一人と一匹を前にして、小春は玄関で仁王立ちしていた。その眦は般若のごとくつり上がり、完全に兄の寛へ釘付けになっている。
さすがの寛も不味いことになっていると気がついたらしく、宥めるように両手を小春の前へ上げた。
「ちょっと待て。死戦から舞い戻った兄貴に、その言葉はないだろう。だいたい――」
「話をそらさない!」
冷や汗を浮かべる兄を小春は一喝した。あまりの剣幕に気圧されたらしく、シロはしおらしく首をたれてうずくまってしまった。いかに竜といえども、幼体である。その姿が意外にも不憫に見えて、小春の気勢は削がれてしまった。
「とにかく上がって。まずは話を聞かせてもらうから」
「おい、こいつはどうするんだ?」
戸張は白い塊を指さした。
「なんで、あたしに聞くの。ああ、もう、とりあえず、雨が止むまで、そこで大人しくさせて」
「お、おう」
戸張はシロへ「伏せ」を命じると、ようやく生家へ帰還を果たすことができた。
そのまま居間でちゃぶ台を囲って、臨時の家族会議が開かれる。
「それで、あの竜はどこで拾ってきたの?」
「どこって、オアフBMだぞ」
「オアフBMって? あのBM? ど、どういうことなの?」
小春のもっともな問いに対して、戸張は順を追って話をした。北米へ向う途中、オアフBMと一戦を交え、BM内部に戦闘機で突入、卵を拾い、<宵月>に救助されるまでの顛末を戸張家の長男は実に愉しげに語って見せた。対称的に長女は眉間に皺を寄せ、ときおりため息をついていた。
「兄貴の無鉄砲ぶりは噂に聞いていたけど、ここまで酷いとは思わなかったわ。衛士さんにも迷惑かけて何やっているのよ」
「なにが迷惑だよ。別に助けてくれと頼んだわけじゃねえぜ」
「あのね! じゃあ、衛士さんが来なかったら、どうやってBMから脱出するつもりだったの?」
「そいつは……」
形勢不利と悟った寛は、転進を決意した。
「まあ、それはともかくとしてだ。シロの件が先だ。あいつはうちで飼うからな」
「何を言っているの? できません! 無理です! だって魔獣よ? ご近所迷惑でしょ!」
「おいおい、あいつは良い子だぞ。オレになついているし、下手な番犬よりも頼もしいぜ。賊が入っても、あいつがいればいちころだ」
「そういう問題じゃないでしょ。だいたい、兄貴が留守の間は誰が面倒を見るの?」
寛は引きつった笑顔で小春を見つめた。
「まさか、あたし……」
さらに釣り上がった妹の視線から寛は逃げた。瞳は泳ぐどころか溺れている。
「な、なに、大丈夫だ。あいつは大人しいし、お前にもなつくよ。だ、第一、よぉく見てみろ。かわいいぞ」
「ばっかじゃないの!!!」
「大声を出すなよ。だいたい実の兄を莫迦呼ばわりとは何事だ。こっちは戦地で御国のために滅私奉公に励んでいたんだぞ。もっとオレをいたわれよ」
「話をそらさない!!」
小春の一喝が再び響き渡った直後、小さな悲鳴が生じた。玄関方向からだった。
押っ取り刀でかけつけた二人の目に入ったのは、入り口で失神している母の春子とその顔を嘗めているシロだった。
◇
【東京 世田谷 三宿】
昭和二十年九月二十四日
「それで、うちでシロを預かってほしいってわけかい?」
儀堂衛士は二人と一匹の訪問者を迎えていた。戸張兄妹と竜のシロである。
「すまん、衛士!」
「ごめんなさい……」
寛はバツの悪そうに、小春は叱られた子どものようだった。シロはあくびをしていた。
失神した戸張の母を寝室へ運び込んだ後、シロを伴って二人は儀堂家に来ていた。さすがの寛も現状で自宅で飼うのは難しいと考え、しばらく旧友の元で面倒を見れないかと尋ねてきたのである。
儀堂は少し困った顔を浮かべた。
「やれやれ、どうしたものかな」
逡巡する儀堂の脇に小さな影が現れると、頭を下げる二人に対して援護射撃を行った。
「よいではないか」
「ネシス、お前……」
煙のように現れたネシスだったが、額の角は魔導で隠していた。ネシスはゆっくりと、シロの頭頂部に手をかけると、首に沿って撫でていった。シロは気持ちよさそうに喉をならす。妙に艶やかなネシスの手つきに、思わず寛も小春も見とれかけたが、ようやくのところで我に返った。
「あなたは――」
「小春と申したか。この竜については案ずるでない。妾は竜の扱いに慣れておる」
「そいつはありがてえ。助かるぜ!」
小躍りする寛の脇を小春はつねった。
「いてて、おい、なんだよ」
「まだ衛士さんがいいと言っていないじゃない」
「お前、どうしたんだ? 何をふくれていやがる?」
「ふくれてません……!」
戸張兄妹のやりとりをネシスは面白そうに眺めていた。儀堂は相変わらず顔を曇らせたままだ。
「おいネシス、安請け合いは困るぞ。オレ達は<宵月>へ戻らねばならんのだ」
儀堂とネシスは、表向き休暇中だった。休暇が終わったら、<宵月>へ戻らなければならない。
「オレ達がこの家を空けた後、誰がこの竜の面倒をみるのだ?」
「わかっておる。妾達が、ここにいる間だけじゃ。その間に、この娘に竜の扱いを手ほどきしてやればよかろう」
思わぬ指名をされ、小春は面喰らった。
「あたしが竜の面倒を?」
「そうじゃ。女子の方が竜はなつく。これから毎日、ここへ通いに来るが良い。小春よ、お主にとって悪い話ではないように思うがのう」
ネシスは口角を上げると、意味ありげに赤い瞳で儀堂を指した。頬の血流が良くなるのを感じ、小春は取り繕うと返事をしてしまった。
「わ、わかったわ。来れば良いんでしょ? いい、衛士さん?」
儀堂は数秒沈黙したが、やがて降参したように手を上げた。
「構わないよ。ここまで来て返すわけにもいかないしね。二人とも仲良くやってくれよ」
「さすがは同期の出世頭! 話のわかるヤツだぜ」
「寛、お前もだぞ。小春ちゃんばかりに世話を押しつけるな」
「ああ、わかっているさ。任せとけ。オレもこいつと一緒に毎日来てやる」
どんと胸を叩く旧友を呆れた様子で儀堂は見ていた。
かくして、一時的に儀堂家でシロを預かることになった。
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