人々は、連年と続き集積された科学の進歩や、犠牲、努力など、それによって得ている暮らしが、いかに便利でありがたいものであるかを理解し、感謝すらしていない。
この世界では地震、台風、火災などの自然災害をはじめ、地下資源や貿易に関する地政学的問題、政権や安全保障などの政治的問題。信仰、イデオロギー、環境、または国境付近で起こる偶発的な軍事衝突まで、
ありとあらゆる分野で起こりうる事象が、そのすんでの所で回避されるようになった。
そして、啓示を授かることができるリーチと呼ばれる者たちの活躍により、厄災を回避することで、世界の経済成長率は大幅に躍進することとなった。
2025年6月某日
防衛省本部ビルの6階に設けられた会議室に20名ほどが集まっている。
警備員が2名、見せかけでは無いとはっきり分かるほど体格も挙動も良く、まさに軍人さながらである、最後に入室した防衛大臣に進行役の男が耳打ちした後、マイクを使わず部屋中に届くはっきりした声で話しだした。
「2025年7~9月期。リーチによる報告及び対策会議を始めます。リーチの皆様は、お手元のタブレットで、日時、座標、主要関係者、内容、可能であれば対象となる建造物、被害額と波及する事柄を、そして最後に対策を案内に従い記入してください」。
部屋には円状で、参加者の内側を一周する鏡面ばりのデスクがあり、レザー仕様のハイバックチェアには参加者が座っている、参加者の年齢や性別は多様で、子供から大人、スーツを着ている者がいれば、Tシャツの者もいた。
今回、初めて召集された「杉崎リツ」は皆より遅れながらタブレットを手に取り、言われたとおり記入しようと思ったが、ペンが無いことに気付く、周りを見回すが隣りに座っているのが子供なのか、身体が小さく着席した際に確認したきり、その後は椅子に体がすっぽり隠れてしまっていて、その動きを見ることができなかった。
すると反対側の席に座っていた薄生地のスウェットを着て独特な服の匂いを放つ、大げさな動きの男に声をかけられた(金本大である)杉崎は苦手なタイプだと直感で分かっていた為、出来れば関わりたくないと思っていた。
「おい、おい!、今日初めてだろ、ペンは無いぞ」
杉崎は、見られてたか、と思いながら
「なぜです?」と金本に質問した。
すると金本は、人差し指を立てて微笑しながら、「指紋が取りたいんだ、タブレットで数分おきに指紋認証をとっているんだ、だからペンは無い」
続けて、「カメラもだ、わかるだろ」と金本が二本指でジェスチャーしながら説明した。
確かにタブレットの上部にはカメラのレンズがある、そう言われた杉崎は、レンズが生き物の目のような気がして気持ちが悪くなり、タブレットを天井の方に向けた。
その日の会議では、今後3ヶ月のうちに起こる、震度5以上マグニチュード7以上の世界各地の地震、海洋進出による衝突、及びその他軍事衝突、飛行機事故、国内を通過する台風の予測(日時、場所、被害状況まで詳細なもの)他にも細かい事故や事件など色々あった、これら全てに、回避ルートや予知保全、外交での対応など被害を最小限、あるいは原因にアプローチする事で、発生すら抑えるなど、最善策が添えられていた。
杉崎が報告した内容は、中東での軍事衝突(主に領土争い)と旅客機の墜落事故だった。
報告は速やかに終わり、あげられた事項の対策へと移って行った、杉崎は緊張から、休憩を取りたかったが、途中退室は特別な許可が無いと下りなかった。
それに、対策と言っても、すでにタブレットで記入されたものを、確認するだけなので
事は淡々と進み、時間はあまりかからず終わった。
そして、驚くべきはいかなる事柄に対してもその内容に驚いたり恐れたりするものは、この場には一人も居なかった。
一人ずつ確認をおえて、最後に杉崎があげた事項をまとめ終わると、進行役が立ち上がり。
「本日の報告内容は、以下の通りです。
報告者への追加聴取を必要とする、特級事項は無し
1級事項は3件でそのうち1件は軍事上層部による緊急対策会議を必要とするもの。
2級事項は34件
3級事項は波及の可能性も含めた、継続監視対象も含めて115件
計152件、対策の取れない事項は無し」。
「大臣、何かありますか?」
「ありません、ご苦労さま」
「それでは最後に、本日この場であげられた内容はすべて国家機密及び軍事機密の両方にあたり。
防衛省または、それに準ずる機関の許可なく情報を外部に漏らすことは禁じられており、これに反した場合はいかなる事情があっても、国家反逆罪として取り扱うことになる。またこれは域外適用となり、いついかなる場所にいようとそれに該当する。
よろしければタブレットに署名をしていただき退出願います。
以上で2025年7~9月期の報告及び対策会議はこれで終わりになります。
リーチの皆様有り難うございました」。
と言うと丁寧にお辞儀をして、警備に指で合図をした。
会議開始から今まで少しも動かなかった警備2人が動き出し、ドアの両側にある網膜認証モニターの前に立ち、二人同時に認証を行うと、ピーッと鳴るのと同時に解錠の音も聞こえてきた。
真っ先に部屋を出たのは金本だった
「疲れたなー!それじゃお先に」
と伸びをしている、先程までは、だらしない格好で座っていて気が付かなかったが、背筋を伸ばし両手を広げたその姿は、警備員にも負けないくらいの大男だった。
それから皆、順々に立ち上がり部屋を後にする。杉崎はこの時点でかなり小便を我慢していたため、そそくさと部屋を後にしたが、立ち上がり際、隣りに座っていた子供で女の子だと気づいた。
部屋を出て少しのところにあるトイレで用を足していると、嗅いだことのある匂いがすることに杉崎はすぐに気がついた。金本がいたのである
「ようこそ、今日からお前も無事に国家の監視下に置かれる事になったわけだから、仲良くしようぜ」金本は杉崎がここに来ることを知っていて、待ち伏せしたようだった。
杉崎は、待ち伏せされた事に不快感をあらわに、不機嫌な顔をして、金本に質問した。
「監視下ってどういう事だ?」
「わかるだろう、そのまんまだ、ここから出た瞬間からお前は監視されることになる、
行動は勿論、ネット、人間関係、家族。
まあ別に情報さえ漏らさなければ痛くも痒くもない、少しくらいの法律違反なら別になんにも起きねーし、ギャンブルをしようが女遊びをしようが全く問題ない。だけどな、さっきも言ったけど情報だけは漏らすなよ恋人は勿論、母親にもだ、命が惜しければな、俺は何人もそれで死んでいったやつを見てきたからな」
杉崎は馬鹿にするように、
「連行されるのか?リーチの存在は世間に知られているが、特定はされていないはずだ。それに、ここで起きた事自体が機密事項なのに、何を理由に逮捕され裁かれるんだ?」
金本は急に真面目な表情で、
「そんな回りくどい事はしないよ、その場で殺されるんだ」。
杉崎はここで初めて自分の置かれた立場に気がつく、はじめから不真面目な態度で話す金本の表情が、その時のことを思い出したのか、このときだけは真面目になり、顔色が少しばかり青くなるのが分かった。
「別に、誰にも話すつもりはない、今までだってそうしてきた」。と杉崎は言った
「そうだよな、悪いな。変なこと言っちまって」金本が先程までの不真面目な態度に戻り杉崎の肩を叩いた。謝罪した金本に対しておかしなやつだ、と思いながらその場を後にした。
トイレを出て、辺りを見回すと召集されていた人たちはすでに居なかったが、会議室の前とエレベーターの前に先程の警備員が立っているのがすぐに分かった。
杉崎は警備員がこちらを監視しているような気がした。
「なんだよ、きもちわるい」とできる限り小さな声で言ったつもりだったが、殺風景な長い廊下に響き渡るのであった。
建物の外に出て、アスファルトに引かれている白線の矢印に沿って出口の方に向かって少し歩き、さっきまで居たビルを振り返り見てみると、今日ここに来るときとは違った意味での緊張感を抱かずにはいられなかった。
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