朝。
「……相変わずだな」
不動の姿勢で直立したまま、ディモスが零した。
朝食をとり終えたネス、ディモス、イコナの三人は、小部屋でバクスの到着を待っていた。しかし、やはり一時間ほど経ってもバクスは現れないのであった。
ディモスの隣で、イコナが大きな欠伸をする。
「イコナさん、昨夜はあまり眠れなかったのかい?」
その言葉に、イコナは微笑みながら首を横に振った。
「それはよかった。まあ、これだけ退屈だと欠伸の一つもしたくなるね」
言下に、扉が開け放たれた。
「おーし、全員そろってんな。まあ、お前らも座れ」
バクスは、相変わらずの不健全な臭いを放ちながらネス達を見渡すと、どっかと椅子に腰かけた。
「まずは、改めて合格おめでとう。――で、もう一つおめでたいことに、特情科隊員になって早々、大仕事だ」
バクスは煙草を取り出して火をつけ、大きく吸って息を吐きだした。その煙に、ネスは思わず仰け反る。
「今日から十日後、ヴァローナへ総攻撃をかける。俺らはその先鋒だ」
――やはり、きた……!!
そこからのバスクの話は、概ねアストラからネスが聞いた通りであった。二班共同での陽動、軍の人員不足などについて。その説明は、存外にもネスにとって分かりやすく、丁寧であった。
「――で、何で総攻撃をかけることになったかについても、一応知っておいた方がいいだろう」
半分以下まで短くなった煙草をなおも吸い続けながら、バクスは続ける。
「理由は二つ。一つ目は、バザロフ商会との関連だ。ヴァローナと商会との繋がりについては、お前らに調査するよう命令したが……あれは試験課題として出しただけで、実のところもう調べはついていてな」
「商会の芸能は今、真っ二つに割れている。簡単に言えば、客との距離感の問題だ。芸をする者は客とは遠いものであるべきなのか、近いものであるべきなのか。これはそのまま、会長のリグ・バザロフに賛成派か、反対派かの違いでもある」
――メリーが言っていた話か。
メリーは、あくまで客と遠くあり続けることを望んで……そして、新しい流れの前に身を引くことを選んだんだったな。
「この『客と近い』ことを目標にする派閥――つまり、反リグ派が、ヴァローナと大いに関わっている。この数日でヴァローナが何をしてるか見てきたお前らなら、大体察しはつくだろ」
「まさか……人攫いで!?」
ディモスの|言葉に、バクスは大きく頷いた。
「ヴァローナは、器量の良い娘をどこぞから攫ってくる。商会の反リグ派の連中はそれを大量に買い付けて、芸をさせて儲けを出す。どちらにとってもお得な取引ってわけだ」
「そんな――!!」
思わず椅子から立ち上がろうとしたディモスを、バクスが制す。
「だが、そんなことは軍も前々から知ってて放置してる。問題はもっと差し迫っててな。まずいのは、どうもヴァローナがある人物を暗殺しようと計画してるらしいってことだ」
ネスは、固唾を飲んで、聞き返す。
「ある、人物?」
「先代【詩姫】メリッサ・ラックだ」
「――な……!!」
「今、ロマシュカの地方領主たちが、芸能に興味を持ち始めている。金儲けの手段としてな。熱狂的な人気を誇った先代の【詩姫】を商会から買い取って興行をさせれば、その領主はぼろ儲けだ。だから、今は各地の領主たちがその獲得権を求めて争ってる」
――メリーが、そんな状況下に……
反リグ派と結託しているヴァローナは、リグ派の象徴ともいえるメリーを殺害して、リグ派の力を大きく削ごうとしているということか……!!
「……でも、その先代【詩姫】の暗殺が、軍にとって差し迫った問題なのですか?」
ディモスは、首を傾げた。
「ヴィエフケドル軍は、デカくなりすぎた。その分、ロマシュカ中央政府からも警戒されてる。中央政府としては、本音を言えばすぐにでもヴィエフケドルを制圧して軍を叩き潰したい訳だ」
「それができない大きな理由の一つは、ヴィエフケドル軍を失えば、イリスやマチェスに侵攻されかねないから。そんでもう一つの理由が、地方領主がにらみを利かせてるからだ。中央政府がヴィエフケドルを制圧しちまえば、イジ教の教義上銀行は廃止。商会は倒産。そうなりゃ、地方領主たちは商会からのおこぼれにあずかれないからな」
バクスは頭を掻く。
「早い話、今、先代【詩姫】を喪えば、地方領主たちがヴィエフケドルを守る意味が薄くなって、ヴィエフケドル軍にとって、とても危うい。悲しいことに、俺らの首は、小娘一人の命にかかってるかもしれねぇのよ」
――商会も、それが分かっているから、なるべく地方領主たちとの取引を長引かせて時間を稼いでいるのか。
軍が十分に育つまで……
口許を抑えながら楽しそうに笑うメリーの姿が、ネスの頭をよぎった。彼女の背後にどこまでも広がっていた夜空が、人々を魅了する芸能の裏側に潜む、政的な動静と重なって思えた。
「先代【詩姫】の暗殺を防ぐには、小娘を警護するより、カラスをやっつけたほうが圧倒的に素早くて確実だ」
バクスは煙草を灰皿に押し当てて捨てると、肩を鳴らしながら席を立ちあがった。
「そして、今、ヴァローナを叩くもう一つの理由は、間もなく戦争が始まるからだ。イリスが間もなく攻めてくる。そんなのに、内側に敵を抱えたまま戦争なんてできん。だから、軍への出資者から怒りを買うことを差し引いても、今、叩いておかなくちゃならんのさ」
――!! やはり軍も、間もなくケイロンが侵攻してくることを知っているか!
「俺たち特情の人間も、陽動をする限り揉みあいになるかもしれん。そこで、お前らにも早速に白兵戦の技術を身に着けさせる。……まあ、この短期間じゃ付け焼刃程度にしかならんだろうが」
バクスは、部屋の扉を勢いよく開け放った。
「ついてこい。『フレクシ』を教えてやる」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!