千晶を連れて家に帰る。瑞穂はもう帰っているようだった。玄関の靴で分かる。
「ただいまー」
俺がそう言うと廊下の奥から足音。瑞穂だろう。
「おかえりなさい、お兄ちゃん……って千晶さんも一緒なの?」
「ああ、まぁな……」
瑞穂にとっても千晶は幼馴染みだし、千晶がこの家に来た事は一度や二度ではない。焦ったり、気まずく思う必要はないと思うのだが、柄にもなく緊張してしまった。
「丁度よかった。美味しいクッキーがあるの。千晶さん、上がって、上がって」
「ごめん、瑞穂ちゃん。お邪魔します。魔族の姫君たる私の口に合うクッキーだといいね」
「あはは……千晶さんは相変わらずだね……」
勝手知ったる他人の家。千晶は靴を脱ぎ、朝比奈家に足を踏み入れると瑞穂に続いて台所の食卓に行った。
話を聞かせてもらうはずだが、まずは瑞穂に怪しまれない程度には普通に遊びに来た事を装っておこうという事か? それともただ単にクッキーが食べたいだけか。
(後者かもしれない)
千晶も女の子らしくお菓子には目がないのだ。俺はそんな事を思いながら二人の後を追って台所に行く。食卓にはクッキーが盛られた大皿があり、瑞穂は紅茶を淹れている所であった。といってもインスタントの紅茶だが。
「美味しそう。ホントに貰っちゃっていいの、瑞穂ちゃん?」
「千晶さんならどうぞどうぞ。お兄ちゃんも先に食べていいよ」
「それじゃ遠慮なく」
それからはクッキーをかじりながら、時折ティーカップに口を付け、他愛もない雑談をしていると時間が流れていく。俺への話があるとかいう話はどうなったんだよ、と俺が思い出した頃、千晶が瑞穂を見た。
「それじゃあ、私ちょっと勉強で秋吾に訊きたい事があるから秋吾の部屋に上がらせてもらうね」
「うん。どうぞご自由に」
「なんでお前が許可を出しているんだ……」
勝手に兄の部屋に入る許可を出した妹に呆れつつも怪しまれず自然な流れで俺の部屋で二人きりになる事が出来そうだ。俺と千晶は俺の部屋がある二階まで上がり、部屋に入る。さて。クッションの上に座り、千晶を見る。千晶もクッションに腰かけた。
「それじゃあ、訊かせてもらうぞ。さっきの男はなんだ?」
「私の眷属。魔族の姫君たる私の配下」
「嘘つけ」
幼い頃から千晶とは一緒にいるが、そんなファンタジーな事はなかったぞ。千晶は幼い頃から自分を魔族の姫君と称してはばからないが、あんな男の姿を見た事はなかった。幼馴染みの付き合いの長さから千晶の言葉を一蹴する。
「うーん。これが嘘じゃないだよね。今までも言っていた通り、私は魔族の姫君だから」
「本当、なのか……?」
「だから、いつも言っているじゃない。私は魔族の姫君だって」
千晶はそう断言する。魔族の姫君。本当に? 厨二病の妄想じゃなくて……?
「私は魔族の姫君として生まれたんだけど、母様の意向で人間社会で育てられる事になって、今の家、早見家に預けられたの」
「とりあえずお前が魔族の姫君という話を信じるとして……それじゃあ、早見のおじさんとおばさんはお前の本当の両親じゃないって事か?」
「うん。そうなるね」
少しショックを受けつつも千晶の言葉の続きを促す。
「早見千晶は私の本当の名前じゃないの。チアキ・アールディアゴロニス。それが私の真名。貴方の真名がシュウゴ・ディバインクロスであるのと同様に」
「お前はともかく俺の本名は朝比奈秋吾だ。俺にそんな真名はない」
真実と突拍子もない厨二病を同時に話すのやめてくれないかな。真実の方も信じられなくなってくるから。オオカミ少年になっているぞ、お前。ってか魔族の姫君の眷属でディバインはいいのか。ディバインは。
「お前の本名は分かったが、それで、どうして今になってその、眷属……魔族、とやらがお前に接触しているんだ?」
「うーん。それがね。魔界で権力闘争が悪化して私に旗頭になるために帰って来て欲しいんだって。一応、私、姫だから」
「なるほど……」
訳が分からないが、千晶の言葉を信じるのなら筋は通っている気がする。魔界とやらで派閥が闘争を繰り広げているのなら錦の旗になり得る姫、千晶を自陣営に取り込めばそれは大きいだろう。
「……お前は帰るつもりなのか?」
恐る恐る訊ねる。幼馴染みがいなくなってしまうのではないかという恐怖を抱きつつ、日常の崩壊への危惧を孕みながら言った言葉の返事を待つ。
「帰る気はないよ。私は人間世界が居心地いいし」
ホッとした。少なくとも千晶は魔界に帰るつもりはないらしい。だが。
「それでもお前を連れて帰ろうとする奴らが放っておかないだろ」
「そうなんだよねー」
心底、困った、と言うように千晶がため息を吐く。ふむ。千晶に帰る意思はないが、無理やりにでも連れ帰りたい奴らはいるという事か。
「まぁ、私を無理やり連れて行こうとしたなら私も抵抗するから大丈夫。仮にも魔族の姫だからね。そこいらの魔族程度には負けないよ」
「そ、そうなのか……」
そういえば幼い頃から女の子の癖に千晶はやたら腕っぷしが強かったな、と思い出す。あれも魔族の姫だったからという事なのだろう。
「ただねー、厄介な事にさぁ」
「厄介な事に?」
「私の事を殺そうとしている一団もいるみたいなんだよねー」
そんな来週テストだねーみたいな軽いノリで言う言葉じゃないだろう。自分を殺そうとしている奴らがいるという事を。
「一大事じゃないか……なんでまた」
「うーん。自陣営に取り込めないなら相手に味方される前に殺してしまえってヤツ? そんな感じで私の命を狙っている輩もいるらしいんだー」
千晶の口調からは危機感が全く感じられない。それだけに現実味が湧かないがこう言っている以上、事実なのだろう。
「大変じゃないか」
「うん。それで今日はこの家に泊まっていいかな?」
「待て、なんでそういう話になる?」
話は変わるけど、のレベルではない。千晶の命を狙う輩がいる話からどうして俺の家に千晶が泊る話になるんだ。幼馴染みの言動に俺は突っ込みを入れてしまう。
「んー、早見の家にいるとお父さんとお母さん……本当のお父さんとお母さんじゃないけど……を巻き込んじゃうと思うんだよねぇ。そんなんで事件が収束するまではここに泊めて欲しいんだ」
「俺は別に構わんが、俺や瑞穂を巻き込むのはいいのか……?」
「秋吾や瑞穂ちゃんなら若いから私が力を分け与える事も出来るし、そうなればそこいらの魔族や魔物には負けないよ」
力を分け与える? またまた訳が分からない。
「……ってな訳で、しばらくここに居候させてもらうから。よろしく」
なんだかよく分からない内に話がまとまってしまった。
「いや、早見のおじさんとおばさんが黙っていないだろ。年頃の娘が幼馴染みとはいえ、男の家に泊まり込むなんて……」
「お父さんとお母さんは事情を知っているから多分、納得してくれると思うよ。難しいのは瑞穂ちゃんを説得する事の方じゃないかな?」
「確かに……瑞穂になんて言えばいんだ……」
頭を抱える。とりあえず勉強の面倒を見るために千晶にはこの家に泊まり込んでもらう、という事にしておこう、と俺と千晶の間で意見がまとまる。それを妹に告げると、
「む~、お兄ちゃんと千晶さん。ホントにそれだけ~?」
怪しまれた。当たり前だ。
「それだけだよ。千晶の勉強の面倒を俺が付きっ切りで見てやるんだ。早見のおばさんとおじさんも納得済みだ」
これは嘘ではない。スマホで早見の両親に千晶が連絡した所、この話に反対はしなかった。
「付きっ切りで勉強を教えるって……お兄ちゃん、千晶さんに変な事しない?」
「眷属たる秋吾が主である私に手を出す事なんて出来るはずがない」
「しないし、千晶も妙な事言うな。何年の付き合いだと思っているんだ。今更、お前に欲情したりするか」
いや、大きな胸とかには思わず目が行ってしまう所はあるにはあるけれどね。ともあれ、やや強引ながら妹の瑞穂もなんとか説得する事に成功したようだ。
「まぁ、家がにぎやかになるのはいいけど……それじゃあ、晩ご飯作るね」
「私も手伝う、瑞穂ちゃん」
「お願いします、千晶さん」
そう言って台所に向って行く女二人組。ここは男が介入出来ない部分か。俺に料理は出来ないし。
そして、一緒に夕食を摂り、順番に風呂に入り、千晶には一階の空き部屋で寝て貰う事にして使ってなかった布団を引っ張り出して来て千晶の寝る準備を整え、各々が眠りに就いた。
「起きて、秋吾」
睡魔に襲われ意識が落ちたと思ったら声。見れば千晶が俺に馬乗りになっていた。
「ち、千晶! おま……! 夜、男の寝床に来るのもアレだが、その体勢はなんだ!」
「いいから、とにかく起きて。非常事態」
「非常事態……?」
俺の上から離れた千晶を見ながら、俺もベッドから起き上がる。何が起こったというのだ。
「魔物がこの町に放たれたみたい。倒しにいかないと大変な事になる」
どうやら事態は本当に深刻なようであった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!