天撃のクリーパーズ・クロウラーズ

―地を這いずる者たちの銃&カラテ・アクション!―
陸 理明
陸 理明

〈殺人現象〉

公開日時: 2020年10月4日(日) 20:00
更新日時: 2020年10月5日(月) 23:35
文字数:3,564

 

  

羽毛の世界フェザー・ワールド〉では飛び道具がまったく役に立たないのは周知の事実だ。

 手元を離れたものが宙に浮くことなく真下へと一直線に落ちていき、何度もバウンドして跳ねるゴムボールでさえ、ピタッと着地してしまう。

 ボールが跳ねるのは、形が元に戻る力いわゆる弾性があるからで、中身が空の場合は内部の空気の弾性も加わって、さらに大きくバウンドするのである。

 だが、〈羽毛の世界〉ではそんな個体物理学さえ、「ものは宙に浮けない」という「現実」に妨げられる。

 ただし、ロープなどを回転させて持つ場合だけは、それが微妙に阻害される。

 振り子などもそうだ。

 おそらくは遠心力などによる滞空については、この理屈のわからない新物理法則が及びにくいのだろうと推測されている。

 そのため、最近頻繁にお目にかかるようになったのが―――鞭を使うやつだ。

 扱いが易しい武器という訳ではないが、熟練すれば3メートルから5メートルの距離を越えて攻撃をできるということと、意外と〈眷族〉に対しても有効な打撃を与えられるということで重宝されているのである。

 で、目の前のこのいかにも映画に出てきそうな殺人鬼スタイルの男は、やたらと長いフックのついた鎖を膂力に任せて俺目掛け唸らせてきた。

 まさに旋風のようだった。

 金属製の丈夫な鎖をこんな風に扱える人間なんておれは知らない。

 一年のアメリカ大陸横断中にカウボーイによる本場の投げ縄というのを見物したことがあるが(投げ縄も法則の影響を受けにくいというは勉強になった)、それを思わす器用さのくせに信じられない馬鹿力の持ち主である。

 さっきは間一髪避けられたが、隣にあった枯れ木は簡単に砕けた。

 しかも、放った後に鎖を手元に引き寄せるスピードも速い。

 予想外の強敵だった。

 見た目といい、怪力といい、人外としか思えない。

 

「―――グジャアア!」

 

 発する叫び声もほとんど獣だ。

はっきりとした化け物である〈眷族〉と違って、どう考えても人間の見た目なのにまるで怪物を相手にしているような冷や汗が出る。

まったく近寄れねえ。

 遠心力が必要なので弧を描く必要があるから、攻撃の軌道そのものは読みやすい。

 しかし、下手に受ければ鉄の鎖に骨まで砕かれかねない。

 敵もさるもので、障害物としての木が多いところでは鎖が巻き取られる可能性があるので、森の端を出て広場が背になるように移動する。

 これでは隙がつけない。

 ネルはというと、M4カービンを構えつつ周囲への警戒を怠らない。

 こいつが一人だけとは限らないことを察して動いているのだ。

 正しい判断なのだが、おかげでこちらへの支援は期待できない。

 丘の上の小屋から丸見えで、もし仲間が助っ人に駆けつけでもしたらさすがに厳しいことになるだろう。

 

「セーギ!」

 

 ネルが英語風の読みを止めて、わざと変わった発音をした。

 それから、日本語で叫んだ。

 

「森へ逃げるわよ―――さん、に、いち、ぜろ!」

 

 おれたちは同時に森の奥へと走り出した。

 ネルは英語だけでなく三カ国語を話せ、片言なら日本語もいける。

 さっき程度の短いセンテンスなら充分に話せる能力があるのだ。

 逆に、おれが相手をしている人間かどうかもわからん奴にそこまでの教養があるとは思えない。

 その証拠に一気に脱兎のごとく後方へ駆けだしたおれたちを追うことを決めるのに、数秒のタイムラグが生じていた。

 え、逃げるの?→もう一人も逃げたの?→追わないと→鎖はどうしよう?→持っていく余裕はない。さっさと追わないと→ダッシュ開始、という思考プロセスがあってようやく走り出したという感じだ。

 やはり頭はあまりよろしくない。

 ちなみにおれを先行するネルは俺以上に早く森の中を突っ走っている。

 確か、軍事教練から進化したという、走る・昇る・跳ぶという移動法フリー・ランニング―――パルクールともいうらしい―――を訓練していたということらしく、道なき道を凄まじい勢いで駆けていく。

 おれも山歩きはできるほうだが、ここまでではない。

 まったくいったい全体大金持ちのお嬢さまが何を習っているんだか。

 しばらくして、浅い川のほとりでおれたちは一息つくことにした。

 

「……〈教授〉、聞こえている、〈教授〉?」

 

 ネルはヘッドセットに話しかけていた。

 さっきの〈パック〉と同じように彼女のバックアッパーの一人への呼びかけだ。

 いったい何人いるのかわからないが、ネルが必要だと判断したときに声をかければ、すぐに返事が返ってくる。

 ネルは旅に出るのにあたり、知識という面での勉強は最低限にして、必要であれば集めたスタッフに尋ねるというやりかたをとっていた。

 

『おやおや、お嬢さん。随分と息を荒げてどうしました? お嬢さまらしくありませんねえ』

                                                                                                         

 おれのヘッドセットにも繋がっているので声が聞こえた。

〈パック〉のような加工された機械音声ではなく、落ち着いた男の老人の声だった。

〈教授〉という呼び名ハンドルネームは初耳だった。

 

「今、わたしはテキサスの森にいます。テキサス・ヒル・カントリーの傍ね。そこで、おかしな連中と遭遇しました。人とは思えない怪力の持ち主で、おそらく―――人を食べる。〈教授〉はこの連中について心当たりはありますか?」

 

 ネルは授業を受ける女学生のように生真面目な口調で尋ねた。

〈パック〉のおばさんとはだいぶ態度が違う。

 もっとも、おれはその内容を聞いてさすがに驚いた。

 人を食べる? さっきの奴がか?

 すると、〈教授〉は興味深そうに言った。

 

『ほお、南部の森かね。―――君は確かお父上を捜すために旅に出たはずだが、随分と珍しい体験をしているようだ。わざわざ連中とつけるということは、集団だという確信があるんだね』

「ええ。最低、三人はいると推測できます」

『なら、おそらくは〈ヒルズ・マン〉だろう。ソニー・ビーンの子孫たちさ』

「初めて聞く名前ですけど、〈殺人現象フェノメノン〉なのですか?」

『微妙なところだな。〈殺人現象〉にカテゴライズするには、たいした脅威ではなく、人間の枠にくくるには外れすぎている。まあ、普通の人間が対峙するには少々厄介という程度らしい。ただし、今の世界においての危険度は格段に上がっているかもしれないがね』

 

 おれは口をはさんだ。

 

「すいません〈殺人現象フェノメノン〉ってなんですか?」

『おや、誰だね、君は? ―――ああ、君が噂の日本の武芸者くんかい? なるほど、初めまして。小生は〈教授〉と呼称されるオカルト専門家さ』

「オカルト?」

『ああ。お嬢さまのサポートチームの中で、特にオカルトや魔術に関する知見を提供することを求められているものだ。ここしばらくはお呼びがなかったので、君と会話をするのは初めてだね』

 

〈パック〉がプログラムなんかの専門家だという話だが、そのオカルト版という訳か。

 だが、オカルトになんの関係があるんだ。

 

『〈殺人現象フェノメノン〉というのはね、このアメリカ大陸特有の超自然現象でね。君の国でいうところの妖怪みたいなものだと説明するとわかりやすいか。我が国には有名なものから知られていないものも含めて、有象無象の連続殺人鬼が山ほどいるのだが、その中でも特に信じがたい超常能力めいた力を有するもののことを指す業界用語だ。名付けたのはFBIで、事情に詳しい警察関係者の中でも多用されているな』

「殺人鬼が有象無象もいるってのがまずおかしいんですけど、その中でも特別異常な犯行をするやつを〈殺人現象〉というって定義でいいんですか?」

『いいや、違う。その程度ではただの狂人か凶人だ。カテゴリーには含まれない。そうだな、〈殺人現象〉の中でもとりわけ有名なものは、北部に現れた夢の中に現れて対象を殺すことができた殺人鬼だ。次に、湖でキャンプ中に溺れて以来、やってくるものを片っ端から殺した不死身の怪物の噂もある。こいつはどんなに速く逃げてもいつのまにか追いつかれてしまうという謎の力もあって、何百人ものキャンプ客が殺されたと言われているな。まあ、〈殺人現象〉については、FBI全体でもこれまで30件ほどしか報告されていないから、本当に稀なのだとは思うがね』

 

 凄いな、アメリカ。

 治安が悪いどころのレベルじゃないだろう。

 普通なら眉唾ものの話だが、おれはどういう訳かすっきりと呑み込んだ。

 もともと〈眷族〉やらとの接触のおかげでこれまでの世界観が音を立てて崩壊していたところに、さっきの異常な膂力の鎖使いだ。

 だったら、〈殺人現象〉とやらを受け入れる方が現実的であろう。

 

「それで、〈教授〉。あなたがいう〈ヒルズ・マン〉というのは、どういう連中なの? 知っている限りのことを教えて」

『いいとも』

 

 やはり〈教授〉というだけあって知識を教えることには喜びがあるのだろう。

 とはいえ、彼が喜々として語った〈ヒルズ・マン〉の逸話というものは、一年間のアメリカ横断でいろいろと地獄を見てきたおれでさえ耳を塞ぎたくなるようなものばかりだったのである……




 

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