【シカゴ郊外 カントリークラブ】
本郷のマウスはERB-29に先導されるまま、五十七号線を外れると、打ち捨てられたゴルフ場へ入った。さびだらけのコース案内図を前に停車した。月獣を迎えるのに、最適のホールを選ぶ必要があった。
「アズマよりアポロへ。君が勧めてくれたクラブに入った。今、ちょうど案内図の前だ。月獣の針路とマッチするホールはどこかわかるか?」
『アポロよりアズマへ。困難な注文だな。ヤツの針路を見るに……』
本郷は上空を見上げた。銀色に光る点が大きく弧を描いていた。
『クラブの入り口から見て東よりだな。池が二つで、北寄りに砂地が三つあるコースが適当そうだ。そこなら十分に視界も確保できるだろう。わかるか』
「少し待て」
すぐに本郷は当たりをつけた。三番ホールがアポロの案内と一致している。
「わかったよ。ありがとう」
『急げよ、ホンゴー。ヤツが到達するまで三十分もない。いつでも連絡がとれるようにしてくれ』
「ああ、そうしよう。ありがとう。以上」
無線を切るや、間髪入れず、本郷は前進を再開した。
クラブハウスの塀を突き崩し、一気に場内に進入すると、三番ホールまで一直線の道のりを突き進む。手荒い道程だったが、先行するマウスの履帯によって整地されるため、後方の自動貨車がコースアウトすることはなかった。
三番ホールは、このゴルフ場で最も広かった。全長八百ヤードほどで、幅は三百ヤードの細長いコースだった。ティーイングボックスから、パッティンググリーンまで、緩やかな丘陵によって構成されている。テーィングボックスの方が高地にあり、パッティンググリーンまで見渡せるロケーションだ。これは本郷にとって好都合だった。彼は反応爆弾の起爆を確実に見届けるつもりだった。
マウスはパッティンググリーンに乗り込み、荒れ放題の芝生が巻き上げられた。本郷はユナモに慎重に指示を出しながら、自動貨車をグリーン中央、ゴルフボールの終点となる穴の直上へ移動させた。
『ホンゴー、ここでいいの?』
「上出来だ。さあユナモ、降りよう。早く済ませてしまおう」
『わかった』
本郷は砲手に無線を託し、展望塔から出て行った。そのまま車体前部まで移動し、操縦手専用の天蓋を開ける。
「ホンゴー?」
「おいで」
手を伸ばし、羽のように軽い身体を引き上げ、車体前部に立たせる。
「さあ、気をつけて」
本郷は車体から降りると手を広げた。ユナモが不思議そうに見下ろしていた。
「ホンゴーも付いてくるの?」
「もちろんだよ」
「わたしひとりでできるのに」
「知っているよ。だから送り迎えだけするよ。君の足で行って帰るよりも、僕が抱きかかえて行った方が短い時間で済むだろう」
「わかった」
ユナモはこくりとうなずくと滑るように車体前部を降り、本郷の腕に収まった。せいぜい六、七才くらいしかない背丈だったが、それを差し引いても軽すぎるように思った。子犬を抱いているような重みしか感じない。ひょっとしたら魔導で体重を制御しているのかもしれない。
ユナモを抱きかかえたまま、本郷は自動貨車の荷台に鎮座する楕円形の球体まで駆け寄った。あと数メートルというとことで、小さく胸を叩かれる。
「ホンゴーおろして……」
「ん? どうしたんだい?」
「あまり、アレに近づいてはダメ。ホンゴーが穢れる」
「だが……」
「わたしは大丈夫。でもにんげんのホンゴーはダメ」
ユナモは足をじたばたさせ、やむなく降ろすことにした。
「一人でできるのか?」
「だいじょうぶ。おじいさんから、あれの仕組みはきいたから」
本郷は北米の地で会った独逸人技術者の記憶を呼び起こした。フェルディナンド・ポルシェは確かに反応爆弾について、知っていた。その原理について把握していてもおかしくはないだろう。彼は、その実験の目標にユナモが使われると知り、本郷に託したのだから。
ユナモは小さな足取りで自動貨車の反応爆弾まで近寄ると、荷台によじ登った。
本郷は遠目で見守っていたが、ユナモが懐からナイフを取り出しところで駆け寄りそうになった。しかし、ユナモが拗ねたような目で見てきたため、思わず足を止めた。そのままユナモはナイフで自分の指先を切ると、その血を墨汁代わりに方陣を反応爆弾に刻んだ。そして両手を当てると静かに呪文を唱え始めた。小さな声だったため、本郷の耳で聞き取ることはできなかった。仮に聞き取れたとしても本郷には理解できなかっただろう。呪文を唱え終わると、血の方陣がうっすらと緑色の輝き放ち、一回転した。まるで鍵でもかけたようだった。
ユナモは荷台から飛び降りると、本郷の所までとことこと駆け寄ってきた。まず本郷はナイフで切った指を確かめた。
「指は大丈夫かな?」
「もうなおった」
ユナモは指先を掲げて見せた。たしかに、ほとんど治っている。傷口がふさがり、薄皮がわずかにめくれている程度だった。
―ユナモほどの子どもですら、この回復力だ。あの月獣は果たして、どれほどのものなのだろうか。生半可な一撃では倒せないだろうな。
難しい顔をする本郷を不思議そうに、ユナモは眺めていたが、やがて背後を指さした。つられて振り向いた本郷の目に映ったのは、血相変えて展望塔から乗り出した無線手の顔だった。
どうやらアポロが異常を知らせてきたらしい。
本郷はユナモを抱えると、マウスまで全力疾走した。
◇
全く不意のことだった。月獣が足を止め、頭部の三つ首と尾部の二つ首が周囲を見渡した。やがて、それぞれ何かを話し合うように顔を寄せた。
その様子を監視していたERB-29は、すぐに地上のマウスへ異常を知らせた。
ユナモと一緒にマウスへ戻った本郷は無線手から経緯を聞き、今すぐ発進すべきか否か迷った。
本郷は展望塔から半身を乗り出したままだった。その視線は、4キロほど先に蠢く巨影に釘付けになり、額にじんわりと汗が浮かびつつあった。
―まさか感づかれたのか。
否定したかったが、あまりにもタイミングが揃いすぎていた。彼は最悪を想定しながら、無線機と手に取った。上空の同盟者のほうが彼よりも状況を把握しているだろう。
「アズマよりアポロへ。月獣の様子はどうなっている」
『こちらアポロ。相変わらず停止したまま、お互いの顔を寄せ合っている。正直、それ以上のことはわからん。ただ、何とも不安に……ああ、待ってくれ。動きがあった。こいつは――』
アポロの報告を待つまでもなかった。状況の変化は本郷の目からも明らかだった。巨体の前後についた五つの頭部が一斉に持ち上がり、鎌首を形成するや、咆哮を上げた。いや、それは咆哮と呼ぶにはあまりにも悲壮で哀愁に満ちた叫びだった。聞いている者は胸を締め上げられ、不可解な罪悪感を呼び起こされた。
「これは泣いているのか……」
直感的な本郷の印象だった。無線機を通じて、車体前部の操縦席の反応が伝わり、自分の印象に確信を覚えた。
『ホンゴー、あのひとたちを止めてあげて……』
ユナモが堪えられないように言ってきた。恐らく彼女も泣いているのだろう。
『あのひとたちは、わたしの魔導に気づいてしまった。そのせいで、自分が化け物になったとわかってしまった。もう狂ってしまったと自分で気づいて、泣いている。泣きながら、もっとおかしくなっていく。ホンゴー、あのひとたちをとめないと、かわいそう。わたしは、もう聞きたくない』
本郷は双眼鏡を構えた。レンズに映るのは、苦悶にあえぐ月獣の顔だった。醜く歪んでいるが、嫌悪感よりも先に哀しみを覚えた。彼は速やかにユナモと望みを叶えることにした。
「ああ、そうだね。ユナモ、ごめんよ。これから僕は君に辛い思いをさせる。本当にすまない」
彼は車内の乗員に合図を出した。
数秒後、マウスの主砲が火を噴き、月獣の首元に橙色の炎が煌めいた。
月獣に対する、人類初の一撃だった。それは直径百二十ミリの鉄針だ。
マウスの徹甲弾は上皮を貫き、そこからどす黒い血が零れでた。
「やるのものだな」
本郷は、喜びではなく安堵を強く覚えた。かすり傷程度かもしれないが、無力ではないと自分に言い聞かせる。攻撃が有効であることは心理的な負担を圧倒的に軽くするのだ。
月獣は今度こそ咆哮を上げ、前進を再開した。
針路は変わらず、ただその巨大な瞳には鋼鉄のモノリスが映っていた。
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