一夜明けた。俺は馴染みに馴染んだ自分の部屋のベッドで目を覚ました。
とんでもない事が昨日はあった。幼馴染みの千晶が魔族の姫君と厨二病で言い張っていると思っていた事が事実である事を知り、千晶を自宅に泊まらせる事になり、その夜は千晶を殺そうと放たれた魔物と戦った。魔気なんてものを、その、キスで注入されて、俺も魔物と戦うなんて無茶をした。冷静に考えると無茶苦茶である。全て夢だったんじゃないかと思えてくる。そうだ、夢だ。千晶が魔族の姫君なんてそんな事はないし、この家に泊まる事もない。あんなアールピージーに出て来るような魔物がこの現代日本の都市を跋扈しているなんてそれこそあり得ないし、そんなあり得ない存在と戦える自分自身もあり得ない。
そうだ、夢。全て夢幻であったのだ。そう思い一階に降り、台所に行くと。
「あ、秋吾。おっはよー。朝ごはんの支度出来ているよ!」
千晶が笑顔で出迎えて、昨日の事が夢でもなんでもなく、事実であった事を教えてくれた。
少しガックリしつつ、席に着く。
「お兄ちゃん、どうしたの? なんだか気が抜けたような顔しているけど……」
「いや……なんでもない」
妹の瑞穂に怪訝そうな目で見られながら、朝食を食べる事にする。瑞穂も千晶も席に着きみんなしていただきますをして、朝食に手をつける。
「この味噌汁は私の自信作だよ。秋吾もよく味わって食べてね」
「ほう。そうなのか」
まぁ、いいさ。現実であるなら現実と受け入れるまで。千晶は魔族の姫君だし、昨夜の魔物も実在した。そして、それを倒したのも俺たちだ。そう思いながら、千晶特製の味噌汁に手を付ける。美味い。文句なしだった。
「確かに美味いな」
「でしょ? よく味わってね」
「ああ」
千晶の味噌汁を飲んで、他の料理にも手を付ける。ここだけ見れば何一つ変わりのない普通の日本の朝なのだが。
(それにしても和食に精通した魔族の姫様か)
おかしなものだ、と思いつつ料理を食べる。生まれは魔界とやらでも育ちはこの日本らしいので別段、そうなってもおかしくはないのだが。そうやっていると食べ終わり、瑞穂と千晶が食器を洗い、学校に行く時間がやって来た。俺たちは各自、準備を整え、それぞれ学校に行く事にする。
「それじゃあ、お兄ちゃん、千晶さん。また後でね!」
十字路で妹と別れ、高校に向かう。その途中。俺は千晶に話しかけた。
「なぁ、千晶」
「何、秋吾?」
「いや、あの魔気ってヤツ。あれは今でも俺の体内にあるのか?」
体を覆ってこの脆弱な人間でも巨大な体躯を持つ魔物と渡り合えるようにした魔気。それは今でも俺の中にあるのだろうか。
「あると思うよ。一度注入された魔気は大きく消費でもしない限り減りはしないから」
「そうなのか……」
それなら今の俺は人間を超越した身体能力を誇っているという事になるな。体育の授業とか気を付けよう。とんでもない記録を達成しかねない。
「……っていうかそれならお前、体育の授業の時とかこれまで手加減していたのか?」
そういえば、と思い千晶に訊ねる。彼女も魔気を纏っているはずだ。それでも千晶が100メートル走で世界記録を出したという話は聞かない。千晶は悪戯っぽく笑うと答えた。
「まぁね。私が本気を出すと世界記録になっちゃうから。加減はしていたよ。いつも私は手加減しているって言っていたでしょ」
確かに言っていた。魔族の姫君たる自分が本気を出せばどうたらこうたら。あれも事実だったという事か。
「なるほどなぁ」
まぁ、妥当な話だ。俺も気を付けて加減して体育を受ける必要があるな。そう思う。
そうしていると高校に到着したので教室に入る。
「いよっ! お二人さん! 今日も仲がいいねえ!」
お約束の辰夫のからかいの言葉を受けながらそれぞれの机に着くと、エリカも話しかけて来る。
「千晶、秋吾、おはよう」
「うん、おはようエリカ」
「おはよう」
何も変わらないように見える朝の光景。昨夜、魔物なんてものと戦ったのが嘘のように思えて来る平和な光景だった。
「そういや聞いたか、シュウ?」
「何をだよ、タツ?」
「昨夜、お前の家の辺りで怪物みたいな叫び声がしたって話」
辰夫の言葉にドキリとする。あの魔物の咆哮の事だろう。それは近所にも聞こえていたという事か。俺と千晶は微かに表情を硬くする。
「い、いや、俺は知らないな……」
知っているも知らないも当事者なのだが、誤魔化して俺はこう言う。千晶も素知らぬふりをしてこの話題をスルーする。
「まぁ、野良犬か何かが遠吠えでもしたのを大げさに捉えているだけだろうけど。本物の化け物が出たとか言われてるな」
辰夫はそう言い、笑みを浮かべる。世間話の一つに過ぎないのだろう。彼からすれば。まさか魔界から魔物がやって来て、この町を跋扈し、退治されたとは思うまい。
俺は曖昧な笑みを浮かべて適当に相槌を打っておく。魔族の姫君か。今後も千晶を狙う輩が現れるのだろうか。そうなった時には俺も昨夜のように戦う必要が出て来るのだろうか。
千晶は幼馴染みだ。家族同然の大切な存在だ。それを守るために戦う事に躊躇はないが、俺の力でどれだけ対抗出来る事やら。一応体内に魔気とやらは注入されたようなので人並み以上には戦えるだろうが。
そう思い出し、千晶とキスをした事まで思い出して顔を赤くする。ファースト・キス。だった。千晶の方はどうなのだろうか。あちらもファースト・キスだったのだろうか。気にしているのは俺の方だけで千晶の方はまるで気にしたそぶりを見せていないのであの事については何も言えないじまいでいるのだが。
とりあえずその日はそのまま普通に授業を受けて、放課後になり、家への帰路を歩き出す。千晶も今は俺の家に居候しているので一緒だ。居候前から一緒に帰ってはいたが。
「あんな魔物がまた出て来るのかな?」
俺は千晶にそう訊ねた。それを聞いた千晶は答える。
「うーん。そうだね。私の命を狙う輩が魔物を用いる事はあると思うよ。でも魔物以上に厄介なのは魔物以上の力を持つ魔族が私を殺しに来る事だよ」
「魔物以上の力、か……そんな奴らがいるのか?」
「大勢いるよ。魔界には」
所詮魔物など使いっぱしりの下っ端に過ぎないという事か。それを飼っている存在の方が魔物以上に力を持っているのか。そうなればそんな連中と戦う必要も出て来るだろう。俺の力で果たして千晶を守り切れるものか。
「魔族、ね。俺も頑張るけど、どこまで戦えるのか」
「秋吾が味方になってくれているのは凄く心強いよ。頼りにしてる」
「そ、そうか……」
そう言われると照れてしまう。俺の力がどこまで通用するかは分からないが出来る限りの事はしてやろうという気分になる。
「私の魔法も魔族の中では上の方だから、魔族相手にもそうそう後れは取らないよ。一緒に戦おう、秋吾」
「ああ。魔族だか魔界だか知らないが、そんな奴らに千晶を殺させる訳にはいかないからな」
そう言い合い、帰路を歩く。それは偽りのない本心であった。
「そういえば瑞穂ちゃんに聞いたんだけどさー」
いきなり話題が切り替わり俺は困惑するが、その続きを聞く。
「秋吾と瑞穂ちゃん、今でも一緒にお風呂に入っているらしいね」
「ぶっ!」
思わず噴き出してしまう。瑞穂のヤツ、余計な事を。瑞穂のヤツは中学二年生という年齢にも関わらず、未だに兄の俺と一緒にお風呂に入る事が多い。それを千晶に言ったのか。また面倒な事を。そう思っているとさらなる爆弾を千晶が投下する。
「秋吾、私とも一緒にお風呂入らない? 昔は一緒に入っていたじゃない」
とんでもない事だった。昔。それこそ小学校低学年の頃は確かに千晶とも一緒にお風呂に入った事があるが……。俺はこんな事を切り出され、どう返すべきか、迷うのだった。
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