「てめえが“禽”をやっちまったってことは、もうすぐここに〈恐鳥〉がくるかもしれねえじゃねえか! 俺たちゃあ、あの化け物の気持ち悪い顔を拝んでんだ! あいつが俺らの尻に穴をあけにきたらどう責任とるっつうんだよ!」
一人の男が叫んだ。
その言葉の意味を、その場にいた全員が咀嚼するのは余裕だったろう。
彼らはまず噂で、そして実体験でもって知り尽くしているからだ。
二階建ての家屋に匹敵する大きさを持ち、ギロチンの歯のように切れ味の鋭いくちばしと禍々しい曲線を描く金属みたいな爪で人を狩る怪物の存在を。
翼が退化しているのか、他の鳥のように空を飛ぶことはできないが、巨木めいた太い肢は数秒で車に追い付くほど加速することができ、車による激突もほとんど意に介さないほどのタフネスを誇る、人間の生活範囲に頻繁に出現する脅威そのものであった。
しかも、彼の言う〈恐鳥〉は他の同族―――について並々ならぬ保護意識とも仲間意識ともとれる執着を見せ、他の翼の〈眷族〉たちが人間に傷つけられたり殺されたりしたのに気が付くと、ほぼ確実に報復を行うのである。
それは小型・中型を問わず、ただ〈眷族〉でありさえすればいいというほどに見境のない、いい意味では博愛主義的な行動であった。
逆に言うと、〈眷族〉と敵対せざるを得ない人間にとってはとてつもない脅威であるということだが。
だから、この男の指摘はおれからしても、ごもっともとしかいえない。
町のどこに〈恐鳥〉がいるのかわかってもいないのに、“禽”を始末したのだから。
もし〈恐鳥〉が傍にいて、〈眷族〉の死に気が付いてしまったら、この雑貨屋などひとたまりもないだろう。
鉄筋コンクリート製のビルでさえ数匹の〈恐鳥〉に囲まれたら、無惨に崩されることだってあるということも男たちは噂とインターネットで知っているのだ。
だから、勝手に入ってきたおれたち二人に対して消せない敵意がわき出してしまうということである。
なんてことをしてくれたんだ、と。
おれのやらかしたという行為が、もともと自分たちを襲撃していた“禽”に対して向けられていて、結果として命を助けてやったという事実をいったん棚上げして忘れてしまうほどに。
「なんてことをしやがったんだ……」
老店主までがショットガンを向けてきた。
さっきのこともあるし、無意味なのはわかっているはずだ。
少なくともそれは銃口をぴったりとおれにこすりつけてこそ意味のある行動だ。
「おじいさん、無駄よ」
ヴァネッサ・レヴェッカ―――おれはネルと呼んでいる―――は、そっとカウンターのスツールに腰を下ろして、片膝を抱えた。
ファッションショーのモデルのようにすらりとした脚だが、腰から膝にかけては妙な艶を発するぴったりとしたボディスーツのせいでやや筋肉質に見える。
「このアメリカどころか全世界で銃なんて何の役にも立たない道具になりさがっているのに、それで脅しをかけたって効かないわ」
自分の背中に担いでいるものを棚に上げている。
「黙れ。こいつだって近づけば……」
「銃口と目標にほんのわずかの隙間ができる距離まで近づいて、接射をすればね。……そこまでに相手がどんなアクションも起こさず、あなたが引き金を引いてくれるまで突っ立っていてくれれば、という条件付きでね」
「うるさい。生意気を言うと喰らわすぞ、この小娘め!」
「意味ない。笑えるわ」
「黙れ!」
老店主はやはり短気な性質のようだった。
ついさっきまで自分のテリトリーに侵入しようとしていた怪物に脅かされていたせいで、心がいつになくささくれ立っていたのもあるかもしれない。
だから、ついかっとなって、またショットガンの引き金を引いてしまう。
聞いたばかりのM870の発射音が室内に響き渡る。
そして、さっきと寸分の狂いもなく、排出された薬莢が床に落ちて、地面に放たれたはずの散弾がじゃらじゃらと散乱した
―――彼はショットガンを撃った。
―――だが、弾は飛ばなかった。
それどころか銃身を飛び出したほんの刹那に、どこからか莫大な重力がかかったかのように床に落ちて転がっていってしまったのだ。
いや、違う。
重力は普通のままだ。
もし重力に何か異変があったのならば、ここにいる人間たちは肌で感じ取れるだろう。
何が起きたのか。
それは誰にもわからないが、起きた現象についてはもう誰もが理解していた。
銃口から放たれたはずの散弾は、すべて宙を浮くことを許されずに落下しただけなのである。
「おじいさん、パス」
ネルがカウンターの上にあった読みかけの雑誌を下手で放り投げた。
本来、弧を描いて老人に投げ渡されるはずの雑誌は、ネルの指先から離れた途端、床にまっすぐに落ちてしまう。
ほんのわずかな時間すら宙に浮くこともなく。
あまりにも不自然で、あまりにも物理法則に反した異状ではあったが、この場にいる全員はこんなことにはもう慣れ切っていた。
世界は―――こういうものなのだと。
「思い出した? 〈天崩壊〉以来、もともとイカレてた世の中がさらにクソっぽく変わってしまったのを。だから、いつまでも昔のままでいてはいけないわ」
誰もがわかりきっていることをネルは淡々と語った。
あまりに淡白すぎて、この雑貨屋に集まっていたものたちを嘲弄しているようでさえあった。
別に煽っているわけではないが、わかりきった説教を受けることに耐性のない男がいないわけではなかった。
男たちの一人、学生時代にアメフトの選手でもやっていそうな巨漢が、店のあちこちに散らばっていた木材をバットのように抱えあげた。
ぬいっと進み出てくる。
顔が真っ赤になっていた。
ネルの話し方がどうにも腹に据えかねたようだ。
おれの知る限り、どうもアメリカ人はこういうところに堪え性がない。
「銃が使えねえなんてのは、よーく知っているさ。だがなあ、それ以外は前と同じなんだ。教えてやろうか。クソ生意気な小娘がでっけえ大人に躾けをされてみっともなく泣きわめくことになるってえのも昔通りなんだぜ!」
突き付けられた木材と脅迫的言動に怯えることもなく、
「それは知ってる。でも、弾丸の威力は変わんないままよ」
ネルが腕を伸ばすと、掌に手品のように小さな拳銃が出現した。
さほど大柄ではない少女の掌にすっぽりと納まる小型拳銃だった。
S&W M&P9シールドという名前はネルに教えてもらった。日本では知名度の低い銃だが、彼女に言わせれば隠し武器としては有名なデリンジャーよりも優秀なのだという。
デリンジャー系はだいたいが二発しか撃てないし、小さい分だけ持ちにくいという欠点があるそうだ。
だが、なにより、ネルがシールドを選んだのは、大きさよりも「薄さ」だということである。
「薄さ」についてはワルサーPPSとかいう先達があるが、「わたし、アメリカ人だから」という理由でドイツ製は選ばなかったと語っていた。
これだからアメリカ人というやつは……
「あなたが殴りかかってきたら、これをお腹にあてて指に力をこめるわ。知ってるでしょ、弾は一瞬しか浮かないけれどそれでも小指の先、1インチ程度ぐらいは飛ぶから、そこで当たれば十分に肉を貫いてくれる。さっきわたしの道連れが実践していたでしょ? ちなみに痛さは普通に命中した場合の二倍ぐらいだそうよ」
「それこそ、てめえのいう、当たればだろ―――。売女なんぞに当てられるはずがねえ!俺のぶっといコックでひいひいいわせてやろうか、おい!」
「そこのおじいさんと違って、わたしはきちんと練習をしているからきっちり命中させられるけど」
「その舐めた口が気に入らねえんだ!」
巨漢がネルに木材を振り回そうとした瞬間、様子を眺めているのにいささか飽きてきたおれは二人の間に割って入った。
善人っぽく仲裁に入った訳じゃあない。
そっちの方がずっと効率的だからだ。
別に殺しがしたい訳ではないから、ねっとりとした“禽”の涎をぬぐったばかりのM66はホルスターに収める。
銃以外にも武器は持っているが、それも必要ない。
素手で十分。
ここにいる誰もが、おれのことを勇気はあるが無謀で愚かな行動をする馬鹿なやつだと感じたかもしれない。
少なくとも巨漢は190センチ、体重でいえば100キロはある大男なのに対して、日本人のおれは痩せ気味のチビ。
荒れ狂う暴力を止めることもできずに弾き飛ばされてしまいそうだ。
巨漢が震えた。
少なくともこいつの背中を見つめていた者たちの目にはそう映った。
しかし、そのまま停止する。
力いっぱい振り下ろした木材がぽろりと手から落ちた。
弾丸のように浮くのが許されなかったというのではなく、握るための力が消えてなくなってしまった結果、手放さざるをえなかったという風に。
それはそうだろう。
手首のスナップを利かせただけの軽い一撃とはいえ、おれの左正拳を頬にまともに受けて意識が飛ばないはずがない。
気絶させるつもりはなかったので手加減をしたせいなのか、それでも巨漢は倒れずにいた。
もっとも次の瞬間には完全に頭の血が沸騰したようだったが。
のけぞった身体と姿勢を無理矢理に立て直し、
「て、てめえ―――!」
木材を手放した手のひらを握り拳に変えて、おれへめがけて覆いかぶさるような右フックを放ってきた。
なかなか大したタフネスぶりである。
フック自体は慣れた動きだったが、ボクシングなどを専門的に学んだものではなく、おそらくアメフトのようなスポーツでかじったものだろう。
それでもまともに食らえば、首の骨をへし折られかねない渾身の力が込もったパンチであった。
その軌道を逸らす。
おれが左肘から先を回転させると、まるであっちから見れば魔法のようにフックの軌道がねじ曲げられる。
当たっていれば重いであろう拳はなにもない空を切って終わった。
力を込めすぎたパンチが空振りをすると、完全に態勢を崩すことになる。
おかげで巨漢は右わき腹を、おれに対して無防備にさらすことになった。
ついさっき、おれの拳を食らったショックで手にしていた木材を手放してしまったことを思い出したのだろうか、酷く怯えた表情を浮かべていた。
生来のタフさがあったから、あの一発は何とかこらえることができたのだろうが、あれと同じ一撃がまたわき腹に命中すればどんな痛みが走るのかを想像したに違いない。
とはいえ、手を出してきたのはそっちだぜ。
おれは拳をそっとわき腹に添えた。
パンチではなくタッチという程度の感触。
痛みに怯えそうになっていた巨漢がほっとしたかもしれない瞬間―――
「ぐぎゃ!!」
巨漢にとっては途方もなく重く熱いものが上半身を貫いたように感じたはずだ。
本気で戦ったことのあるかつての試合相手から聞いた話では、まるででかい蜂にでも刺されようだということである。
喧嘩のように振りかぶって勢いをつけるのではなく、添えた拳を力で押し出すのでもなく、ただ身体の捻りとバネだけを利用して貫く打の一撃。
拳の先端から発せられる衝撃は、巨漢の肉体の外に抜けず内部に溜まり、高熱と化して臓腑を焼きはらい、骨と肉を軋ませる。
まるで弾丸でも撃ち込まれたかのごときリアクションをして巨漢は悶絶して倒れこむ。
口から泡を吐いている。
白目もむいていた。
我ながらかなりとんでもない威力だと思う。
ほとんど無音のまま、あっという間に体格差が倍近くもある喧嘩は終わった。
おれの圧勝だ。
「……やっぱり強いのね、セーギ。カラテでいいの、その技」
「少し違う。俺のは、もう純粋なカラテじゃなくなっているからな」
「全米カラテチャンピオンなのに?」
「ジュニアの頃のことさ」
ネルとの会話を聞いて、他の連中はようやくおれが顔つきそのままに、少年といっていい年頃だということに気が付いたようだ。
この大陸ではアジア人は年齢不詳だというが、表情が加わればさすがに読み取れるのだろう。
現在、おれは十八歳。
アメリカでもまだ子供の部類に入る年頃だ。
ただ、それはこの中で最も体格のいい巨漢が暴れて手に負えなくなる前に昏倒させたという恐ろしさを際立たせることになったのだろう。
“禽”を銃で仕留めたことと今の喧嘩の様子で、もうこれ以上無理に絡もうとする輩がいなくなること願うぜ。
「……てめえら、何をしにここに来やがったんだ。そもそも、どこから入りやがった? 奥は指紋認証でワシと孫以外は抜けられないように金をかけてあるんだぜ」
雑貨店の老店主が聞いてきた。
どうやら裏口にあった古い店構えとは裏腹の厳重な電子錠と扉は、この爺さんが設置したものらしい。
ただの扉だけでなく、パネルに指をあてて指紋を認証しなければ開錠されない防犯機能がこれ見よがしに設置されていた。
犯罪の多いアメリカ―――しかも全体的に気性の荒いテキサス州だから、たとえ田舎の店であったとしても厳重な対策がされていることは不自然ではない。
ネルは肩をすくめて、
「あんな防犯装置、簡単にクラックできるわ。ちょっと気の利いた強盗だったら、根こそぎお金を奪われていたところよ。今度、もう少しまともなセキュリティ会社を格安で紹介してあげるから、そっちにお願いしなさい。あと、わたしたちは一つだけ聞きたいことがあったからお邪魔しただけよ。ホントにそれだけ。そしたら、“禽”が暴れていてうるさかったからセーギが銃で撃って退治した。シンプルでしょう」
と、わりと傲慢に言った。
勝手にセキュリティを解除して店内に入ったことは謝る気もないらしい。
考え方のメンタリティがどことなくコンピューターRPGの勇者のものっぽい雑さである。
まあ、引き留めなかったおれにも多少の問題があるかもしれないが。
「てめえらが“禽”を殺したから、そのせいでワシたちまで〈恐鳥〉に狙われることになるかもしれんのだぞ! てめえらのせいで!」
「だから、それは別にわたしたちのせいじゃないでしょう。この世界はもうあいつらの支配地よ。我が物顔でふるまう〈眷族〉どものせいで、ありとあらゆる場所がボロボロ、建物に網を張って鉄条網をめぐらした大都市圏でもなければ、昼間に外を出歩くのも危険があるんだから。あなたたちだって、さっきの“禽”にこの中まで押し入られていたどうなっていたかわかっているのでしょう。セーギがいなかったら〈恐鳥〉がくるまでもなく皆殺しにされていたかもしれないわね」
それは事実だ。
実際のところ、〈恐鳥〉はともかく、この町の中に何十羽もの“禽”がうろちょろしているのは確認済みだ。
本来、やつらは銃声を聞きつけたら脇目もふらず、文字通りに飛んでくる。
おれが“禽”の口の中に腕を突っ込んだのは多少の消音のためでもあったのだ。
老店主のやった無意味な2発のショットガンの発砲音が、やつらの耳に入らなかったのは極めて運がいい。
ようやくそのことに思い至ったのか、一番ヒートアップしていた老人の顔から怒気が収まっていく。
他の客たちも、だ。
もともと、こいつらがこの雑貨屋にまで逃げてきたことが、さっきの“禽”に襲撃される原因であった。
おれとネルは、この客たちが“禽”に追われてここに逃げ込んでくる前から黙ってお邪魔していたので一部始終をよく知っている。
昼間から酒に酔って、大空を鳥や〈眷族〉が舞っている時間帯に無暗に外出をした愚かものたちだ。
老店主の怒りの矛先はそもそもこいつらにこそ向けられるべきであろう。
とはいえあまり追い詰めても仕方がない。
助け船をだしてみた。
「―――ネル。別にいいだろ。どうせ、おれとあんたはすぐにここをでていく予定なんだ。ここの住民を責めたってはじまらない。それより早く用事を済ませて、あと水を売ってもらおうぜ」
商売の話になったので、老店主が疑わしそうに口を開いた。
「水を売るのは構わねえ。ミネラルウオーターは品薄で売れねえが、裏にある井戸から汲んでおいた水なら格安で売ってやってもいい」
「ありがとう。わたしたちの車にも水の蓄えはあるのだけれど、これからテキサスの荒れ地を通り抜ける予定だから用心して多めにもっていきたかったの。別に長居はしないわ」
「車なんぞ出せば“禽”どもに気づかれるぜ」
ネルはちらりと壁掛け時計を見やり、時間を確認する。
「午後4時36分。オウマタイムまであとわずかだし、ちょっと前になったらここから出るわ。そうすれば銃が使えるしね」
とても少女の持ち物とは思えない背中のスナイパーライフルを優しく撫でる。
正直、背負うだけでもかなり苦労しそうなのに、ネルの顔にはそん様子は微塵も感じられない。
「それに……こんなボロい建物じゃ、たてこもっても籠城にはならないでしょう。おじいさんとお孫さんのおうちらしいから瓦礫にするのは可哀想だし」
「ネル、少しは言葉をオブラートに包めよ」
「はいはい」
ボロい建物と聞いて老店主がまたもテキサス人らしく頭に血を昇らせそうなのを無視して、ネルはつまらなそうに肩をすくめた。
傲慢っぽさが板についている。
「だから、まずとりあえずは水を売ってちょうだい。早く、早く」
喧嘩でも売っているみたいな催促の仕方は止めておいた方がいいぞ。
と、どうせ言っても聞きやしない相手に心の奥で忠告をしておいた。
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