トイレから戻ってきた太陽たちを待っていたのは、いつきではなかった。
「お待ちしておりました火野隊長。それと桃城隊員」
抑揚のない、まるで氷のように冷たい声の女だった。
ビシッときめたブラックスーツの上腕には、本部付事務官を示す腕章がかかっている。
太陽とて長く本部直属チームを率いた身だ。
その女の顔には見覚えがあった。
たしか守國長官の秘書だかをやっている女だ。
彼女はご丁寧に部下であろう屈強な男たちを数名従えていた。
「やあ、えっと。誰さんでしたっけ」
「ヒーロー本部長官麾下、筆頭補佐官の鮫島と申します」
女は眼鏡をくいとあげながらそう言うと、片手でヒーロー手帳を開いてみせた。
鮫島朝霞、たしかにそんな名前だったような気がする。
だが問題はそこではない。
大事なのなぜこの鮫島がここにいて、いつきがいないのかということだ。
「なるほどサメジマさんね。それで、俺たちを待ってたってのは?」
「不屈戦隊オリジンフォースの隊員五名について、本部で一時的に身柄を預からせていただきます。蒼馬隊員には既に承諾をいただきました。おふたりもご同行願います」
「だそうです隊長。どうしましょう、スナオさんとユッキーさんも呼んできましょうか?」
「いや待てモモテツ」
いつもの太陽ならば、警戒することもなく指示に従っただろう。
だが今日は違う。
オリジンフォースの隊員たちがヒーロー本部によって人為的に集められた、怪人覚醒しやすい者たち。
いわば守國長官にとっての生きた時限爆弾だということを、太陽はすでに知ってしまっている。
阿佐ヶ谷でその事実を聞かされて以来、太陽はヒーロー本部の人間との接触を極力避けるように心掛けていた。
“裏切り者”は必ず、なんらかの接触をはかってくるだろうという読みからであった。
守國長官の補佐官だと名乗ったこの鮫島が、ヒーロー本部内の“裏切り者”と繋がっていないとも限らない。
「あいよわかった。ちなみになんだけど鮫島さんさあ」
だから太陽は、カマをかけてみることにした。
「それって守國さんからの命令?」
「……………………」
ほんの数拍の沈黙のあと、鮫島はわずかに視線をそらして言った。
「はい、そうです」
嘘だ。
確信に至ったわけではないが、太陽は直感的にそう思った。
この鮫島という女は自分の判断か、あるいはもっと別の誰かの指示で動いていると。
オリジンフォースを巡る策謀の渦中にあって、きっとここは重要な分岐点だ。
身柄を預けるということは、万が一黒幕の手に落ちた際、一切の抵抗を封じられるということだ。
「公園の外に車を待たせてあります。さあどうぞこちらへ」
いまならまだ、選択の余地はある。
果たして、この女を信頼してもいいものか。
「なあ鮫島さん。いつきは先にその車とやらで待ってるのかい」
「はい、もちろん。同行にはご納得いただきましたので」
「じゃあなんでここで待ってねえんだよ。案内すんの二度手間だろ」
「……………………」
信を置けるかどうかはさておき、鮫島がオリジンフォース五人の身柄を押さえようとしていることは間違いない。
ならばいつきと一緒に世間話でもしながら、太陽が帰ってくるのを待っていれば済む話だ。
だがいつきは、先に連れていかれた。
いつきというシンボルマークがなければ、のこのこと太陽がこの場に戻ってくるかどうかもわからないのに。
「鮫島さんよ。いつきは本当に、なんの抵抗もせずあんたの指示に従ったのかい」
「…………はい」
そのとき近場の草むらが大きく揺れた。
「嘘でありますぅーーーーーッッッ!!!!!」
公園内の空気を一変させるような、大きな声が響き渡る。
同時に草むらから、縄でぐるぐる巻きにされ、芋虫のようになったスナオが飛び出した。
「あっ、こら待て!!」
草むらから鮫島が従えている男たちと同じ、黒服の男がスナオを追って転がり出る。
「隊長殿、その人は嘘つきであります! イッチは無理やり連れていかれたであります! ふんぬっ!」
「ぐえええええ!!」
スナオは芋虫状態のまま、器用に飛び跳ねて黒服にドロップキックをきめた。
鮫島一行がその様子に目を奪われ、一瞬生まれた空白を太陽は見逃さない。
「レッド煙幕!!」
すぐさま向き直った鮫島の目の前で、赤い爆発が起こった。
真っ赤な煙が一瞬で辺り一面に展開する。
「モモテツ、走るぞ!」
「了解しました! えっと、どちらへ!?」
「ついてこい、離れるなよ!」
太陽はすぐさまぐるぐる巻きにされたスナオに駆け寄ると、その身体を肩に担ぎ上げる。
そして鮫島たちが煙幕にまかれている隙をついて、広い公園を駆け抜けた。
「申し訳ないであります隊長殿! すぐさま追ったのでありますが、イッチを見失ってしまったであります!」
「いつきがさらわれた方角はわかるか? それにユッキーは? 一緒じゃないのか?」
「それが小官も捕まっていたのでさっぱりであります!」
「……イッチなら、東のほうに連れていかれた……たぶん、野球場があるほう……」
かたわらを走るモモテツの陰から、小さな銀髪がひょっこりと頭を出す。
脚をもつれさせながら走るユッキーを、驚いたモモテツが太い腕で抱え上げた。
「ユッキー、無事だったか!」
「……ずっと隠れてた……怖かった……」
ユッキーは半分泣きそうになりながら、いつも以上に小さな声で呟く。
太陽は確信する。
やはりあの鮫島とかいう女は、とんだ食わせものであったと。
石神井公園の東、野球場付近まで走ったところで、太陽たちの耳に風を切り裂く轟音が聞こえてきた。
見ると野球場の真ん中で、赤と青の原色で彩られたヘリコプターが上昇を開始したところであった。
『垂直離着陸戦隊アパッチファイブ、シックス・ツー。現場を離脱します』
ヘリの中から、地上にいる太陽たちに向かって窓を叩く者がいる。
その顔を太陽が見間違えるはずもない。
かけがえのない仲間にして、命よりも大事な姪、いつきであった。
「いつきィ!!」
「待つでありますイッチ!!」
「あわわわ、イッチさんが……!」
「……イッチ……!」
仲間たちの叫びもむなしく、ヘリは青い空の彼方へと飛び去っていった。
太陽たちはただ、呆然とそれを見送ることしかできなかった。
「大変であります隊長殿! イッチが連れていかれちゃったであります!」
「あわわわわ、まさか本当に誘拐されてしまうだなんて。た、隊長、どうしましょう」
「……たいちょ、やばい……うしろから、さっきのやつらがきてる……」
迷っている暇も、嘆いている暇も、憤っている暇もない。
太陽は赤いマスクをはずすと、仲間たちに向き直る。
汗で少し濡れた、伸ばしっぱなしのひげ。
正義として重ね続けた、年相応に深く刻まれたしわ。
そして、どこまでもまっすぐな、覚悟を決めた男の目。
はじめて目にした隊長の素顔に、三人の隊員は同時に息をのんで言葉を待つ。
彼らの顔をはじめて生で目にした太陽は、ひとりひとりの目を見ながら言った。
「お前たち、傷を負う覚悟はあるか」
短い言葉だったが、それは今までにない、強大な敵に立ち向かうことを意味していた。
「どんな危険が待っているかわからない以上、無理して俺と一緒に来る必要はない。降りたいなら降りてくれ」
「「「………………………………」」」
「だがもし共に来てくれるなら、俺は必ずお前たちを守る。約束する」
仲間たちはお互いの顔を見合わせると、力強くうなづいた。
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