〔第三者視点〕 雑貨店にて
「あの人たち、大丈夫かな」
雑貨屋の孫娘は、さっきまでいた二人組が出ていった玄関を見つめながらぽつりと呟いた。
たった二人いなくなっただけ、しかも実際に一緒にいたのは二十分ぐらいのことでしかないのに、強烈なまでの印象が残っている。
西部劇かと思うようなカウボーイガールと日本人の男女。
日本人の男の方は東洋の神秘でもいうべき喧嘩の強さをみせて、二回り以上大きい巨漢を地に這わせた。巨漢はハイスクール時代にアメリカンフットボールのラインとして鳴らした経験があり、町では誰もがトラブルを避けたがる筋肉ダルマだった。それを容易くKOしたのだから尋常な強さではない。
女はトラベラーズハットとコート、そしてボディスーツの黒づくめという奇天烈な服装で、自分の身長ほどもあるライフルを背中にかけ、しかも信じられない美貌の持ち主であった。
どちらも、テキサスのこんな田舎町ではみかけることのないタイプだ。
しかも、彼らこの大陸横断の旅をしているのだという。
とてもではないがまともではない。
現在のアメリカはかつてのものとはまったく環境がことなる、怪物が跳梁跋扈し、人死にの絶えないフロンティアそのものなのだから。
手に持っていた紙屑をゴミ箱に投げる。
たいして重くもないのに指から離れた途端、やはりすとんと直下していく。
世界中がこの調子だ。
物理法則が完全に書き換えられて、宙に浮くことができるものはいなくなった。
ほんの少しのジャンプをすることさえもできない。
〈天崩壊〉以来、ほとんどすべての人間が、身体が重くなったと感じているという。
ジャンプ以外にも、人は日常生活において身体を浮かせる動作を比較的多用しているのだと思い知らされた。
日常生活での歩行の際にもスキップのようにかすかだが両脚が地面を離れていることがあり、そのときにさえ浮くことができず、躓いたようにバランスが崩れる。
そのため、人々は歩くことすら慎重になっていた。
これまでと違う動きを絶対的法則として強いられるというのは、ただの日常生活でもストレスが積み重なり、激しい苦痛を伴うものだった。
もっとも、それとて世界的な経済の流通が滞り、あらゆる生産的活動に不便を強いられることに比べればまだマシな苦労といえたのだが。
「―――わしとしてはでていってくれて助かったがな」
「おじいちゃん!」
「誤解するなよ。別に意地悪で言ってんじゃねえ。あいつらは、あんなでもわりと気を遣ってくれていた方だった。わしらに配慮していたしな。が、少なくともこの町にとっては長逗留してもらっちゃ困る奴らだってことだ」
「……同じだよ」
すると、客のひとりがいった。
「マスターの言う通りだ。あんな奴らがいたら、ここも“禽”に襲われたかもしれねえ」
「そうだぜ」
だが、その声を聴いて老人はショットガンの銃口を向けた。
引き金を引いたとしても散弾が地面に散らばるだけで危険性はないと頭ではわかっていても、かつての銃王国アメリカの民であるものたちには背筋が寒くなる行為だった。
「ふざけたことをぬかしてんじゃねえ。もともとはてめえらがここに逃げ込んできたのが原因じゃねえか。あの日本人に助けてもらっておいて何様のつもりだ。―――あとで壊れちまった窓の弁償をしろ。そうしたら、とっとと帰りやがれ」
「そうだけどよ……。マスター、銃を向けないでくれ」
男たちはへらへらと笑ってごまかそうとした。
先ほど雑貨店に押し入ろうとした中型の“禽”が暴れた原因は、この常連客たちにあった。
近所にある別のパブで昼間から酒に酔い、ふらついていたところを空で獲物を探していた“禽”に見つかって逃げてきたのだ。
今日に限ってどういう訳か、町に入りこんでくる“禽”が多かったのは、おそらく〈恐鳥〉のお伴だったからだろう。
雑貨店が細々と目立たないように店を開けていることを知っていたので避難のために駆け込み、いつもならば獲物が隠れればそれ以上は追ってこない“禽”が執拗に追跡してきたのは運が悪かったともいえたが。
孫娘がやや苛立った顔つきをする理由はそこにある。
常連客達の愚かな真似が原因で襲撃されたというのに、通りすがりに“禽”を退治してくれたネルとセーギの二人に対して汚い言葉を浴びせたことを思春期の潔癖さが許せなかったである。
ついでにセーギに醜く絡んだことも、だ。
テキサスの男らしい荒々しさといってしまえばそれで終わってしまうが、少なくとも多感な娘にとっては好ましいと思える態度ではなかった。
祖父である老店主にとっても同様だ。
この店を守るためにあえて壁をつくって接したが、あの二人は決して悪人ではなかった。
金払いもいいし、“禽”を一匹でも斃すのがどれだけ困難かを知り尽くしている老人としては、セーギの勇敢な行動は敬意を表したいものであった。
だから、自然と常連客たちにつける点が辛くなってしまう。
最悪、彼らのせいで店が無残に荒らされて祖父と孫の命まで危険にさらされないとも限らなかったのだから。
「……夜になったら“禽”も動かなくなるしよ。そうしたら、家に帰……」
その時、入り口の戸がまたも叩かれた。
ひどく乱暴な叩き方だ。
一瞬、孫娘は男女が戻ってきたのかと思ったが、あの二人はこんな必死なノックはしないと思い直した。
慌てて駆け寄り、
「誰!?」
と訊くと、間髪入れず、
「助けてくれ!! “禽”に襲われているんだ!!」
「助けて!!」
振り向く前に、老人がすぐ後ろにまでやってきていて、
「開けてやるか」
「でも!!」
「仕方ねえ。助けを求めているやつを助けねえのは、テキサスの人間のすることじゃねえ」
「―――うん」
祖父の漢気を血のつながった孫として好ましく思いつつ、孫娘は扉の錠を外した。
扉戸を開くと、孫娘は何か黒いものが額に添えられた気がした。
気がしただけだ。
彼女はそのまま脳に弾丸をぶちこまれて即死した。
銃弾が後頭部の頭蓋にぶつかった衝撃で一歩分吹き飛んで崩れ落ちる前に、命を失った肉体を押しのけるようにして汚い革ジャン姿の男たちが侵入してきた。
手にはブローニングHPらしき拳銃と禍々しい意匠のナタめいたナイフを握っている。
老店主は扉を開けるためにショットガンを構えておらず、革ジャンの一人のナイフで肩を刺されて倒れこんだ。
侵入者は五人いた。
薄汚れて似たような革ジャンやスカジャンを着ている。
全身からあふれ出す暴力を操るもの特有の刺々しさが雄弁に正体を物語っていた。
「どいつが店主だ!? それに金と食い物をよこしな! 早くしろや!」
常連客達は戸惑った。
新たな闖入者が危険極まりない―――アメリカの片田舎では〈眷族〉の次に用心しなければならない連中―――武装暴走族であったと理解したからだ。
〈天崩壊〉後の軍隊・警察の弱体化につけこみ、超自然の驚異である〈眷族〉の襲撃を覚悟の上で、各地で略奪・暴行・強姦を繰り返す札付きの犯罪者どもがいた。
それらが手を組んで徒党を組み、野盗のように好き勝手にふるまいだしたのが武装暴走族である。
教育などクソくらえといった粗野そのものの犯罪者の集団―――職のないプア・ホワイトから、黒人、メキシコからの不法移民など、構成員はバラエティに富むが、共通しているのは危険で無秩序な連中ということである。
テキサスはメキシコ国境と接していることもあり、とくにメキシコ出身者が中心となった武装暴走族が多い。
武装暴走族はオウマタイムを狙って蛮行を働くことが多く、普段なら雑貨店の老店主ももっと警戒していただろう。
だが、今日に限って助けを求めて扉を叩いたものが二回目ということもあって、警戒心が緩んでいたといえる。
そのため、簡単に賊を招き入れてしまったのだ。
代償として失ったものは愛する孫娘の命という決して贖えぬものであった。
口笛を吹いて、革ジャンにはねた血液を踏みにじり、武装暴走族の代表らしい中年男は店の隅にいた常連客に向かって叫んだ。
「もしもーし、聞いてますかあ。てめえらもこうなりたくなかったら、オレっちたちのお手伝いをしてくださーい。急いでねー」
「まったく、町に入ったとたんに“禽”に追いかけまわされて、散々だったぜい。おかげで車はオシャカになりやがるし。おらジジイ、車があるならキーも寄越せ。いいな!」
常連客にはもう逆らうという選択肢はなかった。
この武装暴走族はもともとこの町で暴れるつもりでやってきたらしく、その前に“禽”とかち合ったせいで気がたっているようだ。
暴力を振るうことに躊躇いが微塵もない。
雑貨屋の孫娘のようになりたくなければ服従するしかない。
「てめえもだ、ジジイ。よーし、命が惜しければさっさとオレっちたちの要求に応えやがれ」
眼を見開いたまま二度と生き返らない遺体となった孫娘を呆然と見つめ、老人は動こうとはしなかった。
誰に何を言われようと今の彼にとってすべて虚無だ。
失われたのはかけがえのない唯一の宝物であったのだから。
床に横たわった孫娘の遺体は壊れた置物のようだった。
弱いものは死ぬ。強いものも死ぬ。結局は誰もが死ぬ。
これが今のアメリカの現実だ。
「おいおい、こっちはお願いしてるんじゃねえぞ。命令してんだぞ!」
頭に銃口を突き付けられても老人は動かない。
動く気力も尽きていた。
なのに、ごく自然にM780のグリップを握る力が強くなる。
「よーし、てめえは死にてえんだな。だったら何も言わなくてもいいぜ。さっさとくたばれ」
ブローニングHPの銃口が額に押し付けられた。
銃口から放たれた弾丸は、宙を飛ぶことがないおかげでその本来のパワーを発揮して老人のこめかみを吹き飛ばすはずであった。
さっきの孫娘のように白い脳漿と赤い鮮血を撒き散らして。
だが、そうはならなかった。
そうはさせなかった。
老店主の元アメリカ軍人の誇りか、テキサスのブロンコ魂か、それとも哀しみにみちた別の何かか。それが獣のような雄叫びを上げた。
戦い方は思い出している。
―――ついさっき、あの日本人がやったようにすればいいだけのことなのだ。
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