水のでない噴水に絡みつくように倒れていた〈恐鳥〉は黄色い眼でおれを見下ろす。
感情らしきものは当然ない。
獲物や餌を見る眼でもない。
ただ、近くにいる物体に視線を落としているだけという様子だった。
「反応もしてくれないのか。それじゃ困るんだ」
おれは苦笑しつつ、〈眷族〉が見やすいように握っていたM66を晒す。
〈恐鳥〉がやや前傾姿勢になる。
狙うべき目的物を認識したからだ。
これまでに知られている〈眷族〉の習性でもっとも優先性が高いと確定されているものが、この銃火器に対する絶対的なまでの攻撃性だった。
多分に疑問点がつけられるものの〈眷族〉も生物である以上、食欲を満たすために人間を初めとする他の生き物を襲うことは間違いない。
ただ、〈眷族〉たちはかなり飢えている場合であっても、銃声を聞きつけるなり、視界の中に銃火器が入るなりすると、食欲よりもそちらを選択する。
これはどうやら生物の本能さえ越える絶対的な一択であり、人間が〈眷族〉をどうにかしようとするために用いれる最大の武器でもあった。
今回、おれもそれを使った。
拳銃をみて〈恐鳥〉はネルの車を追うよりも、まずこっちを殺すことに決めたようである。
おれの行動が怪物鳥の動きを限定したのだ。
しかし、それは七メートルの巨体の怪物とちっぽけな人間が、正面から対峙するということであった。
「―――集中しろ」
長く長く息を吸う。
息吹の一種だ。
これからしばらくの間、おれは無呼吸で刹那の懈怠もなく動きつづけなければならない。
しかも、ただ一瞬の油断もできない。
なにしろ、相手は化け物だ。
慣れたとはいえ、ゲームでいえばハードモードの敵なのだ。
〈恐鳥〉の右足が振り下ろされる。
おれは全脚力を駆使して横に移動した。
緊急回避のためにもっとも手っ取り早い横っ飛びのような跳躍はできない。
できないのが、この世界のルールだ。
移動の際にわずかでも両脚が地面から離れると、途端にがくんと無条件で体が地に墜ちて致命的にバランスを失う。
だから、おれの移動は摺り足による滑るようなものにならざるをえない。
普通のアメリカ人であったのならば、練習を積んだとしてもこんなにスムーズにはできないだろう。
〈恐鳥〉はおれの氷上のスケートめいた動きに戸惑う。
おれが通っていた道場では、練習も試合も基本的にべた足を指導され、川で水が流れていくように動く歩法を叩きこまれる。
他の流派にはない特徴で、もともと古流剣術―――柳生新陰流の流れを汲んでいるのではと兄弟子たちは推理していた。
この独特の歩法が使えたからこそ、今のアメリカで生き延びることができているともいえるかもしれない。
身体の傍の空気を巨大な爪と肢がギリギリ抉り、触れてもいないのに皮膚が熱くなる。
人体の防衛機能の過剰反応か、それとも想像力の暴走か。
どのみち当たってはいないのだから、ないのと一緒だ。
体勢を整えることなく、とりあえず〈恐鳥〉の指先を分厚い皮ごと一発殴りつけてみた。
ちくりとぐらいは痛みがしたはずだ。
小柄とはいえ、万全の状態でのおれの右の正拳突きは180キロ前後の重みがある。
無理な姿勢のままでも100キロ近い打撃はだせるが、それぐらいではこいつを怯ませる程度のこともできないだろう。
ただ、それでもいい。
蹂躙されるだけの小虫の類いだと思わせなければいいのだ。
躱されたとしって、〈恐鳥〉はまた踏みつけにきた。
他の鳥のように小刻みに動くには自重が大きすぎるため、接近するとどうしても動きが緩慢になる。
おれは再び歩法を用いて移動し、巨体の真下に入った。
〈恐鳥〉は両眼の位置が上方についているため、身体の下は完全な盲点となる。
普通の鳥ならば羽ばたいて向きを変えてくるところだが、羽根がなく、前肢の部分がただの鳥肌の気持ち悪い飾りものと化しているから、こいつにそんな器用な真似はできない。
そのため闇雲にまたぐらに頭部ごと嘴を差しこんでおれを追ってきた。
鋭いギザギサの歯のついた嘴が縦の弧を描いて襲ってくる。
だがよ、それはおれの狙い通りなんだ。
当たれば即死の嘴がやってくる瞬間に賭けていたのさ。
「おまえは頭が高いからな」
アンティークの書き物机が、ビルの屋上から自分目掛けて真っ逆さまに降ってくるような致死的な状況だと把握しつつ、おれは奇跡的な見切りをおこない、〈恐鳥〉の頬の部位に触れて腕を固定した。
同時に左手に握ったM66の危険な筒先をぴたりとぶつぶつとした皮膚にあてる。
遅滞なく撃った。
バンバンバンバン
全弾とまではいかなかった。
刹那の時間しか滞空しない銃弾であったとしても、ぴたりと銃口が目標とくっついた接射の状態であれば、そのもともとの殺傷力を十二分に発揮することができるのはとうの昔に実証済みだ。
そして、弾丸がめりこみさえすれば肉を穿ち、腱を裂き、骨を砕く弾丸の仕事は果たされる。
粘着力のある不気味な体液がおれの上半身を部分的に緑色に染め上げた。
血液である。
巨体を誇る〈恐鳥〉といえども四発の.357マグナム弾が頬からぶち込まれては痛みをこらえきれない。
脳までには達しなかったものの、これまで受けたことのない痛みを感じて、モンスターは奇声とともに撥ね回った。
おれはさらにもう一丁の拳銃をホルスターから引き抜き、左右から連射をした。
左手はいつものS&W・M66、右手にはもう少しデカいS&WM500。
弾丸が大きすぎて装弾数を5発にするしかなかったという逸話があるらしいバケモノ銃だ。
だが、これぐらいでないと〈恐鳥〉クラスと戦うには火力が足りねえんでな。
とはいえ.500マグナム弾というやつは、例え利き腕でも片手で撃つには反動が強すぎて二発が精いっぱいだった。
〈恐鳥〉の顔の半分がほとんど吹き飛ぶ。
しかし、まだまだくたばる様子はない。
痙攣のようにびくびくとしてから再び動き出す。
「踏まれてたまるか!」
一発蹴りを入れてから、反動を利用しておれはあえて背をむけてその場から全力で離脱を図る。
暴れ回る〈恐鳥〉に万が一にでも踏みつけられたら再起不能になりかねない。
それに弾倉にはあと二発しか残っていなかった。
〈恐鳥〉を相手にしているというのに、カラテでは完全に火力が足りない。
怪物どもを傷を負わせるにはやはり距離をゼロにしてからの射撃しかないのだ。
―――敵の攻撃を見切り、懐に潜り込み、銃口を押し当てて弾丸をぶちこむ器用な真似ができるからこそ、おれはこの一年間を生き残ることができたのである。
しかし、今のようなやり方以外では七メートルの高さにある〈恐鳥〉の脳みそまで達することはできない。
〈恐鳥〉クラスの化け物を仕留めるためにはやはり脳みそを粉砕しなければならないようだった。
さっきの嘴による攻撃がある意味では最後のチャンスであったかもしれない。
口のあたりの筋肉をむしり取り、顔を半分吹き飛ばしただけではまだまだ死にそうになかった。
ギャアアアアアアア!!!!
この段階になって初めて怪物は狂乱した。
〈恐鳥〉は肉体面の頑強さというものはそれほど強い訳ではない。
特に頭部―――脳は他の生物同様に急所となっている。
他の部位であれば野生動物特有のタフネスもあって即死することはまずないが、やはり脳を潰されれば即死する。
例え〈恐鳥〉サイズであったとしても。
だから、人間たちが銃などの凶悪な飛び道具で武装ができていたら、それほどの脅威とはなりえないはずだった。
しかし、今は〈天崩壊〉後の法則の途絶えた〈羽毛の世界〉だ。
飛び跳ねることもできない不自由な人間が巨獣に逆らえるほど惰弱な世界ではなかった。
〈恐鳥〉のただの足踏み程度でも、おれにとっては規格外の必殺の一撃になりかねない。
少しでも早く遠くに逃げるだけで精いっぱいだ。
背後からの攻撃を警戒しつつ、逃げつづけるしかなかった。
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