――アストラがフォルセティを捕えるための計画を話すにあたって、俺が周囲の人間に計画を漏らすことを危惧している様子は特になかった。
流石に、俺が既にディモスに【魔王】の印章のことや自分の正体について喋っているとは思わなかったようだな。
ネスは自分とディモスの部屋へ戻る最中、周囲を警戒しながら思案を巡らせていた。
――カディとアルファルド皇子を襲撃した刺客。その身体を覆っていたという鱗状の体毛……恐らく、ディモスのウロコと同じものだ。
なるほど、竜血症か。確かに名前は聞いたことがある。カディ、よく分かったな。
帝国でも、薬学関連の研究をするための手段と時間が与えられていること。それに何より、カディ自身に研究をするだけの活力があるのだということ。それが分かり、安堵したネスの口許は思わず緩んだ。
――これは、ディモスの身体を元に戻すための手がかりになるかもしれない。また、生研が帝国で暗躍しているのだとすれば、ディモスから何か有益な情報が聞けるかもしれない。ディモスが、魔術士達によって何やら薬のようなものを飲まされていたという話とも合致する。
……だが、竜血症のことを話せば、当然、帝国とのやりとりやアストラのことをディモスに話さざるを得ない。さて、どうするか――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「お帰り」
「――っ! ディモス、起きていたのか」
ネスが部屋の扉を静かに開けると、就寝すると言っていたはずのディモスが、暗闇の中でベッドに腰かけていた。
――俺が嘘をついてアストラと密会したのがばれたのか!?
……いや?――
月明かりが照らす部屋の中。次第に慣れてきたネスの目には、ディモスが肩で息をしていることと、顔を歪ませていることが辛うじて見て取れた。
「どうした? ディモス、体調が悪いのか?」
「いや、別に命に関わるようなものじゃないよ。いつものことだ。それに、もうだいぶ収まってきた」
その言葉で、ネスは思い出した。
『これが毎日、数枚生え変わるんだけれど、その感覚をなんと喩えたらいいかな。……そうだな、全身から生爪を剥がされるような感覚、かな』
ノーリの隠れ家で手術を行った日。ネスが、始めて自分は魔術士であると明かした日。ディモスは身体を覆う鱗を見せて確かにそう言った。
「……ディモス」
「何だい?」
「話が、ある」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――つまり、この身体は竜血症という病気によるもので、生研なる組織が関わっている可能性が高い、ということかい?」
「そうだ」
ネスは、先ほどアストラと会っていたこと。マグニから連絡があったこと。その連絡の内容について、ほぼそのままディモスに話した。
ただし、兵器開発についての機密を守秘するために、文書として連絡があったことと、<大戦>時における帝国の兵器開発計画については話さず、単純に暁星の皇子なる人物が危険な魔術の研究を行っていたこととした。
「……治るのかい?」
「すまない。医学とはいえ、細菌に関しては俺も門外漢だ。現状では、分からないとしか言えない」
「そうか……」
普段は常に毅然として、恐れや怯えといったものとはまるで無縁に思えるディモスの表情。しかし、今、ネスはディモスの伏せた瞳の奥底に、くっきりと浮かび上がった不安の輪郭を捉えていた。
「最初はね、胸のあたりまでだったんだよ。ウロコがね。それが、段々と広がってきて、最近じゃ、首の辺りまで侵蝕してきた」
ディモスが襟を捲ると、暗褐色の鱗が覗いた。
「生え変わりの酷い痛みも最初は月に一度程だったんだけど、それが数週に一度起るようになって、週に一度、数日に一度、日に一度……最近だと酷い日には数時間おきにやってくるんだ」
「そうか……」
ディモスは、暫く目を瞑って沈黙した後、天井を仰いで薄目を開けた。
「不思議だな。呪いと割り切って諦めていた時には、何も怖くなかった。ただ、あるのは魔術士への憎しみ。魔術士を殺せるだけ殺して、自分も死ぬ。ただ、それだけのことだった。なのに、治るかもしれないと分かって――自分がどうなっているのか分かって、とても怖いんだ」
膝に置かれたディモスの両手は、微かに震えていた。
――「治る可能性」。それは、長い長い旱魃の中の夕立のようなものかもしれない。
俄かに降った恵みの雨は、安堵と希望をもたらす。しかし、それは同時に、その先に続く旱魃をより一層過酷なものにする。また降るかもしれないと思うとき、もう降らないかもしれないとも思ってしまうのが人間だからだ。
幼い頃から、病人をごまんと看てきたネスである。竜血症についてディモスに伝えた時点で覚悟をしていたが、自分の行為に対しての罪悪感はそう容易に拭えるものではなかった。
「さて」
ディモスは唐突に灯り消し、横たわって毛布を被った。
「な……寝るのか!?」
「ああ、君も寝たほうがいい」
「いや、しかし――」
「いいから」
遮るように告げられ、ネスも渋々横になった。
「君が、アストラの作戦について承服しかねているのは分かった。……僕個人としては、悪人など切り捨ててしまえばいいだろうと思うが、そうもいかないんだろう」
ディモスはネスに背を向けたまま語る。
「そういう時は、寝てしまうのが一番だ。君も今日一日疲れたろう。疲れた頭で考えてもどうにもならない。今日の自分が出来ないことなら、明日の自分に任せるのが一番さ」
「……そうか?」
「そうだよ。明日、バクス教官から作戦について正式な話を聞いてから、また考えればいい」
「そうか……」
――確かに、もう随分と遅い時間になった。
睡眠は、取れるときに……とっておいた……方、が……い……
気を緩めたネスの意識は、間もなく深い眠りの中に溶けていった。
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