ちらりと時計を見て、
「もう少ししたら行くわ」
「……別に泊っていってもいいよ。うちはモーテルもやってるからさ」
「ごめんなさい。わたしたち、のんびりとした旅じゃないから、夜のうちに少しは移動したいの」
「そうか。お父さん、捜しているんだもんね」
「お水の分はカードで支払うけど、情報を提供してくれた分は、もし外に〈恐鳥〉がいるようなら、ついでに追っ払っておいてあげることで返すわ。それでいいでしょ」
孫娘は目を丸くした。
ネルの言っている意味がわからなかったのだろう。
本気であんなバケモノ鳥とやりあうつもりなのか、という理解できないものを発見したときの眼付きだ。
「―――本気なの?」
「ええ、まあね。水を売ってもらったお礼もあるけど、遭遇した〈眷族〉はできる限り退治しておきたい切実な理由がわたしにはあるのよ。そっちの方も個人的な事情だけど。巻き込んでしまってごめんなさいって気持ちに嘘はないわ」
孫娘は不思議そうだった。
それはそうだろう。
あれから一年も経つが、普通は〈眷族〉と正面から関わろうなんて人はほとんどいないのだ。戦うことも含めて。
人間は〈眷族〉とは極力関わらない。
“禽”とも〈恐鳥〉とも。
人が〈眷族〉を退治したという話が、ネットの伝えてくるニュースに散見されるが、基本的には事故であったり、偶然の事態が積み重なった結果であったりして、意図的に〈眷族〉と交戦したというものは少ない。
何故かというと、銃という便利な飛び道具が使えない環境では、空も飛べる〈眷族〉を打ち倒すのはかなりの難事に含まれることだからだ。
装備する兵器がほとんど使えなくなった結果、戦いの専門家である軍隊でさえ、それは至難の業だと言う。
「やっぱりオウマタイムを狙ってる? あれならワンチャンあるみたいだけど。でも、たった一時間しかないよ。一時間なんてほんとすぐだよ。それに、あたしも見たことあるけれど、オウマタイムになったらだいたい〈眷族(あいつら)〉はさっさと遠くに逃げちゃう。銃が使えるようになってる時間だって知っているみたいに。あたしらは助かるけどさ」
「だから、オウマタイムになる前に出るのよ。一度、獲物に遭遇して頭が空っぽになったら所詮は鳥頭。危険なんてすぐに脳から霧散してこっちに食らいついてくるから」
「ねえ、本気の本気で戦うっての? あの―――彼氏(スタディ)と?」
「セーギは彼氏じゃないわ。西までの案内人、あと道連れ」
「一緒に旅はしてるんでしょ」
「なりゆきよ」
とっつきにくそうなネルの言動を孫娘はわりと好意的に受け取っていてくれるようだ。
逆に煽ったり喧嘩を売ったりしやすいネルの言動はお嬢様らしくない。
少女漫画の悪役の女の子みたいだ。
ホホホと哄笑するのが似合うかもしれない。
顔は綺麗だが女にしては目つき悪いし。
あと、おれたちについて彼女が口にしていることは事実で、おれたち二人は別に恋人同士ではない。
お試しのデーティング期間という訳でもない。
もしおれたちの関係を一言で表すとしたら、まさにネルのいう「道連れ」ということになるだろうか。
「最後にさ、一つだけ聞いていい? 旅なんかしていると気が付くことなんかないかな? 〈天崩壊(スカイフォール)〉がどうして起きたのか、とかについて」
すると、ネルはタブレットをカバンから取り出して、
「―――あなた、ネット見てる? 特に〈天崩壊(スカイフォール)〉関係」
「当然、見てる。ただでさえ、このあたり田舎すぎてなにもないのに、〈眷族〉のせいでのんきに散歩もできなくなっちゃって結構暇なんだから」
「じゃあ、国連見解は知っている?」
「地軸の歪みがどうとかというやつでしょ? 学者さんがみんな罵倒してた」
アメリカをはじめとする各国の政府も〈天崩壊(スカイフォール)〉については公式の見解を発表している。
国連のものとは別に、アメリカが独自にまとめた公式見解―――通説と呼ばれているものがないわけではない。
各国の見解をそれなりの外交チャンネルを通じてアメリカが収集しまとめたものだが、基本的に誰も信じてはいない。
鳥を除いてあらゆるものが宙に浮かなくなるなどという奇天烈すぎる現象は、すべての物理学者・数学者が解き明かそうと試みても端緒さえつかめなかったのだから仕方がないところだろう。
政府や国連の、一見納得できそうで実のところ何もわかっていない公式発表を信じる者などほとんど誰もいなかった。
それよりもはっきりとオカルトめいた荒唐無稽な仮説の方が人口に膾炙しやすかったのだ。
―――いわゆる、神の罰、悪魔の呪いによる結果だという類いの珍説の類いである。
ここの孫娘が好んで調べていたのも、その系統から〈天崩壊(スカイフォール)〉を解釈しようとしたものばかりのようだった。
「でも、どいつもこいつも強引に解釈しようとしすぎていて、学のないあたしでさえ眉唾ものしかなかった。あんたは物知りみたいだし、これっていう説、知ってるの?」
すると、ネルはタブレットの画面をタップした。
「これかしら」
それは素人が作ったような古くて安っぽいHPだった。
タイトルは「大空邪神の呪い」という時代遅れとしか思えないネーミングセンスのベタなものだ。
まさに個人による趣味のHPといった風情である。
「―――知ってるけど」
これは孫娘も知っているようだった。
さりげなくネルの隣のスツールに腰かけ接近する。
無意識にやっていることのようだが、少し不用心すぎるな。
ちなみにタブレットをいじるネルの反対側の手がいつのまにかシールドを握っていて、コートの裏で銃口を向けていることに気がついているのはおれだけだろう。
「イギリスの超能力者エドガー・ケイシーの再来とか言われている人のページでしょ。確か、掲示板があって、日本とかインドとか、あと台湾とかの有名な占い師や霊能力者とかが討論に参加しているとかでネット上でも話題になってたっけ」
「なら、話は早いわ。このHPの管理者はヨナ・エッジといってあなたの言った通りの人物よ。色々とうさんくさい超能力者はたくさんいるけど、このエッジはかなり信頼できると言われているの。写真はうさん臭いけどね。……ページの古臭さが逆にそれっぽいと感じさせているだけかもしれないけれど」
「……別の世界から渡ってきた神さまの逆鱗に触れたやつがいて、そいつへの呪いのせいで、この世界では神の〈眷族〉と、神様に似ている鳥類以外のものは飛ぶことを禁じられたってやつでしょ……。内容はすごく子供だましっぽいのに、ネット上では同調する人があまりに多くて、今ではけっこう支持されているんだよね」
「わたしはこの説が結構的を射ていると思うわ」
「えー、それはないんじゃない。異世界の神だなんて、デタラメにもほどがあるって」
裏で銃を向けつつも、久しぶりだろう同世代の女の子との会話にネルもやや楽しそうだ。
若い娘同士の会話が盛り上がりつつあったときに、おれの視界にさっきまでみかけなかったものが入りこんできた。
「ネル、視認できる場所にでかいものが見えた。おそらく本当に〈恐鳥〉だ。さっきの“禽”の死骸がみつかるとヤバいことになる」
「―――じゃあ、ここでさよならね。お水、ありがとう。おじいさんと元気にやりなさい」
ネルは座っているときにも手放さなかったライフルを背負ったまま、裏口へと向かう。
購入した水をケースで担ぎあげ、おれもそのあとを追った。
「―――すまなかった」
まだおれを睨んでいる巨漢に頭を深々とさげる。
さすがにやりすぎたと反省はしている。
雑貨店の祖父と孫、客たちは不思議な顔つきでおれたちを見送っていた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!