【スペリオール-ミシガン】
1945年5月22日
ダルースで本郷達と別れた後、<宵月>はスペリオール湖東方へ向けて針路をとった。速度は33ノットで、いわゆる最大速力だった。沿岸部を右舷に見ながら、ノースカナルまで水上航行で向い、そこから離水し、魔導機関による航空推進に切り替えた。そしてポーテージ湖へ続く水路を下方に睨みながら南東へ進み、キーウィノー湾で再び水上航行へ戻った。
難関は、ダルースを出港してから5日後に訪れた。スペリオール湖からミシガン湖へ渡るため、<宵月>はアッパー半島上空を渡らなければならなかった。離水予定域はスペリオール湖中央部、最南端にあるグランド島沿岸に定められている。そこから真っ直ぐ南へ針路をとり、約40マイル、64キロを一気に飛行し、縦断する必要があった。途中で<宵月>、より正確にはネシスを休ませることが可能な水源はほとんど存在しなかった。あったとしても、そこは魔獣の縄張りに含まれており、着水後の交戦は避けられないものと考えられた。下手をすれば、湖とは名ばかりの池のような水源で魔獣相手に戦う羽目になる。いかに<宵月>でも身動き取れなければ、なぶり殺される展開しか望めないだろう。
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遠ざかるラビットリバーの河口が艦橋から見て取れる。現在、周辺の視界は良好とは言い難かった。薄い霧がかかり、数キロ先を視認するのがやっとだった。艦橋内にいた<宵月>副長の興津大尉は、念のため電測と水測両方の部署に高声電話をかけた。
答えは直ぐに得られた。
周辺に脅威は認められず。
「拍子抜けするほどですね」
興津は呟いた。聞きようによっては落胆ともとれるが、本心では安堵していた。
先ほどまでの緊張が遠い過去のように感じられる。たった今、<宵月>はアッパー半島の縦断を終えたところだった。その船首はミシガン湖の水を切りさき、シカゴへ針路をとりつつあった。
「よもや、ここまで接敵もなく来ようとは……いささか不気味にすら感じます」
興津は首からかけた双眼鏡を対岸に向けた。やはり魔獣の姿は見当たらない。
ダルースを出港してから五日経とうとしていたが、<宵月>は戦闘らしい戦闘を行わずにミシガン湖到達した。もちろん電探と水中聴音機を用いて、周辺を捜索したがまともな脅威は認められなかった。せいぜい、沿岸部に迷い込んだトロールに砲弾を見舞ったくらいだった。
艦長席で儀堂少佐は小首をかしげた
「ヒュドラは水棲だが、沿岸部の水深の浅いところが生息域だ。付け加えるなら湖よりも沼地で目撃されることが多い。サーペントは古代の伝承にある通り、海でしか遭遇例がない。恐らく、あの巨体を維持するのに湖だと何かと苦労するのだろう。肉食性だからな。クラァケンに至っては、そもそも淡水では生息できない」
経を唱えるように儀堂は言った。
「ワイバーンやドラゴンは、恐らく北部へ集中しているのだろう。無線傍受を為る限り、オンタリオ戦区の英国陸軍が大規模な空襲を受けたらしい。つまり――」
そこで儀堂はふと自分に艦橋内の視線が集まっていることに気がついた。
――まったく、オレとしたことが……。
思わず、口元を歪めた。儀堂の言葉に特に意味はなかった。彼自身、連日肩すかしを食らったような心境に飽き飽きしていたのだ。要するに婉曲な愚痴を言っていただけだった。今更止めるの癪だったので、儀堂は続けることにした。
『つまり<宵月>は台風の目じゃな?』
耳元のレシーバーからネシスが割り込んできた。高声変換されているおかげで、得意げなさまが脳内で鮮明に描かれた。率直に、この野郎と思いつつ、儀堂は肯定した。
「そう、台風の目だ」
願わくばシカゴBMに辿り着くまで、嵐と無縁でいたかったが、それはすぐに儚くも散った。
『反射波あり。本艦30度、距離1万5千。大規模な飛行型魔獣の編隊と推測する』
『ギドー、妾たちの迎えが来たようじゃ』
電測室の報告と同時にネシスが愉しげに言った。儀堂は少し考えると、総員戦闘配置を命じた。
一時間も経たずして、対象の正体が判明した。霧のせいで形状の判別はつかなかったが、攻撃手段から直ぐに特定できた。
紫色の火炎が霧の先の周辺の水域でまき散らされた。
「黒テングか……」
儀堂は眉間に皺を寄せた。デビル型飛行魔獣だった。内心で舌打ちをする。よりにもよって一番当たりたくない相手だった。
「ネシス、聞こえるか」
『準備は出来ておるぞ』
ネシスは鼻歌交じりに応じた。
「わかった。やってくれ」
『任せよ』
同時に<宵月>の船体を包むように赤い方陣が展開された。
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