先の、舌童達との戦いから数週間が過ぎていた。
潤達は道摩府に帰還し、次の八天錬道の開始を待っているところであった。
その日、真名は道場で一人瞑想を行っていた。そこに、奈尾がやってくる。
「真名姫様……。明日、八天錬道の第二回を行うようっすよ」
「そうか……」
奈尾のその言葉に、真名は目を瞑って答えた。
「まあ……、潤さんも、やっと気持ちの整理が出来たようっすし。いいころ合いじゃないっすか?」
「そう思うか?」
真名は無表情で奈尾に答える。
「なんすか? 今朝見た感じでは、笑顔も見えたし、もう道蘭様の事は引き摺っていないように見えたっすが。ちがうんすか?」
「……そうそう気持ちを切り替えれるタチではないよ、あの子は……。魂を共有して、その過去まで見てしまった相手だしな」
「でも、そんな調子じゃ今度の儀式に集中できないんじゃないっすか?」
「ふむ……」
真名は少し心配げに空を見つめる。
あの戦いののち潤は、周りが心配するほど落ち込んでいた。
過去を知り、操られていた事実を知り、それでもなおその相手をその手で殺したのだ。
潤の性格なら落ち込むであろうことは想像できていた。
何より潤は、あらゆることを自分のせいと感じて、心にため込む癖がある。
(こういった場合、あの操ならどうしたんだろうな)
そう真名は、潤の幼馴染の顔を思い出す。
けっこう、潤が落ち込んでいるのを無視して、遊びに引っ張りまわすような気がしないでもない。
(こういった場合、その方が、潤も余計なことを考えなくていいのかもな)
真名は、自分はまだまだ未熟だと再確認する。
弟子の心のケアもしっかりできていないと感じたからだ。
それはそれとして……。
「奈尾……」
「なんすか?」
「あの時、結局お前は何もしなかったな。一体どこに行ってたんだ?」
「やだなあ。仕事はしっかりしてたっすよ?」
「お前の仕事はなんだ?」
「潤を見てることっす」
「見てるだけか……」
「そうっす」
「……」
真名はあきれ顔を奈尾に向ける。しかし、奈尾はケラケラ笑って、
「やだなあ、真名姫様。八天錬道をしたことのある姫様なら、おいらが見てるだけだって知ってるでしょうに」
そう言って真名の肩をたたいた。
「そうだな……」
そう言って真名はため息をついた。
「さて……」
真名は瞑想を終えて立ち上がる。潤に八天錬道が始まることを伝えねばならない。
◆◇◆
道摩府・鎮守の森。その一角に、街のどこからでも望むことのできる、巨大な樹木が一本立っている。
それは、道摩府の御神木であり象徴でもある『大霊樹』である。
そして、この『大霊樹』こそ、かの蘆屋八大天の一人・延寿の本体であった。
今、潤達はその根元に立っていた。
「うひゃー! いつ見てもデカいよな?!」
そう叫んで樹を見上げるのは美奈津である。
「でも? 本当にいいのか? あたしが見物しても。
後に試練を受ける可能性があるから、見てはダメって言ってたのに」
その美奈津の問いに真名が答える。
「まあ、な。今回は特別だよ。どうせあらかじめ見ていてもどうしようもない試練だ」
「ふん、そうなんだ?
……潤?」
不意に美奈津が潤に呼びかける。
しかし、それに潤は答えない。何やら呆けて、心ここにあらずといった風だ。
「潤? おい!」
「え?」
何度か美奈津が呼びかけてやっと気づく潤。
それに対して美奈津はあきれ顔で……
「おいおい、緊張してるか? 大丈夫だろうな?」
「え? ああ! 大丈夫だよ!」
そう言って、潤は笑顔でガッツポーズをする、いつもの潤ならやりそうにない行動だが。
「ふ~ん。まあいいか」
美奈津は気にも留めず目の前の巨大な樹に向き直った。
(……潤)
真名はそれをしばらく見つめると言った。
「潤! 呆けている暇はないぞ!! 気を引き締めろ!!」
その強い言葉に潤ははっとした顔で返した。
「わ! 分かりました! すみません!!」
「うむ……」
その言葉を聞いた真名は無表情で樹に近づいていく。
「では……延寿様。よろしくお願いします」
そう言って樹に頭を下げた。
すると、その言葉に答えるように、人影が樹の中からすっと現れる。
その人影は……
「……」
頭のてっぺんに一輪の花を咲かせた状態で眠りこけていた。
「ぐう……」
「……」
真名は、黙ってしばらくそれを見つめた後……
「失礼」
パシ!
その人物の禿げ頭を引っ叩いた。
「!! 真名さん?!!」
その、いきなりの行動に驚く潤。
……そう、その人影……、それはあの蘆屋八大天の一人・延寿である。
「ほ?」
その行動でやっと目を開ける延寿。
そして……
「おお! 姫様! 頭が少々痛いのですが、虫でも刺しましたかのう?」
「いえ? 私は何も知りませんが?」
「そうですか?」
そう言って延寿は首をひねる。
潤はジト目で真名を見る。
「……真名さん」
「試練を始めるぞ潤」
「は……はあ」
潤は、真名のその宣言に返事をするしかなかった。
しばらく首をひねっていた延寿だが、潤の存在を認めるとにこりと笑って言った。
「ほほほ……おぬしが矢凪潤であるな? では、さっそくじゃが試練の説明を使用するぞ?」
「はい!」
延寿の言葉に、潤は元気に返事を返す。
「ふむふむ……。元気でよいぞ。
では、此処で始める第二の試練とは……
わしの本体でいう所の、この『大霊樹』の中心からの脱出じゃよ」
「え? それって……」
「わしの本体の中心部には、試練用の霊室が用意されておる。
そこに、これからお前を閉じ込める。
そしたら、どのような方法を使ってもよいので脱出をするのじゃ」
樹木の中心に用意された霊室からの脱出……どのような方法を使ってもよい……
それは、簡単なようにも聞こえるが?
(……おそらく一筋縄ではいかない)
そう、考えて潤は気を引き締めた。
延寿はその潤の顔を見て満足そうに頷くと……
「では、準備が出来次第始めるとしようかの?」
そう言った。
◆◇◆
(……ふうん? 一見すると特に気にしてる様子はないっすがね?)
奈尾はそう考えつつ潤の背中を見つめる。
(でも……、もしまだ気にしていて、それが原因で試練に失敗したら……
その時はその時……、喰らうだけっす)
奈尾はそう考えつつ鼻で笑ったのである。
◆◇◆
潤の準備が整い、さっそく試練が始まった。
「……長いな」
潤は今、樹木にできた穴から入って、その奥へと歩みを進めていた。
それは、どこまで続くかもわからない長い長い通路。
なぜか、その通路の周囲の壁は薄く輝いており、足元を気にしなければならないほど暗くはない。
「どこまで続くんだろう」
周りの景色が変わらないので、まるで数時間も歩いているような錯覚に陥りつつ、ゆっくりと歩を進める。
「あ」
そうするうちに、目的の場所についた。
そこは、樹木の壁で覆われた球状の樹洞であった。
「ここが……霊室」
潤がそう言いながら、一歩樹洞に入ると……
「え?」
すっと、背後の自分が今まで通ってきた通路が閉じてしまう。
驚いて、潤は壁を叩いてみる。
「だめだ……通路がなくなってる」
いくら叩いても、樹木の繊維が詰まった壁の、くぐもった音がするだけであった。
「ふう……」
潤は一息ため息をつくと、壁を背にその場に座り込んだ。
「……」
こうして、何もいない、誰もいないところに一人でいると、どうしても思い出してしまう。
『少年よ……』
『「はい……』
『私は、人類殲滅をもくろんだ邪悪な呪術師だ……』
『……』
『だから……
泣くな……
心優しい少年よ……』
自分がこの手で殺してしまった道蘭。
いまだに、どうにかして救う方法があったのではないかと……
他にやりようがあったのではないかと考えてしまう。
それは、ある意味傲慢な考えで……
以前の戦いで母と再会したそれ以前ならともかく、今の潤はそれを理解しているが……どうしても考えてしまうのだ。
「どうしようもないな」
潤は一人そう呟く。
パシ!
潤は意を決すると、そう頬を叩いて自分を鼓舞した。
「今は、考えない! 試練に集中する!」
そう言って立ち上がって、心の中で呼びかけた。
(かりん!)
【なに? お兄ちゃん?】
その思いに答えて、すぐにかりんが現れる。
「かりん。この壁を燃やしてみてくれ」
【え?!】
その言葉にかりんが絶句する。今いるのは樹木の中心部、周りは樹木の壁……
【そんなことしたら、火に巻かれちゃうよ?】
……まあ当然のことである。
「いや……大丈夫だよ。僕の予想が正しければ」
【むう……、分かったけど。なるべく離れていてね?】
そう言ってかりんは手のひらを壁に向ける。潤はかりんから出来る限り離れてそれを見守った。
【いくよ!】
そう言うが早いか、かりんの掌から火の帯が飛ぶ。それは、確実に壁に命中してそれを焦がした。
「……」
潤はその成り行きを眺めている。そして、それは起こった。
【あ!】
壁が……焦げて炭化していく壁が、そのすぐそばから元の瑞々しい樹木へと戻っていく。
「やっぱり……」
【これって……】
かりんの疑問に潤が答える。
「以前、あの乱道と道満様の戦いの時、道満様はこういってた……
延寿様は、不死無限再生の神位特効を持つと」
【じゃあ……】
「そうだ……。この壁は……、どんな攻撃呪を用いても壊すのは不可能だ。
攻撃呪では……ここから脱出することはできない」
ならばどうする?
潤は考える。
……でも、しばらく考えてもまとまらなかった。
「どうしたもんか」
潤はそう呟いてその場に座る。
そして、真名がしていたように、瞑想を始める。
(こういった場合は、焦ってはだめだ……。まだ時間はあると考えよう)
そう、心の中でつぶやきつつ瞑想を続けた。
そうして、しばらくしたとき。
(そう言えば……今僕が使える呪はどれだけだったかな?)
そう考えて、自分の扱える呪を思い出し始める。
(真名さんは、僕がこの試練にも合格するだろうと考えている……
ならば、僕が使える呪に何かあるはずなんだ)
そうしてしばらくたった後、潤は一つの結論に達した。
「やっぱり、使鬼の目か……」
そう、前の試練の時も使鬼の目が切り札だった。
この八天錬道そのものが……
(もしかして、僕の使鬼の目を鍛え覚醒させるためのモノ?)
そう考えれば、真名の言葉も納得がいく。
「だったら! やることは一つだ!」
そう呟いてから潤は目に意識を集中する。
そして、それはすぐに目覚めた。
<使鬼の目>
潤は魔眼を覚醒させると、すぐに樹木に霊糸を接続する。一気に視界が反転した。
◆◇◆
「……」
そこは、無限ともいえる光の中。
そこに、潤は一人で立っていた。
「?」
不意に何かの声が聞こえたような、そんな気がして振り返る。
「!」
そこに彼がいた。
「……なんで」
その彼は、かつてのようにやさし気に微笑んでいる。
「ど……道蘭さん?」
「ふふ……また会ったな少年」
「なんで?」
「ここは、大霊樹に流れる霊道の中心、こういうこともあるさ」
道蘭は説明する。
大霊樹の霊道は天地自然の龍脈ともつながり、果ては死の世界にすら続いているのだという。
「ふふ……これは、延寿様に感謝せねばならんな」
そう言って道蘭は笑う。
でも潤は……
「道蘭さん……」
何かに震えるようにうつむいている。
「少年……、何を怯えている?」
「……それは」
「罪の意識か?」
「……」
「そうだな……。お前と私は本当に似ている。勝手に考えて、勝手に自分を追いつめてしまう」
潤は意を決して道蘭に語る。
「僕は……どうしても考えてしまうんです」
「もっとうまくやれたかもしれない? 救えたかもしれない?」
「そうです……」
「それはとても傲慢な……」
「わかってます」
「……でも、考える」
「……」
道蘭は頷くと、にこりと笑った。
「ならば、その罪の意識を抱えたまま生きていけ」
それは、聞きようによっては、咎人への罵りにも聞こえる言葉。
……でも、
「それは……、その心は、君が皆を深く想っていることのあかしだ。
この世には人を死なせても、罪の意識などなく生きている者は多い」
「でも……」
「……いや、だからこそだ。だからこそ、その罪の意識で潰れない精神力を鍛えろ」
道蘭は優し気に微笑みながら語り掛ける。
「人の死を忘れるな……
その心の痛みを忘れるな……
それを抱えたうえで、今生きる者達のために笑顔を絶やすな……
その痛みの数だけ、君は強くなれるはずだ」
「道蘭さん」
道蘭は不意に掌を潤に向ける。
「潤……と言ったか? これから生きる者達のために、私の力を持っていけ」
「え?」
「我が力……。我が異能力……。それは、人の罪を見る能力」
道蘭の掌に光球が現れ潤へと向かう。
「人は罪を抱きながら生きている。
たとえ、赤子の小さな命であろうともだ。
……ならば、生まれるべきではないか?
いや、それは否だ。
人は、その先祖から子孫への繋がりそのものが生命だ
人は生まれ……生き……死ぬ……。その生きた人の想いは次代に継承されて受け継がれていく。
潤……君は……
私の想いを受け継いでくれ……」
「道蘭さん」
潤は、道蘭から解き放たれた光球をしっかり抱く。
「僕は、後悔しています……」
「……」
「でも……
でも!! 僕は貴方に出会えたことは後悔していない!!」
「ふ……」
その言葉を聞いて、深く慈しむように道蘭は微笑んだ。
「これから、君はいくつも後悔することがあるだろう
……でも、
大丈夫だ……心配ない……みんながいるから」
その言葉と笑顔を残して道蘭は姿を消した。
「道蘭さん」
自分は罪を犯したという意識……
それは自分の中から消えないだろう
でも、だからこそ、自分は生きて……生き抜いて、失われた人の想いを受け継いでいこう
潤はそう思ったのである。
そして、次の瞬間に更なる光が来た。
◆◇◆
大霊樹の前、真名は目を瞑って潤を待っていた。
潤はこの試練を乗り越える。それは、確信がある。
でも……
(潤……)
それでも、心配してしまうのはどうしてだろう?
……と、不意に延寿が笑って言った。
「ほほほ……、合格のようじゃのう」
「え?」
真名がそう呟くと……
真名の目の前に光が生まれた。
その光の中から現れたのは……
「真名さん……ただいま……です」
「潤……」
真名は心からの笑顔を潤に向けた。
潤は延寿の方に向き直る。
「延寿様……」
「その顔……どうやら確信を得たようじゃの?」
「はい! この呪は……
今回の試練で手に入れた呪は……」
<蘆屋流八天法・霊相転臨>
「霊相転臨……それは、一度死を迎えて復活する法じゃ」
そう言って延寿は満足そうに笑う。
「この呪を、あらかじめ長い儀式で起動しておけば、一度死を迎えても復活が出来る」
延寿はそう言うと、その頭の華を手で摘む。
すると……
「この延寿の種を持っていけ……。呪はこの種の回数だけ起動できる」
そう言って、五つの種を潤に渡した。
潤はその種を、しばらく見つめた後、こういった。
「これって……他人にも施すことはできるんでしょうか?」
「ほ?」
その言葉を延寿は珍し気に聞く。
「ほほほ! なるほど! そう言う使い方もあるにはあるの?
その場合、自分には使えんぞ?」
「わかりました!」
そう言って潤は延寿の種を懐にしまう。
「やったな! 潤!」
美奈津が、嬉しそうに潤に笑いかける。
「ふう……」
真名は潤を見つめながら、少しだけため息をつく。
(まあ、潤らしい考えではあるか……)
そう言って、そっと苦笑いするのであった。
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