オリジンフォースを潰そうとしている者が身内にいる以上、自分たちの力で直接黒幕を探るのは危険だ。
幾度となく先回りをされてきたことから察するに、オリジンフォースの動きは黒幕に筒抜けと見て間違いない。
守國長官と連絡を取り合えればベストなのだが、こちらが“黒幕の存在に勘づいた”と知られれば、敵は尻尾を出さなくなるだろう。
黒幕の正体については本来であればシャリオンから聞き出せば済む話なのだが。
おそらくあの様子では、シャリオンも黒幕が具体的に誰なのかまでは知らない可能性が高い。
となれば信頼の置ける第三者に黒幕を探らせるというのが、今現在太陽が打てる最善手だ。
そう考えた太陽は、後輩の栗山を使ってヒーロー本部の内部を調べることにした。
「というわけだ栗山。それとなく本部内の人間をあたってみてくれ」
『そんなこと俺に頼んじゃっていいんですか? 俺がその“裏切り者”とやらと繋がっていたら、火野先輩も守國長官も一巻の終わりですよ』
「クーデターを起こそうとしているやつが、お前さんみたいな陳宮タイプを手元に置くとは思えねえ。逆に自分がいつ寝首をかかれるかわかったもんじゃねえからな」
『おい誰が陳宮だ』
今年度の新人でどの派閥にも属さず、上層部のお膝元である東京本部所属のヒーローであり、かつ上層部から駒として信頼を置かれないほどの野心家となるとこの男しかいない。
「まあそう言うなって、また“さんばる館”のカレー食わせてやるからさ……」
『そうそう、成功報酬はカレー以外でお願いしますよ。さすがに割に合わねえんで』
「ちっ……わかったよ。俺は派閥争いにも出世にも興味はねえ。オリジンフォースさえ守れりゃ手柄は全部お前さんにくれてやる」
『へへ、まいどあり。せいぜい期待して待っていてください』
太陽は栗山と二、三、言葉を交わすと通話を切り、ガラケーを上着のポケットにしまいこんだ。
…………。
北東京支部でシャリオンの一件があってからのち。
太陽がようやく帰路についたころ、時刻は深夜2時に迫ろうかとしていた。
ヒーローという職業柄、緊急出動があった日は残業が常である。
そのぶん出動の無い日は比較的自由に時間を使えるのだが、いかなる時も気を抜けないのがこの仕事の辛いところだ。
太陽は久々にマスクを外し、夜風にあたりながら伸び放題になっているヒゲを軽くなでる。
ふと見上げると、遠目に見えるマンションの一室から明かりが漏れていた。
「ん? いつきのやつまだ起きてるのか……?」
玄関のドアを開くと、リビングのテーブルでなにやらごそごそしているいつきの背中が目に入った。
「あー、ただいま。いつき?」
「うわわっ! おじさん!?」
肩をびくっと震わせ、くるりと振り向いたいつきの顔を見て、太陽はぎょっとした。
まず目に入ったのはおもちゃのような原色を放つ唇。
そしてまばたきをすれば飛んでいきそうなほど長いつけまつげ。
白塗りの上からまん丸に塗られた日の丸のようなチーク。
それから映画に出てくるゾンビを彷彿とさせるアイシャドウ。
いつきの顔はまるで、遊園地で風船を配っているピエロのようであった。
「おかえり、おじさん……」
「お、おう。ハロウィンにはちょっと早いんじゃないか?」
「やっぱり口紅の色、ちょっとキツすぎるかな……?」
「いつき、まずはゴールを示してくれ。お前が何を目指しているのかはよくわからないが、問題はもっと大きなところにあるとおじさん思うんだ。とりあえず顔を洗ってこい」
いつきを洗面所に追いやったあと、太陽は乱雑に散らかった化粧品を片付ける。
そのときふと、テーブルの上に開かれた雑誌の見開きに目がとまった。
“超絶めちゃカワ! あの人のハートを射止めるナチュラルメイク術!”
こんな夜遅くまで、いつきは本を見ながら化粧の練習をしていたらしい。
しかし雑誌のモデルと比べるとずいぶん個性的というか、少なくとも自然ではなかったように思う。
あれではハートを射止めるどころか、相手の心臓が止まるのではなかろうか。
「うう……なんで上手くいかないの……?」
いつきがポニーテールを萎びさせ、洗面所から戻ってくる。
装甲板のように厚い化粧をごしごし落としたせいか、その顔はほんのり赤くなっていた。
「いつき、明日も早いんだろ。馬鹿なことやってないでさっさと寝ろ」
「おじさんにはわかんないかもだけど、私にはすっごく大事なことなんだよ!」
「へいへい、どうせおじさんには理解できませんよ……」
嘘である。
いつきが急に化粧をしはじめた理由を察せないほど、太陽は無頓着ではない。
(どう考えても“アレ”だよなあ……)
シャリオンの一件で太陽が抱えた問題は黒幕だけではないのだ。
太陽の脳裏で、つい数時間前の出来事がまるで映画のワンシーンのように再生される。
『愛してるぞ、いつきいいいいいいい!!!』
『……私も、愛していますっ……!』
すべては愛する家族を救うため、無我夢中で放った魂の叫びであった。
もちろん、太陽が申すところの“愛してる”とは叔父と姪として、大切な家族に向けた愛であることは言うまでもない。
だがオリジンレッドが実の叔父・太陽であることを知らないいつきからすれば、この言葉は男から女に向けた“愛の告白”以外のなにものでもない。
いや、もろもろ解釈のしようはあるのだろうが、彼女の目にそう映ったことだけは事実だ。
いつきの中では既に、オリジンレッドと相思相愛という図式が成り立っている。
空虚なキャンバスに描かれた夢が、いよいよもって現実味を帯びてきたのだ。
だが当事者たる太陽だけは、その先に待つ破滅的な結末を知っている。
オリジンレッドといつきは、けして結ばれることはないと。
「あ、あの、よ……いつき」
「ん? どうしたのおじさん?」
「いや、その……」
なにも知らない小さな背中に思わず声をかけたものの、太陽は言葉に詰まる。
いまこの場ですべてを打ち明けたところでどうなるというのか。
破局の訪れが早くなるか遅くなるか、ただそれだけの違いでしかないのではないか。
「……なあ、知ってるかいつき。足の指を揉んでから寝ると血行が良くなって肌に良いらしいぞ」
「えっそうなの!? わかった、いっぱい揉んでから寝るね! おやすみおじさん!」
「お、おう。おやすみ……」
揺れるポニーテールが、寝室のドアの向こうに消える。
太陽は結局、なにも話すことができなかった。
「いったいどうしろってんだよ……」
太陽はベランダに出ると、おもむろに煙草をくわえた。
普段はなるべく吸わないようにしているのだが、今日ばかりは自分を傷つけたい気分だった。
星ひとつない曇り空の下、街灯の明かりに照らされた煙をゆっくりと目で追う。
あの街灯の下で十年ぶりにいつきと再会したのだ。
亡き兄が遺した、忘れ形見の少女と。
「……………………」
いつきの夢と希望を奪うことはしたくない。
しかしこれ以上、嘘をつき続けることに限界を感じているのもまた事実だ。
もしも誰かに相談できれば、少しは気もまぎれようものなのだが。
こんなことを話せる相手なんて、世界中どこを探したっていやしない。
そんなことを考えながら、太陽は欠けた月を見上げた。
まさに、そのときであった。
ヴヴヴヴヴ……。
上着のポケットで、真っ赤なガラケーが震える。
「着信……? 誰だこんな時間に……」
時刻は既に深夜の2時を回っている。
こんな時間に電話をかけてくる同僚や後輩はいない。
解像度の低い液晶画面には、発信者の名がはっきりと表示されていた。
太陽は意を決し、通話ボタンに指をかける。
『もしもし、たーくん?』
「……義姉さん。どうしたのこんな時間に?」
通話の相手は、太陽といつき、双方の事情を知るただひとりの人物であった。
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