「なあ……」
そう言いかけてファジルは続く言葉を飲み込んだ。ロイドに何と呼びかけてよいのか分からなかったのだ。
ロイドと名前を呼ぶのは何だか気安いような感じがする。でも勇者などと呼ぶのも何か違う気がする。
そんなファジルの思いに気がついたのかロイドは口を開いた。
「ロイドでいいよ。別に勇者様とか、そう呼ばれたいわけじゃないからね」
ロイドが軽く肩を竦める。
……様をつけるつもりなんてなかったのだけど。
ファジルは心の中で呟きながら口を開く。
「……ロイドは魔族と戦ったことがあるのか?」
ファジルは少しだけ躊躇いながら問いかけた。
「もちろんあるさ。僕は勇者だからね」
僕は勇者だから。
淀みのない返答だった。
しかし回答になっているようで、なってはいないとファジルは思う。
「それは魔族と戦うために、城壁の外に出たことがあるってことなのか? それとも王国内での話なのか?」
「どちらもだね。知っての通り城壁の外は魔族の領内だ。となれば、魔族と戦うのは必然的に城壁の外になるよね。でも一方で、王国内にも魔族が入り込んでくることだってある。バルディアの惨劇。その時のようにね」
そしてロイドは深緑色の瞳を少しだけ細めた。
普段ならば、わずかながらも学院の生徒たちが行き交う中庭だ。そこが今に限ってだけに言えば、生徒の姿はどこにもなくて、ただ風が通り抜けるだけだった。
まるでこの場所だけが時間から切り離されているような、不自然な静けさが辺りを支配している。その事実がファジルの心の隅に何故か少しだけ引っかかった。
「ファジルといったよね? 君が何を訊きたいのか、よく分からないね。魔族について興味があるみたいだけど……」
ファジルはその問いかけに返事をしなかった。興味があると正直に言ってはいけない気がしたし、そうかといって嘘をつくのも違う気がしたのだ。
ロイドの少しだけ細められた瞳が、ファジルの顔を真正面から捉えている。魔族について調べようとしているだけで、やましいことをしているつもりはない。だがこうして真正面から無言で見つめられると、何とも居心地の悪さを感じてくる。
そのような中で、ロイドが不意にファジルの隣にいるカリンに視線を向けた。
「その感じ、君は天使族だね?」
天使族の証でもある白い羽は、器用に畳まれて今はカリンの服の中にある。外見だけではカリンを天使族だと気がつくのは難しいはずだ。これも勇者だからできることなのだろうか。ファジルは頭の隅でそんな疑問を浮かべる。
「ほえー?」
カリンは小首を傾げている。
「何だか様子がおかしいね。天使族は……」
カリンを見つめながらロイドが困惑したように言うと、それに被せるかのようにマリナが口を開いた。
「中にはおかしな天使だっているわよ。どこか調子が悪いんじゃない?」
何ですかー?
といったような感じで、カリンは変わらずに小首を傾げている。
「君たちがここで何をしているかは知らないけれど、魔族については、僕に任せておいてくれればいいさ。僕はそのためだけに存在しているんだからね」
ロイドがそう言って笑う。爽やかな笑顔だ。ファジルの横にいるカリンが、むーっといった顔でロイドを見ている。
「それって、魔族に興味を持つなってことか?」
ファジルは思い切ってそう言ってみた。その言葉にロイドは苦笑を今度は浮かべてみせた。
「ちょっと危ういぐらいに、君は物事を真正面から捉えるんだね」
「単に頭が悪いだけでしょう?」
マリナが何の躊躇いもなく、かなり失礼なことを口にしている。
「マリナ、人間関係とは真実を突けばいいというものではないぞ」
隣にいる司祭のグランダルもよく分からないことを言っている。
「知っているかい、ファジル? 勇者というのは自分が望み、望まれて初めて成り立つ存在なんだよ」
そんなことはあたり前だろうとファジルは思う。勇者になると自分が望まなければ、勇者にはなれないだろう。
……ん? 何かが変だ。
何かが違う気がした。だけれどもその違和感が何なのか。ファジルには掴み切れなかった。言葉の裏に何か冷たさのようなものが潜んでいる気がする。まるでそこに隠された刃があるかのようだった。
「まあいいさ。僕たちは僕たちの役割を果たさないといけないのだからね」
ロイドの言葉にマリナは肩を竦めた。その動作には、どこか冷ややかさと呆れが混じり合っていた。それがロイドに向けられたものなのか、彼女自身に向けられたものなのか。ファジルには分からなかった。
「やっぱり、笑顔も全部が胡散臭い勇者なのですー。ファジルはこんな勇者にはならないんですよー」
カリンがむっとしたような顔で言う。そんなカリンにロイドは怒るわけでもなく、ファジルに視線を向けた。
「なるほど。君は勇者になりたいんだね」
否定する理由もないので、ファジルは軽く頷く。
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