東京某所、地下。
薄暗いコンクリ打ちの部屋は、当初に比べてずいぶんと寂しくなっていた。
小さな写真立てに飾られているのは、リベルタカスとネーヴェルを含む人類絶滅団幹部たちの集合写真である。
スーツ姿の強面の男が、写真に線香をそなえ静かに手を合わせる。
「……あのふたりには酷いことをした。この俺が自ら出張っていれば……」
人類絶滅団のトップ、覇道怪人ゼスロは心の底から己の判断を悔いていた。
オリジンフォースの力を見誤り、同胞を死に追いやったのは自分だと。
強大な力と暴力性を誇る怪人とて、元は“人”なのだ。
まだ若く将来有望なふたりの仲間を、立て続けに喪って何も思わずにいられるほど、ゼスロはまだ“人”の部分を見失ってはいなかった。
「これも大義のため……とはいえ、割り切れるものではないな」
「それは私に向けて仰っているのですか?」
ゼスロの背後に立つのは闇色の修道服をまとった金髪碧眼の美女である。
光臨正法友人会の代表・光円寺シャリオンは、彼女の持つ表の顔に過ぎない。
その正体は、狂愛怪人メギドーラ。
地下怪人組織・人類絶滅団のナンバー2である。
「私だってこう見えて、ひしひしと責任を感じているのですよ」
「そうは見えんがな。メギドーラ、貴様独断でオリジンフォースに手を出しているそうじゃないか。お前のことだ、仇討ちではあるまい。誰の許可を得て動いている」
「あらあら、ではひとつ教えて差し上げますわ。私の派閥は既にゼスロ派を上回っておりますの。ナンバー2の裁可を待つ必要はありませんわ」
「あいつらの部下を取り込んだのか。やはり食えん女だ」
人類絶滅団において行動の意思決定は原則として合議制だ。
しかし意見が対立した場合は、幹部の序列に応じるという取り決めがなされている。
だが人類絶滅団における幹部の序列は、『幹部を支持する者の数』、すなわち民主制によって決まるのだ。
圧倒的な力でもって支持を集めるゼスロに対し、メギドーラはこれまで信仰によって支持者を囲い込んでいた。
メギドーラはここにアイドル的な人気で一部から熱烈な支持を受けていたネーヴェル、そして未熟ながらも周囲から慕われていたリベルタカスの陣営を抱き込んで、派閥を肥大化させたのだ。
弁の立つメギドーラにとって、頭を失った烏合の衆の吸収など容易いことであった。
これまで彼女が人類絶滅団に付き従っていたのは、利害の一致に加えて、最大派閥であるゼスロ派が実権を握っていたからに他ならない。
「メギドーラ、貴様我らの大義を、怪人王さまより受けた大恩を忘れたか!」
「あなたの大義など知ったことではありませんが。私が私自身の目的を果たすために動いた結果、あなたも悲願を果たせるというのであればなんの文句もないでしょう?」
メギドーラは修道服の裾をつまむと、闇色の笑みを浮かべて踵を鳴らす。
そしてこれ以上話すことはないとばかりにゼスロに背を向ける。
「私はただ『真実の愛』を求め、光へと続く道を往くのみ。ただそれだけなのです。水をささないでいただければ、それで結構ですわ」
………………。
…………。
……。
ヒーロー本部北東京支部。
五人が光臨正法友人会本部を訪れて以来、秘密基地は異様な空気に包まれていた。
「アルティメット濃縮還元水を飲むようになってから、なんだか小官、頭が良くなったような気がするであります! やっぱりDNAが入ってる水は違うでありますな!」
「スナオさん、それDNAじゃなくてDHAじゃありませんでしたっけ。それにほら、そろそろお祈りの時間ですよ。ユッキーさんもほら、ゲームばっかりしてないでお袈裟つけてほら」
「……物欲センサー退散お守りを買ってから、逆鱗も紅玉もぽろぽろ出る……。……効果が切れる前に、クエスト回せるだけ回す……」
スナオ、モモテツ、ユッキーは身体中に謎の魔除けグッズをじゃらじゃらと身につけ、濁り切った目で和気あいあいと盛り上がっていた。
「あいつらいったいどうしちまったんだ……。やっぱりあの宗教団体が原因なのか……? なあいつき……いつき?」
「あ、あの、オリジンレッドさん……! こんなときにアレなんですけど、今度一緒に星を見に行きませんか……!?」
「えええ、ほんとこんなときに何言ってんの……?」
いつきの首にも“アルティメット恋愛成就”と刺繍されたお守りがぶら下がっていた。
そしてやはり他の三人同様に、その目はどこか濁っているようにも見える。
もはや太陽の味方は、いかにも理屈っぽくカルトとは無縁そうな司令官の本子だけであった。
「本子ちゃん、やっぱりあいつらなんかおかしいって。ぜったい光臨なんとか会になにかされたんだって」
「とはいっても我が国では宗教の自由が保証されている。パワハラが叫ばれる昨今の情勢を鑑みれば、個人の思想に上司が口を出すわけにもいかないだろう。仕事も一応きちんとこなしてはいるからな」
本子の言っていることはもっともだ。
あれから何度か小物の野良怪人を相手に緊急出動がかかっていたが、オリジンフォースは難なく撃退に成功している。
だがよくわからない神の名を唱えながら無謀な突撃を繰り返す仲間たちの姿に、太陽の不安は募るばかりであった。
「いや本子ちゃんよく見てよ。これどう見たって洗脳だろ。こうなったら俺だけでももう一度教団本部に乗り込むしか……」
「やめておけオリジンレッド。カルトを洗うのは総務課の仕事だ。私たちヒーローの出る幕じゃない。ヒーローの本分はあくまでも怪人を倒して治安を維持することだろう、違うか?」
「俺たちの治安がいままさに乱されていると思うんだけど」
太陽の脳裏に浮かぶのは、あの優しく微笑む美しい修道女の姿だ。
光円寺シャリオン、度重なる怪人襲撃事件の被害者である。
だがあの日以来、ベルベル兄妹による襲撃は一度も発生していないのだ。
太陽だって怪人事件の被害者を疑うようなことをしたくはないが、あの女が裏で糸を引いている可能性は否定できない。
そんななか、太陽の赤いガラケーがぶるると震えた。
発信者の名前はない、知らない番号だ。
いぶかしみながらも太陽は通話ボタンに指をかけた。
「……はいもしもし?」
『オリジンレッドさんですか? ああよかった、ちゃんと繋がりました。私です、シャリオンです』
「シャリオン……さん? どうしてこの番号を?」
『あら、以前お会いした時に教えていただいたではありませんか。なにか困ったことがあればいつでもどうぞ、って』
そういえばそんなことを言って連絡先を渡したような気がする。
あれはたしか一回目の襲撃ということもあって、シャリオンの美しさに舞い上がっていたときだ。
「えっと、怪人がらみの案件ならヒーローダイヤルにかけてほしいんですけど」
『そうじゃありませんの。今日はあなたにお話があってご連絡を差し上げました』
「……と、いいますと?」
『いつきさんたちのことですわ。少々困ったことになっているのではないかと思いまして』
太陽は秘密基地内でお祈りの儀式を始めた四人に目をやる。
いまのことろあれ以外に“困ったこと”の心当たりはない。
「やっぱりあんたがなにかしたのか?」
『あらやだ、それは誤解ですわ。彼女たちは少し、他の方々よりも感受性が強かったのかもしれません。とりいそぎ、そのことでご相談をさせていただければと思うのですが。今から会ってお話しできませんか?』
「今からですか……?」
太陽はオリジンチェンジャーの時計に目をやる。
時刻はそろそろ18時を回ろうかとしていた、そろそろ日が落ちるころだ。
だがオリジンフォースのメンバーがおかしなことになっていることについてと言われたら、応じないわけにはいかない。
「わかりました。今からそちらに伺います」
『ありがとうございます。ふふ、では光臨正法友人会の本部でお待ちしておりますわ』
突然のシャリオンからの呼び出しに戸惑いつつも、太陽は意を決してバイクの鍵を手に取った。
シャリオンに疑わしいところがあるにせよ、仲間の件でガツンと言ってやるにせよ。
とにもかくにもあの女ともう一度会ってみないことには始まらない。
「本子ちゃん、ちょっと出てくる」
「わかった。緊急出動には対応できるようにしておけよ」
「おうよ」
短いやりとりを済ませると、太陽は北東京支部を飛び出し愛馬に跨る。
太陽のやり場のない気持ちを代弁するかのように、火の入ったV型4気筒エンジンがドルルンといなないた。
………………。
…………。
……。
巣鴨の教団本部は、前回訪れたときとは打って変わってしんと静まり返っていた。
城塞のような本部施設群には明かりが灯っておらず、中央にそびえる教会だけがライトアップされて群青の空に怪しく浮かび上がっている。
開け放たれた教会の扉から察するに、ここから入れということなのだろう。
「……………………」
太陽は息を呑んで教会へと足を踏み入れた。
照らし出された外観とは違い、照明を落とされた教会内を照らすのは燭台が放つ弱々しい蝋燭の炎だけだ。
嫌が応にも警戒心をかきたてられるシチュエーションに、太陽が言葉を発せずにいたそのときである。
バタン、という大きな音とともに、入口の扉が閉じられた。
外からの明かりも差し込まなくなったことで、教会の中はいよいよもって闇の占める領域が増していく。
薄暗闇のなか、その女は祭壇の前でうずくまり、祈りを捧げていた。
「我らは奉じる、恩恵をお与えくださった主の御心に。
我らは浴する、糧となりし命からもたらされる精に。
我らは帰する、魂が紡ぎ出す断ち切り難き絆の円環に。
我らは殉じる、咎を背負いしこの身を以て、真なる愛の探求に」
まるで揺り籠を揺らすように。
その声は優しく、静かに、太陽の耳をこすった。
闇色の修道女は立ちあがると、背を向けたまま太陽に語りかける。
「よくぞおいでくださいました」
「あんたが呼び出したんだろ。それよりこりゃなんだ、なにかの儀式か?」
「…………………………」
彼女は答えない、だが。
しゅるり。
という布の擦れる音が太陽の耳朶を打った。
妖しいほどに美しい女は、ゆっくりと振り返りながら、闇色に染まった瞳を太陽に向ける。
それと同時に肩にかかった修道服が、音もなく彼女の足元におちた。
シャリオンの、傷ひとつない白く瑞々しい肌があらわになる。
「さあすべての準備は整いました」
一糸まとわぬ彼女の肢体は、蝋燭の明かりに照らされ、見る者の脳髄を揺さぶるほどの神聖さを放っていた。
太陽は唾を飲み込むことも忘れて彼女の姿に見入る。
けして見とれているのではない。
混沌と渦巻く異様さのなかで、実在しているのかどうかすら曖昧なシャリオンから目が離せないのだ。
シャリオンは長い舌で、己の唇を丁寧になぞる。
それは、獲物を前にした捕食者が見せる動きによく似ていた。
「私に、あなたの愛を教えてください」
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