直感的に儀堂は危機を悟った。正体は不明だが、直径数百メートルの球体から何かが這い出ている。どんな楽観主義者も、次に起こる事態がろくでもないものだと思わざるをえないだろう。
「目標、シカゴBM。撃ち方始め!」
<宵月>の前後4砲塔から毎分19発の速度で、直径十センチの鉄芯が吐き出される。それらはシカゴ上空に浮かぶ暗黒の卵球へ突き刺さった。炸薬が作動し、小規模な爆発が生じ、あちこちで灰色の噴煙をまき散らされる。<宵月>と同クラスの駆逐艦ならば、とっくに鉄くずと化しているだろう。しかしながら、相手は超弩級戦艦も越える質量の持ち主だった。
シカゴBMの卵球は、小揺るぎもしなかった。
「不愉快な事実だな」
儀堂は眉一つ動かさなかった。戦果は期待してなかったが、それにしても無様すぎる光景だった。己の存在意義を疑いたくなる。
オレは駆逐艦に乗っているのだ。いったい、今まで何を駆逐してきた? せいぜい羽の生えたトカゲ一匹を始末した程度の働きしかしていない。畜生め、気にくわない。
『ギドー、どうなった』
ネシスが、察した様子で尋ねてきた。
「そうだな……」
卵球に大きな亀裂が入り、黒い靄を纏った腕と脚らしきものが数本はみ出ていた。目測で、百メートル近い長さの手脚だった。それらは亀裂をさらに押し開き、より巨大な本体のための空間を確保しつつある。シカゴBMに潜むものは、自らの意思で産まれようとしていた。
目前の情景を、儀堂は要約した。
「手遅れだ」
【シカゴ上空 ERB-29 "Apollo"】
ERB-29は、高度を七千メートルまで下げている。シカゴBMの後を追ったためだった。上空から、何が起きているのか判別が着かなかった。異変はシカゴBMの卵球の下部で起きていたため、ERB-29からでは視認できなかったのだ。
「さらに高度を下げる。各員、あの奇怪なBMから目を離すなよ」
アームストロングは操縦桿を倒すと両翼のフラップを切り替えた。巨人機が左旋回しながら、地表との距離を詰めていく。アームストロングは眼下の光景に複雑な気分を抱いた。
その双眸に完全な廃墟と化したシカゴが映っていた。睥睨するように宙に卵状のBMが浮かび、現状がいかに末期的かを示していた。
「スティーブ、これ以上高度を下げるのは危険です」
副操縦士のマーカスが、六千に近づきつつある高度計を忙しなく確かめている。いち士官として、その挙動は大いに改善の余地があるように思えたが、発言には一理あった。
「そうだな。現高度と距離を維持したまま、旋回を続けてくれ」
アームストロングは操縦をマーカスに預けると双眼鏡を手にした。巨大な黒い影に焦点を合わせること数秒後、BMの下部をかろうじて捉えることが出来た。
初めに覚えた感情は困惑と混乱だった。理解を拒否したと言うべきだろう。
「BMに脚が生えている……?」
今やERB-29は、全乗員の両眼、搭載されたあらゆる観測機器を総動員し、孵化の瞬間を捉えようとしている。
臨界は唐突に訪れた。
シカゴBMの卵球が紫色の光を放ち、破裂し、黒い粘度のある液体に包まれた巨影を産み落とした。
<宵月>とERB-29、それぞれの乗員は、新たな生命の立ち会い人となった。誰一人として祝福を告げる者はいなかった。投げかけられた言葉は呪詛か罵倒、いずれかだった。
間を置かずして、<宵月>とERB-29から緊急電が発信された。それぞれ宛先は異なっていたが、内容は同一だった。
“シカゴBMより、超大型魔獣が孵化せり”
【シカゴ郊外】
起爆の瞬間、本郷の戦車中隊はシカゴへ背を向け、最高時速の四十キロで避退途中だった。強烈な閃光と大地を裂くような轟音、それから数秒後に中隊を追い越すように突風が駆けていった。本郷は、ショックで停車しかけた味方の小隊を叱咤し、ひらすら郊外へ向けて自身が乗るマウスを走らせた。
突風が止むまで数十秒はかかった。爆発の影響が収まった頃合で、本郷は各小隊の指揮官に異常が無いか問い合わせた。
『各員、異常なし』と六回ほど返され、彼は胸をなで下ろすと、中隊を郊外の空き地へ集結させた。そこは小高い丘で、元は高等学校の運動場として使用されて居た場所だった。爆心地から六十キロほど離れている。
本郷は展望塔の天蓋を開けると、まず天にそびえるキノコ雲が目に飛び込んできた。
「……あれが反応爆弾か」
呟きと同時に、額に冷や汗が伝っていく。もし、六反田からの連絡がなければ、自分はあの根元へ向けて、突き進んでいただろう。
その根元へ視線へ向け、本郷は絶句した。
三本の生首が迫ってきているのが、見えた。
各頭部には鋭利な角を生やし、顔つきは醜い猿のようだった。それぞれ頭部に長大な首が続き、奇怪な胴体に繋がれてる。胴体背面部に無数のトゲが突き刺さるように伸びている。臀部からさらに二本の尾らしきものが見てとれる。尾の先は複雑な形状の膨らみが着いていたが、本郷から詳細を見て取れることが出来なかった。
『隊長、あれはいったい――』
無線越しに中村中尉が尋ねてきた。
「わからない」
ようやく本郷は答える。
「ただ、あれを僕らで倒すのは難しそうだね」
開き直った心境で続けた。
爆心地まで数十キロ離れている場所から、それも肉眼で形状がわかるような化け物なのだ。
いったい、どれほどの大きさなのだ。
うん、わかるぞ。
きっと戦車砲ごときじゃ駄目だ。
反応爆弾なら、話は別かも知れない。
いや、どうだろう。あいつはキノコ雲の根元から来たようだ。
反応爆弾といえば、シカゴBMはどこに消えたんだ?
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