呪法奇伝

深遠なる呪法世界へようこそ。
武無由乃
武無由乃

第二話 正義の炎

公開日時: 2022年2月20日(日) 18:14
更新日時: 2023年4月18日(火) 19:58
文字数:27,698

……ユルサナイ

アイツラ……ゼッタイニ

ソウサ……コレハテンチュウダ

アンナクサッタヤツラ……イカシテオイテモイミハナイ

ソウダ……ボクハ


ボクハ……『セイギノミカタ』ニナッタンダ……




岐阜県森部市森部町

森部市立森部高校の体育館裏


「なー……聞いてるん? マコちゃんよ……」


「おいおいww いい加減にしないとマコちゃん泣いちゃうぜww」


生徒も下校をはじめた放課後。『僕』は三人のクラスメイトに囲まれていた。

クラスメイトといっても別に友達なわけじゃない。いつも、この三人は『僕』に絡んでくるのだ。

今日も、家に帰ろうと席を立ったときに、呼び止められここに連れてこられた。


「おい、誠……。今日はこんだけなのか?」


『僕』を囲んでいる三人のリーダー格『永瀬正人ながせまさと』が『僕』の財布を地面に捨てながら言った。

そんなことをしたら財布が土で汚れるだろうが! ……なんて、その程度のことでわざわざ『僕』は怒ったりしない。


「……よお、明日はもっと持ってきてよね。マコちゃんw ボクタチお小遣いがほしいのww」


三人のうちのもう一人『国府勝こくぶまさる』が『僕』の肩に馴れ馴れしく肩を回してくる。最後の一人『近藤敏明こんどうとしあき』 はタバコを口にくわえながらただ『僕』をイライラした表情で眺めている。


こいつ等は、まさしく糞蝿のように『僕』にたかって来るどうしようもない奴らだ。教師の前ではいい子面しているのがなお悪い。 『僕』がナイフでももって刺してやれば終わりだろうが、まあ『僕』はこんな奴らのために犯罪者になるのはごめんだ。


「おい……きいてんのか?」


永瀬が『僕』の襟をつかんで『僕』を引き寄せる。そんなことしなくても君の顔は見えてるよ……。


「わかてるよ……。持ってくるから……」


こういっておけば、たいていこの場は収まる。いつものことだ。


……と、その時、不意に足元に真っ白な犬がやってきた。毛が白いけど「柴犬」だろうか?


「……白柴か……珍しいな」


近藤がしみじみとそうつぶやく。そんなことを知ってるなんて犬が好きなんだろうか?


「おーい! シロウ! どこいったんだよ!!」


どうやら、この「白柴」の飼い主の登場のようだ。永瀬達はあからさまに苦い顔をしている。


「あ……いた……。シロウ……駄目だろ」


飼い主は『僕』と同年代だろうか……同じ森部高校の制服を身に着けている。名札には『矢凪潤』とある。

その姿を見た永瀬達はより強く苦い顔になった。


(……おい、こいつ……)


(……ああ、隣のクラスの矢凪だ……。幽霊の……)


(……下手にかかわると呪われるぞ……)


と、犬の飼い主には聞こえないようひそひそ話しをしている。そうして、しばらく話し合った後、『僕』に「そういうことだらか頼んだぞ……」とだけ呟いて永瀬達は去っていった。


「……」


『僕』がしばらく黙っていると、犬の飼い主が『僕』の顔を見て言った。


「……大丈夫?」


……なるほど。こいつは『僕』を助けたつもりなんだ。黙っててもすぐにこの場は収まっていたのに。

『僕』は黙ったまま地面に捨てられた財布を拾うと、何事もなかったようにその場から歩いていく。

そいつは、まだ『僕』を眺めているが……別にどうでもいい。


『僕』が学校の校門にたどり着くと、なにやら冷たいものが地面におちた。頬を触ってみるとそれは『僕』の涙だった。いつから泣いていたんだろう……あいつにも見られたか?

こんなことは『僕』にとっていつものことだ、泣くほどのことじゃないのに……。

『僕』は涙を袖でぬぐうと全力疾走で家への道を急いだ。


『僕』にはやらなければならない事があるんだ……。



翌日、学校の朝礼で『国府勝』の家が火事になって家族全員焼死したことが伝えられた。

出火の原因は『国府勝』の寝タバコらしい。あいつらしい死に方だと『僕』は思った。



◆◇◆



森部高校の放課後、下校途中


あの『森部東病院』の事件からすでに四日が過ぎていた。

潤は、事件の翌日すぐに操を連れて近所の神社へと向かいお払いをしてもらった。そのついでに、あの病院の調査をあきらめるよう操を説得するのも忘れない。しかし、操は相変わらず隣で不満げな様子で文句をもらしている。

あんな目にあったというのに、この精神の図太さだけは見習ってもいいのかもと潤は思う。


その四日の間にちょっとした事件もあった。

昨日、隣のクラスの男子生徒の家が火事になり、その生徒も家族もまとめて亡くなったのだ。今月に入ってこれで二人目になる。おまけにその前に焼死したのも、今回と同じクラスの生徒というなんとも気味の悪い話だった。

この二つの火事のことを聞いた操が、案の定「これは臭いわ! 調査をしましょ、潤くん!!」などといったが、僕はあえて無視していた。


潤達が森部商店街のコンビニの前に差し掛かったとき、潤はいつもの”ゾクリ”という、

背筋を冷たいものが走る感覚を得た。潤がこの世ならざる存在を知覚するときいつもこうなるのだ。

潤がコンビニ脇の路地を霊視ると、そこに一人の老婆が佇んでいた。なにやら悲しげな様子で路地の奥を覗いている。

その老婆からは、まったくいやな感じは得られなかった。潤が普段からよく見る浮遊霊や誰かの守護霊の類だろう。ただその表情が曇っているのが潤は気になった。


……ふとその老婆の霊が潤の方を向いた。潤に自分が見えていることを理解したのか、その霊はひとつ頭を下げると、路地の方を指差す。どうやらそちらに何かあるようだ。

潤は隣に立って携帯をいじっている操をほおって置いて老婆のいる路地に向かった。


「……! ……!」


路地の奥からなにやら男の怒鳴り声が聞こえてくる。老婆の横から路地の奥を覗くとそこに見知った顔を見た。


「……てめえ! さっき俺のこと笑ったろ!」


「すいません。……笑ってないです。勘弁してください」


怒鳴りつけてるのは数日前、学校の体育館裏で他生徒に絡んでいた三人組の一人だ。絡まれているのは見知らぬ生徒だが、うちの制服を着ているので同じ森部校生だろう。

どうやら老婆の霊はこれを見ていたようだ。絡まれている生徒の守護霊だろうか?


「嘘を言うな! 俺はわかってn……」


怒鳴っている男がさらに詰め寄ろうとしたとき、潤が見ていることに気づいたようで怒鳴るのをやめた。その男はあからさまな渋い顔をすると「チッ……」と舌打ちをする。絡まれていた生徒はほっとした表情になって、こちらを救世主を見るかのような目で見た。



◆◇◆



「……何見てんだてめえ……」


男は咽喉から搾り出すようにそれだけを言った。潤と男は真正面から睨み合う形になる。


……と、その時、潤の背後から


「あ~れ~? 近藤君? 近藤君だよね? ちょっと取材してもいい?」


とあからさまに場違いな声があがる。この声はさっきまで携帯をいじっていた操だ。


「……」


操に近藤と呼ばれた男は、操を一瞥すると何事もなかったように歩き出し、大げさに潤の肩に自分の肩をぶつけてその場を去っていく。

潤がその背後を見つめていると、先ほどの老婆の霊が急いで近藤についていくのが霊視えた。

どうやらかの霊は、絡まれていた生徒の守護霊ではなく、絡んでいた近藤の守護霊だったようだ。


しばらくすると操が声を発した。


近藤敏明こんどうとしあき……うちらの隣のクラスの生徒で、ほんの最近自宅火事で焼死した永瀬正人ながせまさと及び国府勝こくぶまさるとよくつるんでいた生徒。成績はそれほど、いいのは外面だけで、裏ではほかの生徒をいじめてたり恐喝まがいに金品を奪っていた、不良三人組の一人」


「……」


「仲間が続けて焼死して……相当荒れてるようだね」


「もうそこまで調べたの?」


操の行動力にちょっと呆れた。操は得意満面の表情で、


「当然よ! この事件いわゆる放火とは違う何か怪しい気配を感じるからね!」


っと言った。君は霊感ないだろう……といまさら突っ込む野暮はしない方がいいだろう。


「今まで恨みを買うこといっぱいしてるから……、誰かに呪いをかけられたんだろうってもっぱらの噂だよ」


とりあえず怪しい気配は何も感じなかったが。本当に『呪い』なんだろうか……。

そう疑問を感じながら潤は近藤とその背後の老婆を見送った。



◆◇◆



その日の夜9時ごろ


「それじゃ……シロウの散歩いってこよっか」


潤と操はいつものようにシロウの散歩をしに家を出た。

潤と操は幼馴染である。本来は別々の家に住んでいるであろう間柄であったが、今潤は操の家に、飼い犬のシロウとともに厄介になっている。無論、これには大きな理由があった。


潤は、もともと母一人子一人の母子家庭であった。潤の母親である矢凪風華やなぎふうかは、潤がお腹にいたころに夫・矢凪司郎やなぎしろうと死に別れ、それ以来女手一つで潤を育ててきた。そのとき近所で良くしてくれていたのが、操とその両親だった。だが、今から6年前、矢凪風華は不意に道路に飛び出した潤を庇って車にはねられ、潤の目の前で命を落とした。

潤は今でもその時のことを鮮明に覚えていた。何よりそのことが原因でしばらく口も利けず、ただひたすら道路に飛び出した自分を責めながら、部屋の隅で縮こまって過ごしていた。そして悪いことに、矢凪風華にも夫・司郎にも親戚らしきものはいなかった。そのため、潤は施設に預けられることになったのだが……それを止めたものがいた。それは幼いころの操だった。

操は自分の両親に、潤を引き取るように願った。そして、その願いは聞き届けられ、潤は操の家に引き取られることとなった。だが、そうなってもなお潤は心を閉ざしたままだった。それから、操が潤の心を開かせるために奔走したのだが……それは別の話である。

皮肉なことに、目の前で母親の死を目撃したその日から、潤は一般人には見えないものが見えるようになった。それは死んだ母親の置き土産だったのか?

……とうの母親の霊は一向に見えないのだが。


あの日以来、自分は操に守られているように潤は感じていた。一見すると潤の方が大人で操は子供っぽい性格をしているのだが、芯の強さでは操には勝てないだろう……と。


「……くぅん」


いつもの散歩コースで児童公園の前に差し掛かったときシロウが小さく鳴いた。


「うん? なにシロウ」


操がシロウに近づいて頭をなでる。操は何も気づいていないようだ。

いつの間にか、潤たちの目の前に夕方の老婆の霊が立っていた。



◆◇◆



老婆は明らかに様子が変だった。なにか焦っているような、引き攣った表情を浮かべている。

老婆はスッ……っと潤の方に近づくと、夕方のときのように一回会釈をする。そして、何か訴えるように口をパクパクと動かす。

潤には老婆の声が聞こえなかったが、その思いは心に直接伝わってきた。どうやら近藤に何かあったらしい。自分には近藤を助けるような義理はないが、最近の火事の事もある。潤は老婆に頷くと言った。


「案内してくれ」


老婆はそれを聞くとうれしそうな表情をして、音も立てずススッっと滑るように児童公園の中を横切っていく。訳のわかっていない操を置いて潤は老婆の後を追った。


「なに~? いきなりどうしたの?」


操は慌てて潤を追いかける。


「何か嫌な予感がする」


潤はそれだけ言うと児童公園を抜けて反対側の道路へと駆ける。今は詳しく説明している暇はないだろう。操はそれを聞くと何かを悟ったような表情で潤の後に続く。老婆の後を追い、道路に出てそこを道なりに進み、T字路を右に曲がってしばらく。不意に潤を”ゾクリ”という感覚が襲った。


(……この先に何かいる! さっきのお婆さんじゃない何か!!)


そうして道なりにしばらく走っていくと、明らかに様子のおかしい家にたどり着いた。


「……!!」


それは操にもハッキリ見えた。『近藤』と表札のある二階建ての一軒家、その二階の窓の向こうが赤く瞬いており、窓の隙間から煙が漏れていたのだ。


「火事?!!」


そう……近藤宅の二階の内部が燃えていたのだ。潤は急いで操に声をかける。


「消防に電話!!」


「うん!!」


操はそう答えると、急いでポケットから携帯電話を取り出してかけ始める。

潤が再び、煙が漏れている二階の窓に目を向けると、そこに怪しい何かの影を霊視た。

潤たちを案内してきた老婆はそれを指差してなにやら訴えると、玄関の扉をすり抜けて内部へと向かう。

中で何かが起こってる。明らかに普通ではない何かが。潤はシロウに「ここで待て」と命令すると、急いで玄関の扉をあけて中へと駆け込んでいった。


「ちょっと! 潤!?」


背後から操の焦ったような声が聞こえる。

その先で待ち受けていたモノが、自分のその後の運命を変えることになるとは、このときの潤はまったく気づいていなかった。



◆◇◆



潤は玄関に駆け込むと、靴も脱がずそのまま廊下を走った。すると奥に二階への階段が見えてくる。

その先に何か得体の知れない気配を感じながら階段にたどり着くと、今度はゆっくり慎重に階段を登っていく。煙が漏れて流れてくるのが見えてきた。パチパチと嫌な音も聞こえてくる。

階段を昇りきるとその先に、隙間から煙の漏れている扉が見えた。おそらくあそこが火元だろう。

潤はその扉に近づくとノブに手をかけ、一息のあと思いっきり開いた。


そこにソレがいた。


部屋中火の海、その中央で倒れている近藤、それを見下ろすかのように何かがいる。それは一見すると炎の塊に見えるが、明らかに普通ではないのは赤く光る一対の目があることだ。そいつは自分が潤に見えている事に気づくと姿を大きく変える。ソレは炎で形作られた一匹の大鳥であった。


【オマエ……ワレガミエテイルノカ……】


そいつは確かにそう言った。

気配は四日前に遭遇した『怨霊』に似ている。しかし、それと明らかに違うのは、こちらにはハッキリした知性が感じられる。『炎の大鳥』は一回翼を羽ばたかせると潤に語りかけてきた。


【ワレノジャマヲスルイナヨ……チカラアルモノ。ワレハ……コノゲドウニ……バツヲアタエニキタモノナリ】


「罰?」


【ソウダ……オオクノツミヲオカシタコノモノハ……シヲモッテツミヲツグナウノダ】


まさか神の使いとでも言うつもりなのか、『炎の大鳥』はそう言って近藤に顔を向けた。その口が大きく開かれ、紅蓮の炎がチロチロと現れる。


(……! 焼き殺すつもりか!!)


止めようと潤が一歩を出しかけたとき、近藤に何かが覆いかぶさるのが見えた。

それは、あの老婆の霊だった。


【ジャマヲスルカ……ババアゴトキガ!】


いきなりそれまで知性的だった口調が乱暴なものに変わる。老婆の霊の背中に火の粒が舞い落ち、一気に燃え上がる。それでも、老婆の霊は近藤から離れなかった。


「……!」


近藤を庇いながら炎に包まれる老婆。

その姿を見ていた潤はふと何かが心の中に入り込んでくるのを感じた。


一瞬にして目の前が反転する。



◆◇◆



「ばあちゃん! カップアイスかってきたぜ! 一緒に食べよう!」


「これこれ、とし……。そんな硬いもの私は食べれやしないよ。おまえ一人で全部お食べ……」


「大丈夫だって……。これ結構やわらかいんだ!」


少年はそういって、台所からお皿を一つ持ってきてカップアイスを取り分ける。

少年はいつもおばあちゃんのそばにいた。おばあちゃんが大好きだった。

両親がおばあちゃんを引き取るときいろいろ揉めたが、少年の怒りの一喝が両親の喧嘩を止めた。

両親はいつも喧嘩している。少年はそれが死ぬほど嫌だった。たいていはおばあちゃんを標的にするからだ。

おばあちゃんが一人で泣いているところを見た事が何度もある。たいていは両親の心無い一言が原因だった。

少年はおばあちゃんにハッキリと宣言した。


「いつか俺が一人で生きていけるようになったら、おばあちゃん一緒に暮らそう! 俺がおばあちゃんを守る!」


その言葉を聴いたときのおばあちゃんの笑顔は、少年は生涯忘れないだろう、たとえその数日後に心筋梗塞でおばあちゃんが亡くなったとしても。


両親は最後までおばあちゃんを厄介なお荷物としてしかみていなかった。おばあちゃんが亡くなって、清々したような表情を浮かべている両親を見て、少年は自分の身にこのクズどもの血が流れている事を呪った。



矢凪潤は一瞬で老婆と近藤の関係を理解した。この老婆の霊は近藤の祖母、近藤は祖母の死を境に人生を狂わせていた。両親との不和が、優しかったかつての少年の心を歪ませていた。

無論、その後犯した罪は、決して許せるものではないが。



潤の視界が現実に戻ってくる。

近藤の祖母は大鳥の炎から身を挺して近藤を守っている。その身が炎に包まれていき、端からボロボロと焼け崩れていく。潤はもう見ていられなかった。


「やめろ!」


部屋の端に立てかけてあった金属バットを持って大鳥に飛び掛る。しかし、その攻撃は大鳥をすり抜けてしまう。こいつには明確な実体がないのだ。

バットをその場にほおると、今度は近藤をその場から引きずり出そうとした。それを見た大鳥が大きく嘶く。


【ジャマヲスルナトイッタロウ……コゾウ!】


大鳥の全身から火の粉が舞い、潤の頭上に降ってくる。上着に火が付いた。


「く……!」


潤は上着を脱ぐと火を消す。これではきりがない、そう思っていると。


【トリアエズ……イジバンジャマナノハオマエダ! クソババア!】


そういって近藤の祖母の上に火の粉を撒き散らす。もはや老婆の霊はその身を保っておく事は出来ないようで、下半身も腕も髪の毛もボロボロと灰に変わっていった。


そして……


【とし……、ごめんね……、何も出来ない……駄目なおばあちゃんで……】


その一言を発して老婆の霊は完全に灰になった。



「……!!」


その光景を見たとき、矢凪潤の心の中の何かが大きくはじけた。


【……おい……】


【ウム……?】


潤は言葉ではない言葉を大鳥に発する。それを聞いた大鳥は一瞬戸惑った。

それは明らかに人の発するものではなく、どちらかと言うと人ならざるモノ達の言葉だった。


【いいかげんにしろ!!】


【ガ……!】


なんと大鳥はその語気だけで気圧された。大鳥が潤の方を見ると潤と目が合った。


次の瞬間、大鳥は大きく背後に跳ねた。潤の目に今まで感じた事のない力を感じたのだ。

大鳥は先ほどまでとは違い、怯えた目で潤を見つめる。


【……バカナ……オマエ……】


【消えろ……早く……】


潤がそう呟くと、大鳥は慌てて窓をすり抜けて空へと飛んでいく。大鳥が逃げていくと、部屋の炎が次第に小さくなっていった。


……と、そのとき消防車のサイレンの音が聞こえてきた。その音を聞いて、潤は我にかえった。

自分が大鳥に何をしたのか、自分に何が起こったのか、このときの潤はわかっていなかった。



◆◇◆



森部市某所


逃げた大鳥は、いずことも知らぬ場所で羽を休めていた。


【……ヤツハ……ヤツノメ……タマシイ……】


あの少年の目を思い出すだけで大鳥は震えが走る思いだった。


【……ダメダ……ワガシメイ……コノママデハジッコウデキナイ……。ナントカシテ……ヤツヲシマツセネバ】


あの力を止める方法に覚えがある、自分だけでは実行できないが。

大鳥は自分に使命を与えた者の事を思い出す。こうなったからには、彼の力を借りるしかないだろう。

大鳥は一声嘶くと再びいずこかへと羽ばたいていった。



◆◇◆



森部高校放課後


その日『僕』は興奮していた。それまで疑問だった事がハッキリしたからだ。

まさかそんな事があるとは思っても見なかった。いや、心の中で期待していたのは事実だが。


昨日の夜、近藤敏明の家でボヤがあった。通りかかった人が気づいて通報したので大事にはならなかったらしいが。そんな事より、『僕』にとって大事なのは、火事が起こったという事実だ。

これで、あれが本物である事は証明されたと言っても良いかもしれない。


『僕』は一ヶ月前ある人から小さなペンダントを買った。

売っていた人の話によると、願いをかなえてくれるペンダントであるらしかったが、『僕』はそのペンダントに描かれている鳥の模様がフェニックスに見えて、一瞬で気に入って購入した。

あの三人組にはとられたくなかったので学校には持っていかなかった。ただ、自分の部屋でそれを眺めているだけで元気がわいてくる気がした。


その本当の力を知ったのは、いつもの様に三人組に絡まれおせっかいなやつに助けられたあの日、あの後家に帰った『僕』はついペンダントに願いをしてしまったのだ。


『あのムカつく国府が死にますように』


それは単なる出来心のようなものだった。まさかそれが翌日に本当になるとは思っても見なかった。

その時は当然のようにただの偶然だろうと考えた。


だが、その偶然はさらに二度も起こってしまった。最後の近藤は死ぬ事はなかったが、明らかに『僕』が願ったあとに火事にみまわれている。もはや偶然としては出来すぎている。


そうなると『僕』が前の二人を殺したことになるのだろうが……どうでも良いだろう。

どうせ生きてても仕方のない糞蝿どもなのだ。死んだほうがこの世のためだ。

そもそも『僕』が殺したという証拠はどこにもない。ナイフで刺すより合理的で最高な殺し方だ。


家に着いた『僕』は急いで部屋に向かい、机の引き出しを開けペンダントを取り出す。

近藤が他生徒に絡んでいるところは、昨日も含めて何度も目撃されている。

やつは仲間が死んでも何も変わらない真性のクズだ、死ぬべきだろう。


ペンダントに願いを言おうとしたとき、今までにない変化が起こった。

ペンダントの鳥の模様が赤く輝き始め、巨大な炎の大鳥に変わったのだ。

それは、まさしくフェニックスそのものだと思った。


驚いてぽかんと口をあけている『僕』を見つめると、そのフェニックスは『僕』に語りかけてきた。


【ワレハ……、、……フェニックス……セイギノホノオヲツカサドルモノ……】


「え? 本当にフェニックス?」


【ソウダ……コウケツナルタマシイヲモツモノ『マコト』ヨ……

 オマエ、ハサラナルチカラヲエルシカクヲテニイレタ……】


『僕』は一瞬フェニックスが何を言っているのかうまく飲み込めなかった。

まさか、その力を使って『僕』に正義の味方になれとでも言うのだろうか?


【……セイギノミカタ…… オマエニハソレニナルシカクガアル……】


驚いた。

まさか、マンガや特撮の中の出来事が実際に起こっているらしい。


「ちょっとまって……。なんでいまさら僕に正義の味方なんて……」


正直、『僕』は喧嘩は強くない。痛い思いをするのもごめんこうむる。


【アシキ……モノガセマッテイル……。

 ソレヲタオセルノハ……ワレトケイヤクシタ『マコト』……オマエダケダ】


まさか、人類の敵とかが迫っているのか?

それと戦えるのは『僕』だけだと?


「でも……僕は」


【ダイジョウブ……ワレトケイヤクセシモノハ……ムゲンノチカラヲエル……

 オマエハワレガマモロウ……】


どうやら、フェニックスが『僕』を守ってくれる上に、さらに強力な力が得られるらしい。

それなら『僕』でも……。


【サア……ケイヤクヲイソゲ……

 アシキモノノナ……ジャアクナル『マガン』ヲモツモノ……

 『ヤナギジュン』ヲタオスノダ……】


『ヤナギジュン』と言う名は、どこかで聞いたことがある気がしたが、もはやどうでもいい。

『僕』は……『羽村誠はむらまこと』は……


邪悪なる者どもを倒す、本当の『正義の味方』になったのだ。



◆◇◆



あの火事の翌日早朝、潤たちがいつもの様に登校してくると。校門の前で近藤敏明が待っていた。


「本当にすまなかった!」


「……」


「……それと、助けてくれてありがとう」


近藤は潤たちに大きく礼をした。

あの火事のあと近藤は病院に担ぎ込まれ検査をされた。しかし、あの炎の海の中、不思議なことにまったく何も外傷がなかったようで、すぐに病院から出られたのだという。無論、その後に警察の尋問を受けることになったが。


「お前らが助けてくれなかったら、俺はもうこの世にいなかったろうって言われた。感謝してもしきれねえ、ほんとにありがとう……」


「あ、いや……僕は……」


そのとき、潤はあの近藤の祖母のことを思い出していた。火の中、近藤に覆いかぶさり炎から孫を庇い、灰になって消えたあの老婆の霊のことを。

そのことを思うと、潤は何を言っていいのかわからなくなった。


「実は……昨日、火の中にいたとき、夢を見てた……」


近藤が唐突に話を変えた。


「むかし死んだばあちゃんの夢……」


「……!」


「なんかばあちゃん泣いてて……いやな気分になった……。俺がばあちゃんを泣かせてるんじゃないかって……」


「……」


近藤はかつてのおばあちゃんとの話を始めた。

一人暮らしのおばあちゃんを家に引き取ることにしたときの事。

両親がいつもおばあちゃんを厄介者扱いしていた事。

……そして、昔交わした大切な約束と、おばあちゃんとの別れ。


「俺は……最低だな……。大切な約束もほっぽって、結局俺が俺自身大嫌いな、嫌な奴になっちまってた。でも、あの夢を見て、奇跡的に外傷が何もなかったって話を聞いて思ったんだ。もしかして、今でもばあちゃんは俺を見てるんじゃないかって……。お前らが助けてくれた事ももちろんあるが、ばあちゃんが俺を守ってくれたんじゃないかって……」


「……」


「……なあ、矢凪……お前霊が見えるんだよな……。ばあちゃんは今でも俺を見てるか?」


その近藤の言葉に潤は……


「……うん、今も君を見守ってるよ……」


ちょっと悲しい嘘をついた。


「……そうか。だったら、もう二度とばあちゃんを悲しませるマネはできねえな……。俺がひでえことした連中が、俺を許してくれるかはわかんねえが。これ以上クズになったら、俺は助けてくれたお前らにもばあちゃんにも申し訳がたたねえ……」


もう本当のことなんて、彼にとってどれほどの価値があるというのか。

今、近藤は真っ直ぐな目をしている。

罪を償って、おばあちゃんに恥じないよう生きていくに違いない。


近藤はかつての近藤の祖母のように深く会釈するとその場を去っていった。

その背中を見て……


「……?」


潤は近藤に寄り添うおばあちゃんの姿を、一瞬見たような気がした。



◆◇◆



近藤と校門の前で話をした翌日の夜


「何でついて来るかな……」


「何でって! 怪しいでしょこれ! シロウだけには潤を任せておけない!!」


いや……君がついてきても多分何もできない、と……操に言おうとした言葉を潤は飲み込んだ。

そんなこと言っても無駄であろうことは、潤が一番よく知っている。


潤は今手紙で呼び出しを受けていた。

手紙を受け取ったのはその日の昼……。潤の机の中に、白い封筒の手紙が一通入っていたのだ。


その内容はこうだ……。


『永瀬、国府、近藤を襲撃した火の鳥について情報を持つ。森部児童公園にて今夜10時にて話す』


潤が見た『炎の大鳥』は実体を持たない霊的なものだった。操のような一般人には見えない。おまけにこの手紙は、二日前始めて大鳥を見た潤を名指しで呼び出しているようなものだ。いったいどこでそのような情報を手に入れたのか。

多くの謎がこの手紙にはあった。


(いったい誰がこんな手紙を……)


自分と同じ霊能力を持つものがいるのか? ……とも思ったが、あいにく潤には心当たりがない。

なにやら、嫌なものを感じるが、潤はこの手紙をほおっておくことはできなかった。

あの大鳥は一時逃げただけなのだ、いつまた再び近藤を襲うかもしれない。

灰になって消えた近藤の祖母のためにも、なんとしても止めなければならない。

霊的な事象なので警察に言っても無駄なことはよくわかっていた。

今この時点で大鳥をとめる事ができるのは自分しかいないのだ。


自分に何ができるかわからない。何もできないかもしれない。

それでも、潤は動かないわけにはいかない。今は少しでも情報がほしかった。



潤たちが児童公園にたどり着き、その門をくぐったとき、潤は今まで感じた事のない感覚を得た。

いわゆる『霊』を知覚したときとは明らかに違う、頭を左右から手で軽く押される感じ。

その感覚が何なのか逡巡していると、児童公園の中央に人影見えた。

それはいつか見た事のある人物だった。


「……早かったね。矢凪潤くん……」


「君は……?」


それは、数日前、近藤たち三人組に絡まれていた男子生徒だった。

名前はよく知らない。


「その後ろにいるのは結城さんかな?」


「……私のことも知ってるの?」


操は警戒した様子で彼を見ている。情報通な操も彼を知らないらしい。

どうやら、結構目立たない生徒らしい。


彼は一瞬、潤の足元のシロウに目を向けると、


「僕の名は……羽村誠はむらまこと……。潤君、君を待っていたよ……」


そう言うと、彼はニヤリと不気味に笑った。



◆◇◆



「そうか……君が矢凪潤君だったんだね? 本人を見るまで確信はもてなかったけど……」


羽村誠はそう言いながら軽く微笑する。


「……そうか、でも確かにそういう噂は多少聞いたかも……」


彼は独り言をぶつぶつといっている。

彼が炎の大鳥の情報を持っている人らしい。潤は早く本題に入りたかった。

いつまでも独り言が終わらないので、それにかまわず潤は言った。


「……ちょっといい? 羽村……くん? 君が火の鳥の事を知ってるっていう人?」


その言葉を聴くと彼は再びニヤリと笑う。


「そうだ……よく知ってる。彼がなぜ現れたのか……そして何を目的にしているのか」


「……! 本当に?! それは……!」


……そう潤が言いかけたとき誠は「ククク……」と小さく笑う。

何がおかしいのだろう。


「あれ? 見えないのかな?」


ひとしきり笑った彼は、ちょっと困った表情で告げた。

それはいつの間にか羽村誠の傍らにいた。二日前、近藤宅で火事を引き起こした『炎の大鳥』。

いつもなら、霊が近づくときに”ゾクリ”という感覚があった。

だが、なぜか今は、見えてる今でさえそういう感覚が感じられない。


(……?!! ……え? 何でこの距離まで見えてなかった?!)


潤が驚いた表情を見せると、羽村誠は


「いやいや……よかった、やっと見えたんだね。間違いだったらどうしようかと、ちょっと思っちゃったけど、フェニックスの言葉は本当だったんだ……」


「……? なに? どういうこと?」


羽村誠にフェニックスと呼ばれた炎の大鳥は操には見えていない。

何が起こってるか分かっていないのだ。

どうやら、情報を得ようとして、大本に当たってしまったらしい。

やっぱりついてこさせるべきではなかった。潤はいまさらながらに後悔した。


「なんで……君が? まさか……」


「矢凪潤……君の噂は聞いているよ……。霊が見えて、近づくものに不幸を撒き散らす様だね。まさかそれが君の『魔眼』の力なのかな?」


「魔眼? いったい何のこと……」


『魔眼』……? わけがわからない……。

潤が戸惑った様子なのもかまわず、羽村は続ける。


「邪悪なる『魔眼』を持つ人ならざる者・矢凪潤やなぎじゅん……。邪悪な人間を守り、不幸を撒き散らす君には……」


「ちょっと! あんた何を言って……」


操の言葉も彼に届いた様子はない。羽村誠は冷酷に宣言する。


「この場で……、選ばれし者・羽村誠はむらまことの名において『正義の炎』で灰になってもらうよ……」



◆◇◆



羽村誠が潤に宣言した次の瞬間、児童公園のフェンスのすぐ内側に炎でできた壁が出現する。


「な……ちょ……。なにこれ~? 何n!?」


突然の事態に操は完全に混乱しているようだ。

そんな潤たちを見て羽村は笑いながら言う。


「……外界とこの児童公園内を『火の壁』で遮断させてもらった。もう逃げられないよ潤君?」


「火の壁?」


例の大鳥は動いた気配はなかった。

大鳥がやったのではないとすると、まさか羽村がこの『火の壁』を生み出したのだろうか?

今までとは現実離れした事態のせいなのか、頭を押さえつけられているかのような嫌な感じがする。


「……結城さんとそこの犬は……ただの知り合いで直接関係ないらしいし、この事を黙ってるなら危害を加えないから安心してよ」


その言葉に操はやっとすべてを飲み込んだらしく、怒りの表情で羽村を怒鳴りつける。


「まさか潤を手紙でおびき出して……葬るつもりってこと!?

 ……っていうか……、もしかして、今まで火事を引き起こしてた黒幕はアンタか……!!」


羽村は操の怒鳴り声に少しも動じた様子なく


「黒幕は……ひどいな。あれは天誅だよ……。あんな奴ら生きててもこの世の害になるだけだろ? 正義の執行だよ……」


……そう答える。少しも迷いのない目。本気でそう思っているようだ。

抜き身の害意を感じたシロウは羽村に向かって唸り声を向ける。

操もまた、あまりの言い草に言葉をなくして、羽村を睨み付けた。


「う~ん……もしかして怒ってるの? あんなクズの一人や二人死んだぐらいで? あいつ等の被害者がどれだけいるか……、どんな事をしてきたか教えてあげようか?」


確かに、彼らは恨まれるようなひどい事を無数にしてきたんだろう。

復讐されるのも彼らの身から出た錆なのかもしれない。

でも……それでも、近藤を守ろうと灰になって消えた老婆の霊のことを思い出すと、潤はどうしても「はいそうですか……」とは言えなかった。


「ふん……やっぱりきみは、邪悪な人間の肩を持つのか……。そっちの結城さんも?」


羽村は冷たい目で潤たちを見下ろす。操はそれに対してきっぱりと答える。


「知ってるわよ……、事件を調べる過程で彼らのしてきた事は、……まあ、ぶっちゃけクズって言うあなたの評価は間違ってないと思う……」


「ほう……」


「……でもね、やんたのやってる事も十分クズよ? 目の前でクズい事しようとしてんのに、それを傍観決め込むほど、私の『おせっかい』は弱くないわ……」


操は自分が『おせっかい』であることに気づいてるらしい。初めて知った。

……まあ、どちらかと言うと、謎を解こうとする『好奇心』のほうが強いと思うが。

その答えに羽村はため息をつく。


「正義の執行を……クズい事? ……まあ、君には理解できないってことか……正義を……」


そう言った羽村に対して、操はここぞという笑顔で言い放つ。


「正義かどうか知らないけど……策士策に溺れるとはこういう事よ。それほど頭がいい策でもないけど!」


「うん? 何が?」


「こんな大きな火炊いてたら、即効ご近所様にばれて消防呼ばれて終わりよ! 馬鹿ね!」


確かにそのとおりだ……、でもそのとき潤は異変に気づき始めていた。

周りの家が全く無反応なのだ、消防車が来る気配もない。

これだけのことが起こってたら、必ず誰かが気づくはずだ。

そういえば、近く道路にも人一人見かけない。何かが起こっている。


「なんだ……そんなことか……。それなら大丈夫、周囲に『人払い術』ってのをかけておいたから。誰も気づかないってさ……、便利だね?」


「え……?」


あまりのことに潤たちは言葉を失った。

『火の壁』とか『人払い術』とかあまりに現実離れしている。

そんな潤たちに羽村は褒められた子供のような得意げな様子で


「『火の壁』も『人払い術』も、僕が聖霊・フェニックスと契約して手にいれた力だよ……。選ばれし僕にしか使えない正義の力……」


……そう言った。


潤たちは彼の言う『正義の力』で完全に外界から隔離されてしまっていた。



◆◇◆



「さて潤くん……。もし君が無抵抗でいるなら、苦しまないように一気に灰にしてあげるけど……どうする?」


潤は開いた口がふさがらない。そんなのどっちも嫌に決まってる。

シロウの唸りは大きくなり、操は怒り心頭で羽村に食って掛かる。


「何よさっきから! 正義、正義って、ただ目撃者を消そうとしているアンタが、正義をかたるなんて笑わせないでよ!」


「……何か勘違いしてない?」


羽村は心底あきれた表情で操に語る。


「僕は別に目撃者を消そうとしてるんじゃないよ? そんなの君たちが回りに言いふらしたところで、僕に実害があると思うの?」


「……じゃあ何のために」


羽村は疑問を投げかける操を諭すように、ゆっくりと話を続ける。


「その矢凪潤が持っている、邪悪な『魔眼』を消すためさ。そいつが持っている目は、霊が見えるだけのただの霊感とは違う、関わる回りに不幸を撒き散らし、最終的にはこの世を破滅に追い込む許されない存在だ。それを消すのが選ばれし僕の、今の使命なんだ……」


潤は自分が『魔眼』を持っているなんて、よくある噂でも聞いたことがなかった。

近づいたら不幸になるとは言われていたが。

それを聞いて操はあきれた表情になる。


「はあ? 誰がそんなこと言ったの? ありもしないこと……ただの噂を信じて潤を殺そうって?」


「噂だけを信じたわけじゃないよ……。聖霊・フェニックスがそういったんだ……」


『火の壁』やら『人払いの術』やら見た後だが、それを直接使ったところを見ていない上、フェニックスとやらがまるで見えない霊感のない操には、それはただの狂人の戯言にしか聞こえない。

案の定、操は羽村の傍らにフェニックスがいるのにも気づかず、彼の胸倉をつかみにいった。


「操!」


潤の警告は一息遅かった。羽村の傍らのフェニックスが軽く嘶くと、操の周りに火の粉が現れ、その上着に火をつけたのだ。


「……な?! ちょ……」


あわてて、操は上着についた火を消す。火は小さかったのですぐ消えた。


「……まだ分からないのかな? 自分の立場が。ほら、こんなことも……」


そう言うと、羽村は操のほうに手のひらを向けた。それにあわせるようにフェニックスの口が開く。


ドンッ!!


爆発するような音とともに、羽村の手のひらから火球が飛んだ。潤の行動は……何とか間に合った。

操を抱えた潤は地面に転がった。操に向かって飛んだ火球を何とかよけることができた。

急いで心を落ち着かせてさっきまで操が立っていたところを見ると……


「……!」


……地面が軽く抉れていた。こんなもの命中したら操はどうなっていたか……。

同じく無事だったシロウが、心配して潤たちのところにやってくる。


「……もう一度聞いたほうがいいかな? 悪しき存在である『矢凪潤』に天誅を与えることを邪魔するなら……。君も死ぬことになるよ……?」


操とシロウはその言葉に……


強い意志の宿った睨みで答えた。


次の瞬間、羽村誠の周囲に無数の火球が現れた。



◆◇◆



僕は呆れていた。力を得た僕に抵抗は無駄な話なのだ。


「シロウ!」


矢凪は結城の手を引っ張って立たせると、犬の名を呼んで僕の側から少しでも離れようとする。

まったく無駄な話だ、矢凪が来る前に『炎の壁』を生み出している『札』は、児童公園を囲うように貼り付けてある。壁一つの効果範囲からして逃げれる隙間はない。

僕は心の中でフェニックスに火球の一つを飛ばすよう命令する。フェニックスはその命令を的確に実行。

矢凪たちに向かって火球が飛翔した。

……そして着弾。矢凪は結城を庇いつつ横に飛ぶ。

紙一重でよけられた。


「ガアア……!!」


怒りを目に宿した犬……シロウとかいったか?……僕に向かってこようとする。


「ダメだシロウ!!」


その犬を矢凪が止めた。

まあ正しい判断だ。今の僕に犬の牙がなんの役に立つというのか。

矢凪達は再び立ち上がると逃げようとする。

往生際の悪い……これではまるで、僕がこいつらをいじめてるみたいじゃないか。


「……」


……正直なところ。はじめはフェニックスの言うことを実行するのにためらいがあった。

近藤達不良三人組にはいじめ抜かれた恨みがある。だが、矢凪潤にはそれがないのだ。

いくら人ならざる者とはいえ、性格もそれほど悪いようには見えなかったし……。

しかし、フェニックスに力を与えられそれを試して見るにつれ、そのためらいはどうでも良くなった。


世界の深遠を覗く感覚というのだろうか?

今まで見てきた世界がどれ程狭かったのか僕は理解した。

邪悪なる『魔眼』、悪しき人ならざる者、そういったものは確かのこの世に存在しているのだろう。

僕は選ばれたのだ、世界の深遠を渡り、邪悪を滅ぼす『正義の味方』に。

ただの、目立たぬいじめられっこにすぎなかったこの僕が。


「ククッ……」


僕は笑いながら周囲の火球をひたすら逃げる矢凪達へと飛翔させる。


……本当に笑える、なんて馬鹿なはなしだ。今までの僕はなんだったのか。

親はいつも僕に勉強しろとしか言わなかった……小学生のころからいじめを受けていた事実にも気づかず。

いじめに抵抗しようとしても、その何十倍もの力と人数でさらにいじめられた。

抵抗がどれだけ無駄か嫌というほど思い知った。

いつしか、自分の心すら偽って、ただ嵐が過ぎるのを待つようになった。


空想は僕の楽園だった。どんな不良であっても空想の中では一撃で相手を粉々に出来た。

この空想が本当になったら、どれだけ素晴らしいだろうといつも考えていた。

そして、空想は現実になった。

「夢は信じていればきっと叶う……」それはまさしく正しかったのだ。


ドンッ!!


十数発目の火球が矢凪たちの足元ではじけた。逃げ疲れていた彼らは前につんのめって倒れる。

もう、それ以上動けない様子だった。


……と、その時矢凪は僕に話しかけてきた。


「……たのむ、僕はどうなっても良いから。操とシロウは助けてくれ……」


もう遅い……僕は思った。

いまだに結城と犬は僕をにらみつけている。

こいつらは僕が矢凪を始末した後も抵抗するだろう。


僕は最後になるだろう火球を矢凪たちに向けて放った。

それは、もう疲れて動けない矢凪たちに命中するだろう。

……そう思ったとき、突然犬が動いた。


「やめろ! シロウ!!」


犬は……今度は矢凪の命令を聞かなかった。

矢凪たちに向かって飛翔する火球に真正面から飛び掛る。

そして……


「……!」


……白い柴犬・シロウは、粉々に爆発四散した。



◆◇◆



潤は信じられなかった。目の前の光景を信じたくなかった。

自分の命令をきかず火球に飛び掛ったシロウが、爆発とともに消えてなくなったのだ。

しばらくすると、空から赤いものが降ってきた。それは、シロウが首につけていた首輪の破片だった。

現実が、一気に重く圧し掛かってきた。


シロウは……死んだのだ。


「……!」


声にならなかった。声にならない声をあげて潤は泣いた。

そんな、潤に羽村が非情な言葉を投げる。


「何? 泣いてるの? 犬が死んだくらいで……」


「……あ、あんた!」


操は羽村に怒りの目を向けるが、それを軽く流して羽村は続ける。


「……その犬が死んだの……、そもそも君のせいだろ?

 君が余計な抵抗せず自殺でもしていれば、その犬は命を落とさずにすんだのに……

 ……なに自分は悲劇の主人公だって顔で泣いてるの?」


「……!」


潤は何もいえなかった。この場にシロウを連れて来たのは自分なのだ。

側に落ちていた首輪の破片を掴むと涙が後からあふれてきた。

果たしてシロウは自分の傍らにいて、本当に幸せだったのだろうか?



初めてシロウと出会ったのはまだ母親が亡くなる前、この児童公園だった。

この児童公園の片隅で、他の四匹の兄弟とともにダンボールに入れられて捨てられていた。

潤が見つけた日は大雨で、シロウたち五匹の犬はもはや虫の息だった。

潤はこの犬達を助けようとした。母子家庭で犬を飼うような余裕がないことは十分承知していた。

家にダンボールを抱えて駆け戻り母親・風華に願った。

風華は潤と犬達を連れて急いで動物病院に向かった。

……でも、結局生き残ったのは白い子犬一匹だけだった。

風華はこの犬を飼うことを許してくれた。

こうして、子犬はシロウと名づけられ、潤の大事な兄弟になった。


それから、シロウはいつも潤と一緒にいた。

うれしかったときも。

楽しかったときも。

つらかったときも。

悲しかったときも。

母・風華が亡くなって心が押しつぶされそうになっていた時も、シロウは潤の傍らにいた。


シロウは潤の心がわかるようだった。

子犬のやんちゃだったころはまだしも……

成犬になってからは潤の心を読み取っているかのように、潤を裏切ることはなかった。

それが、なぜか今回だけは潤の言うことをきかなかった。


(……シロウ……来い……)


潤は信じたくなかった。


(……シロウ……帰って来い……)


自分を守るためにシロウがその身を犠牲にしたなんて信じたくなかった。


(……シロウ……来い!)


悲しくてどうしようもなくて、ただひたすらに呼びかけた。


(……シロウ来い!)


その言葉に答えるものはもうこの世にいないはずだった。


【…… シ ロ ウ 来 い ! ! ! !】


その時、潤は犬の鳴き声が聞こえたような気がした。



◆◇◆



潤はシロウの首輪の破片を掴んだままその場から動かなくなった。

羽村はもう終わりだろう事を悟った。

少し調子に乗ってしまったところはあるが、本来羽村はサディストではない。

もう苦しまないよう一瞬で灰にして、飼い犬の元に送ってやるのが慈悲だろうと考えた。


羽村は手のひらを潤たちに向けた。これで終わるはずだった。

……だが、その時羽村は絶対にありえない声を聞いた。



「……これは……最悪だな……」



言葉を発したのは無論羽村ではない。

身動き一つしない潤でもない、動かなくなった潤に一生懸命呼びかけてる操でもない。

『火の壁』の向こうから聞こえてきたのだ。


『人払いの術』は効いてるはずだった。

普通の人間ではこの場所に近づくことはおろか、この状況に気づくことすらできないのだ。


ズドン!!


そう音の響いた次の瞬間、炎の壁の一部が一瞬にして消滅した。そこに一つの人影があった。

その人影がはっきりとした足取りで羽村の方に歩いてきた。


それは……一人の少女だった。


「……?! な……何だ?」


羽村は戸惑っていた。これはありえない事態ではないのか?

そう思って傍らにいるはずのフェニックスを見た。


【……!!】


フェニックスの顔には驚愕の表情が張り付いていた。


「……ふむ……。間に合わなかったようだな……」


突如現れた少女が口を開く。

その少女は、年のころは潤たちと同じかそれより下に見えるだろうか。線の異様に細い少女だった。

髪は黒く長く、頭の左右で結い。服は黒いシャツ、黒いホットパンツ、黒いスニーカーと黒で統一し、その上に、肩に星と格子の紋様が描かれたジャンパーを身に着けている。

その腰に下げているのは、『蘆屋あしやのおいしい水』とラベルされた500mlペットボトルだ。


「……?」


突然現れた少女に、操も驚愕の表情を浮かべている。

羽村は、この少女が潤たちの知り合いではないことを理解した。


「……お、お前なんだ? どうやってここに入った……」


羽村のその言葉に少女は……


「この、火壁の『じん』を敷いたのはお前か?」


……疑問で答えた。


「……聞いてるのは僕だ! お前は誰だ!!」


羽村はイライラして少女に怒鳴り声を上げる。

少女はその姿を見て一瞬だけ逡巡すると、その疑問に対する答えを明かした。


「お前に言っても意味はないだろうが答えよう……

 私の名は『蘆屋真名あしやまな

 播磨法師陰陽師衆はりまほうしおんみょうじしゅう蘆屋一族あしやいちぞくに所属する……」


「え……?」


「正式な『陰陽法師おんみょうほうし』だ……

 ……君のその首にかけている『呪物じゅぶつ』を回収するのが仕事だ」



◆◇◆



「……あしや一族? ……おんみょう……ほうし?」


少女の名乗りを聞いた羽村は、しばらくその言葉を反芻していたが、ハッとした表情になって声を上げる。


「蘆屋一族って……まさか、漫画とか小説とかでよく悪役として出てくる邪悪な陰陽師・蘆屋道満あしやどうまんの?!」


「……む? あ、ああそうだな。その蘆屋道満の末裔に当たる者ではあるが……」


蘆屋の末裔を名乗る少女・真名まなは、羽村の答えに少々不満げな表情を浮かべた。

それを見た、羽村はすべてを察したような表情になって、真名を指差してまくし立てる。


「そうか! お前ら一族の日本転覆に邪魔だから、選ばれし者である僕を始末しにきたんだな!!

 ……いや……それとも人類を滅亡させるため!?

 ……もしかしたら……蘆屋道満を復活させるための生贄を得るために!?

 ……いや……やっぱり帝都崩壊のためかな?!」


「……」


「……残念だが、そうはさせない!! 僕がいる限りこの世界は……」


「……ちょっといいか?」


真名は少し調子に乗り始めた羽村を止めた。無表情で言葉を続ける。


「……さっきも言ったが、私はお前の首にかけてる『呪物』を回収にきただけだ。

 お前が持っているその『呪物』は本来一般社会にはあってはならない

 一般人には過ぎたものだ……

 お前の生命にかかわる危険性もある。おとなしく渡してくれないか?」


「……やっぱり!

 お前たち蘆屋一族の望みは、僕から聖霊・フェニックスを奪うことなんだな!」


その羽村の言葉に、真名は少しだけ思案して言った。


「……聖霊・フェニックスというのは……

 もしかして、そのお前の傍らにいる鳥型の使鬼しきのことか?」


しき? ……違う!!

 『正義の炎』を宿す聖なる獣霊・フェニックスだ!

 不死鳥フェニックスぐらい知らないのか、お前?」


その答えに、真名は心底かわいそうな者を見るような目で羽村を見つめた。


「……だめだな、これは……、完全に魅入られてる……

 ……いや、ただの『厨二病ちゅうにびょう』とか言うものか?」


「『蘆屋一族の陰陽法師』とか名乗ってるお前に言われたくないよ!!」


「だから……名乗るのは無駄だと思ったんだ……」と真名は小声で独り言をつぶやくと、気を取り直して羽村に言った。


「もう一度だけ説明するぞ?

 お前が持っている『呪物』は、お前の傍らにいる鳥型の使鬼しき

 いわゆる、使い魔となっている『鬼神きしん』と契約し使役するためのものだ。

 一般人は本来扱ってはいけない代物なんだ……。

 それをおとなしく渡してほしい……」


「……嫌だといったら?」


「……それなら……

 少々、痛い目を見てもらうことになるが……」


真名のその台詞を聞いた羽村は臨戦態勢になる。

周囲に浮かんでいる残りの火球に精神を集中して、手のひらを真名に向けた。

『陰陽法師』か何か知らないが、こんな線の細い小娘ごときどうにでもなる確信があった。

真名はその行動をただ見ているだけで動かない。


「灰になれ!!」


そう羽村が叫ぶと、周囲に浮かんでいた残り八個の火球が一斉に真名に向かって飛ぶ。

命中すれば人間でもひとたまりなく爆発四散するだろうことは予想できた。


……と、そのとき真名が動いた。

真名は無駄のない動きで腰の500mlペットボトルを手に取ると、スナップを効かせて自らの頭上に投げた。そして、もう片方の手の指で剣印を結び一閃する。

ペットボトルは見事に真っ二つになり、中のミネラルウォーターが空にぶちまけられた。

まさか、その程度の水で火球を消そうというのか。

そんなことは絶対にありえない……



……はずだった。


水克火すいこくか


夜の児童公園で『法則ほうそく』が成立した。



◆◇◆



羽村にとって信じられない光景だった。

蘆屋の小娘に向かって飛んだ八個の火球、それがひとつ残らず消滅していた。

真名が空にぶちまけた水が、まるで生き物のように動いたかと思うと、火球にまとわりつきそれらを消滅させたのだ。

水は水蒸気になって羽村たちの周囲を霧のように覆っている。


「……なんだ? 今のは……」


……と、呆けている羽村にかまわず真名が動いた。

羽村との間合いを疾風のような動きで詰めると、その傍らにいるフェニックスを拳で打撃した。


ズドン!!


フェニックスは激しく身を痙攣させて後方へと吹っ飛ばされる。

……しかし、本来そんなことはありえない筈だ。

フェニックスは普通の人間には見えない上に、物理的攻撃は一切通用しない幽体的存在である筈なのだ。

だが、真名は難なくフェニックスに拳を打ち込んでいる。

目の前の小娘が普通じゃないことを、このときになってやっと羽村は悟った。


「……お前!」


羽村は叫びながら真名との間合いを開ける。

真名は羽村を気にとめる様子もなくフェニックスの方へと歩いていく。

羽村はフェニックスに呼びかけた。


「怯むなフェニックス! もう一度火球で攻撃だ!!」


その声援を聞いたフェニックスは……



……羽村の声を聞いた様子もなく、真名から離れようとわたわた逃げだした。


「……え? ちょっとフェニックス?」


「……逃がすと思うか?」


何事かと戸惑っている羽村を尻目に、真名はフェニックスに冷酷に告げる。

フェニックスは真名を怯えた目で見ながら、必死で翼を羽ばたかせ飛び立とうとする。

その足元にいつの間にか大きな蜘蛛がいた。


「静葉……妖縛糸ようばくし……」


次の瞬間……フェニックスの周りに無数の蜘蛛糸が舞う。

物理的な糸であることを理解したフェニックスは糸にかまわず空に舞った。

真名はそれを見て慌てた様子もなく、両手で不動明王根本印『不動独鈷印』を結ぶ。


「ノウマクサマンダバザラダンカン……」


宙に舞っていた蜘蛛糸が一瞬炎をまとったように赤く輝く。

そして、次第に糸同士が絡まりあい、無数の縄に姿を変えた。


蘆屋流鬼神使役法あしやりゅうきしんしえきほう妖縛糸不動羂索ようばくしふどうけんじゃく


蜘蛛糸の縄が空を飛ぶフェニックスに絡み付いていく。

幽体であるはずのフェニックスをその場につなぎとめた。


【ガ……? ナゼダ……】


「逃げようとしても無駄だ。妖縛糸に不動明王の霊威を流して『不動縛呪ふどうばくじゅ』とした。

 不動縛呪はモノを物理的にではなく霊質根本から縛る、幽体であっても縛することが可能だ。

 さらに、その不動羂索は、土行の属性を持つ静葉の妖縛糸を根本として形成されている。

 『五行相生の理・火生土』によって、貴様の属性である火行は土行を強化する方向に働く。

 もはや逃れることはかなわんと思え……」


それは、あまりにもあっけない幕切れだった。



◆◇◆



……なんてことだ。羽村はあまりのことに言葉を失っていた。

フェニックスは自分の言葉をきかず逃げ出したうえに、真名の怪しげな魔法で身動きできなくされている。

いったい何が起こってるのか理解が追いつかない。

そんな羽村をほおっておいて、フェニックスは今までとはうってかわった口調でわめき散らし始める。


【……チクショ~、後モウ少シダッタノニ……

 何デアンタミタイノガ現レルンダヨ……

 モウ俺ヲホオッテオケヨ!

 モウ人間ニ使ワレルナンテ嫌ダ~!!】


それは、羽村と会話している時の、知性的な雰囲気とはあまりにかけ離れた姿だった。

羽村は咽喉の奥から搾り出すようにフェニックスに言う。


「……ねえ? フェニックスなに言ってるの? 君は……

 さっき逃げようとしたの?」


【ウルセエヨ!! クソガキ!!

 本当ハコンナメンドウナコトセズニ、テメエノ魂クエタハズナノニ……!!】


何を言ってるんだと羽村は思った。

フェニックスは今「魂を喰らう……」とか言ったような気がするが聞き間違いだろうか。

羽村は何を信じればいいのかわからなくなった。

せっかく空想が叶って『正義の味方』になったのに。

羽村は心の中の何かがガラガラと崩れていく音を聞いた。


あまりのことに呆けてる羽村に、少し困った表情をした真名が言う。


「……ごらんのとおり、そいつは聖霊とかフェニックスとかご大層なものじゃない。

 WW2……いわゆる太平洋戦争の直前、人間界で悪事を働き……

 当時の国家退魔士に捕獲・封印された無名の鳥型妖魔だ。

 反省させるため『呪物』に封じて、『使鬼』として300年の強制労働に従事していたのだが……。

 今から三ヶ月前に所有していた呪術家から、何者かに盗み出されて行方不明になってたのだ」


「……それじゃあ……『正義の力』って嘘? ……願いをかなえるってのも嘘?」


「……願いをかなえるのは本当だろう。

 ただ、こういった強制服従系の使鬼は、命令を実行するときに対価を必要とする場合が多い。

 こいつは命令を聞く代わりに術者の魂を吸収、『使鬼の封印』を解呪する糧を蓄えてたのだろう。

 ……まあ、普通の術者は、こういった時の対応策を知ってるのが当たり前だから……

 何も知らない素人にしか使えない手口だが……」


羽村はあんまりの真実に脱力して両膝をつく。

『正義の味方』は全部嘘っぱちだったのだ。

そんな姿を見て、すっかり化けの皮がはがれたフェニックスがぼやく……。


【ナキタイノハオレノホウダゼ……

 ソコニイル……矢凪トカイウ……オスガキサエイナカッタラ……

 ……『シキノメ』ノノウリョクシャナンテ……】


「なに? ……『使鬼の目』だと?」


真名は、この状況にすっかりついていけなくなっている一般人みさおの方を見た。

そこには、いまだ身動き一つしない潤がいる。


『使鬼の目』

それは、正確には目に能力が宿る『魔眼』ではない。

ヒトが霊的存在と同調・共生する際に、その繋がりを強化・補正する精神的特殊能力である。

その副次的効果として、普通ヒトの目に見えない霊的存在を知覚したり。

知覚した霊的存在の精神を威圧し抑え込んだり。

普通の術士では扱えない数や、高位霊格の式神・鬼神と契約することが出来る。

かの安倍晴明や役小角えんのおずぬなど、無数の高位霊格を従えた術者は、たいていはこの能力者であったと言う。

別名「小角の目」とも呼ばれる。


まさか、こんなところにそんなレア能力者がいたとは……

そんなことを考えてた真名は、動かない潤の周囲の気の流れに不穏なものを霊視た。


「!? ……おい、そこの女! そいつから離れろ!!」


いきなり真名が叫ぶ。

次の瞬間、彼ら全員を巻き込んでいきなり潤の周囲の空気が走った。



◆◇◆



「きゃ……!」


突然の突風に、一番潤の近くにいた操が吹っ飛ばされ、転がされる。

次の瞬間、突風をまとった空気の塊が、児童公園を縦横に駆け巡り始める。

いきなりのその事態に、羽村は怯えた様子でその場にうずくまった。


真名はその空気の塊の中に影のようなものを見ていた。

それは、次第に大きくなり……

……羽村や操にすら見える大きな『獣』へと姿を変えた。


それは、ダンプカーに匹敵するほど巨大な、白い毛並みの犬だった。


……いや、犬というにはあまりにその姿は禍々しい。

巨大な口にはナイフのような鋭い牙が並び、亀裂のような目の中にはそれぞれ五個の瞳がある。

頭には十にも及ぶ角が並び、全身から黒い煙のような妖気を周囲に放出している。

鋭い鉤爪の生えた前足は、自動車ですら一撃で切り裂けるかもしれないと思えた。


その巨大な犬は、ふわりと潤の傍らに降り立つと、言葉も出ずうずくまっている羽村に瞳を向けた。


【……許さぬ……許さぬぞ……。

 ……わがあるじ……苦しめた……。

 殺そうとした……。

 貴様だけは……許さぬ……】


「へ……?」


その犬の殺意が自分に向けられたものだと気づいて羽村は戸惑う。

犬は「カッ!」っと……口から黒い妖気を吐き出すと、空に向けて吼えた。


【…… カ ミ コ ロ ス !!】


「……いかん!!」


ダンプのような巨体が羽村に向かって信じられない速度で走った。

真名はその行動が何を意味するのか悟り、巨大な犬に向かって駆ける。


……拳一閃!


ズドン!!


真名の拳は、正確に犬の横っ面を打撃した。


「……く!」


しかし、その犬の速度は落ちることがなかった。

巨大な犬は、羽村のすぐ真横の地面を牙で抉り走り抜ける。

羽村は、犬のまとう突風をまともに受けて、情けない悲鳴を上げて転がった。


(……なんて……力だ……。進行方向をずらすのが精一杯だった……)


真名は自分の拳がそれほど相手にダメージを与えられなかったことに驚いていた。

犬は児童公園の端に降り立つと、その首を再び羽村に向ける。

その光景を見て操は声を上げた。


「……なに? ……なんなの?

 ……なんでそのバケモノ……

 ……シロウの首輪をしてるの?」


その巨大な犬が首に巻いている赤い首輪には、潤の筆跡で”シロウ”とはっきり刻まれていた。



◆◇◆



「……それはいったいどういうことだ?」


真名は操に先ほどの言葉の意味を聞いてくる。

操はいきなり真名に話しかけられたことに戸惑いながらも答える。


「……その、シロウって言うのは

 さっきその羽村誠に殺された潤の飼い犬・シロウのことで……

 ……でもシロウは白いけど、ただの柴犬だし……

 でも……あの筆跡は確かに潤の……」


まさか、さっき死んだばかりの犬の霊が化けて出たとでも言うのだろうか。

真名はすぐにその可能性を否定した。

確かに、目の前の巨大な犬は『怨霊』、或いは『鬼神』の類に見える。


『鬼神』とは、呪術によって霊体を変質させた『妖魔』や、『妖魔』と同じく通常の生命の輪廻から外れた存在の総称である。

我が強すぎて輪廻の枠を外れてしまった、通常生命体の霊である『怨霊』もこれに分類される。

だが、普通、良くも悪くも我の強い人間以外の生物は、『怨霊』になりにくかった。

いくら殺されたからといってすぐに『怨霊』と化すなら、野性の世界はどれほど『怨霊』ばかりなのか。

異常な大量死が起こったときでさえ確率は低い。

……人間の意思が何らかの形で介在した場合は別だが。


真名の行動はすばやかった。


「オンアロマヤテングスマンキソワカ……」


蘆屋流天狗法あしやりゅうてんぐほう剛力招来ごうりきしょうらい


天狗法の真言を唱えた真名が、巨大な犬に向かって駆ける。

それに気づいた犬は牙を剥いて威嚇する。


【また邪魔をするか! 小娘!!】


次の瞬間、犬の周囲に渦巻いていた風が指向性を持ち、無数の『つぶて』となって真名へと飛んだ。

真名は人間に出せるのか怪しい速度で不規則蛇行しながら風のつぶてをひとつ、またひとつとよけていく。そうして、全部よけきった真名は、巨大な犬の眼前に立ちその鼻先に軽く触れた。


「……ふっ!!」


中学生にすら見える華奢で線の細い真名が、ダンプほどの巨大な犬を両手で持ち上げる。

次の瞬間には、犬はきれいに仰向けにひっくり返された。


「静葉!! 急げ、妖縛糸だ!!」


「了解……ひめさま……」


ひっくり返された犬の近くに大きな蜘蛛が這ってくる。

そして、その尻から無数の糸を放出し犬を縛る。

だが、犬もやられっぱなしではなかった。


ブチブチ……!!


大きな音を立てて妖縛糸が切れていく。

妖縛糸はその名のとおり、妖魔すら動きを封じることができる強度を持つはずだった。


「ひめさま! 糸が切れちゃう!!」


「……少しだけもてばいい!!」


真名は精神を集中し、犬の霊体をより深く霊視た。


【……が!! こんな糸など!!】


大きな音を立てて最後の妖縛糸が切れる。

犬は体をひねって伏せの体勢になると、自信の周囲に渦巻く風を思いっきり吹き上げた。

真名と蜘蛛は木の葉のように宙を舞った。


「……くっ!!」「きゃあ……」


吹っ飛ばされた一人と一匹は、地面に落下してごろごと転がる。

真名は顔についた砂を拭うと、なんとか立ち上がる。

そして、今度はいまだに身動き一つしない潤に目を向ける。


「……」


真名はあの一瞬で大体の事を見抜いていた。


(事情はほぼ理解した……。

 あとは、あの犬をもうしばらく……、少なくとも三分は動きを封じる必要がある……。

 ……妖縛糸不動羂索は効かないだろう……。策を練っている暇もない……。

 ……もっとも、手っ取り早い方法を使うか……)


真名は剣印を結んで精神集中する。


蘆屋流鬼神使役法あしやりゅうきしんしえきほう鬼神召喚きしんしょうかん


「……来い! 酒呑百鬼丸しゅてんひゃっきまる!!」


真名の目の前の空間が裂け、人影が姿を現した。



◆◇◆



「あらん? 姫様? わたしをおよびですか?」


呼ばれて現れた人影は、少々間延びした声を真名にかける。

現れたのは身長180cmほどの背の高い女性だった。

ただこの女性は、普通の人間にはありえない、二本の角が額に生えていた。

きれいな花びらをあしらった着物で身を包んで、黒く長い髪を後ろで束ねている。

腰にはきれいな装飾の入った打刀を差しており、『酒』と書かれた徳利とっくりを手にいかにもおっとりした笑顔を浮かべている。


「……百鬼丸。気持ちよく酒を飲んでる最中に悪いんだが。仕事だ……」


「それは……まあ、仕方ないですわね? どのような仕事ですの?」


真名は、立ち上がって体勢を立て直している犬に視線を向けて言った。


「あの『鬼神』の動きをしばらく止めておいてくれ。……殺さないようにな」


「お安い御用ですわ……」


そう軽い口調で答えた百鬼丸は、一口徳利の酒を口に含むと。

ゆっくりとした足取りで歩いていく。

それを見た犬は牙を剥き突風をまとって飛び掛る。

両者が激しく激突した。


【ぐぐぐぐ・・・・・】


「これは……なかなか……、いいですわよワンちゃん」


百鬼丸は巨大な犬の頭に両手を添えて、その突進を押しとどめている。

その光景は少々滑稽でもある。


「ワンちゃん……わたくし、こんなんでも怪力無双で売ってるんですの。

 もうしばらく動かないでいてね?」


両者の力比べが始まった、これならしばらく時間を稼げるだろう。

それを確認した真名は、今度は潤の方に向き直り歩いていく。

潤はいまだに石のように身動き一つしない。

操の呼びかけにも反応した様子がない。


そんな潤の前に立った真名は、手を横に伸ばすと……


バチンッ!!


……思いっきりその頬を平手で叩いた。


「……ちょ!! あんた!! なにやって……」


いきなりのことに操が抗議の声を上げる。

真名はそんな操を気にも留めず、児童公園中に響くかと思われるほどの声で言った。


「いい加減目を覚ませ!!

 お前は……あの子を……

 死すら乗り越えてお前を守ろうとしている、あの優しい子を……


 …… 人 喰 い の バ ケ モ ノ に す る 気 か!!」


その声を聞いた潤の瞳に、やっと光が宿った。


「……え? あれ……、僕は……」


「潤!? 大丈夫!? 気がついたのね……」


やっと気がついた潤の様子に操は喜んで抱きつく。

真名は潤の様子に安堵する。


「……潤とかいったか?

 説明してる暇がないから、とにかくあそこの巨大な犬を『霊視』ろ……」


潤は、目の前の少女が誰なのかわかっていなかったが、その真剣な様子に言うとおりにした。

その表情が一瞬で凍りつく。


「……シ、シロウ?」


「そうだ……、あれはお前の飼い犬のシロウだ」


操は二人が何を言っているのか理解できなかった。

シロウはついさっき火球に焼かれて死んだはずだ。


「……潤。お前が、シロウを黄泉から呼び戻したんだ……」


「……まさか。僕が?」


潤はシロウが死んだとき、再びシロウが帰ってくるのを願った。

それがこんな結果をもたらすとは潤には信じられなかった。

だが、どこをどう見ても、あれはいつも感じていたシロウの魂の温もりだった。


「……いいか、潤!

 ……無理やり黄泉返らされたシロウは、今『怨霊』になりかかってる……

 もし、今の状態で穢けがれを浴びたら、確実に『怨霊』化する……

 そうなったが最後、もう滅ぼすか封印するしかなくなる……」


「……!! それじゃあどうすれば!!」


「お前が……お前の力で、シロウを完全に『使鬼しき』化するんだ……

 それが出来るのは、お前しかいない……」


潤はどうすればいいかわからなかった。

『使鬼』化なんて一度だってしたことがない。

頭を抱えている潤に真名が言った。


「……潤。本来『使鬼』とは心と心を『深い絆』で繋げ、魂を重ねて霊的共生状態になった者の事を指す。

 もし、お前とシロウの絆が十分なら、お前がもう一度、シロウを呼ぶだけで契約は成立するはずだ……」 


それを聞いた潤はシロウを見つめる。

お前は本当に僕の傍らにいて幸せだったんだろうか。

僕はお前にとっていい兄弟だったのだろうか。

その答えは、いまだわからないが、一つだけ今でもわかることがあった。


僕はシロウを助けたい。


だから、潤は何も考えずにただ叫んだ。


「…… シ ロ ウ 来 い !!」


次の瞬間、シロウの全身が光につつまれた。



◆◇◆



シロウは潤といつも一緒だった。

シロウにとって潤は自分自身より大切な存在だった。

だって、潤は雨の中凍えて死にそうになっていた自分を助けてくれたのだ。

だって、死んでしまった自分の兄弟のことで涙を流してくれたのだ。

だって、人間に裏切られて捨てられた自分にたくさんの喜びを教えてくれたのだ。

受けた恩は返すものだ。

だから、自分は潤が泣いているのを見ていられなかった。

どうにかして助けたかった。

傷つけるやつは許せなかった。

でも……。

闇のそこに落ちようとしている今の自分にはかなえられない願いだった。


「くうん……」


今の自分は鳴くことしか出来ない。

……悔しい。

悔しいよ。


そんな自分を支えるように闇のそこから四つの光が現れた。

それがなんなのか、すぐに自分は理解した。

だから、自分は四つの光に呼びかけた。

いつしか、自分と四つの光はそれぞれを頂点とした星型を描いていた。

それの意味は理解できなかったが、この力さえあれば潤を……


……大切な自分の『兄弟』を、どんな敵からも守れる気がした。


その時、はっきりと潤が自分を呼ぶ声が聞こえた。



潤がシロウを読んだ瞬間、巨大化したシロウの足元にまばゆく輝く『五芒星ペンタグラム』が現れた。その優しい光が、シロウがまとっている強烈な妖気を払っていく。

そして、その光が消えたあとには……


「あらん? かわいいわね……」


額にちちゃな二本の角の生えた白い柴犬がいた。

潤はその姿を見ると、思いっきり叫ぶ。


「シロウ! こっちだ! 来い!!」


柴犬・シロウは、しっぽを思いっきり振って、とことこと潤のもとへと走っていく。

……そして、潤の腕の中へとおもいっきり飛び込んだ。


「シロウ……良かった……」


潤は安堵の涙を浮かべている。

その涙をなめとるように、一生懸命シロウがじゃれ付いてくる。



潤のその後の運命を大きく変える長い長い夜は

こうして終わりを告げた。



◆◇◆



「はい……いろいろありましたが、とりあえず使命は果たしました」


真名は児童公園の後片付けをした後、携帯電話で何者かに電話していた。

その相手はどうやら男性のようだ。


『……で? 護送班を送るのはいいが

 その矢凪潤とかいう異能者いのうしゃはどうするんだ?』


「……それは……。

 今後のことは、私に一任してもらえないでしょうか?」


電話の向こうの男性は少しの無言のあと、軽く笑いを混じらせながら言う。


『まあ……お前の好きにしろ……。でも最悪の場合は……』


その時は、無論、決断しなければならないだろうと真名は思った。



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