「逃亡中の発症者が発見されました」
県知事の執務室、ノックの音に続いて入ってきた井沢貴子は開口一番、そう告げた。
「仕留めたのか?」
「いいえ」
「ならば、すぐに駆除員を差し向けたまえ!」
「お言葉ですが、対象は既にスタンピートを起こしています。現在、その数六十四体。あの人数の中に紛れ込まれたら、オリジナルを特定することは不可能です。対スタンピートの緊急マニュアルに沿った対応をすべきかと……ご覧ください」
そう言って彼女が差し出してきたタブレットには、衛星からの映像が映っている。
上空からの視点、車一台が通れる程度の細い一般道を金色の頭頂部が埋め尽くしていた。
何も知らずに目にすれば、マラソンか何かの映像にしか見えない。
「もはや対象は隠れもせずに、山中の一般道を集団で下ってきている状況です。解析いたしましたが、この映像には周十四郎駆除員の姿はございません」
「……行動を共にしていないということか?」
「はい、何らかの工作を行うために離脱したと考えるのが妥当かと」
井沢貴子のその一言に、県知事は怪訝そうに眉根を寄せる。
「見限って逃げたと考える方が、妥当だと思うがね」
「つい先ほど、県庁に滞在させている駆除課のオペレーター……周十四郎駆除員のパートナーですが、彼に周十四郎から連絡があったようです」
「なんと言ってきたのだ?」
「日本海に出て大陸に渡る。そこに到るまでの都市に避難命令を出させろ……です」
県知事は外国人がするように、大袈裟に肩を竦めた。
「馬鹿げてる。妄想にしてもひどいものだ、それは」
そんなことは不可能に決まっている。
「藁にも縋るということでしょうね。そんな荒唐無稽なことにも希望を見出さざるを得ないほどに、追い詰められているということです」
「ふむ……では、そのマニュアルに沿った行動というのを説明してくれたまえ」
「はい、まずは隣県の県庁に連絡。収集済みの情報の提供を行います。併せて、レプリの進行方向の住民に避難命令を発令いたします。あとは向こうの知事の判断になりますが、治安維持出動を要請しつつ、自衛隊の到着までは機動隊による弾幕射撃で対応というのがセオリーかと」
「なるほど、結局あとは丸投げということだな。仕方があるまい。知事選を考えれば、手痛い失点ではあるが……」
「丸投げではありますが、打つ手がないという訳ではありません」
「どういうことだ?」
「周九也駆除員を隣県に滞在させております。一応隣県に申請は通してありますが、そちらから協調行動の申し出はございませんので、独自の行動をとることになります」
「駆除員では対応できないと言ったばかりだと思うのだが?」
「彼は周十四郎駆除員の行動を予測できると申しております。オリジナルが周十四郎駆除員と再び接触したところを狙えば……」
「なるほど……ではそちらは任せよう。対象はいつ頃、隣県へ到達するのかね」
「おそらく本日正午過ぎには、隣県の市街地に到達いたします」
◇ ◇ ◇
「う、わっ、き、来たぁ!」
「落ち着け、馬鹿者」
時刻は正午を回ったところ。
双眼鏡を覗き込んでいた木下巡査が声を上擦らせ、この現場の指揮官である警部補が呆れ気味に窘めた。
市街地の中央を貫く二車線道路を、窓に金網のついた人員輸送車両が封鎖している。
車両の前に並んでいるのは、濃紺の制服に黒のタクティカルジャケット。MP5サブマシンガンを手にした機動隊員たちである。
人員の数は十六名。
木下巡査は、その一団の中にいた。
彼は配属二年目。
まだまだ新米の域を出ず、出動経験も数少ない。
近隣の住人の避難は既に完了している。
道の両側に立ち並ぶ商店は、どれもシャッターを閉じて沈黙していた。
左右に抜けられるような道の無いこの一区画で、発症者とレプリを待ち受け、射撃がはじまると同時に、もう一隊が後方を封鎖して挟撃することになっている。
こちらへ向かってくるのは、全裸の少女の一団。
遠目にも同じ顔に同じ体型。
誰一人として声を漏らす者もなく、訓練された兵士のように、一糸乱れぬ足取りでこちらへと歩み寄ってくる。
木下巡査にとって、レプリの恐ろしさは聞きかじりのものでしかないのだが、彼は緊張を隠せずにいる。
どんな攻撃も通用しない不死身の化け物。その腕力は素手で人間を簡単に引き裂くと聞く。
こちらに向かってくるのは、スタンピートを起こしたレプリ。
潜伏期のレプリは相当近づかない限り攻撃してこないらしいが、スタンピートを起こしたレプリは、動くものなら問答無用で攻撃してくるというから尚恐ろしい。
「な、なんか多くありませんか?」
「ああ、ついさっきまた分裂したらしい。全部で百二十四だとよ」
「ひぃいい……」
すぐ隣の先輩巡査の返答に、木下巡査は思わず情けない声を漏らした。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。オリジナルを殺っちまえば終わり、全員に一発ずつ当てれば良いだけの話だろ」
「そりゃ……そうですけど……」
ありったけの銃弾を撃ち込んでやれば、いずれオリジナルに当たるはず。
そして、オリジナルはただの人間でしかない。
そのために全員のMP5に、百連発のダブルドラムマガジンをマウントしてあるのだ。
「一緒に行動しているという男は?」
「それが……見当たりません」
事前情報によると一緒に行動している男がいて、恐らくその周囲にオリジナルがいるはず、そういう報告だったのだが、あてが外れた。
どれも同じ顔、それも全く無表情な少女たち。
男の姿などどこにも見当たらないし、どれがオリジナルかなんて分かるわけもない。
(それにしても……女の子が裸で歩いてくるってのに、ちっともうれしくないな)
胸や股間といった部分に、どうしても視線が行ってしまうのは男性の哀しいサガなのだが、それでも興奮する以前に恐怖しか感じられない。
「全員が、この区画に入るまで引きつけろ」
恐怖に心臓を炙られながら、木下巡査は双眼鏡をレプリ達の最後尾へと向ける。
「もう少し……もう少し……入りました!」
木下巡査がそう声を上げた途端、警部補が号令を掛ける。
「よし! 撃てっ!」
途端に嵐のような銃声が鳴り響いた。
六十センチほどに伸びた発射炎が周囲の空気を焦がし、マズルフラッシュが目を焼いた。
轟音の中にタタタとスネアを叩くような着弾音が響いて、弾丸の衝撃に、少女たちの身体が小刻みに震える。
通りに霧のように血煙が立ち込め、弾け飛んだ肉片が飛び散る。
すぐにレプリ達の後方からも、銃声が響き始めた。
後方の封鎖も完了したらしい。
同士討ちにならないよう、射線は逸らしているが、その必要はなかったかもしれない。
レプリたちの群れを抜けて、弾丸がその後方へ行くことはほぼ無いはずだ。それほどの密度を保っている。
だが、少女たちの足取りは少しも止まらない。
手が吹き飛ぼうが、足が砕け散ろうが、彼女たちはわずかに足取りを遅らせるだけ、しかも数秒の内にアナログビデオの巻き戻しのように、負傷部位が修復されていく。
わずか十数秒で空になる弾倉。
木下巡査は、タイミングをずらして撃ち始めた隊員の背後へと下がり、あわただしく弾倉の交換を始める。
「怯むな! オリジナルに当たりさえすれば終わる! もうすぐだ!」
警部補がそう声を上げた瞬間、彼の肩から上が、いきなり消失した。
「なっ!?」
「ひぃぃいい!?」
背後に驚愕の目を向ければ、人員輸送車両のどてっぱらに、へし折られた道路標識が深々と突き刺さっている。
纏わりついている肉片は、警部補のものだろう。
木下巡査は、必死の形相でマガジンを掴んだ。
「あ、あ、あっ……くそっ、くそっ!」
急がねばと思えば、思うほどに手が震える。
上手くマガジンが嵌ってくれない。
レプリの群れは、もはや彼らが手を伸ばせば届くほどのところにまで迫っていた。
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