〈恐鳥〉が追いかけてくる。
自分に激しく耐えがたい痛みを与えた小動物を許すことはできないとでもいうかの如く。
しかも、与えられた痛みが憎むべき銃火器によるものだということが、きっと拍車をかけていたに違いない。
ドドドと地響きをあげて近づいてくる〈恐鳥〉とは歩幅の差で圧倒されていた。
路地に逃げ込んでも、決して見失ってくれることはない。
この調子では例え家屋の中に隠れても絶対に見つけ出すまで探すのをやめないだろう。
〈眷族〉にはあまりないと思われている感情―――憎悪にとりつかれて、おれを逃がすことは決してありえないという具合だ。
だから、あえて建物には隠れず、路地を駆け抜けながら〈恐鳥〉を引き付ける。
また嘴を突っ込んできたら、手痛い一発をもう一度叩きこんでやるつもりだった。
逃走しながらも、撃った分の弾丸は補充しておく。
ただ、〈恐鳥〉はさっきの痛みで学習したのか、むやみやたらに顔を晒すような真似はしなくなった。
一発だけ、隙をみて足首に接射で打ち込んではみたもの、この程度の火力では動きを止めることは叶わない
かといって、おれのカラテではどんなに殴る蹴るをしても無意味だ。
逃げつづけるしかない。
腕時計にちらちら視線を落としながら。
そして、その時間がやってきた。
ピピとセットしていたアラームが鳴る。
おれは肉体がわずかに軽くなったように感じた。
(きたな!)
今まで歩法を使い地摺りのまま歩くというか滑っていたところを、一度だけ身体を低く沈めるとすべての筋力を爆発させて走り出す。
かつての〈天崩壊〉以前の世界のように。
両脚が地を離れても、落下してバランスが崩れない走り方を思い出す。
おれはこれまでとは倍近い速度を出して一気に〈恐鳥〉を引き剥がしていった。
〈恐鳥〉の方はその異常に気が付かない。
〈天崩壊〉後の物理法則に左右されないということが、逆に仇となったのである。
―――アラームが鳴ったとき、この世界はつかの間の過去を取り返す。
どちらが、かりそめの姿なのだろう。
とにかく、理由も不明、理屈も不明のまま、鳥と〈眷族〉以外のものが、大地の呪縛から逃れて宙を舞うことのできる正常にして清浄なる時間がやってきたのだ。
太陽が昇るとき、また反対に沈みゆくまでの約一時間。
世界はかつての姿を取り戻した。
東洋では、およそ午後6時ごろ、辺りが薄暗くなり、周りの景色が見えにくくなり始めることを―――魔物に遭遇する時間帯「逢魔が時」と言うが、そのことをもじって「オウマタイム」と誰かが名付けた朝と夕の一時間ずつ。
このわずかなオウマタイムの間だけが、人間が空を支配する怪物どもに抗えるチャンスなのであった。
「……ちょっとばかり首があがりすぎだな。それだとよくない」
全速力のダッシュである程度の距離を稼いだおれはおもむろに振り向く。
まだ弾の残っているM500を両手で構え、〈恐鳥〉の半分崩れた顔目掛けて銃口を向ける。
「ちぃとばかりこっちを向いてくれよ、大将」
立てつづけに引き金を引いた。
顔を撃ったはずだったが、弾丸はすべて嘴に当たって跳ね飛んでいく。
傷もついてない。
妖魅特有の黄色い眼光がおれを貫く。
きっとこいつは怒り心頭なのだろう。
おれを確実になぶり殺すために嘴を閉じて振り下ろそうとした。
「そうだ、それでいい。口が開いていると射線が通らなくなるからな」
おれはその様子から片時も目をそらさずに言った。
もちろん、人語を解さない〈眷族〉にわかるはずもない。
その真意に例え気づいたとしてもすでに手遅れだった。
338.ラプアマグナム弾の凶悪な一撃が、響き渡った轟音と共に〈恐鳥〉の額にぶちあたり、穴を空け、のけぞらせ、残忍な怪物の脳みそを完膚なきまでに破壊していたのである。
断末魔の唸りをあげて崩れ落ちる〈恐鳥〉には、もう命の灯火は宿っていなかった。
地面がド派手に揺れた。
それでも二度と動きださないのを確信するまで、おれはじっと二丁の銃口を構えていた。
「たいした腕だよ、ホント」
それから、ライフル弾がやってきた方角を見る。
眼のいいおれでもわかりにくいほど遠い、約500メートル以上は離れた場所にサバーバンが横付けされていて、屋根に腹這いになっている少女の姿が見えた。
さっき背中にかけていた大口径ライフルMK13を伏射で構えたネルだった。
あいつは伊達や酔狂でライフルを背負っていたわけではなく、500メートルの距離で激しく動く〈恐鳥〉の脳天を一撃で射貫くことのできる天才スナイパーであったのだ。
おれが知っているあいつの情報はごくわずかだ。
銃器の専門家であり、ずば抜けて豊富な知識を持っていること、行方不明の父親を探す桁外れの金持ちの令嬢であること。
そして、このとてつもないスナイピングの腕前の持ち主ということだ。
おれが軽く手をあげて合図を送ると、車上でぺたりと女の子座りをして肩をすくめる。
道連れのおれが時間を稼いでいる隙に、狙撃の場所を確保し、スコープを調整して、準備を終えて待っていたのだ。
世界が正常に戻り、ニンゲンが一矢を報いることのできる時間―――オウマタイムを。
自分の特技が蘇る時間を。
そして、銃が銃として機能できるほんのわずかな時間を活かして、勝機をものにしたのである。
耳に着けていたヘッドセットから声がした。
『お疲れ様、セーギ』
『そっちもだ。いい腕だ。名前は?」
昔々にデトロイトを守った機械の警官の最後の決め台詞である。
おれが好きな映画の一つだ。
ネルもよく知っていた。
『マーフィー……ではないわね。わたしは、ヴァネッサ・レベッカ・クレインですもの』
「知っている。ライフル射撃でアメリカ合衆国五輪強化選手にもなった女の子の名前だ」
『――ありがとう。全米ジュニア空手チャンプ』
おれたちは、すでに捨てたも同然の過去の肩書を告げ合う。
もし、あれがなかったら二人ともその肩書に相応しい人生を送っていたのかもしれない。
だが、そうはならなかった。
運命というものがあるのならば、きっとそれを許してもらえなかったに違いない。
『ライフル使っちゃったから、町の周囲にいる“禽”や〈眷族〉がわんさとやってくるわよ。早く逃げましょうか』
「そうだな。急ごう」
合流したサバーバンの助手席におれが乗り込むと、すぐにネルはアクセルを踏み込んだ。
町からの脱出ルートはさっきとは逆回しだ。
途中で、少しだけ立ち寄ったあの雑貨店が見えた。
〈恐鳥〉の襲撃で半壊していた。
武装暴走族らしい連中の死体に小型と中型の“禽”が群がっていた。
どうやら店に中まで入り込んでいる様子はない。
老店主と孫娘の安否を確認したい気持ちもあったが、こちらもそれどころではなくなりそうだ。
〈眷族〉どもがおれたちを見つけて鳴いている。
同胞を呼び集めているのだろう。
「……おじいさんとお孫さん、無事でいるといいけど」
「確認している時間はないぜ。〈眷族〉、おれたちに気がついたみたいだ」
「ええ。あとであの店に見舞金を振りこむようにエージェントに指示しておくわ。そのぐいしかできないけれど」
「さすが金持ちは違うな」
「どうせろくでもないものを作って売って集めたはした金よ。他人のために現世で使いきった方が天国に行けるわ。……パパァはきっと無理だろうけど」
ネルにとってどうやら父親の名前はタブーであるため、いきなり塞ぎこんだとしても口を利かない程度の気遣いしかできない。
故郷に両親が残っている自分と彼女は違う。
下手な慰めは同情にもならない。
そのかわりに、雑貨店があった方に向けて、軽く頭を下げた。
「そういえば、さっきお孫さんに親父さんを捜している理由をきかれたとき、誤魔化したな。どうしてだい? あんたなら別に気にせず口にするもんだと思っていた」
すると、ネルは少し黙ってから、
「あんな人のよさそうな子に、パパァ殺しに行くんだ、なんて言えるわけないでしょ?」
と、ぶっきらぼうに呟いた。
ほんのわずかだけ会話したあの雑貨屋の孫娘のことがネルはかなり気に入っていたようだ。
自分の恐ろしい目的のことを教える気にはならなかったのだろう。
まあ、それが普通の人間かもしれない。
結局、あの店で起きたことを何も知らずに、おれたち二人の乗ったサバーバンはテキサスのさらなる荒野へと走りつづけていく……
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