【東京 世田谷 昭和20年1月10日 朝】
儀堂家を訪れた2番目の訪問者は御調少尉だった。日に二度も女子の訪問を受けるとは、ある種において男子の本懐なのかもしれない。
「迎えに参りました」
「迎え? なんのことだ?」
「六反田少将のご命令です。あなたを横須賀へ連れて行くようにと」
「横須賀に? いや、それは困る。私は今日海軍省へ――」
「ご安心ください。海軍省へは話を通してあるそうです」
御調少尉は誰もがため息をつくような笑みを浮かべた。改めてみると、なかなかの器量だと気がつく。日本人離れした切れ長の瞳、その右側の目元には泣きぼくろがある。ほっそりというより、引き締まったな印象を持たせる体型だった。恐らく姿勢によるものだろう。多くの軍人同様、彼女の姿勢は全く整ったもので隙がなかった。
「そうなのかい? いったい何の用で横須賀に?」
「あいにく、ここでは申し上げられないのです」
軍機に関わることなのだろう。儀堂は無駄な追求はしないことにした。
「わかった。しかし横須賀は遠いな……。なるべく家を空けたくないのだが――」
ここから横須賀まで車を使ったとしても3時間はかかるだろう。行き帰りだけで、半日は消費される。
「なぜですか?」
「君の上官が押しつけた面倒が問題なんだよ」
ちょうど朝ご飯を食べ終わったらしい。その問題が居間から出てきた。
「誰じゃ? なんだ昨日の女官か?」
「女官ではありません。私は特務士官です。なるほど、先に言っておくべきでした。彼女のことならば心配無用です」
「どういうことだい?」
「お二人とも横須賀へお連れするよう、仰せつかっておりますので」
三十分後、身支度を済ませた儀堂とネシスは外に出た。家の門をくぐると昨日と打って変わり、ジープでは無く高官用の黒塗りのセダンが停まっている。
「さあ、行きましょう。時間がありません」
御調は二人が乗り込んだのを確認すると、運転手にだすよう命じた。
【横須賀 昭和20年1月10日 昼頃】
儀堂とネシス、それに御調少尉を乗せた車が横須賀についたのは昼前となった。
車は護衛総隊司令部の前を通り過ぎていく。後部座席にいた儀堂は身体を起こし、運転手へ話しかけた。
「おい、君。ちょっと待ってくれ。EFを通り過ぎたぞ」
「我々が向っているのはEFではありません」
代わりに御調少尉が返答する。彼女はバックミラー越しに、あの切れ長の眼を向けていた。
「では、どこだ?」
「ほどなく着きます。おそらく大尉は何度か訪れたことがあるのではないでしょうか」
御調少尉の言う通りだった。車は数分も経たずして、目的地へ着いた。そこはEF司令部のすぐ近くにある施設群だった。なるほど、確かに儀堂はここへ何度か足を運んだことがあった。
「ずいぶんと騒がしいうえに、ものものしいのう」
ネシスが目を丸くして言った。なにやらワクワクしている様子だった。無理もないかもしれない。
金属音があちこちではじけ飛んでいた。電動カッターに、ドリル、そして大型ハンマーを手にした工員たちが、鉄板を介して演奏を繰り広げている。空を見上げれば、ガントリークレーンの超大型フックがレールに導かれて、行き交っている。太古の草食恐竜を思わせる勇壮にして躍動感にあふれた重機の楽園だった。童子の大半が心をくすぐらせ、胸を踊らせる情景だ。
横須賀、海軍工廠。
かつては横須賀造船所と呼ばれていた。その源流は幕末まで遡る。江戸幕府の勘定奉行小栗忠順が仏国の技師レオンス・ヴェルニーを招き、横須賀製鉄所として開設したのが端緒だった。その後、戊辰戦争の前に造船所として施設拡張を企図するも、大政奉還と共に空中分解するところだった。しかし明治政府によって、横須賀製鉄所は造船所として息を吹き返すことになる。当時参与であった薩摩藩士、小松帯刀の卓見によるものだった。小松は島嶼国家の日本が近代に於いて歩むであろう道筋を見抜いていた。小松がオリエンタル・バンクの融資をとりつけ、最終的に横須賀造船所として1871年に完成された。その後、海軍省直下の施設となり、現在に至っている。
横須賀海軍工廠には国内随一の船渠があり、黒鉄の城をいくつも生み出してきた。今なお一線で活躍している航空母艦<飛龍>や<翔鶴>もここの出身だった。
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