霞ヶ関の警視庁とは皇居を挟んでちょうど反対側にある、千代田区神田神保町。
その中心にそびえ立つヒーロー本部庁舎では、いつもながら多くのヒーローたちが慌ただしく職務にいそしんでいた。
中でも関東一円のヒーローをサポートする情報分析室の忙しさは群を抜いている。
ここでは熟達したオペレーターたちが、24時間休むことなくヒーローチームのバックアップを行っているのだ。
必然、室内では常時無線のやりとりが行われており、正月だろうがお盆休みだろうが警報が鳴りやむことはない。
『西東京より本部。荻窪駅における被災者救助任務にて隊員一名負傷。阿佐ヶ谷に搬送する』
「本部了解。負傷者の識別を送れ」
『西東京了解。識別隊・オリジン、識別色・赤。阿佐ヶ谷到着まで1200』
「本部了解。神保町本部より阿佐ヶ谷、緊急通告。負傷者の受け入れを求む、コードは……」
そんな多忙極まる情報分析室であるからして、職員たちはみな他人のことを気に掛ける余裕などありはしない。
それゆえ影の薄い男にとって、潜入は造作もないことであった。
「本部より小田原。局人災入電につき至急識別隊・ジキハチを現地に派遣されたし。座標を送る」
「おつかれさまでーす」
「はいおつかれさん。続いて本部より小田原。現地の映像から対象を大顎怪人パニックダイルと断定。危険度Cにつき最低2名の隊員を派遣されたし……」
太陽の後輩・栗山は、誰からも咎められることなくオペレーションルームを通り抜け、資料が集積される最奥部・編纂室へと踏み入った。
仮に呼び止められたとしても、本部所属のヒーローである栗山がなんらかの責を問われることはないだろう。
だが今から“やろうとしていること”を考えると、逆に堂々としていたほうが安全だ。
「さてと、手早く済ませちゃいますかね」
栗山の目の前にあるのは、天井付近まで所狭しと積み上げられた紙の山であった。
ヒーロー本部は日本でも屈指の旧体然とした公職だ。
データ管理そのものが五十年前から変わっていない。
クイとかけ直した眼鏡の奥で、泥沼のような瞳が無数のファイルの背表紙を追う。
この中から“黒幕”に繋がる情報を拾い上げることこそ、栗山が情報分析室を訪れた目的であった。
「新部隊名称会議の議事録に……ヒーローが見るべきおすすめ映画……。こっちは十年前の始末書……? くそっ、関係ない資料ばっかりじゃないか! これだから紙媒体は!」
栗山はあれも違うこれも違うと呟きながら、次々とファイルを手に取っていく。
そうして苦戦すること数十分、ようやく目当ての資料を探し当てた。
「ヒーロー試験に関する人事記録……あった、これだ」
比較的新しい情報であるにもかかわらず、そのファイルはまるで隠すかのごとく棚の奥にしまい込まれていた。
それは太陽以外のオリジンフォースのメンバー、四人が選抜された経緯に関する資料。
守國長官の発案により今年度から始まった『ヒーロー試験制度』の記録である。
「受験者総数8924名、合格者数40名。うち四人、それもあれほどのクセモノ連中がオリジンフォースに配属。ここに理由がない……なんてこたぁねえだろうよ」
黒幕の目的は、オリジンフォースに失態を演じさせ、かの隊を後援する守國長官を失脚に追い込むことだ。
そのためかオリジンフォースに対しては、明らかに“ヒーローとして適性の低い素人”が充てられている。
これが人為的なものであれば、人事記録を改めることで裏で糸を引いた者を明らかにできる。
ゆえに太陽から黒幕の正体を探るよう依頼を受けた栗山は、ここに手がかりがあると踏んだのであった。
だがしかし彼が目にした事実は、その思惑を遥かに超えていた。
「これは、どういうことだ……?」
山吹素直、桃城鉄次、烏氷雪見、そして蒼馬いつき。
四人の資料を確認するなり、栗山はその泥のような目を見開く。
彼が目にしたのは、阿佐ヶ谷で行われたヒーロー試験受験者たちの“健康診断の記録”であった。
「ただの無能をあてがうだけならばもっと適任者がいたはずだ。けれどこの数値は……なるほど、そういうことか」
ゴッ!
直後、栗山の後頭部に衝撃が走る。
「ぐぅっ……! てめ……、な、なにしやが……」
栗山はなんとか意識を保とうとするも、ついには書類の山に頭から倒れ込み、眼鏡が床を転がった。
………………。
…………。
……。
同時刻。
ヒーロー本部、阿佐ヶ谷支部。
ここは神保町の本部庁舎の有事に備えた予備施設である。
常に怪人という脅威との戦いを強いられているヒーロー本部は、こういった予備施設を全国各地に複数保持している。
十数分前、荻窪からほど近いこの施設にひとりのヒーローが担ぎ込まれた。
不屈戦隊オリジンフォースのリーダー、オリジンレッド・火野太陽である。
太陽が目を覚ますと、蛍光灯の白い光が目に入った。
ホコリと汗と消毒液の香りが鼻をつく。
「ここは……」
「阿佐ヶ谷の本部予備施設であります。もっと言えば医務室であります」
太陽の腕にくるくると包帯を巻きながら、金髪の女職員が答える。
「スナオ……? お前、現場の後始末はどうした?」
「愚妹がいつもお世話になっているであります」
「……妹?」
そういえばスナオが以前、姉がたくさんいると話していたような気がする。
たしかに瓜ふたつだが、言われてみればスナオと比べていくぶん表情が固い。
「よく間違われるであります。我が山吹一族はみなヒーロー本部の職員でありますからして。小官は医務官として、この阿佐ヶ谷にて従事させていただいているであります」
よくよく見ると、胸から下げているネームプレートには『山吹親切』と書かれていた。
「なんでありますか? 胸ばかりじろじろ見て、いやらしいであります」
「いやその、名前……」
「小官に手を出すのはセクハラであります。とはいえ危険な愚妹の面倒を見ていただいていることも事実でありますからして、ちょっとだけならいいであります」
「え、遠慮しておく」
この親切という女もやはりスナオの姉だけあって、どこか常識から外れているらしい。
だが太陽はそんな彼女の言葉に、ほんの少し違和感を覚えた。
「スナオのやつ、言うほど危険か? そりゃまあたしかにエキセントリックではあるけど」
何をしでかすかわからないという点においては、スナオのことを危険と表現しても差し支えないように思う。
だが“危なっかしい”ならともかく、“危険”というのは随分と物々しいニュアンスが含まれているような気がしてならない。
なんの気なしに尋ねた太陽であったが、意外なことに、親切は心底驚いたような顔を見せた。
「なんと、オリジンレッド殿は胆が据わっているでありますな。さすがは実験部隊を任された隊長殿であります。ふた揉みまでなら許可するでありますよ」
「待ってくれ、実験部隊ってのは“ヒーロー試験”の話だよな?」
「ん? いえ小官はてっきり“怪人覚醒”の話かと」
親切が放ったその言葉に、今度は太陽が驚く。
「怪人覚醒だって?」
ある日突然、なんらかのきっかけで人間から人ならざる者へと変わってしまう。
怪人覚醒のメカニズムとはそういうものだ。
あの狂愛怪人メギドーラ・光円寺シャリオンがそうであったように。
「左様であります。スナオの怪人覚醒率は我が山吹一族でも群を抜いているであります。いつ怪人覚醒に至ってもおかしくない者を手元で従えるなど、誰にでもできることではないでありますよ」
「なんのことを言ってるんだ。あいつがヒーロー試験を突破したのは体力測定の結果がずば抜けて高かったからだろ」
たしかにスナオは身体能力が高い。
だが身体能力だけでは、けしてヒーローは務まらない。
それはモモテツの医療従事者としての経験や、ユッキーの頭の良さにしたってそうだ。
一芸だけで倍率200倍以上の試験を突破できるほど、ヒーローの世界は甘くない。
果たして彼らにヒーローが務まるのかという疑念はたしかにあった。
――しかしその実、まったく別の理由であの四人が選ばれていたとしたら――。
その考えに太陽が行きついたことを見計らったかのように、親切は言葉を続ける。
「健康診断の結果、現オリジンフォースの面々はみな怪人覚醒率が極めて高い数値でありました。小官はてっきり、それで選ばれたものだとばかり思っていたでありますよ」
「いつきも……なのか?」
「四人全員であります。いつ怪人覚醒するともわからぬ者ばかりを集めた実験部隊。それがオリジンフォースではないのでありますか?」
守國長官を失脚させるため、オリジンフォースに失態を演じさせる。
その目的を果たすべく、謎の黒幕は彼らに怪人組織をけしかけていた。
だがもし太陽が黒幕の立場だったとして、そんな不確定なやりかただけに頼るだろうか。
もっと“確実な失態”となりうる方法を模索するのではなかろうか。
たとえば、隊員が怪人と化してしまう、とか。
「……あれ、これ言っちゃいけないやつでありましたか?」
思いもよらない事実に、太陽はしばらく返す言葉を見つけられずにいた。
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