表通りの三車線道路には、十四郎たちのヴァンの他に車は全く走っていなかった。
それもそのはず、既にこのあたり一帯には避難命令が下っている。その上、通行規制までされているのだから当然である。
「遅くなった。怪我はないか?」
背後を振り返って十四郎がそう声を掛けると、ちょこんと三角座りをしているレプリの一体にしがみついたまま、鈴がコクコクと頷いた。
「う、うん、大丈夫。お兄ちゃんの言ってた通りだったから……。制服着せた子が撃たれた時には、もう死にそうだったけどね。正直、今もまだ足がガクガクしてる」
鈴は冗談めかして笑っているが、その笑顔は明らかに引き攣っている。本当は余裕なんて、全くないのだろう。
十四郎が、すぐに駆けつけず一時間後と時間を指定したのは、食糧など必要な物を調達するためだったということもあるが、最大の目的は、九也を現地に来させることで、すぐに追って来られないようにするため。
ヘリで追跡されたら、堪ったものではないからだ。
そのために、ギリギリまで迎えにくるのを引っ張ったというのは、言わない方がいいだろう。
たぶん怒られる。
「漏らさなかっただけでも、大したもんだ」
「女の子に漏らすとか……お兄ちゃんって絶対モテないよね。デリカシー無さすぎ。妹としてはここからどうやって教育していくか悩ましいところだよ」
「安心しろ、この先、女の子とまともに話をするような状況なんて無いから」
「もしもーし、アタシだって女の子なんですけど?」
その問い掛けには返事がない。
もちろん鈴としても、あまり女の子扱いされても困るのだが。
鈴は小さく肩を竦めると、あらためて問いかける。
「で、お兄ちゃん。これからどうするの?」
「……逃げるんだよ、どこまでも」
「逃げるって、どこへ?」
シンプルだが、正直言って一番困る質問だ。
逃げ場なんてないのは、駆除員である十四郎が一番良く知っている。
だが、希望の無い話をする訳には行かなかった。
未来はあるのだと、逃げた先に確かにあるのだと、そう思わせてやらなければ、この先の一分一秒が辛いものになってしまう。鈴にとっても、その横顔を眺める十四郎にとっても。
「……治療法が見つかるまで逃げ続ける」
そう口にしながら、十四郎は周養育院を退院する直前、ロシアに格闘技術の実習に連れていかれた時のことを思い出していた。
あの時飛行機から見えた、見渡す限りの原野。
人の住まぬ広大な森林。
あそこであれば、鈴がたとえ何万人、何百万人に増えようと居続けることが出来る。
そう思った。
「まずは日本海に出て、そこから船で大陸に渡る」
「た、大陸っ!? 大陸って……外国ってこと!? え、いや、で、でも、その頃にはスタンピート起こってるじゃん。船、沈んじゃうよ!」
「レプリは死なないんだから。増えたらすぐに海に飛び込ませればいい。かわいそうとかいうなよ。たぶんこいつら、深海でも全然平気だぞ。それから大量のレプリを従えて上陸だ」
「……なんか、怪獣映画みたいだね。がおーって?」
鈴が両手で怪獣のかぎ爪のマネをして、クスクスと笑う。
「怪獣映画か……悪くないな。出来るだけ人の少ないところへ上陸して、待ち受けている軍隊を蹴散らして……。そのまま中央アジアか、極東ロシアの山間部に移動できれば、誰も住んでいない広大な地域がある。そこで自給自足の生活だ。畑を作って家を建てて、俺と鈴の二人だけで静かに暮らす。どうだ悪くないだろ?」
「レプリ達に囲まれながらだけどね」
「人口密度の高いド田舎だな」
そして、二人はクスクスと笑い合う。
海を渡るなんて、もちろん口から出まかせである。
実際には、たぶん海を渡る途中でミサイルが飛んでくる。あの辺の国は、日本の様に温くはないのだ。
やはり、二人には未来なんて何もない。
今はまだ、どこにも。
だからこそ、他人の迷惑顧みず、今を生き抜くことだけを考えるだけ。
末期の癌患者の様な、ただの延命措置だとしても、一分一秒でも長く二人で一緒に生きる。ただそれだけだ。
そして、小さな希望を拾い集めながら、未来を探す。鈴と十四郎が二人で笑っていられる未来を。
十四郎は密かに下唇に歯を立てながら、バックミラー越しに背後を眺める。
いつからだろうか? 白バイが三台、距離をとって追跡してきていた。
だからと言ってどうもしない。連中になにが出来る訳ではない。レプリを相手に警察が出来ることなど何もない。
◇ ◇ ◇
堅苦しい顔をした男たちが雁首揃えて、大型モニターを眺めていた。
慌ただしく警官が出入りするそこは、県警に設置された逃亡発症者緊急対策本部である。
時刻は二十二時を回ったところ。
十四郎と鈴がアパートから逃亡して、既に二時間ほどが経とうとしていた。
モニターに映っているのは、ヴァンの後部ドアとナンバープレート。
この車両が仁井寺市役所の公用車であることは、とっくに判明している。
「車内の様子は?」
「接近させましょう」
県知事の一言に、県警の本部長がすぐ傍にいたオペレーターへと目配せする。
「一〇四号、並走して、車内の様子が分かる映像を送れ」
ザッと、短いノイズの後、聞き取りにくいくぐもった音声で返答があった。
「了解、一〇四号、接近を開始します」
すると画面上の映像が、車から横へとそれるように移動し、車両の横に並走するように動いていく。
白バイ警官の耳元につけた小型カメラが、リアルタイムに本部に映像を送っているのだ。
薄暗い映像ではあるが、車両横の窓ごしに、身じろぎ一つしない四体のレプリの横顔が映った。
途端に県知事は怪訝そうに眉根を寄せる。
「レプリというのはオリジナルの命令に、あんなに従順に指示に従うものなのか?」
「いえ、車に搭乗させるなんて前代未聞ですな」
県知事の問いかけに本部長が首を振る。
実際、レプリについては、フラフラとオリジナルの周りをふらついているばかりで、制御不能なモノだとそう思われてきた。
とるとすれば、オリジナルに危害を加えようとするものへの反射的な攻撃行動。その他にはなにもしない。ずっと立ったまま、座ることすらないと言われて来たのだ。
今、モニターに映っているこの映像だけでも、相当にセンセーショナル。きっと学会に衝撃が走ることだろう。
「周九也駆除員の報告にあった、レプリがオリジナルのフリ……つまりそういう演技をしたというのも、あながち狙撃失敗の言い訳とも言い切れなくなりましたな」
「それで……彼らは何処へ向かっているのだね?」
「先ほどまでは、目的もなく市内を周回しているようでしたが、現在は一般道を北東……日本海側へと移動し始めております」
県知事の疑問に応えたのは、この場にいる唯一の女性。周九也の専属オペレーター井沢貴子である。県庁の特殊技能班は、実のところ彼女を中心として組織されている。オペレーターと言う名目ではあるが、彼女は優秀な分析官なのだ。
「ふむ……どうにかして高速へ誘導できないか? レプリに暴れられては被害が甚大だ。一般道で停車させる訳にもいかんし……。高速なら封鎖してしまえば、民間人の避難誘導も容易ではないのかね?」
県知事のその言葉に、県警本部長が大きく頷く。
「はい。そのつもりで既に指示を済ませております。高速からの一般車両の排除は、現在三十パーセント程度。仁井寺市内に限って言えばほぼ完了、各出入り口の封鎖も完了しつつあります。準備が整い次第、白バイ隊が仁井寺東インターへ、誘導を開始する手はずとなっております」
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