が滲む。

 

 彼はデスクから降りると、その下に潜り込んでいる少女へと声を掛けた。


「おい、出て来いよ」


「イヤだよ! ばーか!」


 しゃがみこんでデスクの下を覗き込むと、ソイツは思いっきり十四郎を睨みつけていた。


 当然だが、レプリと同じ顔。


 金髪に、整えられた細い眉。少しつり目気味の気の強そうな少女だ。


 ギャルというよりは、ひと昔前のヤンキーのような雰囲気を持つ、着崩した制服姿の少女だった。


 普通なら恐怖に顔を引き攣らせているであろうそんな場面。今まで葬ってきた少女たちも、みんなそうだった。


 だというのに、彼女は十四郎の目を真っ直ぐに見据えたまま、挑戦的に顎をしゃくっている。

 


「お前、名前は?」


「なんでアンタにそんなこと言わなきゃなんないのさ」


「……出身は?」


「知らないってば! 施設育ちだからね、アタシ!」


 施設育ち――決定的だ。と、十四郎はそう思った。


「……キミは少女分裂病を発症している。そして、俺は少女駆除課の職員だ」


「見りゃ分かるわよ!」


「俺の仕事は君を殺すことだ」


「見りゃ分かるって言ってんでしょ! とっととやればいいじゃん。それとも何? 怖がらせて楽しもうっての? お生憎さま、アンタなんて、ちーっとも怖くなんてないから!」


 本当に気の強い女の子だ。


 だが、それ以上に十四郎は、自身のコミュニケーション能力の低さに呆れる。


 大事なことなのに、気の利いた言葉が出てこない。声が上擦りそうになるのを抑えるだけで精一杯なのだ。


 そもそも普段、女性と関わり合いになることなど、通報者か駆除対象者ぐらいしかないのだ。


 この仕事についている時点で、結婚なんて諦めているし、女性と交際したことすらない。


 もちろん市役所に女性職員はいるが、十四郎からは一切近づかない。


 少し前まで担当のオペレーターだった女性職員との相性の悪さが、トラウマになっているのかもしれない。


 だからと言って男が好きな訳ではない。後任の狭山とは仲良くやってはいるが、ヤツのやたら女性的な見てくれのせいで、インモラルな関係だというあらぬ噂が蔓延していることには、軽く凹んでいる。


「もう一度言う。俺の仕事は君を殺すことだ」


「だ・か・ら! それがなんだってのよ!」


「なのに、レプリは……キミの分身は、オレを攻撃しようとしない」


 そこで彼女は首を傾げる。


 この歳の少女であれば、少女分裂病について学んでいない訳がない。


 これがどういうことかぐらいは分かるはずだ。


 そのはず……なのだが――


「なんで?」


 彼女は、あっさり考えることを放棄した。


 うん、もしかしたら、ちょっとアホなのかもしれない。


「か、可能性は一つしかない。し、信じられないことだけど、俺とキミが……その、家族だということだ」


 彼女は一瞬ぽかんとした顔になった後、片頬を引き攣らせて、汚物を見るような顔をした。


「うわっ……キモ。どんなナンパの仕方よそれ……。いるのよねぇ、こういうモテないのこじらせて、女の子との距離感わかんなくなっちゃってるヤツ」


 実に残念なことに、ここまで言っても十四郎の日本語は伝わらない。もしかしたら、この子は外国人なのかもしれない。


「流石に、発症者をナンパする物好きはいないと思うぞ」


「うっさい、死ね!」


 本当に口の悪い娘だ。どう言えば伝わるのかと考えた末に、十四郎は自分について話すことにした。


「お、俺も施設育ちなんだ。六歳の時に両親を亡くして引き取られた。あと……うっすらだけど妹がいたことを覚えている」


 彼女の目が、大きく見開かれるのが見えた。


 そして、彼女は十四郎に向けた指を震わせる。


「つ、つまり、アンタが……ア、ア、アタシのお兄ちゃんだって、そ、そういうこと?」


「レプリが襲わないのは、発症者の家族だけだ」


 彼女の息を呑む音とともに、なんとも重苦しい沈黙が、二人の間に舞い降りる。


「そんなこと……言われても、困る」


 そんな呟きとともに、しばしの沈黙。

 

 しばらくして彼女は、くしゃりと顔を歪め、泣き笑いのような顔になった。


「ざ、残念だなぁ。折角会えたのに、アタシ……もうこんなんだし……」


 残念、ああ、本当に残念だ。


 出会わなければ良かったのかもしれない。


 もし赤の他人同士であったなら、彼女は痛みを感じる間もなくその生を終え、十四郎はいつもと同じ生活に戻っていったはずなのだ。


  だが、そうはならなかった。


 そうは出来なかった。


 十四郎は手にした銃を見つめ、そしてため息を吐く。


 彼は銃をホルスターにしまうと、スマホを取り出して画面をタップした。


「狭山、処理完了だ」


『はい、お疲れ様っス。先輩、じゃあすぐに清掃班を手配するっスよ』


「いや、必要ない。ちょっと特殊な状況でな。明日説明するが、死体を回収できない状況になった」


『はい? なんですかそれ?』


「切るぞ」


『ちょ、ちょっと待ってくださいよ、せんぱ……』


 強制的に通話を終了し、即座にスマホの電源を落とす。


「お兄……ちゃん?」


「スタンピートが始まるまでには、まだ時間がある。それまでにどうにかする方法を……」


「む、無理だよ! 方法なんて無いって! それに、そんなことしたら、お兄ちゃんが……」


 戸惑う彼女に、十四郎は静かに微笑みかける。


「おいで、とりあえずここを離れて俺のアパートに行こう。汚いところだが、ここよりは多少はマシだと思うから」


「でも、アタシ……」


「なあ……。両親が死んで、色んなことを諦めながら生きてきたんだよ、俺は。だからさ、こんどこそ抗ってやろうって……そう思ってる。心配すんな。俺が絶対に治してみせる。なにがあっても、絶対に守ってやる」


 もちろん、そんな言葉に根拠なんてなにもない。


 分裂病の治療法を見つければ、冗談抜きでノーベル賞ものだ。


 だが、十四郎は抗うと決めた。


 これが運命なら運命に抗う。


 神の采配ならば神に抗うと、そう決めたのだ。


 十四郎が手を伸ばすと、彼女はさんざん戸惑ったあと、そっとその手を取った。


 そして、彼女はまた泣き笑いのような表情を浮かべる。


 少しだけ笑顔の比率が高くなったような、そんな気がした。


 ちらりと二体のレプリの方へ目を向けると、彼女たちは嬉しそうに微笑んでいる。


 十四郎は、レプリにも表情があることを、今日、初めて知った。

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