レッドサンブラックムーン

-機密解除された第二次大戦における<異世界からの干渉>および<魔獣との戦闘>に関する記録と証言について-
弐進座
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純白の訪問者(Case of White) 5

公開日時: 2021年12月5日(日) 18:11
文字数:2,103

【東京 世田谷 三宿】

 昭和二十1945年九月二十五日


 朝食を済ませた後、小春はネシスに連れ立って儀堂家の庭先に出た。後には、シロが続いてくる。まだ眠り足りないのか、長い首をしならせ、小さな頭が提灯のようにゆらゆらと揺れていた。 


「まず、お主は言葉を覚えなければならん」

「言葉?」

「聞くが、お主は念話はできるか?」

「ねんわ? ごめんなさい。わからないわ」

「言葉を発せず、思いをやりとりすることじゃ」

「ええ!? そんなことできるの?」

「妾達はできる」

「……西洋の人って、すごいのね」

「まあの」


 小春に著しい誤解を植え付けたネシスは、シロへ顔を向けた。シロは縁側の軒下で、身体を丸めて眠り欠けていた。


「ソルジェロ!」


 突然のことでネシスが何を言ったのか小春は聞き取れなかった。仮に聞き取れたとしても、理解できなかっただろう。それは異界の言葉だった。


 ネシスの一声を受けて、シロは雷を浴びたように飛び起きた。そして一声鳴くと、何かを待つように小春達を正視してきた。


「すごい……! どうしたの?」


 眼を丸くする小春に、ネシスは得意げな顔を浮かべた。


「起きろと言ったのじゃ」

「言葉が通じるってこと……?」

「左様じゃ。だから言ったであろう。まず言葉を覚えろと」

「そういうこと……今の英語じゃないみたいだけど、あなたはどこの国から来たの? だいたい、どうしてそんなに魔獣に詳しいの……?」


 改めて小春は訝しむようにネシスを見た。自分よりも二ないし三ほど下に見える少女は、銀色に輝く髪と燃えるような瞳を有している。どこかおとぎ話に出てくるような現実離れした存在だった。

 ネシスは少し曇った面持ちで応えた。


「妾は、この国の言葉で表すのが難しいところから来たのじゃ。まあ、今はどこか遠い国と思っておけば良かろうて。魔獣と妾の縁ついては、ゆえあって言えぬ。ギドーが言うところグンキというやつじゃ」


 小春は深く追求するのを止めた。直感的にネシスを困らせると、儀堂の迷惑になると思ったからだった。彼女は未熟だが愚かでは無かった。


「とにかく、こやつは――」


 ネシスはシロを指さした。


「妾達の言葉しか解せぬ。そのように造られて・・・・おる。まともに付き合いたければ、まずは話せるようにならねばな」

「そうなんだ。異国の言葉かぁ、なんだか大変そう。こういうのは兄貴が得意なんだけどなぁ」

「あのひろしとか言うヤツか? とてもそうは見えなんだ」

「……やっぱり、そう思う?」


 さすがに、あんまりだと思ったのか儀堂は居間から顔を出した。


「小春ちゃん、それは本当だよ」

「衛士さん、そうなの?」

「ああ、あいつは英語に関しては堪能な方さ。オレよりも上手いかもしれない。兵学校では英語も習うんだ。それに練習航海で世界各地を巡らなきゃ行けない。今となっては有り難く思っているよ。あのときは、よもや北米が戦場になるとは思っていなかったからね。現地の住民や兵士とやりとりするのに苦労せずに済んでいる」

「そっか。ちょっと見直しちゃった。兄貴ってやればできるのね」


 衛士は苦笑を浮かべながら、うなずいた。戸張家の長男の体面は保たれたようだ。寛の語学能力は確かなものだった。純然たる学習動機から寛は英語を熟達させた。彼は舶来の美女と懇ろねんごろになる夢を持っていた。その夢が叶うかどうか不明だが、儀堂は語らぬことにした。


 ネシスは初歩的な言葉から小春に覚えさせることにした。内容はどうということのないものだ。「おすわりコヅン」「ふせヒュウセンドット」「取ってこいタクプテクレム」など、犬と戯れるときに使う類いのものだった。もちろん、全てが同じというわけにはいかなった。翼が生えた犬は存在しない。


飛べヴィラン!」


 小春の声に応え、シロは背中の翼を展開した。白く透けるような膜を大きく広げ、数回羽ばたかせると徐々に身体が浮き上がっていく。小春の目の高さで、空中静止ホバリングすると、次の命令を促すようにシロは鳴いた。


「ねえ、この子、もっと飛びたいって言っているの?」

「良い感をしておるのう。そうじゃろうな。もともと地を這うようには出来ておらん」

「うーん、まいったなぁ。犬の散歩みたいにできないだろうし」


 羽ばたきを耳にしながら、小春は考え込んだ。自由に飛ばせてやりたい気もするが、野放しにするとどこへ行ったのかわからなくなってしまう。


「どこか広い場所があればいいんだけど――」


 ふと羽ばたきが弱々しくなったことに気づく。はっと顔を上げると、シロが苦しげに着地し、えづいていた。


「シロ! 大丈夫!?」


 シロは途切れ途切れに息を漏らしていた。近寄ろうとする小春の腕が引かれ、入れ替わるようにネシスが前に出た。


「下がっておれ! 妾としたことが忘れておった」


 ネシスはシロを抱きかかえると、頭部を天に向けた。


放てヒュラーソ!」


 儀堂家の庭から火炎の柱が屹立した。シロは咆哮するように火炎の渦を口腔部から吐き出し続けた。時間にしてわずか二、三秒だったが、小春の腰を抜かせるには十分じゅうぶんすぎる情景だった。


「なにがあった!?」


 居間から飛び出した儀堂の眼に映ったのは、へたり込んだ同期の妹と前髪を少し焦げさせた鬼子だった。唖然とする儀堂に対して、シロは満足そうに一声鳴いた。


 遠くから鐘の音が聞こえてくる。


 誰かが消防団に通報したらしい。


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