大切な人と会う。
ただそれだけのために親と喧嘩して富山から東京まで出てきた姪が、いま太陽の目の前でぎこちなく微笑んでいた。
無論、ここは出会いを求める若者が集まるクラブでもなければ、怪しげな宗教勧誘を行う事務所でもない。
おんぼろな廃墟じみた倉庫ではあるが、ギャングの溜まり場でも、マフィアの取引現場でも、悪しき怪人たちの根城でもない。
正真正銘、日本の秩序と国民の資産を守る、国家公安委員会ヒーロー本部の北東京支部である。
そんなところに、なぜいつきがいるのか。
理由はただひとつ、彼女が“オリジンブルー”だからである。
何故そんなことになっているのか、太陽には皆目見当もつかない。
しかし今しがた彼女自身がそう名乗ったではないか。
その証拠に、彼女の左手首にはオリジンフォースの隊員しか持ちえない“オリジンチェンジャー”が装着されていた。
「おおお、おりじんぶる?」
「あの……オリジンレッドさん……?」
まるで2、3世代古いパソコンのように固まる“オリジンレッド”の赤いマスクを、いつきは心配そうに覗き込む。
もちろん、いつきはオリジンレッドの正体が太陽であることなど知る由もない。
日夜お役所でハンコをぽんぽん押しているだけの公務員だと思っているはずだ。
それに知っていればわざわざ叔父と会うために“進路のこと”で義姉さんと揉めたりはしないだろう。
(どうしても会いたい大切な人って……まさか……)
太陽の脳裏に、十年前の記憶が蘇る。
はっきりとは覚えていないが、彼女を安心させるために『ずっとそばにいる』みたいなことを口にしたような気がする。
甘い言葉で少女を食い物にしようとする極悪人のほうが、まだマシだったかもしれない。
太陽の頭の中では複雑なパズルが組み上がるように、ひとりの男の姿が像を結ぶ。
「俺かああああああああああああああああ!!!!!」
「オリジンレッドさん!? どうしたんですか突然!?」
「いや、なんでもない! 気にするな、いつき!」
なかば放心状態の太陽は、思わず彼女の名を口にした。
“オリジンブルー”とだけ名乗った少女は、自分の名を呼ばれたことに驚いたのか、目を丸く見開き口を金魚のようにパクパクさせる。
幼さの残る顔は、あっという間に耳まで赤く染まっていく。
いつきは胸に手をあて呼吸を整えると、微かにうるんだ瞳を太陽の赤いマスクに向けた。
「いま、私の名前……」
「あ、えーと、これはそのあれだ。ひっ、久しぶりだな!」
「オリジンレッドさん……。私のこと、覚えていてくれたんですね……!」
大きな目から一瞬流れた雫は、すぐに己の胸元へと消えた。
感極まって勢いよく胸に飛び込んできた姪を、太陽はかろうじて受け止める。
同時に白く細い腕が太陽の脇腹を通して背中に回され、強く握られた手がおろしたてのベストにしわを作った。
大人たちが愛するものをその腕に抱くときとは違う。
幼い少女が怖い夢を見て親に抱きつくような、がむしゃらでまっすぐな抱擁であった。
「嬉しいです……絶対に忘れられてるって思ってたから……」
「あ、ああ、もちもちもちろんじゃないかァ!」
そのとき太陽の口から出たのは、彼女の叔父ではなく“オリジンレッド”としての言葉であった。
忘れるもなにもほんの十二時間前、数年ぶりに再会したばかりである。
だがいつきにとっては十年ぶりの再会なのだ。
十年前、太陽が放った一言は幼い少女の心に根を張り、すくすくと育っていた。
太陽自身があずかり知らぬところで、十年という時の流れをものともせず。
思わず自分の正体を伏せてしまった太陽を、いったい誰が咎められようか。
十年だ。
17歳の少女にとって人生の半分以上を占めるほどに抱き続けてきた夢を、無情にも打ち砕く勇気など誰にだってありはしない。
無論、彼女の叔父である太陽にも。
長い睫毛を涙で濡らし、満面の笑みを浮かべるいつきを前に、救いようのない現実を突きつけることなど太陽にはできようはずもなかった。
「オリジンレッドさぁん……!」
「よ、よぉーしよし。いい子だいつき、そろそろはなしてくれ」
「はっ! ししし失礼しました!」
いつきはようやく太陽を解放すると、涙と鼻水をぬぐってビシッと音が聞こえるほどの敬礼をする。
「改めまして、本日より不屈戦隊オリジンフォースの一員としてお世話になります。オリジンブルー、蒼馬いつきです!」
もはや疑う余地などありはしない。
いつきは他ならぬ“オリジンレッド”と会うために、ただそれだけのために“オリジンブルー”の名を得て太陽の前に現れたのだ。
オリジンレッドが自身の叔父、火野太陽であることなど知らずに。
太陽は混乱する頭をなんとか支えるように、己の顔面を覆う赤いマスクに手を添える。
いまの太陽はいつきの叔父ではない、二十年のキャリアを誇るベテランヒーロー・オリジンレッドだ。
話すべきことは山のようにあるが、少なくともいまこの場で素顔を明かすことは愚策だろう。
幸いにもマスクで声がこもっているせいか、いつきに正体はバレていない。
太陽は蚊の鳴くような小さな声で「うん。よろしくね」とだけ応えた。
「ところでオリジンレッドさん、どうしてマスクを?」
「これはあれだ、常在戦場の心構えってやつだ」
「なるほど、じゃあ私も」
「それはやめたほうがいい」
かたや十年ものあいだ憧れ続けた相手との対面。
かたやけして正体を明かせなくなった身である。
とんとんと会話が続くはずもない。
「……………………」
「……………………」
ふたりの間を、気まずい沈黙が流れた。
行き場をなくした視線が、錆びたトタンの壁を這う。
古びた倉庫内は、外見通りのボロさであった。
ソファにはうっすらとホコリが積もり、錆びたトタンの壁際にはいったいなにに使うかわからない大きな機械が並んでいる。
間をもたせるためにコーヒーを入れようにも、給湯室がまともに使えるかどうかすら怪しい。
切れかけた蛍光灯の明かりが、赤いマスクと青みがかったポニーテールを照らしていた。
(さてどうしたもんか……)
一応の落ち着きを取り戻した太陽が考えるのは、もちろんいつきのことだ。
無論、太陽にとってオリジンフォースの復活は悲願である。
背を預けられる仲間は喉から手が出るほど欲しい。
しかしそれが自分の姪となると話は別だ。
他人ならば構わないというわけではないが、怪人を相手取るヒーローの職務には相応の危険が伴う。
太陽だって自分の近親者を、それも兄の忘れ形見をわざわざ危ない目にあわせたいとは思わない。
なにより太陽は、ヒーローとして生きることの厳しさを誰よりもよく知っていた。
(問題は……どうやって諦めさせるかだな)
太陽の腹は既に決まっていた。
いくらなんでも、守るべき大事な姪っ子に背中を預ける馬鹿はいない。
いつきがどういった経緯でヒーローの肩書きを手にしたかはわからないが、彼女の動機が“オリジンレッド”であるならば、その道を絶つのもまた太陽の役目だ。
甘さを理由に若者の将来を摘み取るのは、けして褒められた大人の姿ではないだろう。
自分本位であることは重々承知の上ではあるが、太陽は自分自身の身勝手さに嫌気がさした。
だが実家で待つ義姉のこともある。
オリジンフォースだって、きっとほかの三人がいれば上手くやっていける。
いつきをこの舞台から降ろすのが遅れれば、そのぶんだけ彼女を傷つけることになるだろう。
やるなら早いに越したことはない。
せめて正体を明かすことなく、オリジンレッドとしていつきに違う道を示せればよいのだが。
太陽はそんなことを考えながら、じっといつきに視線を送る。
とうのいつきは沈黙に耐え兼ねてか、右に左に目を泳がせながらもじもじしていた。
赤いマスクのおかげで表情を見られることはないが、太陽の全身から放たれる圧や視線を感じずにはいられないのだろう。
「……みなさん、遅いですね」
たまらずいつきが口を開いた、そのときであった。
ビゴーンビゴーンビゴーン!!
壁際を占領していた大きな機械が、けたたましい音で鳴り響いた。
同時にふたりの腕に装着された“オリジンチェンジャー”のランプが明滅する。
「なっななななんですか!?」
「落ち着け、局人災警報だ!」
実のところ、慌てふためいていたのはいつきだけではない。
(よりにもよってこのタイミングかよォーッ!)
まるではかったかのような怪人の出現に、太陽は赤いマスクの下で唇を噛む。
顔を見られていたら一発で失望されそうな狼狽っぷりである。
いつきの問題も去ることながら、まだ新しい司令官はおろか他のメンバーとの合流もできていない状況なのだ。
つまるところ、いま管轄区内で怪人に対応できるのは太陽といつきのふたり。
いつきを戦力とカウントするわけにはいかない以上、いますぐ怪人に立ち向かえるヒーローは太陽しかいないということになる。
「オリジンレッドさん、どどど、どうすれば!?」
「いいから落ち着けェ! 深呼吸だ!」
「はいっ! すぅーーーッ」
太陽は動揺を悟られないよう、慎重にオリジンチェンジャーを操作する。
すぐさま空中に映像が浮かんだ。
北東京管轄区全体の平面地図に赤い点が示されている。
同時に表示された空撮動画には、黒いタイツの集団が市民を襲っている姿が映し出されていた。
オリジンチェンジャーを通して東京本部のオペレーターとの通信が繋がる。
『こちら情報分析室。オリジンレッド、聞こえるか』
「聞こえてるし見えてる。状況は移動しながら確認するから送っておいてくれ」
『了解した』
なにはともあれ、仕事である。
無論たったひとりで怪人の集団に突っ込むつもりはないが、近隣チームが到着するまでの時間稼ぎぐらいはせねばならない。
ボロ倉庫を飛び出した太陽は、二十年間愛用している支給品のバイクにまたがった。
オリジンフォースの再結成に伴って新たな乗り物も用意されると聞いているが、今日のところはこいつに頼るしかない。
「よっしゃあ! オリジンフォース、行動を開始するぞ!」
「待ってください!」
ドルルンとエンジンが鳴いたところで、太陽は呼び止められた。
振り返ると、安っぽい工事現場用のヘルメットを被ったいつきと目が合う。
「なにしてるんだいつき!?」
「私も行きます」
「ばかを言うな、お前は留守番だ」
「私もオリジンフォースの一員です!」
そう言うと、いつきは手首に装着したオリジンチェンジャーを構えてみせた。
だが正直なところ、太陽としてはそんな姪の姿に頼もしさよりも心配が勝る。
「……ひとつ教えておいてやる。そいつは付ける向きが逆だ」
「あえっ?!」
「いいから待ってろ。すぐ戻るからよ」
太陽が問答無用と言わんばかりにアクセルをひねると、バイクは荒馬のように大地を蹴った。
背後でいつきがなにか叫んでいたが、エンジン音にかき消される。
いつきの姿と北東京支部のおんぼろ倉庫は、サイドミラーの中であっというまに小さくなっていった。
「気合入ってるところ悪いけど、そりゃ無理ってもんでしょうよ」
呟くような太陽の独り言も、V型4気筒のあらいパルスに飲まれた。
怖いもの知らずであった若い時分ならばともかく、いまの太陽に複数の怪人を相手取りながら“おもり”までする余裕はない。
初陣でのスクランブル、他の仲間のサポートも無しとなれば当然の判断だと、太陽は自分に言い聞かせた。
残酷ではあるが、ヒーローの職務とはヒーローに憧れる少女が思い描くほど華やかでもなければ、容易でもないのだ。
太陽は遠くに立ち昇る煙を目指しながら、迷いを振り払った。
戻ったら、いつきに必ずちゃんと伝えなければいけない。
間違ってもヒーローなんかになるなと。
ピピッ。
電子音とともに、オペレーターから再び通信が入る。
『オリジンレッド、先に伝えておくことがある。現在怪人は人質を取って赤羽駅前のターミナルを占領している』
「一般市民を盾にしていやがるのか、そりゃちょいと厄介だな。こちとらまだ仲間の顔も知らねえってのに。よし、オリジンフォースの隊員たちを指定地点に誘導してくれ」
ひとりで怪人を相手取るに際してネックとなるのは、手の足りなさからくる戦略の幅の狭さだ。
怪人の鎮圧だけならばともかく、市民の救出を伴うとなると仲間との連携が必須である。
となれば、基地での顔合わせとはいかなかったが、現場で他のメンバーと合流するのがもっとも有効だ。
だがオペレーターの女性はとても言いにくそうに言葉を続けた。
『……それが、人質となっているのは君の仲間たち。オリジンフォースのメンバーだ』
「マぁジか……」
燃え盛る現場は、もう目の前に迫っていた。
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