弦ヶ岳本子と名乗った少女は、どーんと平坦な胸を張ると上着の襟についた徽章を水戸黄門の印籠よろしく見せつけた。
その徽章はまぎれもなく『国家公安委員会局地的人的災害特務事例対策本部作戦参謀本部付き部隊司令官』、通称・司令官であることを示すものである。
説明しよう、司令官とは!
作戦参謀本部からもたらされる指令を円滑に遂行すべく、後方から現場の隊員たちを指揮するいわば部隊の頭脳役である。
大抵の場合は退任した元ヒーローが士官課程を経て就任するため、30代から40代後半であることがほとんどなのだが。
太陽の目の前にいる少女は、ずいぶんと若いように思えた。
「えっと……新司令官はベテランの川田さんだって聞いてたんだけど……?」
「前任者の川田は始末書の山を前にして辞表を出したよ。たった一発の必殺技で首都インフラを壊滅させ地域行政を完全にマヒさせるなんて、まったくもって前代未聞だ。君が板橋区の行政に並々ならぬ恨みを抱えているか、さもなくば君の祖先がゴ●ラである以外に説明がつかない」
「隊長殿の祖先がゴ●ラだったら、なんでレッドパンチ撃っちゃダメになるでありますか? 小官よくわかんないであります」
「始末書を2000枚書き上げたってまだ言わせたいのかね君は」
どうやらこの弦ヶ岳本子は、前任者が飛んだことで急遽不屈戦隊オリジンフォースの司令官に抜擢されたらしい。
その原因は言わずもがな、大型爆弾に匹敵する威力を誇るレッドパンチだ。
周囲に甚大な被害を及ぼす太陽の必殺技の威力は、『始末書2000枚分』である。
太陽がこれまでレッドパンチを封じられてきたわけ、そしてレッドパンチを積極的に活用できない理由はまさにそれであった。
本子はずれた眼鏡をかけ直すと、口角をいびつに吊り上げながら隊員たちに問いかける。
「いいかね君たち。ヒーロー本部司令官はみんな利き手に手袋をはめる習慣がある。何故かわかるか?」
オリジンフォースの隊員一同はお互いに顔を見合わせると、黙って首を横に振った。
「手書きなんだよ! 始末書だけじゃない、報告書も経理も日報も全部! 雪山登山用の手袋がないとペンだこが爆発するんだよ! そりゃヒーロー本部だって歴史ある公安組織だ、紙媒体から離れられないという点に関しては致し方ない部分もあるだろうさ。だが前時代的な慣例を頑なに守ることが正義だと思い込んでいるんだよ彼らは。上層部の連中は頭の中に石ころがたっぷり詰まっているか、さもなくば生粋のサディスト集団だ」
前任者から2000枚もの始末書を丸投げされた本子の苦労と絶望は想像に難くない。
いまでさえ泣いているのか怒っているのか、それともすべてを通り越して笑っているのかよくわからない顔をしていた。
「司令官殿、顔が作画崩壊しているであります。いやあー、実に大変な思いをされたのでありますなあ」
「大変なんてものじゃないんだよ。2000枚もの始末書を手書きだぞ? わかるか? 40秒に一枚仕上げても24時間書きっぱなしだ。それを一番上の一枚だけ目を通して『お疲れさま。じゃあ明日は半休でいいよ』とおっしゃったわけだよ我が上長は。わたっ、わたしの、わたしの渾身の力作を、力作をぉぉぉぉ!! だわばああああああ!!! わああああああん!!!!」
我らがオリジンフォースの新司令官殿は、ついにはローテーブルに突っ伏して号泣し始めた。
強烈な一撃の代償は、凶悪な後始末だ。
ヒーローも公権力である以上、人命だけが守られれば万々歳というものではないのである。
無論、それは市街地で戦闘を行った場合の話ではあるのだが。
とはいえ悪の怪人は毎回都合よく採石場に現れてくれたりはしないのだ。
もちろん戦っている最中、急に戦場が荒野へと早変わりするようなこともない。
太陽はくずおれた本子の肩にそっと手を置く。
あまりの痛々しさに同情したわけではない、責任を感じているのだ。
「その……悪かったよ。こっちも手段を選んでいられるような状況じゃなくってさ……」
「ええい優しくするなァ……。私だって理解はしているつもりなんだ。部下の責任を取るのが上司の責任だよ、うん。だけどさァ、初日からこんな……こんなのってあんまりだァ……。君もあんまりだとは思わないか、私は思う……」
「お兄さんがついていってやるから、一緒に児相へ行こう」
「そこは労基だろ!? 私は二十歳だ!! わああああああん!!!」
本子が泣きやむまで、一時間を要した。
それから本子はスナオに付き添われ、顔を洗ってシャワーを浴び、ココアを飲んで仮眠をとり。
高くのぼった日の光がトタンの屋根から漏れはじめたころになって、ようやく隊員たちの前に再び姿を現した。
「あたり散らしてすまなかった。改めて、情報分析室から前日付で不屈戦隊オリジンフォースの部隊司令官に着任した、弦ヶ岳本子だ。安心したまえ、君たちのデータは既にひと通り頭に入れてある」
言葉だけ聞けば『できる司令官』なのだが、幼い容姿と先ほどまでの醜態が相まってもはや威厳もへったくれもありはしない。
なんとも言えない顔をした隊員たちから、ささやかな拍手がおくられる。
「指揮系統を重視する公安組織において上下関係は絶対だ。みな、私のことは司令官と呼ぶように」
「了解でありますツルポン司令官殿!」
「だっ、誰がツルポンだ! 私は上官である以前に、君よりも年上なんだぞ。ヒーロー学校の士官課程だってちゃんと卒業したんだからな」
スナオは悪気があって煽っているわけでなく、天然なのだろう。
ヒートアップする本子を尻目に、いつきが太陽にこっそりと耳打ちする。
「オリジンレッドさん。あの子、本当に大丈夫なんですか?」
「あれでも本部の人選だ。不安はわかるが、さすがにポンコツってことはないだろう」
「だといいんですけど」
「……考えすぎだ」
オリジンフォースは既に素人を四人も抱えているのだ。
未だにヒーロー本部の意図は読めないが、オリジンフォースを積極的に潰そうということはないだろう。
そうは思いながらも、太陽は一抹の不安をぬぐいきれないのであった。
………………。
…………。
……。
都内某所。
薄暗い地下室に、男の話し声だけが響く。
「そう焦るな。アクシデントはあったが、奴らの戦力は把握した。あの程度なら俺が直々に出れば済む話だ。…………ふん、貴様に改めて言われるまでもない。これ以上同胞を失うのは、俺だってごめんだ」
通話を終えると、強面の大男は大きなため息をついた。
スマホを上着のポケットにしまい込むと、かわりに煙草を取り出し火をつける。
灰色の煙が、コンクリートに囲まれた広い室内をゆっくりと満たした。
「ゼスロ様ぁ。いつまであんなヤツの言いなりになってるの?」
光も煙も届かない部屋の隅から、殺風景な地下室には似つかわしくない少女の声が聞こえた。
ボンデージを身にまとった小学生ぐらいの幼女が、革のムチを小さな手でもてあそびながらゼスロに問う。
「2、30人見せしめにして理解らせちゃえばいいじゃん」
「いいかネーヴェル。暴力では真の自由は得られない。ときとして、したたかに立ち回らねばならないこともある」
「やぁーだやだ! ネーヴェルちゃん、まどろっこしいの嫌い! ねぇゼスロ様、次はネーヴェルちゃんにやらせてよ。ね、いいでしょ?」
ネーヴェルはそう言いながら、ゼスロのスーツの袖をぐいぐいと引っ張った。
幼女の目に宿るのは同胞の仇を討とうなどという功名心ではなく、もっと純粋な嗜虐心だ。
しかしリベルタカスというカードを失ったばかりのゼスロとしては、ここで更に仲間を失うことは避けたいというのが本音であった。
返答を渋るゼスロにかわって、もうひとりの“頭目”がこたえる。
「あら、いいんじゃないでしょうか」
薄明りに照らされた金髪碧眼の美女は、屈託のない笑顔でネーヴェルの両肩に手を置いた。
「メギドーラもこう言ってるんだからいいよね! はい2対1でけってーい!」
「頑張ってくださいね、ネーヴェルちゃん。オリジンフォースを倒したら、ご褒美に光臨正法友人会が所有するバイオ養鶏場でとれた新鮮な活性水素卵でオムレツを作ってあげましょう」
「そ、それはいらないわ……」
メギドーラと呼ばれた美女は、笑顔を崩さないまま『あら残念』とつぶやいた。
いかなるときもけして闇色の修道服を脱がない彼女は、まるで地下に咲いた一輪のクロユリのようだ。
柔和な笑みと線の細い体つきは、とても人類絶滅団ナンバー2の実力者とは思えない。
ゼスロは異議を唱えようとするも、ふたりの顔を見て諦めたかのように息を吐いた。
無駄な対立を避けるべく、四頭目の合議によって判断を下すというのが人類絶滅団のルールであった。
とはいえ最終決定権は四頭目筆頭のゼスロにあるのだが。
「ま、見てなさい。へなちょこのザコトンボよりずっと上手くやるんだから。じゃあね~」
ゼスロがNOを突きつける前に行ってやれとばかりに、ネーヴェルは急いで地下室を後にした。
あとに残されたのは眉間に皺を寄せる強面のゼスロと、不気味なほどニコニコした顔のメギドーラである。
「メギドーラ……あまり余計な口を挟んでくれるな。こちらにも段取りというものがある」
「あれがネーヴェルちゃんの愛のカタチですから、仕方のないことです。愛は何をおいても優先されるべきですわ。……それにゼスロさん、お手柄を独り占めしちゃダメですよ」
「子供のうちから強さに味をしめてほしくはないのだよ。増長は、毒だ」
「煙草だって体には毒でしょう?」
メギドーラはゼスロの手から吸いかけの煙草をつまみあげ、コンクリ打ちの床に放り投げる。
「ではお祈りの時間ですので、私はこれで」
部屋にひとり残されたゼスロは、さらに深くなった眉間の皺を指先でなぞる。
床に落ちた煙草の吸殻は、フィルターまで真っ黒な炭と化していた。
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