「魔物がこの町に……?」
思わずオウム返しにして俺は千晶に問い掛ける。千晶は真剣な顔で頷いた。またいつもの厨二病かよ、と切って捨てたい所だが、千晶のこんなに真剣な顔は初めて見る。それだけでも事態の深刻さが分かるというものであった。
時計を見る。午前2時。丑三つ時だ。この時間ならそうそう外を出歩いている奴はいないだろうが……。
「間違いない」
「倒せるのか?」
「倒す」
簡潔な返事だった。魔物とやらがどんな存在化は知らないが、千晶が倒せるというのなら倒せるのだろう。俺は頷き、シャツで寝ていたので上着を羽織る。千晶はもう外に出るための格好だ。
「それじゃあ、行くか。俺が行っても足手まといになるだけかもしれないけど……」
「ううん、そんな事ない。秋吾も来てくれると心強い」
「分かった」
そう言ってくれたのならここでビビっていては男が廃るというものだ。千晶と共にその魔物とやらを退治しに行こうではないか。
俺は目線で頷き、瑞穂を起こさないようにしながら千晶と共に家を出る。そうしてその姿を見かけた。全高5メートルはあろうかという巨体の四足獣。その姿は現代日本の町の姿に異様なまでに不釣り合いで、獰猛さが見て取れる。あんな化け物相手に俺たちのようなひ弱な存在がどうにかなるのか……?
思わずビビった俺だが、千晶は臆する事なく魔物を見据える。
「大丈夫。あれくらい倒せる。伊達に魔族の姫君な訳じゃない」
倒せるのか……。千晶の力はそこまで凄いものなのだろうか。目の前の見るからに獰猛で凶悪そうな魔物と違い、千晶は普通の女の子にしか見えないというのに。
魔物は千晶の姿を見かけるとこちらに駆け寄って来る。昼間、千晶が言っていた千晶を抹殺しようとしている一派が送り込んだ刺客である事は間違いないようだった。手元に入らないなら殺してしまえ。そんな短絡的な思考で放たれたであろう刺客は今にも千晶に襲い掛からんとしている。
魔物は咆哮を上げ、こちらに突進して来た。こんな町中であんな馬鹿でかい声を……。だれかに気付かれてしまったのではないか。そんな事を思ったが、すぐに目の前の魔物の脅威に意識が集中する。四足で地を蹴りこちらに駆けて来る魔物。千晶は前に出てそれを迎撃せんとする。だが、どうやって。目の前の魔物の突進攻撃は大型のトラックの体当たりにも等しいだけの威力があるように思える。それを前にして脆弱な人間の体躯で何が出来ると言うのか……。
そう思っていると千晶は手をかざし、そこから光が放たれた。輝く光は魔物の頭部に突き刺さり、魔物が苦悶の声を上げる。そのまま光が連発して放たれ、魔物の体のあちこちに着弾する。それで魔物の足は止まり、魔物は苦しみに呻く。
「すげえ……」
思わず言ってしまう。魔族の姫君。確かに伊達ではないようだ。あんな巨大な魔物相手に渡り合っている。
「プロミネンス・ブラスト!」
千晶が呪文の名前らしきものを叫ぶと手元から明るく光る炎が放たれ、魔物の巨躯に当たり爆発する。魔物は絶叫を上げるが、それで容赦する千晶ではない。炎を放ち続け、魔物の体にダメージを蓄積させていく。
……俺、何もしていないな。何のために付いて来たんだろう。そんな事を思う。わざわざ千晶が俺を連れ出した意図が分からず呆然と千晶と魔物の戦いを見守る。千晶の魔法攻撃を受けて魔物はこっちに突っ込んでこれないようであった。
魔物は手傷を負っているがまだ致命傷には遠いようであった。千晶は絶え間なく魔法を放ち、魔物の突撃を防止しているが、トドメを刺すには至らない。そんな様子を見守っていると、
「秋吾も戦って」
とんでもない事を千晶は言った。
「え? 俺も戦うって……俺は貧弱なただの人間だぞ?」
情けなくもうろたえ声が出る。だってそうだろう。俺は千晶みたいに魔法は使えないし、身体能力も並の人間だ。あんな巨体を誇る魔物相手に戦えなどと無茶が過ぎる。そう思っていると千晶は分かっていると言う風に頷いた。
「大丈夫。秋吾も戦えるようにする。私が魔気を秋吾の体に送り込む」
「魔気を送り込むって……」
その魔気という単語も魔族の姫君の自称と同じく千晶がよく使っていた単語だ。千晶の造語で実態のない単語では、なかったのか……?
「秋吾、ジッとしていて」
そう言われ、体を硬直させる。すると千晶は俺に近寄って来て。
「むっ」
接吻をした。いきなりの事に気が動転して頭に中が真っ白になりそうになるが、口づけを介して何かが体の中に流れ込んで来る実感を確かに感じた。千晶は顔を離し、俺を見た。
「ねっ、これならいけそうでしょ?」
「あ、ああ……」
いきなりの接吻に動揺しつつも、魔気とやらが流れ込んで来たのは事実。これなら目の前の魔物とも戦えるかもしれない。
魔物は俺を見ると俺に突進して来る。大型トラックの体当たりに等しい威力を持つであろう巨大な魔物の突進。それを俺は受け止めた。魔気、とやらが全身を巡っているのを感じ取る。魔物の巨体を俺は受け止め、そして、拳でその体を殴りつける。魔気の恩恵なければこっちの拳が砕けていたであろうが、魔気の力を得た拳は魔物の体にめり込み、ダメージを与える。魔物が呻いた。そこに千晶が魔法を唱え、火の玉が魔物に着弾する。
「こんのぉ!」
俺は腕を振りかぶり、魔物の頭に向って拳を振り下ろす。この一撃を受けて魔物は呻き声を上げる。普通なら絶対にこんな魔物とやり合うなんて出来ないが、今の俺なら出来る。魔気を纏った拳で連続して殴打を浴びせ、魔物をひるませる。その間にも千晶は魔法攻撃を続ける。俺が前衛で魔物を食い止め、千晶が後衛で魔法を放つ。そんなコンビネーションを即興で組み上げ、俺は前で魔物を食い止める。迫り来る魔物の巨躯を止め、拳を次々に放ち、攻撃する。魔気を纏った拳の一撃は致命傷には遠いが魔物の勢いを食い止めるには充分な威力を有しているようであった。魔物の足が止まり、後退しようとする。逃がさず俺は地を蹴り、魔物に殴打を浴びせる。魔物が絶叫を上げた。
「はああっ!」
俺は両手を組んで魔物の顔面に叩き付ける。この一撃は威力が大きかったようだ。魔物の巨体がよろめく。そこに千晶の渾身の魔法が炸裂する。
「行け! グレイト・ボンバー!」
光球が放たれ、それが魔物に命中すると大爆発を起こす。そうして魔物は全身から血を流し、その姿が徐々に薄れて消えていく。こんな巨体が町中で死体となって転がっていたら大騒ぎになるな、という俺の懸念は解決した形だった。
魔物を倒し終わり、俺たちは一息つく。
「ふぅ……なんとかなったな」
「言ったでしょ、魔族の姫君は伊達じゃないって」
「俺も頑張っただろ」
「そうね。秋吾も頑張ったわ」
そう会話を交わして先ほどの接吻の事を思い出し、顔を赤くする。あれは俺に魔気とやらを宿らせるために必要な行為だったとはいえ、ファースト・キスだったんだがな……と思う。千晶の様子を伺うが千晶の方はまるで気にしていないようであった。
ならば俺が気にしていては千晶の方も気まずいだろう。そう思い、先ほどの事は気にしない事にする。
「こんな風に千晶への刺客が次々に送られて来るのか?」
「分からない。でも、次がこないとは限らないとだけは言えるわ」
「そうなのか……」
こんな化け物が何匹も来るとなるとゾッとする。とりあえず一匹は倒す事が出来たが、今後、人間社会にこんなゲームの世界から飛び出て来たような化け物は降臨しないでいてくれた方がありがたい。
そんな事を思っていると、千晶が踵を返した。
「それじゃあ、秋吾の家に帰りましょ」
「あ、ああ……そうだな」
千晶は既に先ほど倒した魔物の事など頭から抜け落ちているようであった。俺としてはこんな怪物が出た事に気にせずにはいられないのだが。
というか、叫びまくっていたよな、あの魔物。この近所の人たちに気付かれたんじゃないだろうか。警察に通報しても信じてはもらえないだろうけど。
魔物との激戦の感覚が体から抜けないまま俺は千晶と共に家に帰るのであった。
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