そんなことを考えながら、ファジルもエクセラに続いて宿屋へと急ぐ。宿屋といっても粗末な看板らしき物があるだけで、その見た目は限りなく民家に近い。
まあ、小さな村の宿屋などはこんなものだろうとファジルは思う。どちらかと言えば、そのような小さな村に宿屋があっただけでもありがたいのかもしれない。
宿屋の中に入ると、一応は受付台らしきものがある。受付台の向こう側には四十代に見えるかなり恰幅のよい女性の姿があった。
「珍しいこともあるもんだね。こんな村に旅人なんて」
ファジルたちが口を開く前に彼女が意外そうに言う。
……何か宿屋の台詞ではない気がする。
そんな言葉を飲み込んでファジルは要件を口にした。
「二、三日、泊まりたいのですが……」
「あいよ。宿代は一日ごとで前金だよ」
彼女はにこりともせずに言う。商売人だというのに、愛想というものをどこかに忘れてきたらしい。
「ほえー。エクセラよりも怖いのですー」
次の瞬間、カリンの頭がエクセラに叩かれる。そんな様子の二人に視線を送った後、彼女はファジルに顔を向けた。
「若い男女と子供。旅人にしては随分と妙な組み合わせだね。兄妹かい?」
「まあ、そんなところです」
少しだけ余計なお世話だと思いつつ、ファジルは頷く。
「そうかい。今、この村は騒動の最中でね。用がなければ、早く村を出て行くことを薦めるよ」
どうやら嫌な人というわけではないらしい。単に愛想がないだけか。
ファジルは思い直して口を開いた。
「騒動って、何かあったんですか?」
「その顔じゃあ何も知らないで、この村に立ち寄ったんだろうと思ったよ」
ファジルたちに向けて彼女は少しだけ芝居がかった溜息をついてみせた。
「一週間前に魔獣の火蜥蜴が村の近くに出てね」
火蜥蜴。蜥蜴と言えば聞こえはよいのだが、その体は雄牛よりも遥かに大きい。そして、名前からも分かるように、その巨大な口から灼熱の火炎を吐き出す魔獣である。危険な存在として上位に位置づけられている魔獣だった。
「何か被害があったんですか?」
ファジルの問いかけに彼女が大げさに頷いてみせた。
「三人ばかりね。酷い話だよ」
「でも、火蜥蜴って普通、山の奥にあるような岩場にいて、人里に出てくるようなことなんてあるのかしら」
エクセラがもっともな疑問を口にした。確かにエクセラの言う通りで、火蜥蜴が村を襲ったなどといった話を聞いたことがない。火蜥蜴による被害と言えば、偶然に山中で遭遇してといったものが圧倒的に多いはずだった。
「いくら山奥にある村だって言っても、近くに火蜥蜴が出たのはこの村でも初めてだよ。まあ、最近は魔族が活発に動いているって話もあるから、その影響かもしれないね」
彼女がもっともらしく言う。
魔族。ファジルたち人族と双璧をなす種族だった。瞳が赤いことを除けば見た目は人族と変わるところはない。
ただ、見た目以外で大きな違いが二つある。一つは人族よりも遥かに魔法の扱いに長けていること。そして、古来より人族を憎み目の敵にしていること。
魔族がなぜ人族を執拗に憎んでいるかは分からない。しかし、遥か昔より魔族は人族を憎み、人族の国々を幾度となく襲撃して人族を苦しめてきたのだった。
そして、その度に魔族たちは勇者と呼ばれる存在を中心とした人族に撃退されてきたのだった。
人族と魔族との間でそのような背景があるといっても、流石に魔族と魔獣を結びつけるのは無理があるのではとファジルは思う。
「まあ、いずれにしても危険な目に会いたくなければ、早くこの村を出て行くことだね」
自分の村だというのに彼女はまるで他人ごとのように言う。
「ありがとう。そうするわ。この村に何か用事があるわけじゃないし、二、三日休んで旅の準備ができたら、すぐに発つことにするわね」
エクセラの言葉に恰幅のよい女性は頷いたのだった。
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