「……結局、戻ってこなかったな」
ファジルは宿屋の寝台に腰をかけて呟くように言った。
「まあ、そんなもんでしょうね。勇者は勇者の使命があるわけだから。別に逃げたわけではないと思うわよ」
エクセラの言葉にファジルは首を軽く捻った。
「そんなものなのかな?」
「勇者として他に優先すべきことができて、戻ってくることができなかったってところじゃないかしら」
「でも、退魔の盾を手に入れたら、火蜥蜴を退治するって約束したじゃないか」
「まあ、それはそうだけど……その約束以上に勇者として優先すべきことがでてきたってことでしょう」
エクセラは淡々と言う。戻ってこなかったことがおかしいと思わないエクセラがファジルには不思議だった。約束したのにとの思いがファジルの中にはあるのだ。
「童話の中の勇者じゃないんだから、いちいち困った人の申し出を受けていられるはずもないしね」
理屈ではエクセラが言うことも分かる。だけれども、それでもファジルには納得できない部分が多かった。
「でも、困ってた人が勇者の前にいたんだ。たまたま、今回は俺たちがいたから……」
「それでいいじゃない」
その言葉にファジルはうなだれていた顔を上げてエクセラの顔を見る。エクセラはそんなファジルに笑顔を浮かべた。
「別に困った人を助けるのは、勇者じゃなくてもいいわけでしょう?」
「それはそうだけど……」
するとファジルと同じく、その隣で寝台に腰掛けていたカリンが口を開いた。
「ファジルは勇者なんですよー」
カリンの言葉にファジルは不思議そうな顔をした。そんなファジルを見てエクセラが苦笑を浮かべる。
「知らなかったの? 村の皆はファジルのことを勇者だの、何だのって言ってるわよ。だって、あの火蜥蜴を倒してくれたんだから」
「いや、俺は……」
予想していなかった言葉にファジルの中で戸惑いが生まれる。
「この村の人にとってみれば、魔族の脅威なんて自分たちの身近にあるものじゃないから、あまり関係ないのよ。それよりも火蜥蜴の方が、よっぽど彼らの目の前にある脅威だったんだから」
「そうなのですー。その脅威から救ってくれたのだから、ファジルは村の勇者なんですよー」
カリンは笑顔を浮かべて嬉しそうな顔をしている。
「村の勇者か。何だか随分と規模の小さな勇者だな」
自嘲するつもりはなかったのだが、エクセラにはファジルが自嘲したように聞こえたようだった。
「あら、いいじゃない。何も世界を救って、人族全員を救うことだけが勇者じゃないと思うわよ。小さな村を救う勇者がいてもいいじゃない?」
村を救う勇者か。ファジルは心の中で呟く。
「ファジルは村の勇者なんですよー」
カリンが再び嬉しそうに言って、ファジルに笑顔を向けた。
「ん。ありがとうな、カリン」
ファジルは感謝の言葉と共に片手を伸ばしてカリンの金色の頭を撫でる。
「えへっ」
カリンは青色の瞳を閉じて、その口元には微笑を浮かべる。
「何、それ? その感じ、何か厭らしいんだけど」
「い、いや、普通だろう? 感謝の表現だろう。どこにも厭らしさなんかないぞ」
「ファジルがすると、何か厭らしいのよね。何かこれまでの行いがそう感じさせるっていうか……」
エクセラが心の底からといった様子で嫌そうな顔をする。
酷い言われようだ。それに、それは単なる偏見ではないだろうとファジルは思う。カリンもそんなファジルと同じ意見だったようだった。
「それは偏見なんですよー。いつもエクセラは意地悪なのですー。厭らしいって言うならエクセラだって、使いどころがないお化けおっぱいでファジルをいつも誘惑してるのですー」
「誘惑なんてしてないわよ! それに使いどころがないって、どういう意味よ!」
怒声とともにエクセラが右手を振り上げた。それを見てカリンが、きゃーきゃー言いながら小さな部屋を駆け回る。
「こら! 待ちなさい、カリン!」
それをエクセラが追いかけている。
こんな風に誰かと旅をするなどと考えたことはなかった。
エクセラはすぐに頭を叩くし、カリンがいるとこうして何かと騒がしい。
でも、悪くはないのかなとファジルは思う。別に何かの目的がある旅ではないのだ。
そして、村の勇者……。
これも想像はしてはいなかった。
でもエクセラが言うように、それもいいのではないかとファジルは思う。
決してそれは本当の勇者ではないけれど。
人族全員を救えるような偉大な勇者ではないのだけれども。
それでも救われた人たちにしてみれば、それに等しい存在なのかもしれない。
「よし、明日出発するぞ!」
ファジルが高らかに宣言する。
「はーい、分かったのですー」
カリンが笑顔を浮かべて、ぴょんぴょんと跳ねている。
「随分と急な話ね。また、目的のない旅が始まるのね」
エクセラが苦笑を浮かべて言葉を続ける。
「でも、いいんじゃない。こうして、村の勇者にもなれたしね。次も何かの勇者に、誰かの勇者になれるかもしれないしね」
ファジルもその言葉に笑顔を浮かべて大きく頷いた。
「はーい、はーい! ファジルはもうぼくの勇者なんですよー。あの時、ぼくを助けてくれたんですからー」
「だから、私も助けたんだって前から言ってるじゃない」
「違うのですー。エクセラは、ぼくを見捨てようとしたのですー。意地悪なのですー」
「は? だから、私もファジルと一緒に助けたのよ! 足をこうして引っ張ってあげたじゃない!」
再び騒がしい言い合いが始まった二人に向けてファジルは苦笑を浮かべた。
世界を救う勇者になりたい。今でもそう思う。だけれども、もう子供ではないのだ。自分が勇者になれないことは分かっている。でも、それでいいのかなとも思う。
勇者になりたい。その思いがあればいいのではないかと。
ファジルは茶色の瞳をエクセラとカリンに向けた。視界の中で二人とも屈託のない笑顔を浮かべている。そんな彼女たちにファジルも少しだけ笑顔を浮かべてみせた。
再び始まる旅の途中には何かがまた待っているのだろう。
次は何が待っているのだろうか。ファジルはそんな高揚していく気持ちを感じながら笑顔を浮かべるのだった。
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