もう夜も更けたというのに、ヒーロー本部の北東京支部には続々と人が集まっていた。
「西千葉支部所属、粒子戦隊レーザーファイブ。以下五名着陣いたしました」
「おう照本、いっちょ頼むぜ」
「お任せください火野先輩。ビビッと決めるぜ!! ……てか火野先輩、なんすかそのマスクは」
「規則でつけることになってんだよ。隊員に正体明かしちゃいけねえんだとさ。あと悪ぃんだけどさ、俺のことはオリジンレッドって呼んでくれ」
このやりとりも、もう何度繰り返したかわからない。
「オリジンレッド先輩……、うわぁ舌噛むすよこれ。略しておじレッド先輩でよくねえすか」
「いいわけねえだろ、はったおすぞ」
「うひょ、こえええ」
レーザーファイブだけではない、五色戦隊ジキハチマンや温泉戦隊ホッコリジャーなど、関東一円から集められた人員は既に30名を超えていた。
彼らこそ日夜怪人の脅威に立ち向かい、関東圏の平和を守る戦士たちなのである。
そんなヒーローたちがいま立ち向かっているのは、その物量たるや未知の領域に到達しようかという書類の山であった。
「ふぅ、この調子ならなんとか朝までには終わりそうだな」
「いや前代未聞すよ、おじ……オリジンレッド先輩。なんすか始末書4000枚手書きって」
上層部から箝口令が布かれたものの、レッドパンチによる“被害”についてはヒーロー本部内で周知の事実と化していた。
今回のレッドパンチの対価は『始末書4000枚』である。
実のところ、これでも当初に比べればずいぶん減ったほうなのだ。
一度は懲戒免職や多額の賠償金を覚悟した太陽と本子であったが、どういうわけか大幅に減免されることと相成った。
改めて本部から処分の通達を受けたときは、ふたり抱き合って喜んだほどである。
しかしながら被害はさておき、禁止されていたレッドパンチを撃ったことそのものの処分は免れない。
上意下達が機能不全を起こした以上、形式上とはいえ組織としての後始末は必要ということであった。
そうして4000枚の始末書を前にとてもオリジンフォースの面々だけでは処理しきれないと判断した太陽は、急遽援軍を呼び集めたという次第である。
集められたヒーローたちはみな、太陽を慕う後輩たちだ。
関東一円で最年長、二十年のキャリアを誇るベテランだからこそなせるわざであった。
「まあその、今日はいろいろあったんだよ。なぁー頼むぜー、今度奢るからさー」
「へへっ、ごっそさんです。そういやうちの管轄内にオイスターバーできたんすよ。オリジンレッド先輩、牡蠣好きって言ってましたよね?」
「言ってねえよこの野郎。ここぞとばかりに高ぇ飯たかりやがって。本子ちゃん領収書切っていい?」
「切れるわけないだろう。君はあれか、正気で言っているのか」
太陽に一瞥もくれず黙々と手を動かし続ける本子は、コピー機なみのはやさで始末書を仕上げまくっていた。
司令官への就任早々手慣れたものである。
こんなもの慣れたくもないだろうが。
「うーむ……こんな大事なときに連絡がつかねえだなんて。栗山のやついったいどこでなにやってんだ……?」
「クリリン殿ならうちの服部隊長と一緒に男体山に行きましたでござるよ」
「なにそれどういうこと? ……まあいいや、ちゃっちゃと終わらせっぞ」
北東京支部内にはずらりと長机が並べられ、パイプ椅子に座った若手ヒーローたちが慣れない手書きの始末書と向き合っていた。
始末書を書き上げる者のほか、ひたすら用紙を印刷して配布する者、餅つきのようにハンコを押し続ける者など。
自然と役割分担がなされているのは、さすが連携力を重視するヒーローならではといったところか。
もはやヒーローの秘密基地というよりは始末書のライン生産工場である。
ちょっとしたヒーロー大集合だというのに異様なほど地味な絵面のすみっこで、オリジンフォースのメンバーもせっせと書類作業にいそしんでいた。
「…………いたッ!」
「はっ! イッチどうしたでありますか!?」
「負傷者1! 右上肢中指に軽度の胼胝性潰瘍を確認! ただちに応急措置と救急搬送の準備を!」
「落ち着けモモテツ、ただのぺんだこだ。ほらいつき、テーピングしてやるから手ぇ出せ」
太陽はそう言うと強引にいつきの手を取る。
白く細い指に、ペンが擦れた赤い痕がついていた。
「あ、あああの、オリジンレッドさん。自分で、自分でできますから!」
「なに言ってんだ。こっちのほうが早いだろ」
「それは、そうですけど……あっ、あっ!」
ゆでダコのように赤くなりながら、目をぐるぐる回すいつき。
そんないつきの指に、太陽は慣れた手つきでくるくるとテープを巻いていく。
「ん? 顔が赤いな。疲れが出ているなら今日はもう休んだほうがいいんじゃないか」
「しょんなことないですッ!」
「おい暴れるなって、テープがべろんべろんになっちまうだろ」
そんな慌てふためくいつきの肩がポンと叩かれる。
隊員たちのちょっとした騒ぎを見かねた、司令官の本子であった。
「過労で倒れられても困る。君たち四人は無理せず帰っていいんだぞ。それにこれは私とオリジンレッドの不始末だからな。私たちふたりが残って片付ければいい話だ」
「あ、俺は絶対残ってなきゃダメなのね……」
太陽の何気ない一言に、本子の眼鏡ごしの瞳からすっとハイライトが消える。
「無論、事後処理は本来私の仕事だ。強制はしない。君の良心が微塵も痛まないというのであれば、私は黙って己の職責を全うするだけだ。胃にみっつも穴があけば労災も降りるだろう。幸いなことに消化器科と心療内科はどちらも最寄りの駅前にある」
「いやぁーあはははは! ほんとお疲れ様、本子ちゃん! 温かいお茶でも飲むかい? あ、肩凝ってるんじゃない? そぉれ、もーみもみもみもみ!」
「いいんんだオリジンレッド、わかってくれれば。そして過ちを繰り返さないでくれれば、私はそれ以上なにも求めたりはしない。あっはっは……はは……はは……」
「泣くなってほら、肩ぐらいならいくらでも揉んでやるからさ。そうーれ、もみもみもみもみ!!」
太陽は苦笑いしながら、鉄板のように凝り固まった本子の肩を揉みしだく。
しかし数揉みもしないうちに、太陽は本子から引きはがされた。
引きはがしたのはもちろん、いつきである。
「しっ、ししし、司令官は休んでいてください! オリジンレッドさんをそばで支えるのは私の役目です! 私たちだって朝までガンバリます! そうですよね、みなさん!?」
「「「えっ」」」
「私たちオリジンフォースは一心同体ですよオリジンレッドさん! 朝帰り上等です!」
いつきは鼻息あらく拳を握りしめる。
心なしかポニーテールもブンブン揺れているような気がする。
熱意あふれるいつきに釣られて、他の三人も「おー」と拳を突き上げた。
あまり乗り気ではないように見えるのは気のせいだろうか。
「いやあ、正直助かるけど。あんまり無茶すんなよいつき」
「はいっ! 全身全霊、乾坤一擲! 私の持てる力の全てを注ぎ込みます!」
「そこまで気合い入れなくてもいいぞ、これ始末書だからな」
さっそく書類の山を崩しにかかるいつきに触発されてか、スナオ、モモテツ、ユッキーの三人は倉庫の隅で円陣を組んでいた。
「イッチは気合いが入ってるでありますな! ようーし、小官もばりばり頑張って隊長殿にヨシヨシしてもらうであります!」
「自分も負けていられません! 必ずや隊長殿のお役に立って……よ、ヨシヨシを!」
「……スナオ、モモテツ、邪魔しちゃ、ダメ……」
「ぬああ! ユッキー、何故小官を止めるでありますかァー!?」
放っておいたらいつきと太陽の間に平然と割り込みそうなスナオとモモテツの襟をつまむと、ユッキーはギュムムッと眉間にしわを寄せた。
「……たぶんイッチは、たいちょに、恋愛感情を抱いている……」
「なななんと!? そうでありましたか!」
「そうなんですか!? 自分はまるで気がつきませんでした!」
ユッキーにさとされ、スナオとモモテツはこっそりといつきのほうに目をやる。
確かに言われてみれば、いつきはたいそう真面目に書類仕事をしているように見えるが、五秒に一度ぐらい太陽のほうに視線を向けていた。
その視線の熱量たるや、『上司の役に立ちたい部下』以上の気迫がこもっていることは一目瞭然である。
「はわわわわ! ほんとでありました! いつ気づいたでありますか!? ユッキーはすごいでありますな!」
「自分もそういった機微には疎いもので……お恥ずかしい限りです」
「……見てたらわかる……」
「では小官たちの任務は、イッチが隊長殿からヨシヨシしてもらうためのサポートということで、よろしいでありますな!」
スナオの呼びかけに、モモテツとユッキーはこくりと頷く。
背後でそんなお節介連合が組まれたことなど知る由もなく、いつきは黙々と始末書に向かうのであった。
だがしかし。
「……ふぅ、今何時……ひぇっ!」
いつきはオリジンチェンジャーに表示された時間を見るなり、がばっと席を立つ。
「ん? どうしたいつき?」
「いえその、泊まりになっちゃうって、その。おじさ……じゃなくて、家族に電話をするのを忘れてまして……。ごめんなさいオリジンレッドさん、すぐ戻ります!」
いつきは太陽に向かって愛想笑いを浮かべながら、そそくさと倉庫の外へ出ていった。
家族への連絡ぐらいなにも言わずにさっと済ませてしまえばいいのに、律儀な子である。
「そりゃそうだよな。年頃の娘が連絡もなしに朝帰りなんて……はっ!」
太陽は己の真っ赤なガラケーに目を落とす。
いつきが連絡を入れるべき家族とは、“太陽自身”に他ならないではないか。
「おああぁーーーっと! 悪ぃ本子ちゃん、俺もちょっと出てくるわ。家族に電話しねぇと!」
「ああ、君のご家族には申し訳ないと伝えておいてくれ」
太陽はガラケーを掴むと、いつきが出ていったほうとは反対側の裏口から飛び出した。
そんな太陽の様子を見て、スナオ・モモテツ・ユッキーの三人は黙って顔を見合わせながら頷く。
「隊長殿の素性を探るチャンスでありますよモモテツ隊員!」
「で、でもご家族との会話を盗み聞きするのはどうかと……どうしましょうユッキーさん」
「……これもイッチのため……恋は、倫理よりも重い……ADVなら常識……」
「「なるほど!!」」
三人は本子の目を盗み、こっそりと太陽の後をつけることにした。
裏口の扉をそっと開くと、都合のいいことに太陽はちょうど電話中であった。
「……おう、わかった。まあちょっと今日は俺も帰れそうにねえからさ」
『ごめんねおじさん。朝帰りといっても別にやましいことなんてないんだけど、さ。ありがとう、理由、聞かないでくれて』
三人はトーテムポールのように重なりながら、太陽の声に聞き耳を立てる。
しかしさすがに通話相手の声までは聞き取れないでいた。
いっぽうまさか盗み聞きされているなどとは思いもしない太陽は、三人に気づくこともなく通話を続ける。
「そりゃあお前、俺が止めたって引き下がったりしねえだろ」
『それは……そうだけどさ。ねえおじさん。見逃しておいてもらってこんなこと言うのもあれなんだけどさ……。本当は私のことなんか、どうでもいいと思ってたりする?』
「んなこたァねぇよ。どうでもいいわけないだろ、お前は俺の大事な家族なんだから。心配すんな、俺はお前を信じてるからよ」
『うん、ごめんね変なこと聞いちゃって。ありがとう。おやすみ、おじさん』
太陽は通話の切れたガラケーを、しばらくマスクに押し当てたまま固まっていた。
ずっと目の前にいるのだ、信じるも疑うもありゃしない。
結構長い間一緒にいるが、いつきはまだ太陽がオリジンレッドだという事実に気づいていないようだった。
悪気があるわけではないのだが、いつきを騙しているという事実が太陽の胸をチクリチクリと刺し続けていた。
どこか物憂げな太陽の様子を遠巻きに眺めていた三人は、トーテムポール状態を維持したまま緊急作戦会議を開く。
「あの、『俺の大事な家族』がどうとか仰っていたように聞こえたのですが。『俺はお前を信じてる』とも……」
「うむむ。会話の内容から察するに、隊長殿はひょっとして既婚者なのでありますか?」
「……その可能性は、高いかも……これはちょっと、困ったことになった……」
「いやしかし、自分たちの思い込みかもしれませんよ。隊長がご結婚されているとまだ決まったわけでは」
太陽の声しか聞き取れなかった彼女たちからしてみれば、そう誤解するのも無理からぬ話であった。
これはひょっとしたらいつきをサポートするどころの話ではないかもしれないと。
三人はお団子よろしく縦一列に並びながら、お互いの顔を見合わせる。
そんな三人に気づくことなく、太陽は夜風にあたりながら凝り固まった背筋を伸ばしていた。
ついでにマスクもはずせればいいのだが、着用が義務づけられている以上そういうわけにもいかない。
これ以上命令違反を犯して始末書を増やそうものなら、本子が本格的に病んでしまう。
(さてと、いますぐ戻っても怪しまれるからな……一服でもして戻るか……ん? 着信……?)
太陽が再び自分のガラケーに目を向ける。
液晶画面には『義姉さん』と表示されていた。
言わずもがな、富山で娘の帰りを待つあの義姉さんである。
(うおおしまった! いやでも出ないわけには……ええいくそっ、出ちまえ!!)
太陽はほとんど反射的に通話ボタンに指を伸ばす。
少しの沈黙のあと、受話口から聞き慣れた鈴の音のような声が耳に届いた。
『……もしもし、たーくん? いつきのことだけど……』
「いやぁー、こっちでも仕事でいろいろあってさ。どうしても時間が割けないっていうか……」
『そう……週末までにはこっちに戻ってこれそう?』
「あ、いや、えっと。それもちょっと厳しいっつーか……その」
いつきとの会話とは打って変わって、太陽はしどろもどろな生返事を繰り返していた。
通話の相手が入れ変わったなどとは露知らず、三人の部下たちは再び聞き耳を立てはじめる。
だがあまりに前のめりな三人は、背後に迫る“彼女”の存在に気づかなかった。
「むう、よく聞こえないであります」
「みなさん、そんなところでなにしてるんですか?」
「それはもちろん、小官たちはイッチのために隊長殿のプライベートを……ってひょわあああーーーッ! イッチいつからそこにいたでありますか!?」
「あっ、あっ、イッチさん。いまは聞かないほうが……」
慌てふためく三人の対応に疑問符を浮かべながら、いつきは彼女たちが向いていたほうに視線を向ける。
そこでは憧れの人、オリジンレッドが誰かと電話で話している真っ最中であった。
『たーくん……ひょっとしてだけど、いつきのことほったらかしにしてない?』
「そっ、そんなことねえさ! 俺はあいつを自分の娘みたいに…………」
けして三人のように、会話を盗み聞きしようなどと下世話なことを考えたわけではない。
しかしいつきの耳は夜風に乗って届くオリジンレッドの声を、拾わずにはいられなかった。
「愛してるぞ」
いつきが聞き取れたのはその一言だけであった。
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