おれたちが乗ってきた車は少し先の建物の陰に乗りつけてある黒のシボレー・サバーバンだ。
外装も内装も随分といじくられているらしく、もとのサバーバンとは完全に別物みたいになっている。
ざっと見た限りでは、他の“禽”の姿はもうない。
中型らしくあまり群れない種類の“禽”だったようだ。
さっきまで雑貨店の窓を破って侵入しようと目論んでいた中型の死骸は表通りにだらしなく転がっていた。
〈眷族〉は同類の死骸を非常に気にするから、あいつの死はまだ知れ渡っていないのだろうか。
おれの経験からすると、死骸の存在に気が付かない場合は、よほど同類との距離が離れているかそれとも他に追いかけまわしている獲物がいるかの2パターンなのだが、今回はどちらだろうか。
この町の連中は雑貨屋の祖父孫のように全体的に思慮深そうだ。
“禽”が暴れ回っているときに外に出る愚か者は、店に逃げこんできた連中ぐらいのものかもしれない。
なら、さっきの疑問は前者が答えか。
「あの死骸をワイヤーで引っ張り回すわ。仲間の死骸を乱暴に扱えば“禽”はもう、あの店には興味を向けなくなる」
「―――“禽”を刺激したのはおれたちだから、責任をとるってことでいいか?」
「察しがいいのは日本人だから?」
「日本人が得意なのは空気を読む方だな。人の心を読むのはあまり上手じゃない。だからよく騙される」
担いでいた水のケースを後部座席の隙間にぶち込むと、丸めておいたフック付きのロープをひっぱりだし、その先端を持って“禽”の死骸の足首をきつく縛った。
その反対側は車のバンパー付近につけてあるフックに巻きつける。
もとは故障車を救助するためのものであり、すぐに外れるように金具を調節しておく。
手首の捻りでロープを引くと、死骸がぴくりと動いた。
「運転はわたしが。セーギのドラテクではすぐに天国行き」
「オッケーだ。広めの道を行ってくれ」
運転席にもぐりこんだネルがキーを回してエンジンをかける。
わざわざ21世紀になってほとんどなくなったキーでの手動に改造してある、デチューンカーである。
やや不便ではあるが、〈羽毛の世界〉となったアメリカ横断の蛮用にも耐えうる、頑丈さを突き詰めた代物である。
むしろ、こんな車でなければネルの役にはたたない。
彼女の目的のために必要なのは、柔らかく快適なシートでも、目を見張る素晴らしい外観でもない。ただひたすらに頑丈であることを希望したのだ。
アメリカの荒野を走りぬくために。
エンジンに火が点いて派手なバックファイヤーが鳴る。
もし近くに“禽”がいたならば、すぐにでも殺到しそうな爆音だった。
「―――わざわざ鳴らしたのかよ」
助手席に滑り込んで聞く。
おれもなかなか落着いたものだった。
「どうせ誘い出すのだから、派手にいくわ」
「それ以外がこないとも限らねえぞ」
「そこは運ね」
右手でシフトレバーを操り、車はアクセルの一踏みで加速する。
一瞬で時速70キロ台まで。
もともとこのサバーバンはアメリカ大統領のSPが乗車するもので、大統領が外遊するときにわざわざ現地まで運ばれるほどの高性能機だ。
場合によっては大統領が直々に乗り込むこともあるという。
加速性能についても、このサバーバンの場合はネルが特別にチューンを依頼したもので、軽く踏むだけで一気に最高速度近くまで達することが可能だ。
しかも、少女の筋力でも充分に動かせるようにハンドル回りもステアリングも調整済みである。
これだけピーキーな性能の車でも、ネルが操るための技術も時間をかけて会得しているおかげで、ほぼ人車一体のレベルで動かせるそうだ。
大陸横断中に見よう見まねで無免許運転をしなければならなかったおれとは基礎がまるっきり違う。
サバーバンは一気に大通りを抜けて、十字路に達する。
後部車輪を流して、ドリフト気味に侵入し、再度西へ向けて加速した。
おれたちの目的地はそもそも西だ。
本当ならば、このまま町を抜けてしまったっていい。
Gによってシートに押しつけられおれは「けほっ」と息を吐いた。
鍛えているとはいっても全身にかかる重力はきつい。
それでも、警戒を怠らずに視線は窓の外に向けておく。
特に警戒しなくてはならないのは空だ。
アメリカの空を制圧している人間の天敵どもがいつやってくるとも限らない。
すでに慣れてしまっているとはいえ、命がけの警戒・索敵というのは喜んでやりたいものではないな。
ホルスターからS&W M66を引き抜く。
ウインドウはあけっぱなしにしておく。
「いた」
ネルが前を向いたまま、周辺視野によって捉えたらしい情報を伝えてくる。
「どこだ」
「左の一本先の道。わたしたちと並走している」
「見つかってはいるってことか」
「これだけ大騒ぎしていればね」
時速70キロをキープしている車に追いつくというだけで本来まともではないが、おれたちはもう気にしてはいない。
〈眷族〉とはそういうバケモノばかりなのだ。
特に音に聞こえた〈恐鳥〉ともなれば十分すぎるモンスターなのである。
おれは腕時計に視線を落とした。
「まだオウマが刻まで時間がある。今回はやり過ごしておくか」
「そうはいかないわ。ただ一人のクレインの人間として可能な限り〈眷族〉は地上から駆逐しておきたいの。もう、それがわたしの宿命だから」
「あんたが何を背負っているかは知らないが、〈眷族〉が憎いってことと並外れたお人好しだってことは理解できた」
「―――バカにしているの?」
「―――義を見てせざるは勇無きなり。あの雑貨店の人たちを守るつもりなんだろ。あんたはかなりいい人だ」
ネルはわずかに沈黙し、
「そういうこと言わないで……」
と、頬を赤らめた。
落差激しいな、おい。
今の顔を見られるのは嫌だろうなと露骨に眼を逸らした。
さびれた田舎町なのでそれほど高い建物がないおかげか、こっちと並走している〈恐鳥〉の姿が陰からたびたび視認できる。
〈恐鳥〉は一言で表現すると「デカくて二足歩行する鳥」である。
最大の特徴は、七メートルにも達する体長である。
翼らしきものはあるが退化していて、鳥のくせに飛ぶことができない。
羽毛らしきものも生えておらず、どちらかという料理のために潰されて毟られたニワトリのような外見をしていた。
もっとも羽根がない分、黒光りする鳥肌が異形そのものである。
その頭部は大きく、重機のシャベルを思わす嘴は成人男性さえも丸のみにしてしまうほど大きい。
基本的に肉食性で、足の爪で踏みつぶした後、嘴で獲物を引き裂きちぎって食べる習性をもつ危険な生き物だった。
あまりにも獰猛なうえ、人間たちの生活圏内に頻繁に出現し獲物を狩りだすために、アメリカ国内では人間の天敵ワースト5に数えられていた。
銃も近代兵器も用いることのできなくなったアメリカ市民にとって、この〈恐鳥〉を斃すことは容易なことではない。
「近づくか」
「その必要はないわ!」
ネルがハンドルを強引にきると、サバーバンは路上に無造作に乗り捨ててあったバスにギリギリでぶつからずに右折しきる。
わざわざぶつかるように進路をとった後の自爆気味なハンドリングだった。
車内でふりまわされそうになるのをなんとかこらえる。
運転手がネルでなければ、ただの下手で乱暴な運転でしかないが、意図があるとわかっていれば、どういうシーンが続くのか想像もできるというものである。
避け切ったバスの天井に何十メートルの距離を跳躍してきた〈恐鳥〉が強引に降り立ったのだ。
割れずに残っていたバスのガラス窓がすべて割れて散らばり、前輪のシャフトが重さを支えきれずに折れて前に傾く。
バスよりも大きい巨体は、まるで木の枝にとまっているかのようだった。
巨大な爪が車体の金属板をたやすく貫き、無残な鉄くずにしている。
街区を一つ隔てた平行に伸びる道からひとっ飛びでここまで跳躍してきたのは、他の〈眷族〉のように大空を飛翔できないというだけで、こいつももやはり鳥類の一種というべきだろう。
恐るべき飛翔力であった。
もっとも、この〈恐鳥〉が跳躍する一瞬の気配を読み取って愛車を守ったネルのテクニックもズバ抜けているといえる。
バスを躱してもスピードは緩めずに爆走を続けていく。
「やっぱり尋常じゃない。一街区をひとまたぎだ」
「それはそうでしょ。七メートルもあるのだから。アメリカ軍が1小隊だしてもあっというまに食い殺されるのよ。せめて1中隊はいないとならないって話」
「銃があれば手間取らないのにな」
「ないものねだりはしたって無駄でしょ」
〈恐鳥〉の速度はさっきの跳躍で止まった。
このまま町を抜ける大通りに出れば、そのまま脱出することは容易だろう。
しかし、サバーバンは大通りにはいかなかった。
反対側に迂回したのだ。
「このまま時間まで稼ぐわ。オウマタイムまであと何分?」
「3分はあるぞ。追いかけっこをするには長い」
「大丈夫。ジャンプのタイミングはもう掴んだから。あの個体の特徴もね。オウマタイムまで待てばわたしに任せて」
「そううまくいくかな」
おれの勘が何かを告げていた。
悪い予感というよりも命の危機を知らせてきたのだ。
そして、こういう場合にはどういう行動が適切なのか、おれはアメリカ横断旅行での経験から知り尽くしていた。
勘のみを信じて右裏拳を窓の外に放つ。
空振りするとは信じない。
ただ、裏拳が命中するとだけ信仰するのだ。
人間相手ならば顔面を破壊することもできるおれの裏拳は、タイミングを計ったかのように突然斜め上の死角から降ってきた“禽”の顔面を抉った。
サバーバンの助手席に座ったままの無理な体勢ではあったが、車内に入りこもうとした瞼のない眼をした“禽”を叩き落す。
比較的小型の“禽”だったから、力をうまく伝えられない拳でもなんとか撃退できた。
「翼が2メートル以上あるってのに、よくまああんなに小回りが利くもんだ」
「地球上の鳥だったらできないはずのことができる。“禽”をはじめ〈眷族〉が異世界から来た怪物だっていう主張にも納得できるでしょう」
「そもそも、あいつがいる時点でファンタジーの世界だ。バロウズかムアコックだぜ」
「わたしはクラーク・アシュトン・スミスを推すわ」
備え付けのミラーを覗き込んでおれは一瞬だけ顔をしかめた。
「おい、あいつ、いないぞ」
背後には彼らを追っているはずの〈恐鳥〉の姿がなかった。
「こんなに車のエンジンが音立ててるのよ。あいつらだったら、どんどんわらわらと近寄ってくるはず」
「いや、目につくところにはいない。もしかして撒いちまったのか」
「そんなに淡白なストーカー気質の連中ではないはずだけど―――」
ネルはわずかに顔をしかめ、そして悔しそうに叫んだ。
「まさか、もしかして、あっちに戻って行ったの?」
あっちの意味がすぐにはわからなかった。
ハンドルを大きく回してアクセルをもう一度最大限に踏みつけながら、
「さっきの雑貨店かもしれないわ! 何かあって、あっちの方に〈恐鳥〉とか“禽”の興味が移ってしまったのかも!」
サバーバンをスムーズにUターンさせて逆走を開始した。
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