【駒沢練兵場 正門前】
練兵場の正門には、二人の海軍士官の姿があった。
「貴様のところの親分は、ただもんじゃねえな」
衛兵に見送られながら、戸張は言った。その横で儀堂は小首をかしげていた。
「どういう意味だい?」
「陸さんの演習場を間借りするなんて、うちじゃ絶対に湧いてこねえ発想だぜ。上の連中、陸さんに頭を下げるくらいなら専用の施設をつくっちまったほうがマシだとか言い出すぞ」
戸張の感想に意外さを覚えつつも、儀堂は納得していた。陸軍士官を父親に持つ彼からすれば、海軍と陸軍の確執はどこか遠くに感じられていた。
彼の父は得難いことに、陸海で多くの知古を持つ人物だった。幼い頃、白服の高官が彼の家をしばしば尋ねてきた。そういうとき儀堂の父は書斎で秘蔵のシングルモルトを開けて、語り明かしたのだ。
そのような原体験を持つ儀堂にとって、陸海軍の溝は知識として認識するレベルに過ぎなかった。
「どういうわけか、六反田閣下はやたらと顔が広いからねえ」
わずかに過去を振り返りながら儀堂はこたえた。
「らしいな。それにしても助かったぜ。まさか、シロのやつが数週間であんなにでっかくなるとはな。お前さんには迷惑かけちまってすまねえな」
珍しく殊勝な戸張に、思わず儀堂は苦笑してしまった。
「別にオレは迷惑じゃないよ。大半の世話は、小春ちゃんとネシスがまかなっているからね。それに御調少尉も助けてくれている。君はオレじゃ無く、小春ちゃんにこそ頭を下げるべきだな」
痛いところを突かれたように顔をしかめた。
「言うな、言うな。わかっている。だから、こうやって交代に来たんだろう。オレだって悪かったと思っているんだ。でも、言っちゃあなんだが、アイツはむしろ自分から世話をやいている節があるんだぜ。それにシロのやつも最近じゃ、すっかりアイツになついちまって、オレのことを見向きもしやがらねえ。つれねえヤツだ。小さい頃はあんなにかわいがったのに」
「無理もないだろ。君が小春ちゃんに任せっきりだったのは事実なのだから。ぐれないだけ御の字だよ。放蕩息子ならぬ、放蕩ドラゴンにでもなってごらん。始末が大変だぞ」
「はは、違いない!」
抱腹する旧友を儀堂は呆れた面持ちで眺めていた。彼は決して冗談を言ったつもりはなかったのである。
◇
厩舎へ向う道すがら、場内の道路を走る野戦車両が二人へ向ってくるのが見えた。帝国陸軍の九五式小型乗用車だった。北米では滅多に見かけられない、年代物の乗用車だった。
乗用車は二人の前で速度を落とすと、横並びに停車した。
後部座席の窓が開くと、反射的に儀堂と戸張は敬礼を行った。座席に二人の将官の姿があった。それぞれカーキー色と草色の制服を身につけていた。
「よお、奇遇なこともあったものだな。ちょうどよかった」
六反田はヤニ染まった歯を覗かせると、戸張へ眼を向けた。
「隣にいるお兄さんはどなたさまだい?」
戸張は敬礼をしたまま答えた。
「航空隊の戸張寛大尉であります」
六反田は軽く答礼すると、戸張の手を下ろさせた。
「海軍大学の六反田だ。なるほどねえ。君がドラゴンの拾い主か。聞けば、戦闘機乗りらしいな」
「はっ、<大鳳>の制空隊におります」
「<大鳳>か、あれはいい艦だ。おっと―」
六反田は隣に座る土肥原へ顔を向けた。
「土肥原閣下、彼が先ほど話した儀堂君です。儀堂少佐、それに戸張大尉、こちらは陸軍大将の土肥原閣下だ」
土肥原は垂れ目を細めると、二人に対して軽くうなずいた。
「ああ、二人とも敬礼はやらんでもいいよ。楽にしなさい」
儀堂は恐縮した面持ちで、頭を下げた。
「ありがとうございます。ご挨拶が遅れて、申しわけございません」
儀堂に続いて、戸張もやや浮き足だった様子で礼をする。
「うちのシロと小春が大変お世話になっております。いや、その、正直に申し上げて、本当に助かりました。何と礼を言えば良いのやら……」
「気にしなさんな。むしろ、こっちが助けてもらっているよ。君らのドラゴンに、うちの新兵は鍛えられている。ところで、儀堂少佐――」
唐突に話しかけられ、儀堂は少し驚いた様子だった。
「君の御父上だが、陸軍にいたそうだね」
「はい、父は陸軍でした。満州撤退戦の際に亡くなっております」
「そうか。儀堂大佐も今の君を誇りに思っているだろう」
「父をご存知なのですか……?」
「ああ、私は関東軍にいたからね。御父上は惜しいことをした。葬儀に出られずに申し訳ない……」
土肥原に深く頭を下げられ、儀堂は困惑した。戸張は珍しそうに、その様子を見ていた。こいつでも困ることがあるのだなと内心で呟いていた。
六反田はしばらく口をつぐんでいたが、頃合を見て、その場を切り上げた。
◇
車中でおもむろに六反田は煙草を取り出した。
「よろしいですかな?」
土肥原はこくりとうなずいた。
「ああ、かまわないよ」
「失礼」
マッチを擦り、窓を開けて紫煙を吐き出す。
「儀堂君の御父上とお知り合いだったのですね」
何の気に無し六反田は言った。
「おや、君には言ってなかったかな」
「ああ、お気になさらず。ただ、少し興味がわきましてね」
土肥原は窓の外へ目を向けていた。
「儀堂大佐は優秀な士官だった。五年前、満州にBMが出現したとき、彼がいなければ多くの同胞は大陸に取り残されたまま魔物の餌食になっただろう」
「なるほど、忠君愛国の鏡ですな。我が国は儀堂君の父君に大恩があるわけだ」
「その通り」
「しかし、その大恩にじゅうぶん報いたとは言い難いようですな。それほどの活躍をしたのならば、英霊として祭り上げられてもおかしくはないでしょうに。新聞屋が喜びそうなネタだ」
「そうだね。彼は英霊として必要条件は満たしていた。だが、十分ではなかったんだよ」
土肥原は、それ以上なにも言わなかった。
「なるほど、ますます興味がわいてきました」
その日、矢澤中佐の仕事が一つ追加された。とある陸軍士官の経歴調査だった。
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